あと1年で漫画家になる。新人賞30回落選のあたしを、消えかけの稲荷神が鍛える 作:鳳 雛
翌日17時。
実門《みかど》は仕事が終わると珍しく残業もせずに一直線に家に向かって走った。信号機の前では思わず足踏みした。道中にあるコンビニに寄ると2本缶チューハイと栄養ドリンクを購入した。
職場から家までは20分と近い。歩いて通えるし、緊急時にはクロスバイクを使えば10分を切る。時間を捻出することを第一にしている実門にとっては、とてもありがたい立地だった。玄関のドアを開ける。
「ミカ先輩! 今日は早いですねぇ。丁度良かった。サラダの味見しますかぁ?」
「結構よ、用事があるの。晩ご飯は遅くなるから、先に食べといて」
「冷めても美味しいアボカドのサラダとイカ明太子パスタを用意しておきますぅ。あと、遅いと物騒なので気を付けてくださいね」
同居人の向井 絵馬がエプロンをして気合いを入れている。一緒に食べたいがここは我慢。急いで自室の扉を開けると、押し入れから過去に描いた漫画をダンボールから引き摺りだした。
息をふっと吐くと、被っていた埃が舞った。思わず小鼻に皺が浮かぶ。
実門は過去に描いた漫画20数本のコピーと、最近描いた作品が入ったタブレットをカルトンバッグに詰めた。バニラの香水を服に振りかけると家を飛び出した。
目的地は神社。白い狐、月狐に会いに行く。
実門の靴は赤いハイヒールだが、フラットシューズに取り替え可能なタイプなので踵を外すことができる。よってクロスバイクに乗って神社がある公園までは短時間で通える。
10年物語を研究した神様にあたしの作品はどう評価されるのか?
ハンドルを握る実門の手は震えていた。信号を無視したのにすら気づかなかった。周囲の反応を見て、自分が違反したことに罪悪感を覚えた。
神社に着いたはずだが、そこには小さな祠とお賽銭箱があるだけだった。
あれ? 神社がない。
いつもなら、大きな神社がそこにはあるはずなのに。到着が早かったから? まさか、今までのは全て幻で月狐なんて存在しなかった?
数々の疑問に混乱しながらも、公園のベンチに座り缶チューハイのプルタブを引いて開けた。
プシュっという音が喉の渇きを刺激する。9%のストロングが実門の癒やしだった。公園では子供が野球をして楽しんでいる。賑やかなBGMとして心地よい。
しばらくして軟球が実門の近くに転がってきた。外野の子が気まずそうに寄ってくる。
実門はボールを握るとセカンドまで放り投げた。球速は速い。剛速球だ。
アウト!
少年たちの声が届いた。
「そんなのありかよ」
セカンドを狙ってスライディングしていた少年は頭を振りながら、ベンチに戻っていく。外野の少年はぺこりと頭を下げた。
野球。17作目に描いた漫画のモチーフだ。知識を付けるために実際に野球教室に通ったことがある。その経験が活きた。
実門は漫画を描く度にその題材を実体験として経験している。それは昔から一貫している。初めて描いたファンタジー漫画にリアリティがないと言われたことがきっかけだ。
そんなこんなで空が群青に染まっていく。空には白い月が浮かんでいる。
神社のことは忘れよう。
念のため最後にもう一度だけ覗く。
神社というにはみすぼらしい参道に足を踏み入れた瞬間に、神社は急激に膨張し拡がった。いつも来ていた神社だ。
「どや、誰も来ん理由わかったやろ?」
「わからないわ」
「ウチの力だけでは、この神通力はできひんねん。
月の力を借りたんや」
「それでこの神社が出現したのね」
「せや。
ほら、漫画持ってきたんやろ?
見せてみ。一作目から順番に見ていくわ」
「アナログの原稿は応募してるから、コピーしたのをファイルに入れているの」
「ほぉ……」
「そこのシーンはね、三日も掛けたのよ。良いでしょう?」
「むぅ……」
「そこって前のページの伏線が効いてて」
「ちょっと、うるさいねん自分。
自分の漫画読んでいる読者に解説する作者がどこにおんねん」
「ごめんあそばせ」
実門は息を飲み込むと、2本目の缶チューハイを開けた。
月狐は全ての原稿に目を通すと一言。
「――ログラインやな」