あと1年で漫画家になる。新人賞30回落選のあたしを、消えかけの稲荷神が鍛える 作:鳳 雛
副都心の賑やかな街の一角に事務所がある。
『株式会社トライ・アクティ』。
長鳴実門《ながなきみかど》が働く会社だ。
マンションの入り口から狭い階段を登ると、小さな部屋がある。子供の人形遊びの家のような狭い空間に、机が並べられている。社長の隣が秘書である実門の席だった。
今日も正午の食事の時間は、実門のお昼寝タイムになった。午後番の時間になっても、眠っている実門に腹を立てた社長が歩み寄る。
「実門先生よぉ!!
まだ寝てるのか!」
「――おじさん」
顔を上げると、慌てて肩にかかっていた黒髪を後ろに払うと、紫の縁のメガネを掛ける。
「今俺の腹を見ておじさんと言ったな! 失礼なヤツだ、顔を見てそう呼べ! それにおじさんじゃない。社長だ!」
「社長!」
視界が鮮明になると腕を組んでいる社長の姿が目に映った。社長は実門の母の弟だ。家から近い職場なため、実門にとっては好都合の仕事だった。就職で難航していた実門を引き受けてくれた恩がある。
「全く、緊張感が足りんぞ! 漫画家志望と仕事の両立は大変かもしれん。
だがな、夢を見るのは現実だけにしとけ!!」
「ご、ごめんあそばせ」
「遊ばせだぁ? ふざけやがって。 得意先から依頼があったアニメは完成したのか?」
「アニメじゃありませんわ。
キャラクターデザインですのよ」
「あと何体だ?」
「15体ですわ」
「一体何分くらい掛けるつもりだ?」
「10分もあれば……」
「納期まであと何分だ?」
「90分くらいですわ」
「くらいってなんだ? あと85分で15体!!
時間が足りないだろうが!!」
「こうやって喋っている暇があったら、すぐに描いた方がよろしいんじゃなくて?」
「分かっているなら、さっさと描けぇ!!」
―約一時間後
「社長……、できました」
驚く社員一同。といっても五人しかいない。社長とその息子のイケメン大学生(バイト)。占いが得意なおばさん。神出鬼没な営業担当に、お節介な経理のおばさん。
あとは我が物顔で机を渡り歩く黒い猫『マネキ』が一匹。
「なんだ、早いじゃないか。手抜きは許さんぞ」
完成したイラストをのぞき込む営業担当。
「流石ですね、長鳴さん
この短時間でこのクオリティ」
お節介おばさんも追従する。
「やっぱり実門ちゃん漫画家志望者だけあってプロレベルね。
一体5分で描いたとはとても思えない。やるわねぇ」
「10分よ」
「えっ!?」
「なんだ、実門。
手は動いても頭は鈍いようだな
一体10分だと、15体で150分。
二倍の時間が必要だろうが!!」
「両手で描きましたの。」
「りょ、両手で!? 嘘を付くな!!
いつもと同じ完成度じゃないか!」
「右手で本番のペン入れと色塗りをしている間に、
左手でデザイン案とラフ画を描きましたわ」
両手で絵を描く。そんなことが可能なのか? 疑わしい目つきに実門は居心地が悪かった。言われてみれば左側の絵は線が若干乱れている。いわゆるゆるふわ系だ。
絵を描く仕事は楽しい。でも、漫画家になるには物語も上手くならないといけない。
ログラインという言葉が頭の中でぐるぐる回っていた。
「実門さんやっぱり絵が上手いね。専門の学校に行っていただけある。でも左手でも絵を描けることは知らなかったよ。隠していたの?」
バイトのイケメン大学生が眉を上げている。彼は社長の息子・長鳴垂加(すいか)。
「あたし、美術系の高校に通っていた時にバレー部の手伝いをしたのよ。その際に利き手の右手を骨折したの。それから半年は左手ですべての作品を作っていたわ。
デッサン、彫塑立体、革の加工、デザイン、板書。
それ以降、両利きになったの。もちろん、とても簡単な作業じゃないわ。でも、左右の手を別々に動かすのはピアノでもドラムでも同じこと。要は慣れですの」
当たり前のことのように言う実門に驚く一同。沈黙を破ったのは、おじさんの豪快な笑い声だった。
「ふふ、ふはははは!!
「さすがミカちゃんだ!!
オレの姪なだけはある!!
オレに似たんだ、凄い才能だ!!
両利きだって?素晴らしい!!」
「時給アップかしら?」
「ふざけるな!!
今まで伝家の宝刀二刀流を隠していてサボっていたな!
逆だ、しばらく給料抜きぃ!!」
「しゃ、社長」
涙を浮かべる実門の肩を揉み、慰めたのは社長の息子・長鳴垂加。父親に向かって注意する。
「社長、ミカちゃんに対して扱いが酷いじゃん? 親戚なんだし優しくしてあげなよ」
「黙れ!」
このご時世に正社員で雇ってやってるだけ感謝するのだ!!
姪だろうが関係ない!」
「正社員なのに時給ですけど……」
「適法なんだ、文句を言うな! まだ、終業まで10分ある。
全員、口ではなく頭と手を動かすんだ!!」
「秘書という契約なのに、雑用ばっかり。困りましたわ。
それで、社長は何をしますの?」
「俺はこの社長椅子で座るのが仕事だ
お前らに安心感と、緊張感を与えるためにな!!」
そういって社長は腕を組み静かに目を閉じた。
社員一同、社長の暴君ぶりには慣れている。
沈黙の中で、時計の針が進む音と実門がペンを走らせる音だけが聞こえていたが、
しばらくして社長のイビキによってかき消された。