メルクストーリア 半熟盟主と語られざる星々 作:へきごっとぅー
いよいよ15時に……?しかしこの物語の肝の一つである部分に明確に答えが出ても、開き直って独自設定を貫きたいと思います
――夢見る十代を過ぎ、働き盛りの勤め人となった君はふと。
窓から透けるきらめく日差しと青空に、褪せて見える時もあるけれど星のような瞬きが見える銀色と、淡く透き通る水色の色彩のふたりを思い出した。
――お隣が静かすぎる。
半年ぶりに村へ帰郷しておおよそ三日。君は特に切っ掛けがあった訳でもないけれど、本当に唐突に気がついたのだ。
いや、本当に久々の帰省であったので、ご近所への挨拶回りや手土産の分配、あと連日連夜に及ぶご年配方の呑み会にくどくど付き合わされて翌朝潰れたり、二日酔いに良いと新顔の村守から渡された野菜ジュースでちょっと数時間意識がトんだり(効果自体は折り紙付きであったが)と色々ありすぎて、帰郷当初にはちょっと顔を見せようとしていたのにすっかり頭から抜け落ちてしまっていた。
モンスタージャーナルを真剣に読みふける父(こっちも同じタイミングで帰郷した)と、紅茶をのんびり飲んでいる母。それぞれ同じ空間でバラバラのことをしてはいるが不思議と落ち着くこの空間の中、君の胸中で静かな葛藤が始まる。
帰郷して、『ああ帰ってきたな』と思いながら休暇をのんびりと味わっていて、でも時々感じていた物足りなさ――
かつてこの村で暮らしていた頃何度も聞いていた、お隣の少年と『彼女』の丁々発止にして賑やかなやり取りが、全く聞こえて来なかった。
君のお隣の一家の一人息子は、一言で言えば引きこもりであった。といっても、村社会での付き合いが不器用だとか、人の視線を恐れている超コミュ障といった性格的な理由によるものではない。
率直に言ってしまうと、この村――というか王国にはありふれているモンスター達を避けるように、いつの間にか家にこもりきりになってしまったのだ。
言葉のある人間同士でも上手くいかないことがあるのに、明確に言葉も持たない彼らとうまくやれなくてもしょうがないとは君は思うが、そんな言葉を届ける機会がある程親しい訳でもなく。
そしてそれだけであったら忽ち村の空気から埋没するのだろうけど、彼はある意味村一番の有名人である。
数少ない十代の子ども、という点だけでなく、主に家にいても聞こえてくる『相方』とのやり取りで。
「……呆れた。今更気がついたんだね」
今朝母が煮込み終えたばかりのブルーベリージャムをご近所にお裾分けに行った先で、このエノ村の数少ない子どもの一人であるポニーテールがトレードマークだった少女は、今はその髪をふわりと下ろしたエプロンドレス姿で、胡乱げに目を眇めて君にそう言った。
思えば少年のお母さんとは三日前に普通に挨拶したのに、その初日で気づけなかったのは本当に今更というしかないので、君は甘んじて受け入れる。
思えば君が村に引っ越してきたのは、子ども扱いするにも大人扱いするにも微妙な年の頃。目の前のこの娘とも今はいないあの少年とも、正直上手く付き合えていたかというと自信はない。
それでも君は、家に籠ってはいても周りの想いを拒んでいる訳ではない少年と、そんな少年をずっと心配している少女のことは好ましく思っていた。
「メルクも連れて、変なヒゲと語尾のおじさんのキャラバンについて旅してるんだよ。……色々あったから、ホント」
……村に襲来したモンスター達のことは、一応君も知っていた。というか半年前、両親からサラッと後出し報告のように手紙で教えられて肝を冷やした。即日帰らなかったのは、『この程度で帰って仕事をサボったら敷居は跨がせない』という手紙の警告文によるものである。
その襲来を切り抜けた立役者が旅立っているなんて今の今まで思わなかったが。
「ユウがあの部屋から飛び出す日が来るなんて思わなかった、って顔してるね、お隣さんも」
当時でさえそこそこレベルだった交流も途絶えて久しいというのに、突然内心を言い当てられて目を瞠った。
――いや、君の考えを、というよりも。
あの少年を知る全ての者たちが、その旅立ちを知って真っ先に考えたことなのだろうと思い直した。
更に彼女から話を聞くと、もうあの少年は既に18ヶ国一周まで果たしたらしい。
それ程の逞しい成長を遂げているなら、あの赤いカントーイも内側からパッツパツに押し上げる程の筋骨たくましい覇者に――
「いーや全然。筋肉信仰まだまだ捨ててないけど、背もあんまり伸びてないし腕もふにっふにだから」
この子みたいに、と指さした先には、湯気を立てるパンケーキを美味しそうに食べているラビューンがいた。いくらモンスターに馴染んでるとはいっても家にまで招き入れたことのない君は一瞬ギョッとするが、幸せそうにもちゃもちゃと口(というか身体全体)ラビューンの姿には警戒心を削がれた。
だが、ふと思い出して少女のほうに向き直る。君の記憶が確かであれば、目の前の彼女だってそうモンスターを恐れている、という訳ではないにせよ好意的でもなかった筈だ。
デリケートな話題なだけに、口に出していいものかわからずまごついていると、何かしらこちらの表情から悟るものがあったのだろう。ポニーテールを揺らしながらラビューンに向き直り、もちもちのその身体を慈しむような手つきで撫でていく。
「近くの村と一緒にバザーすることになって、私もお菓子とか色々作ったんだ。そしたら、この子達がわらわら寄ってきて――癒されてるみたいだったし、何となくお裾分けしたら、ね」
柔らかい表情に強がりや虚勢はなくて、ラビューン達もそんな彼女に親しげにすり寄っている。
ほんの数年前の、モンスターの姿に表情を硬くしていた小さな女の子の姿は最早ない。
『あの出来事』に傷ついた直後からずっと彼女と彼に付き纏っていた暗い影は、正直もうどうしようもないのではないかと君は思っていた。
癒されていないモンスターに傷ついて、恐怖して、そのまま距離を置くようになってしまった人々の姿は、王都でも珍しくはなかった。
――それでも、距離を戻そうとする人もいること。それもまたちゃんと『本当』ではあるのだと、君は彼女の姿で実感する
「そんなたいしたことじゃないから。私もこうしてケーキのお裾分けくらいは出来るくらいにはなったけど、例えばユウみたいにティンクルシードまで貰えるかっていうとまだ……ちょっとね」
そこで、ほろ苦いものを滲ませたような顔になる彼女に――決して目上ぶっての発言ではないけれど――君はポロッと零していた。
そもそもティンクルシードを貰っても、扱いどころに困るではないか。
召喚に応じるかは向こう次第とはいえ、向こうにも生活の流れはあるのだから、普段離れていればいる程呼んでいいタイミングはわからない。それに最悪、規格外サイズの癒されてないモンスターとうっかり相対することがあったら、ラビューンとかゴマリーからシードを貰えてたとして喚んだら彼らが大分無事では済まない可能性もある。
そんな風にぶっちゃけた君に対して、彼女は両の瞳を瞬かせて、程なくして綻ぶような笑顔をこぼした。ちょっとだけだが、この間休暇でセンオンに行ったこともあるのか、その双眸はかつて慰安旅行に行ったセンオン名物の紅温石を思い起こさせる。
「……びっくりした。お隣さん、案外ユウみたいな屁理屈っぽいこと言うんだ」
もっとぬるっと世の中を受け入れてると思った、みたいなことを言われると流石に眉をひそめた。でも、何もかもが変わってしまったあの時みたいなその笑顔を見ていると、まあいいかとも思う。
ついでとばかりにお裾分けされたパンケーキは、ふわふわと軽く2,3口で平らげてしまう美味しさだった。
結局、君の休暇の間にユウ少年とあの瓶詰少女が帰ってくることはなかった。
「やっと帰ってきたー! で、早速で悪いけどこれよろしく!」
いくつもの手を持つ和の国の『カンノン様』を思い起こさせる程、羽ペンを持つ先輩の手は分裂でもしたように数多の書類を捌いている真っ最中であった。平時は王国でもそれなりに有名な『紹介所のお姉さん』としての日だまりのような笑顔を絶やさないというのに、今やそのかんばせには死者の国の住人もかくやというべき隈が色濃く浮かび、その両目ともに寝不足故に血走っていた。
それに異議を唱えることもなく、君は隣の文机に腰掛けて業務に戻る。新しい登録者の桁が一つ増えたのには最早驚きはなく、先輩程のスピードはなくとも堅実に目を通してサインをしていく。
「――エノ村? じゃあユウ君やメルクちゃんと同郷だったのキミ!?」
疲労を紛らわす意味もかねて会話のネタとして故郷について尋ねた先輩は、キミの解答に意外そうに目を瞬かせた。
なんとユウ少年、癒術士としてキャラバン入りしてから度々こちらに寄っては護衛仲間を募っていたらしい。
世間の狭さもそうではあるが、聞いてみると割としょっちゅう仲間を求めて出入りして、紹介所で起きる色んな騒動に巻き込まれていたという。
……だというのに、一向に彼らと顔を合わせることがなかったという事実に少し驚いてしまう。
「言われてみると君、ユウ君やメルクちゃんが紹介所でわちゃわちゃしてる時不思議といなかったわね……そういうこともある、のかしら?」
これまで先輩が語ってくれた、色んな仲間と出会っては別れる流離いの少年癒術士とその相棒の話題は何度も呑みの席で聞かされていた。曰く、筋肉を割かし過度に信仰していて、手乗りサイズの相棒(最初は先輩もシードモンスターかと勘違いしていた)と息の合った漫才を繰り広げ、頑なに一年中赤いカントーイ姿とーー
思い返して君は気づいた。むしろこの昔から知ってる人物像を聞いていて、一度も二人の面影が過ぎっていなかった己こそが問題なのではないかと。
「そっかぁー……最後に来た手紙だとそろそろ彼も里帰りしそうだって話だったのに、何だかタイミング合わないのね。ご近所さんだっていうけど、昔からそういう感じだった?」
そんな感じではない。というか、あの狭い村で彼の家が右隣である以上、あの事件が起こる前までは顔を合わさない日などなかった。
因みにもう一人の馴染みことシエット嬢の家は左隣。
されどあの出来事の前、彼らと一緒にいた日々を思い出そうとしてもーー
『ねえユウー、なんかさっきすっごい大きなラビューンが川辺にいたよー、見に行こうよー』
『えーやだよ……こないだも赤ちゃんのカカルーが森で生まれたから見に行こうってシエットが言うからついてったけど、近づいた途端ははおやカカルーに追いかけられたじゃん!
シエットのお母さんのお菓子で仲良くなったって言ってたのに嘘つき!』
『あの時はちょっとカカルー違いしちゃっただけ! 大丈夫! ユウが怖がってゆじゅつ使えなくても、今回はお隣さんがタテになってくれるから!』
……こんな感じに、あまり会話に参加もしてない内に君が巻き込まれたりしているのが当たり前だった。因みにその後、とりあえず二人を先導する形で川辺に着いた君は、早々に出くわしたドデカラビューンのくしゃみの風圧で吹っ飛ばされて川にダイブし、ユウやシエットは普通にその巨体に群がってはしゃいでいた。
「何て言うか……うん、ユウ君とちょっとだけ似てるわね、そういう所」
生温い眼差しの先輩の顔にはありありと憐憫の情が浮かんでいるが、君はふるふると頭を振った。
年上らしく面倒を見ていられたかは甚だ怪しいと君は思っているものの、それでも楽しい日々には違いなかった。
「っと……そろそろ書類もあと一息よ。今この場にいないユウ君のことで気を揉んでも仕事は終わらないんだから、ラストスパートかけましょう!」
先輩はその話をしている最中でも普通に仕事を終わらせそうに思えました、という感想は今は閉まっておいて、君はあらん限りのスピードで手を動かす。
時折市政の人々や冒険者達と妙な乱痴気騒ぎに興じる愉快な職場、といったイメージがちょっと定着している紹介所も、修羅場の時はしっかり地獄である。
君の仕事は書類仕事や仲介だけに留まらない。
とある日のスケジュールをまとめて表すと、大体このような感じであった。
「……お菓子の話自体はいいけど、『体重・カロリー・油分』系の話題に繋げるのは極力避けるようにかぁ。
話には聞いてたけど、他の国の人は三食お菓子で結構太りかねないってマ――え、『太る』もダメなの? 特に女性には絶対? ……わかった、気をつけるよセンセ」
「思えば食べ物って不思議だよね。身体に栄養を与える為の物のはずなのに、ちょっとでも偏らせると却って身体に害みたいなのも出始めちゃうから、慣れとバランス調整が必要だなんて」
「……あんた、どこから来たんだ? 流石に物食べなくても生きていける国なんて言わないよな」
「僕はエレキの国からだね。こっち側の缶詰って大体味気なかったけど、でも思えば栄養管理自体はバッチリだったんだなあって、こっち来てしばらくして初めてわかったよ」
「……なんか爆食いでもしすぎたか?」
「……姉さんにいっつも絶えず褒めそやされてきたこの顔、というかおでこに初めてニキビが出来た時は、結構衝撃だったな……カルセにもまあ、『ああ、貴方もやっちゃったんだね』って哀れむような顔されたし」
その1、他国出身冒険者の為の座学(本日の生徒:お菓子の国出身の金髪の投擲士*1と、エレキの国出身のパフォーマー*2)
主に最重要課題である食文化ギャップによって、生徒達は結構盛り上がっていた。(その後、セーフな話題のラインとしてロカボスイーツの存在も教えておいたらとても感謝された)
その2.登録冒険者の環境の変化による体調不良への対処
「うん……二人とも今にも互いの襟首掴みそうな感じの喧嘩寸前って雰囲気で言い合ってたと思ったら、いきなり糸が切れたみたいに倒れちゃったんだ」
気絶とまではいかずとも、よろよろと地面に膝をついている少年二人を心配そうに見やりながら、砂漠の国出身女性によく見かけるやや薄手かつ扇情的な装束を纏った踊り子さん*3は、今回依頼で組んだ冒険者達の内2名が昏倒するまでのことをそう説明してくれた。
因みに少年二人はといえば、「何か……知らねーけど、随分へばってんじゃねーか……自己管理なってねーな……」とか、「おめーこそ、いつにも増して顔が青くなってんぞ……そのうるせえ口閉じて大人しくしてやがれ……」だの、憎まれ口なのか心配なのかわからないようなことを駆けつけた医師に介抱されながら言い合ってたりした。*4
「何とも珍しい! 青白い頬、止まらない冷や汗、紫に変色した唇……即ち常ならぬ体調不良による動悸によって命の危機を予感し、素面なら言えない恥ずかしい本音を暴露してしまうという」
「観光客には割といるから言わせてもらうが、多分典型的な日射病だな。特に死者の国から出たばかりの奴ってのは気をつけてないと大概こうなる」
[今回もありがとうございます、すっかりベテランですね]
[やっぱりここの職員バイトでもいいからやってみません?]
「いや本当、俺の本業はドーナツ屋だからな……?」
処置は的確だがノリにノって虚偽報告をしようとしてくる本職の医者*5を遮り、すっぱりとツッコんでくる本職ドーナツ屋の青年。*6
君はドーナツ屋の青年のほうに頷いて、同僚達に担架を要請しつつ倒れた二人を日陰で運んだ。
因みに君が死者の国出身者を救急搬送することになるのは、これで十何回目かになる。
その3 保護者会
「えーとソファラちゃんですが、最近動物の国で沢山お友達とファンを作りました。ちょっと大きなお兄さんお姉さんも混じってはいましたが基本安全です。コゼットちゃんは常夏の国でちょっとだけ暑さにクラッときたらしいですが、同行してくれた冒険者の方が熱中症対策を万全にしてくれたこともありその後の経過は大丈夫でした。因みに同じパーティーにいた方の縁で『笑う小魚艇』というレストランで一時的にシェフのお仕事をしたところ、前衛的な見た目とは裏腹の美味なシチューが好評を博したらしく……」
「そ、そうですか……いや皆さんには本当に面倒をお掛けしておりまして」
「すいません、普段は私も極力同行しようと努めているのですが、神仕の仕事で急に戻らなければならなかったので……お世話になったパーティーの方々に、後でご挨拶をさせて頂いても? レストランの件は私も色々聞いておかなければいけないので……」
名にし負う『紹介所のお姉さん』たる先輩主導のもと、年齢一桁の登録者の保護者に向けた定期報告会での助手。といっても黒板にまとめ書きをすることくらいしか出来ていないが。
先輩の滔々たる話しぶりはいつもの如く見事なもので、王国住まいの若夫婦と、死者の国出身であるという以上に気苦労の多そうな目元の隈が特徴的な緑髪の神仕*7は、深い安堵と旅先で保護者を努めてくれた冒険者達への感謝を露わにした。
君もまあ多人数への説明に向けた説明が出来なくはないが、想定外の質問にはまだまだ固まってしまう。なのでこうして目で見て勉強させてもらうこともある。
子ども達をしっかり見てくれた優しい大人達の何割かは顔見知りなので、後で何か奢ろう。
――その他、積み上がる色々な仕事は、勿論順調なものばかりとはいかなかった。
特に、本来君のメイン業務ともいうべき冒険者達との各種契約書処理に、人材募集依頼精査。どちらも日々怒濤のように押し寄せて堆く積み上げられる中、護衛の求人と登録冒険者の条件のマッチング度合いには神経を使った。
自称『出会いの達人』みたいな感じで依頼人と登録冒険者を日々マッチングさせてきた先輩と違い、君の実績はあまり芳しくはない。
ある時は募集されていたキャラバンの護衛仕事にそれぞれ別口で応募をかけてきた砂漠の国の少年二人*8を己の裁量で雇用してはみたが、いざ現場で引き合わせたら宿命のライバル(?)同士だったとかで乱闘が始まったり。王国の祭りで設営されたなんちゃってカジノっぽい即席遊戯施設でスタッフとして派遣した男女がごちゃついた関係*9だったらしくて店の雰囲気が微妙になりかけたり。
即クレームに繋がった訳ではないが、関わった人々全てが和やかに笑顔で手を振って再会を約束しあうなどという、晴れやかな結末はあまり縁のないことが多々あった。
「あはははー・・・・・・でも事前の身辺調査しても、お互い関わりがあるとかまではわからなかったんでしょ? その辺りは不可抗力なんだし、なら君がやるべきことはたった一つ!」
ジョッキに並々注がれたエール――ではなくオレンジエードをゴクゴクあおりながら、彼女はピシリと指先を天井に掲げた。無論ノンアルコールなのにやたらハイだったり顔も紅潮しきっているのは恐らく雰囲気酔いである。
「紹介所のお姉さんのような出会いのプロにはなれなくとも、仲介者のプロを目指せばいいんだよ! そう、私とウッキーを仲裁してくれた時のように!」
外ハネ気味のエアリーショートにまとめた柔らかな髪を勢い良く揺らし、『彼女』は自信たっぷりに言ってのける。対する君はそんな太鼓判に対しても今ひとつピンと来ていないのだ。あれは何というか、ちょっと仲裁と言えるか微妙なものだし。
「そうかなぁ? だってあの時ウッキーの表紙に華が欲しいからってポネットドロップシールとか貼ってみたいんだけどって言っちゃって売り言葉に買い言葉で大喧嘩になったのに、間に入って透明ブックカバーに貼ってウッキーにそれをかけてもらうってことでまとめたのは君じゃない!」
因みにポネットドロップシールとは、お菓子の国のポネットというモンスターをモデルにして売り出された、科学の国由来技術である透明樹脂加工によって立体感ときらびやかな存在感があると評判の女児向けアイテムである。
しかし君にとってはあの時の一件は喧嘩というよりも、宙に浮きながら開かれた本に向かって目の前の少女――ロトゥンがひたすらごねるような独り言を繰り返しているようにしか見えない珍事であった。正直素面ではそそくさと逃げていたかも知れないのにそんな対応が出来たのは、直前の呑み会で多少酒が入っていて正気を失っていたからかも知れない。
『その節はご迷惑をおかけしまして』
そしてあの時、本体がシールまみれになる寸前であったウッキー氏も、発声どころか表情もないなりに相当愉快な御仁であった。吞みの会話の中で時々差し込まれるジョークが結構ツボを突いていることが多いだけに、口の中の酒を噴き出さないよう結構堪えた回数は最早両手の指を持っても数えられない程である。
そして少し考えた後、やっぱり己には向いていない旨を厳かに告げる。
ある程度相手の情報を事前に把握しておいて、そういう采配をしてみる方向に舵を切ってみたことはある。でも、それでも尚結果は思うように伴わなかった。
「そっかぁ……でも君って案外、仕事の時肩肘張ってること多いし。案外初めて会った時みたいに直感で提案してみたほうが案外上手く回るんじゃないの?」
常に酔っ払い(軽)テンションで仕事をするのは流石にハードルが高い。それに、そういうやり方のほうが向いているのはむしろ目の前の少女であるとすら思った。
どこまで本当かわからないが元アイドルというだけあって、明朗快活にしてスルッと人のと人との間を繋ぎ、職場でも先輩方に可愛がられているようで客の覚えもめでたい。そう思うと、やはり君には己がにこやかに相容れない者達の手を繋ぎ合わせるよりかは、地道に妥協点を探ったりして肩を並べさせるくらいのほうが向いているとさえ思う。
「……ふーん。じゃあ君の中ではもう方針は出てるんだね」
彼女はちょっと目をパチクリと瞬かせてから、悪戯っぽく笑った。
「職場は違うけどさ、先輩っぽく振る舞えたらって思ったけど……君やっぱり、君が自分で思うよりも逞しいね!」
そう言って少女――ロトゥンはまだオレンジエードが三分の一程残るジョッキを掲げ、君も咄嗟にそれに合わせてまだまだエールを掲げる。
カチン、というジョッキ同士の触れあう、見えない仕事で世を支える者達の乾杯が、幻惑的なオレンジ色のプリズムが漂う紹介所で高らかに響く。
「~~でさー! 魔法まで使ったのに髪ハネ全然直らなかったから、その日一日全然あがんなくて~!」
ーー数時間後。
雰囲気だけで見事、酔っ払いの教本の如くくだを巻いている元・アイドルの姿を、翌日になったら記憶から消去しておこうと君は決意する。
「ウッキーのほうも雨で若干湿気っちゃったしさー、その日の魔法の出力弱くなっちゃってねー? モンスター撃退の救援に行ったはずなのに逆に皆にレスキューされちゃったよ~」
『実に不甲斐ないところを見せてしまった』
こうなると君に出来る事は、最早聞き役に徹する以外にはなかった。職場の人々には言いづらいことを互いに愚痴り合っている身である以上、その考えを否定する野暮は見せずに同調を示すのが何よりの特効薬だろう。
「やっぱりさ~。いくらかそっちから派遣してもらってるけど、うちの職場も結構人手不足なんだよね~」
受付嬢まで前線に出ている覚悟の極みっぷりから、前から薄々わかっている。
「いやそうじゃなくて! 戦力っていうか、内勤要員が足りないの内勤が!」
ああ、と君は得心したように頷いた。日々積み上げられる書類とある意味戦っている身として、切実な言葉である。
正直君自身には恐れ多くて出来ないことだが、だったら組織のトップに直接掛け合って補充してもらおうという気概でも見せれば、あるいは――
みたいなことを、ついポロッと漏らしてしまった時だった。
「え~無理無理。……だってさー……」
ーー思ったより吞んでしまったと思った割に、翌日にはそこまで響かなかった。
何となく彼女とロトゥンと吞むようになってから、ノンアルの彼女についつい勧められるままにハイペースでやらかしてしまうこっとはあったけど、むしろ経験故にセーブしていたのかも知れない。
……最後、何だかとても信じがたい一言を聞いた気がする。
「あれ、後輩君なんだか顔色良さそうねえ……昨日結構凹んでたのに、なんかいいリフレッシュでもしたの?」
これから仮眠室に入ろうというところであった先輩は、流石に一晩かけて書類をさばいていただけありちょっと憔悴していた。
それに軽く首肯してから、君はちょっとだけ改まった顔で目の前の頼れる先輩へと向き直る。
入所当初の時は目線自体は同じであった筈だが、今は頭一つ分ほどは身体が縦方向に伸びた。しかし、今のところ身長以外で彼女を超えるーーは、烏滸がましいが、追いつける気配はない。
やはりアイドルというべきなのか、あの娘と呑んだ後は二日酔いする事もあるものの、不思議と居住まいを正せるだけの余裕が君の中に生まれている。背中を押してくれる、とでもいうのか。
その居住まいをなるべく維持したまま、多分目の前の先輩にとっては唐突極まるであろうこれまでの感謝と、これから先への気構えを述べた。
「なーにー? いきなり新人の頃に戻ったみたいなこと言っちゃって。……あ、でもギリギリまだ新人って言えなくもないか。まあ初心を忘れないのはいいことだから、その調子で頑張りましょう?」
先輩は一瞬面食らったようではあったが君の本気を察してくれたようで、徹夜明けの疲労を物ともしない笑顔でそう言ってから仮眠室のドアを潜っていった。
後でパン屋のおやじさんの所から差し入れでも持って行くことを密かに決意しながら、君が改めてデスクに腰掛けるとーー。
ゾクリ、と隠しようのない殺気じみた気配に、一瞬腰の得物へ手を伸ばし掛けた。
冷や汗ダラダラで瞬時に振り返った瞬間、君は確かに見た。
朝陽差し込む紹介所の窓の端。そこに一瞬だが確かに、紺色のキャスケット帽を被った何者かの頭*10がサッと横切っていったのを。
[………]
[見なかったことにしよう]