クローン兵士の日常 異世界に転生したら危険と美女がいっぱいでした 作:仮名絵蛍蝶
この部屋とももう少しでお別れかと思うと、少しだけ感傷的になる。実質二ヶ月も暮らしてはいないのだが、密度の濃い時間だった。元の世界のワンルームマンションで暮らした二年間よりも、この部屋の二ヶ月足らずの時間の方が、天秤にかければ重いのではなかろうか。
いつまでも感傷に浸ってもいられない。オレをこの世界に送り込んだのが神だとしたら、神様ってヤツは随分と勤勉で底意地が悪い。次から次へと無茶振りしやがって、これから行くところがこの世の地獄とかじゃねえだろうな。もしそうだったら、いくら温厚なオレでもしまいにゃキレるぞ。
……この世の地獄とかありそうで怖いんだよなぁ。
荷造りはあっという間に終わった。なんてな、その必要すらない。私物が全くないんだもんな。代わりにお勉強の時間だ。偽造の……いや、偽造じゃないな。正規の手段で捏造された身分の暗記の時間だ。
え~と、オレは皇歴2100年生まれの20歳、両親とは既に死別。両親の死因は、と。タブレットで渡されたデータを必死に暗記する。瞳にカメラ機能がついているから、いざとなればカンペが使えるかと思ったがダメだった。瞳に映るから他人が見ればチョンバレですがな。
絶対にクローン人間だとバレてはいけないんだ。この偽りの経歴は完璧に覚えて、ボロを出さないようにしないとな。こういうのを日常的にやってる秘密工作員って大変だねえ。人間、生き死にが懸かれば集中力が研ぎ澄まされるらしく、自分とは思えない早さで経歴を暗記してゆく。この集中力を地球にいた頃に発揮していれば、親父と同じ高校に入れてたかもなぁ。
インスタント珈琲を淹れて小休止。だけど頭は思考を止めない。これから配属されるアスラ部隊は同盟最強の精鋭部隊。そしてオレの新しいボス、御堂イスカ大佐は美人で怖くて強い人だった。13号を一刀両断しちゃうんだもんな。すぐ傍にいたのに真っ二つにする瞬間はよく見えなかった。速すぎたのだ。斬撃の速度が。
推定、あの人は完全適合者だ。オリジナルの動きも目で追えなかった。最初はオリジナルの戦闘記録をスロー再生してたもんな。大佐が完全適合者だとして、彼女以外にまだアスラ部隊にはもう一人の完全適合者がいる訳か。怖いねえ。味方でも怖いもんは怖い。
そんで大佐の強みは完全適合者でとびきりの美人ってことだけじゃないんだよな。同盟軍の創設者・御堂アスラの一人娘。アスラ元帥はすでに故人だけど、元帥がいなくても創設者の娘ってのは圧倒的な権威だろう。元帥の部下は同盟軍の要職に就いてるだろうし。そういや博士が言ってたな。下手な将官より発言力があって、大抵のワガママは通ってしまう……納得だぜ。
そしてもう一人の重要な人物・牙門アギト。オレのオリジナルで、捏造された経歴では伯父ってことにされた。大佐の元部下でアスラ部隊4番隊隊長。生前の階級は大尉でもちろん完全適合者。『氷狼』と恐れられた同盟軍のエースだ。この世界じゃ手練れの兵士は、ほぼ例外なく異名を冠しているみたいだ。
ま、早い話がネームドってことだな。兵士には
婆ちゃんには悪いけどさぁ、もうちょっとなんとかなんなかったの? 別に名作アニメから名付けるのが悪いなんて言わねえよ? でも波平はなくね? 婆ちゃんが大好きな作品なのはわかってる。オレも嫌いじゃないよ? でも、せめてカツオにしといてくれ。イジメられまではしなかったけど、クラス替えの度、進学する度にからかいの対象にはなっちゃったぞ。聞いてる? 天国の婆ちゃん!
天国にツッコミをいれてても
そりゃ軍に入って12号って訳にゃいかないよね。
「本日よりアスラ部隊に配属された12号と申します! よろしくお願いします!」
ンなこと言ったらツッコミの嵐が吹き荒れるわ。風速60mぐらいでな。せっかく貰った命名権だ、そろそろマジメに考えよう。シンプルに本名、天掛波平。これがオレにとって一番スムーズで違和感がないというのはわかってる。なんたって20年間、そう呼ばれてきたんだからな。
だけど、オレの目標通り出世して異名持ちの兵士になれたと仮定しよう。
例えばオリジナルと同じ異名になったとしたら「氷狼」ナミヘイ、か。……ない、これはないわー。天国の婆ちゃんにツッコミは入れたけど、波平は悪い名前じゃないと思う。こっちの人間にはあの長寿アニメの印象なんかないんだし。
生まれ変わってイケメンになったことだし、名前は変えよう。名字は天掛でいい。改名したってさほど問題はないはずだ。なぜならオレは『波平ボッチの法則』という因果律に縛られる、悲しき宿命を背負った男だからだ。オレのことを波平と呼ぶのは家族ぐらいで、間違っても同級生の女子に『波平く~ん♡』なんて呼ばれたことは一度だってなかった。男子も女子もみんなオレの事は名字で呼んでいたんだ。
そりゃそうだ、よっぽど親しい間柄じゃなきゃ名前で呼んだりしないよな。なんと恐るべき因果律よ、この呪いはボルタック商店に行って大金を積もうが解呪できまい。
……ボッチの悲哀を噛み締めるのはもういいや。さて、どんな名前にしようか。う~ん、
それから暫く考え続けたが、キラキラネームみたいなのばっかりでゲンナリする。妄想力は逞しい自信があったが、妄想力と発想力とは別モノだったんだな。……そうだ。元の名前の一字を取ってみようか。まるきり変えちまったら、婆ちゃんが枕元に立ちそうだし。
波か平のどっちかを使ってみよう。平蔵、オレは火付盗賊改方でも鬼でもねーよ。波動、オレは宇宙戦艦でも不死身の乗組員でもねえって。やれやれ、遥か彼方の異世界に来てまでオレはなにやってんだか。
……あ! 遥か彼方の異世界から来た異邦人、それがオレだ。
婆ちゃん、お願い。枕元には立たないでくれよ。波と彼って字面は似てるからいいよな。婆ちゃんの許しが出たと信じて、これにて決定だ。
天掛彼方、それがオレの新しい名前だ。