召喚されたら極悪ヒロインしかいなかった件 〜そして俺は罪人の魂を天使の死骸に付与して悪魔と戦うお仕事を始めました〜 作:ookami2
「……、え?」
最初、ロンジは自分の正気がぶっ壊れたのかと思った。
が、違う。
本当に、
今まさに飛び散っている血液が空中で静止している。
こちらへ走ってきていた悪魔も、翼を広げた姿勢のまま動かない。
ケルベロスの口から落ちかけていた天使の片腕さえ、空中でぴたりと止まっていた。
「な、なに……、?」
マヨイエルが動揺している。
ディーゼといえば、空を見上げていた。
「あ」
ほんの一言。
それまでの間延びした声音と違い、妙に素に近い声だった。――そして、次の瞬間には、また張り付いた微笑に戻っている。
「おい、おいおいおい…………」
ロンジもつられて空を見る。すると、灰色の雲がゆるりと左右へ割れていく。
その中心から、
六枚の巨大な翼……ただし白ではない。
夜闇よりも濃い漆黒だ。
翼を一度揺れ動かすたび、空間そのものが軋んでいるようにさえ、見えた。
「えと……、あれ誰っすかね?」
ロンジが小声で訊く。
答えるマヨイエルの歯が、カチカチカタカタと鳴っていた。本気でビビっている。しかし目を離せない、そういう有無を言わせぬ『圧』がアレにはある。
「る、
「マジ、かよ」
さすがのロンジでも知っている名前だった。
悪魔の王。
神へ反逆した堕天使。
宗教に詳しくない人間でも、一度くらいは耳にする存在。そしてルシファーの右手には、
白い髪。
閉じた瞼――そして、首から下はない。
「……、……、」
ロンジの思考が止まった。
マヨイエルは、もっと分かりやすかった。
「か……、」
「か?」
「善神《カミ》様のお首があああああああアアアアアアああああ!!!!!!!???」
その場に崩れ落ちた。
「かっ神!?????????」
ロンジはもう一度、ルシファーの手の中を見る。
首だった。まごうことなき、生首。
どうにも……さっきから現実感が追い付いてこないロンジだったが。
なんとなく死後の世界へ来れば、神というものは絶対的な存在としてそこにいるものだと思っていた。
その神が今、悪魔に髪を掴まれてぶら下がっている。
(いやいやいやいや――いや、)
とんでもないところへ来てしまった。
ロンジは改めて確信した。
これなら交通事故で死んだところで、そのまま素直に成仏させてもらった方が百倍はよかった説がある。間違いない。
そうして、満を持したかのように、ずいぶん溜めてルシファーが口を開く。
『――――
……大声ではない。
なのに、声は戦場の隅々まで響いた。
『天使ども。そして我が眷属よ』
凍りついた世界の中で、ルシファーだけが自由自在に動いている。
『戦争は終わった』
マヨイエルの身体が身震いした。
『善神は死んだ。天界の主力も潰した。もはや勝敗は決した――』
そこでルシファーは、憎悪を隠そうともせず、自分が掴んでいる神の首を睨んだ。
『――
神の生首が、
「ひっ」
ロンジの喉からくそ情けない声が漏れる。すると、死んでいるはずの神の顔が、ぐにゃりと歪んだ。
皮膚が縮み、骨が潰れる。
髪が溶けるように
そして数秒後。
ルシファーの掌に残っていたのは、神の首ではなかった。
白い六面体。
ただし、その表面には数字の代わりに見たこともない文字や紋章が刻まれている。
『こいつ……この俺に殺され際に、
ルシファーが吐き捨てる。
『パンドラの箱――この男なりの最後の悪足掻きというわけだ』
「……、パンドラの、箱?」
ロンジには意味が分からない。
そしてルシファーはそのダイス……善神の生首が変化したもの――を、おもむろに空へ放った。
『いいだろう。神よ』
白い六面体が宙を舞う。
『貴様が最期に作った世界のルールだ。乗ってやろう』
ダイスが落ちる。
てんてんと。一度二度。そしてみたび。空中に存在しないはずの床でもあるかのように跳ね、回転していく。
誰も声を発さない。
天使も悪魔も、そして人間、コヤソト・ロンジも。
やがて六面体は、ある一面を上にして静止した。
そこに刻まれた文字が、読めるはずもないロンジの頭の中へ意味として流れ込んできた。
――【決闘】。
直後。
どこからともなく、世界中へ響く声がした。それはルシファーのものではない、ただ、絶対的な力の奔流を感じる、祝詞の様にも、福音の様にも――呪詛の言葉にも聞こえる号令だった。
『天使陣営、十五名』
『悪魔陣営、十五名』
『一対一による決闘を執り行う』
『
「……、……、は?」
ロンジは口を開けたまま固まった。
隣では、マヨイエルがさらに青ざめていた。
ルシファーはダイスを掴む。
その顔に浮かんでいたのは、勝利を確信した者の笑みではなかった。
むしろ――苛立ち。
『くだらん』
そう吐き捨てて、大きな翼を広げる。
『十五の首を用意しておけ、天使ども。八つ落とせば、それで世界は我々のものだ』
動きを止められていた悪魔たちが、一斉に闇へ溶けていく。
ルシファーも姿を消した。
そして時間が戻った。
止まっていた血が地面へ落ちる。悪魔の消えた戦場へ、千切れた羽根が舞い踊った。
しばらく――誰も喋らなかった。
そして、意外にも最初に口を開いたのはロンジだった。
「えーと……、つまり」
自分の声が妙にざらついて聞こえる。
「さっきまで天使サイドが全面戦争でめっちゃ負けてたけど、十五対十五のタイマン勝負に変更されました……ってコト?」
「……、はい」
マヨイエルが消え入りそうな声で答える。
「かみさ……サイコロの……他の目も……ここから見えました。ギャンブルとか、デスゲームとか、野球大会とか、他の可能性もあったのに」
「他の目そんなだったの!? おい!!! マジかよめちゃくちゃ自由度高いなァ!?????」
なんだそれは……神の、お茶目さが発揮されていたのだろうか。あのサイコロには。
「で、でも……出ちまったモンはしょうがないよな。決闘て……つまりこっちが先に八回勝てば、天使たちは助かると?」
「……、はい」
「じゃあ、よかったじゃん」
ロンジは心からそう思った。
全面戦争よりはだいぶマシだ。
少なくとも、自分が直接悪魔の大群に追い回される状況からは一歩遠ざかった。
だがマヨイエルは、泣きそうな顔のまま首を横へ振った。
「無理です」
「え?」
「勝てません」
「いや、でも十五人……十五柱?選ぶんだろ?」
「だからです」
マヨイエルが戦場を見る。
そこには、天使たちの死体がたっぷりと積み上がっていた。うめき声、悲鳴、天使なのに地獄絵図とはこのことだ。
「戦える天使は、もうほとんど残ってないんです。なのに悪魔側には、『大罪』も、『四大』も、名を持つ悪魔たちも地獄の門番も……、あのルシファーだっている」
ロンジは黙った。
先ほどのケルベロスを思い出す。
あれが特別強いとは限らない。むしろ、もっと上がいると考える方が自然。
……と、そういう意味なのかなそれは?
「えーとじゃあ……、」
「十五番勝負になっただけです」
マヨイエルがぶるぶるとした泣き声で言った。
「私たちが負けるという結果は、何ひとつも、欠片ほども変わってません」
沈黙。
ロンジはみたび、天を仰いだ。
(いや、本当に――何のために俺を召喚したんだよ)
そこで。
「くふっ」
小さな笑い声が聞こえた。
ロンジとマヨイエルが同時に振り返る。
ディーゼだった。口元へ手を当て、なぜか肩を小刻みに震わせている。
「……、ディーゼちゃん?」
「ご、ごめんなさい。ちょっと……、」
笑いを堪えようとしている。
が、全く堪えられていない。誤魔化せてすらいない。
「何がおかしいんだよ、ディーゼちゃんさん」
ロンジが訊くと、ディーゼは目元の涙を指先で拭った。
「だって、面白くないですか?」
「どこが!?」
「さっきまで何億、何兆という命がぶつかっていた大戦争なのに、最後は十五体をひとつずつ並べて殴り合わせて決めるんですよ? 神様って、死ぬ間際まで意外とおふざけ好きなんですねえ」
「お前それ天使が言っていい台詞ゥ!?」
「死んじゃったんですから聞こえてませんよぉ」
マヨイエルの顔からさあっと体温が引いた。
「ディーゼちゃん!?」
「あはは。冗談です、冗談。マヨイエル先輩ごめんなさあい」
どう見ても半分くらい本気だった。
ロンジは思った。こいつはおかしい。だいぶ、どこかがおかしい。……でも、だけど。
神が死んだ。
天使は壊滅寸前、そして世界の命運を賭けた十五番勝負。
そんな状況で。
この美しい天使だけが、敗北より先に「この状況をどうするか」を考えているように見えた。
「さあ」
能天使ディーゼは、血まみれの戦場を眺めながら楽しそうに言った。
「
この時のロンジは、まだ知りえない。というか、知りたくもない。
その問いに対して彼女が用意する答えが、天使よりも、悪魔よりも――ずっと碌でもないものだということを。