「あうあうあう、衝撃のォ……鬼隠しッッ!!」
鉄平の身体が舞った。
スクーターでそのまま激突しただけ、しかしこれ以上ないほどの直撃。
たかが数馬力とはいえ、鉄平を地面に這わせるにはあまりにも充分な衝撃力だった。
「……あぅあぅあぅ……またもや痛いのれすぅ……」
スクーターから投げ出された羽入のほうも、地面をころころ転がった末に突っ伏しているのだが。
「は……羽入、ちゃま……?」
なにが起きたのかわからずにいた詩音も、顔を上げて見回し、羽入の姿に気づいた。
「あぅう……、し、詩音」
羽入もなんとか頭を振って立ち上がり、あちこち泥だらけのまま胸を張ってみせる。
「殺人なんてくだらねぇのです! 僕の話を聞けー、なのです!」
いやいやいやいや、鉄平死にそうだから!
「いいですか詩音、暴力ではなにも解決しないのです。悟史と同じ方法では、沙都子を救えないのですよ!」
お前が言うな。
……あ、今、珍しく詩音と私の心がひとつになったのを感じたわ。きゅんきゅん☆
「そんなことで済むなら、詩音なんかに頼みません。僕がとっくに鉄平の頭をブチ割っているのです。1000秒もあればイナフなのです!」
鉄平、頭からだくだく血を流してるんですけど……と、思ったら怒りに目を血走らせて起きあがってきた。
「こ、こん、ダラ……!」
「黙れ下郎ッ!」
出た、至近距離での防犯スプレー顔面直撃!
「あぎゃっ!? いだだだだ、な、なんじゃあぁあ!?」
「僕の友達をいじめたばかりか、僕の有り難いお説教を邪魔するなんて百年早いのです! 祟られたくなかったらそこでおとなしくしてろなのです、この平凡パンチがッ!」
目をやられて叫びをあげる鉄平の後頭部へ、助走をつけてヤクザキック一閃!
「撃滅の……綿流しッ!」
顔面から木に叩きつけられた鉄平の身体が、ずるずると地面に沈む。
羽入は憤怒の表情のまま詩音へと向き直り、
「あぅあぅ、詩音。沙都子のために詩音が殺人を犯したとして、沙都子が喜ぶと思うのですか? それに、人殺しとなった詩音がいつか帰ってくる悟史を笑顔で迎えられるとでも思うのですか? 惨劇の先に、僕たちの望んだ未来なんてありはしないのですよ!」
「あ、いえ、羽入ちゃま……?」
すこし萎縮気味の詩音が、おそるおそる手を挙げたが、羽入は無視した。
「詩音にお願いしたいのは、葛西の力を借りるお手伝いなのです。葛西なら、鉄平を脅すこともきっとできると思うのです。仁義に反するから説得が難しいのはわかっていますが、そこは詩音の悪知恵でなんとか……」
「そのですね……、もう、葛西は必要ないかと……」
ぴっ、と詩音が指さした先、鉄平が頭を抱えてみっともなく泣きじゃくっていた。
「た、助け、誰か、だずげてぐれぇ……、ワシぁ、死にたくないんね……!」
「……あぅ?」
羽入が小首をかしげると、鉄平が「ひっ!」と声をあげながら怯えてあとじさり、下がりすぎたせいで道を踏み外して、急斜面を沢に向かって転げ落ちていった。
「ひぎゃあぁああぁああ!?」
羽入はちょっと考えてから、道の脇に転がっていた両手で抱えるほどの石を持ち上げ沢に向けてひょいっと投げ落とす。
「あぅ……ええと、……抹殺のォォ、祟殺しッッ!!」
どぼしゃーん、とまるで爆撃のような水音とともに狼狽えた悲鳴が聞こえてきた。
羽入はそれを見届けてから大音声で凄む。
「北条鉄平、オヤシロさまと呼ばれし我に逆らう不遜なる人の子よ! 沙都子は我が寵愛を受けし娘、そなたがあの娘に手を出せばいつでも人の姿に身をやつし、貴様を祟り殺してくれようぞ! 我はオヤシロさま、雛見沢のどこに行こうが、我が手のうちにあると知るがよい! はははは、はははは、はははははは……!」
げたげたと、林の中に不気味にこだまする羽入の哄笑。
隣で詩音がすこし泣きそうな顔をしているのに気づいて高笑いをやめると、羽入はにっこり微笑んで人差し指を立てた。
「……こほん。し、詩音に頼みたいことというのは、これからは沙都子と仲良くしてあげてほしいということなのですよ、あぅあぅ☆」
可愛くごまかしているが、明らかに誤魔化しきれていなかった。
いろいろと。
「……そ、そうさせていただきますです、はい」
怯えた様子でかくかくと頷いた詩音はそそくさとその場を立ち去り、鉄平もどうやら北条の家には戻らなかったようだった。
朝を待って私が沢の下まで見に行ってみたけど、その場には血痕しかなかったのでとりあえず生きてはいるのだろう、多分。
……祟りを恐れて満身創痍のまま雛見沢を逃げ出していったんじゃないかしらね。
羽入は翌朝、沙都子を迎えに行った。
「叔父様が帰ってこないのは、羽入の仕業ですの……?」
まだ連れ去られてから1日足らず。
注射の効果が完全には消えていなかったのだろう、沙都子はかろうじて正気を保っているらしかった。
「あぅあぅ、僕にはなんのことなのかわからないのですよ~♪」
とても晴れやかで、なおかつ黒い笑顔だった。
「羽入……私のことなんて、放っておいてくださっても、構いませんのに」
親友がなにか無茶をしたのだと察してため息をつく沙都子だが、
「お断りなのです☆ 僕はいつもどおり、沙都子がイヤだと言っても助けるのです。沙都子の迷惑なんて、知ったこっちゃないのですよ」
怪しい動きをしつつ羽入は笑顔でそう返すのだった。
「は、羽入は……どうして、そこまでしてくれるんですの?」
「そんなの、沙都子が好きだからに決まってるのです。きっと……悟史だって同じだったに違いないのですよ、沙都子」
羽入の言葉を、沙都子は噛みしめるようにうつむいていた。
そう、悟史も同じだ。
兄だから、義務として沙都子を守っていたわけじゃない。
沙都子がやめろといってもやめるつもりなんかなかった。
それは全部、沙都子が好きだから、好きでやっていたことなんだ。
強くなるための試練?
……馬鹿馬鹿しい、そんなの知ったことか。
本人が望んでいようがいまいが、苦境にある大事な妹や大切な友達に手を伸ばすことに、好きだから、以外の理由なんか必要ない。
「……感謝なんか、しませんわよ。羽入」
はらはらと涙をこぼし、沙都子は呻くようにそう告げた。
「感謝なんていらないのです。沙都子が無事なら、それで充分なのですよ……あぅ☆」
羽入は優しい微笑みを浮かべて、沙都子を抱きしめるのだった。
正直、驚いていた。
羽入は、次々と叩きつけられるサイコロの1を、不器用ではあったが、着実にはねのけて前に進んでいく。
それはまさに、定められた運命に立ち向かう意志の力。
ここ何十年かの私に欠けていたのはこれなのだと思い知らされる。
「さぁ、綿流し祭、ええと、いなくていいのに詩音もいるから、六凶爆闘か。暴れるよ、みんな。行ってみよーっ!」
「おおーっ!」
そして、羽入の捨て身の努力が仲間達の惨劇を全て覆して至った綿流しの夜。
羽入は沙都子や詩音たちとともに賑やかな部活で暴れ回り、お務め前に圭一とひとときの逢瀬を楽しみ、奉納演舞ではややぎこちない舞を演じた。
だが、それを受けるべき神、つまり私はもちろんその場になどいなかった。
鷹野と富竹を尾行し、祭具殿の中で喜々として拷問器具を撮影する鷹野に呆れながらも、いよいよ百年来の謎が解けるのだと不謹慎にも胸を躍らせていた。
演舞が終わって、鷹野と富竹は駐車場の車へと向かう。
私はそれを追いかけ……一歩、神社の敷地の外へ出ようとして、
壁にぶち当たった。
……なによ、これ。
比喩ではない。
本当にそこに私の行く手を阻む、見えないなにかがあったのだ。
これは……。
手探りで、その空間の断層とでも呼ぶべきものに触れる。
私にはその正体が分かった気がした。
それは、私を閉じこめる昭和58年6月という名の迷宮を内包する絶望的なまでに強固な運命の壁だ。
おそらくこの壁は真実を包み隠し、今夜この場所にオヤシロ様という名の神を封じ込めるためのもの。
なんてこと……!
羽入がさぼっていたわけでも、やる気がなかったわけでもない。
羽入や今の私は、意志だけで存在している。
だからこそ、他者の強固な意志に阻まれる、そういう存在なんだ。
つまり、この壁は……私を殺そうとする者の強い意志の壁!
何度やり直しても奈落へと突き落とすこの過酷な運命を封じる何者かは、指をくわえているしかないこの私を嘲笑うように、鷹野と富竹をいつもどおりに殺すのだ。
それが絶対の真実、決して曲げることの出来ない未来!
人間の小娘どころか、この身が神であっても、救えない、救われない。
つまり私は、この運命に、惨劇に、昭和58年6月の牢獄に。
……屈する外、ないのだ。