スプリンターズお姉さんに任せなさい 作:Lagavulin
「先生、お水!」
子どもが差し出した紙コップを、律は両手で受け取った。
「ありがとう。助かった」
ビリーヴは自分の持っていた水筒を見た。
さっきまで、律に水を渡すのは自分の役だった。学園の体験教室が始まって、まだ30分しか経っていない。
その間に、お世話をする人が増えていた。
「ビリーヴ先生。ちゃんと座ってもらったよ」
別の子が報告に来た。
ビリーヴは日陰のベンチを見る。律は子どもたちに挟まれて、紙コップの水を飲んでいた。
彼と目が合った。
「……ありがとう。よく気がつきましたね」
子どもは得意そうに胸を張った。
律も笑って、ビリーヴへカップを掲げてみせた。
もともとは、近所の子どもたちに簡単な運動を教える催しだった。
律に手伝いを頼まれたとき、ビリーヴは日程を聞く前に返事をした。「一緒に来てくれたら心強い」と言われたのだから、断る理由はなかった。
最初は、走ってコーンを回る練習をすることになった。ビリーヴがお手本を見せ、律が戻ってくる子を迎える。それがひと通り終わると、子どもたちが律にも走ってほしいと言い出した。
少し後ろからスタートした律は、子どもたちを最後まで本気で追いかけ、惜しくも負けた。
ビリーヴがタオルを渡したのは、そのときだった。
「腕の振り方、よくなりましたね」
「分かる? ライトオに教わったんだ」
律は嬉しそうに笑った。
水も渡そうとしているうちに、子どもが先に運んできた。
よく気がつきましたね、と褒めた。
隣の子も、何か持ってくる物はないかと聞いた。
それからは、早かった。
「先生、タオルもあるよ」
「ありがとう。でも、もう借りてるんだ」
「じゃあ、お水のお代わりは?」
「これを飲んでからね」
律が答えるたびに、ビリーヴは自分の手元を見た。
タオルも、水も、ある。
出番だけがない。
「ビリーヴ先生、どうしたの?」
女の子に覗き込まれ、彼女は微笑んだ。
「何でもありません。では、休憩が終わったら、次はボールを使いますよ」
「先生は休んでていい?」
女の子が律を指差した。
律は紙コップを下ろした。
「僕も先生なので、参加します」
*
ボール運びは、2人で布の端を持ち、その上に載せたボールを落とさず運ぶ遊びだった。
律とビリーヴがお手本を見せると、子どもたちも2人ずつ組になった。
先に進み過ぎる子と、追いかけて布を引っ張る子がいる。転がったボールを追ううちに、どちらが悪かったかで口論まで始まった。
ビリーヴは2人のそばへしゃがんだ。
「もう1度、載せてみましょう。今度は、お互いの顔を見て」
「でも、前を見ないと」
「出発する前だけで大丈夫です。準備はいい、と聞いてから進みましょう」
2人は顔を見合わせた。
「いい?」
「いいよ」
そろそろと歩き出す。ボールが布の端へ寄ると、先にいた子が歩く速さを落とした。
律がゴールの線で待っている。
ボールを落とさずたどり着くと、2人は布を持ったまま飛び跳ねた。
そこで落ちた。
「ゴールしたあとだから、大丈夫」
「やったー!」
律が拾い、笑って返した。
ビリーヴへ振り向き、少し声を落とす。
「すごいね。さっきまで喧嘩してたのに」
「お互いの速さが違っただけですから」
「うん。次に何をすればいいか、すぐ分かる言い方だった」
ビリーヴは頷き、次の組へ声を掛けた。子どもたちが自分から顔を見合わせ、準備はいいかと聞いている。
律が隣で、それを見ていた。
「もう1回、やりたい人」
何本もの手が上がった。
ビリーヴも思わず返事をしかけ、呼ぶ側だったことを思い出した。
「はい。では、順番に」
最後に、相手のいなくなった小さな女の子が残った。律が一緒にやろうと声を掛けると、女の子はしばらく彼を見てから、ビリーヴを振り返った。
「ビリーヴ先生も、来て」
「3人で運びますか?」
「先生、速く歩いたら疲れちゃうから」
律が布を持ったまま、こちらを見た。
「そんなに心配される走りだった?」
「いえ。最後まで、ちゃんと追いつこうとしていました」
「そうだよね」
「格好よかったですよ」
律は布を持ち直し、女の子へ向き直った。
「そうかな、じゃあ、ゆっくり行こうか」
言葉とは裏腹に、彼の言葉は少し早口だった。
ビリーヴは彼の隣について、同じ速さで歩いた。
*
教室が終わると、子どもたちは道具の片付けまで手伝ってくれた。
ビリーヴが布を畳むと、隣の子も真似をする。律がコーンを重ねると、小さな手が下から支えた。
「重い?」
「これは大丈夫。軽いよ」
「でも、持ってあげる」
律は1個だけ渡した。
ビリーヴは畳んだ布を箱へしまいながら、その様子を見ていた。隣の女の子が顔を寄せてくる。
「ビリーヴ先生みたいにできた?」
「……僕みたいに?」
「先生が困ってないか、見てたの。今日、ずっと先生見てたでしょ?」
律が顔を上げた。
ビリーヴは女の子へ向き直り、丁寧に頷いた。
「よく見ていたんですね。とても助かりました」
「先生、尻尾びっくりしてる!」
「……教えてもらうまで気づかなかったので」
女の子は楽しそうに笑い、迎えに来た保護者の方へ走っていった。途中で振り返り、大きく手を振る。
「また来るね! 次も先生のお手伝いする!」
「はい。また、一緒にやりましょう」
ビリーヴも手を振った。
全員を見送って戻ると、律がベンチに座っていた。片付けた道具の箱は、もう校舎へ運んだらしい。彼の隣に、自分の鞄も置いてあった。
「お疲れさま。今日は助かったよ」
「こちらこそ」
ビリーヴは水筒を持って、彼の前へ立った。
「お茶、いかがですか」
「ありがとう。でも、さっき飲んだばかりだから」
ビリーヴは頷き、自分のカップへ注いだ。
「では、少しここにいらしてください」
「うん。もう座ってるけど」
「もう少しです」
彼女は隣の鞄を脇へ寄せ、腰を下ろした。
律は水筒と彼女の顔を交互に見て、少し笑った。
「もしかして、今日はあまりお世話できなかった?」
ビリーヴはカップへ目を落とした。
「皆さん、よく気がついてくださったので」
「ビリーヴの真似をしてたんだね」
「ええ。それは、とても嬉しいです」
顔を上げると、律はまだ彼女を見ていた。
「ずっと待ってたの?」
「順番は、きちんと譲りました」
「うん。見てた」
ビリーヴはカップを両手で持った。
律がそばに座り直し、彼女を見上げる。
「じゃあ、少し付き合って。今日の話、ビリーヴとしたい」
「はい」
律は、ボールを運んでいた2人が、次も同じ組になると約束していたことを話した。
ビリーヴも、布を畳むのを手伝ってくれた子の話をした。端を揃えるのに苦労していたのに、畳み終えると、もう1枚欲しがった。
「みんな、ビリーヴに見てもらいたくて頑張ってたね」
「そうでしょうか」
「うん。僕も、走ったところを褒めてもらえて嬉しかったし」
ビリーヴは律を見た。
「あれは、本当に格好よかったので」
「ありがとう。あとでライトオにも報告するよ」
彼女は頷いた。
「ビリーヴは子どもにも甘いんだね」
「子どもですから」
「僕にも甘いけど」
「トレーナーさんですから」
答えると、律は声を上げて笑った。ビリーヴは口元を緩め、カップへ目を落とした。
彼が急いで戻る様子もなく、隣で脚を伸ばしたので、もう少しゆっくり飲むことにした。
「次も、お手伝いを頼んでくださいね」
「もちろん。また心強い先生に来てもらわないと」
ビリーヴはカップを空にし、水筒と一緒に鞄へしまった。律も立ち上がり、2人で校舎へ戻った。