スプリンターズお姉さんに任せなさい   作:Lagavulin

5 / 8
順番はきちんと譲りました

「先生、お水!」

 

 子どもが差し出した紙コップを、律は両手で受け取った。

 

「ありがとう。助かった」

 

 ビリーヴは自分の持っていた水筒を見た。

 さっきまで、律に水を渡すのは自分の役だった。学園の体験教室が始まって、まだ30分しか経っていない。

 その間に、お世話をする人が増えていた。

 

「ビリーヴ先生。ちゃんと座ってもらったよ」

 

 別の子が報告に来た。

 ビリーヴは日陰のベンチを見る。律は子どもたちに挟まれて、紙コップの水を飲んでいた。

 彼と目が合った。

 

「……ありがとう。よく気がつきましたね」

 

 子どもは得意そうに胸を張った。

 律も笑って、ビリーヴへカップを掲げてみせた。

 

 もともとは、近所の子どもたちに簡単な運動を教える催しだった。

 律に手伝いを頼まれたとき、ビリーヴは日程を聞く前に返事をした。「一緒に来てくれたら心強い」と言われたのだから、断る理由はなかった。

 最初は、走ってコーンを回る練習をすることになった。ビリーヴがお手本を見せ、律が戻ってくる子を迎える。それがひと通り終わると、子どもたちが律にも走ってほしいと言い出した。

 少し後ろからスタートした律は、子どもたちを最後まで本気で追いかけ、惜しくも負けた。

 ビリーヴがタオルを渡したのは、そのときだった。

 

「腕の振り方、よくなりましたね」

「分かる? ライトオに教わったんだ」

 

 律は嬉しそうに笑った。

 水も渡そうとしているうちに、子どもが先に運んできた。

 よく気がつきましたね、と褒めた。

 隣の子も、何か持ってくる物はないかと聞いた。

 それからは、早かった。

 

「先生、タオルもあるよ」

「ありがとう。でも、もう借りてるんだ」

「じゃあ、お水のお代わりは?」

「これを飲んでからね」

 

 律が答えるたびに、ビリーヴは自分の手元を見た。

 タオルも、水も、ある。

 出番だけがない。

 

「ビリーヴ先生、どうしたの?」

 

 女の子に覗き込まれ、彼女は微笑んだ。

 

「何でもありません。では、休憩が終わったら、次はボールを使いますよ」

「先生は休んでていい?」

 

 女の子が律を指差した。

 律は紙コップを下ろした。

 

「僕も先生なので、参加します」

 

  *

 

 ボール運びは、2人で布の端を持ち、その上に載せたボールを落とさず運ぶ遊びだった。

 律とビリーヴがお手本を見せると、子どもたちも2人ずつ組になった。

 先に進み過ぎる子と、追いかけて布を引っ張る子がいる。転がったボールを追ううちに、どちらが悪かったかで口論まで始まった。

 ビリーヴは2人のそばへしゃがんだ。

 

「もう1度、載せてみましょう。今度は、お互いの顔を見て」

「でも、前を見ないと」

「出発する前だけで大丈夫です。準備はいい、と聞いてから進みましょう」

 

 2人は顔を見合わせた。

 

「いい?」

「いいよ」

 

 そろそろと歩き出す。ボールが布の端へ寄ると、先にいた子が歩く速さを落とした。

 律がゴールの線で待っている。

 ボールを落とさずたどり着くと、2人は布を持ったまま飛び跳ねた。

 そこで落ちた。

 

「ゴールしたあとだから、大丈夫」

「やったー!」

 

 律が拾い、笑って返した。

 ビリーヴへ振り向き、少し声を落とす。

 

「すごいね。さっきまで喧嘩してたのに」

「お互いの速さが違っただけですから」

「うん。次に何をすればいいか、すぐ分かる言い方だった」

 

 ビリーヴは頷き、次の組へ声を掛けた。子どもたちが自分から顔を見合わせ、準備はいいかと聞いている。

 律が隣で、それを見ていた。

 

「もう1回、やりたい人」

 

 何本もの手が上がった。

 ビリーヴも思わず返事をしかけ、呼ぶ側だったことを思い出した。

 

「はい。では、順番に」

 

 最後に、相手のいなくなった小さな女の子が残った。律が一緒にやろうと声を掛けると、女の子はしばらく彼を見てから、ビリーヴを振り返った。

 

「ビリーヴ先生も、来て」

「3人で運びますか?」

「先生、速く歩いたら疲れちゃうから」

 

 律が布を持ったまま、こちらを見た。

 

「そんなに心配される走りだった?」

「いえ。最後まで、ちゃんと追いつこうとしていました」

「そうだよね」

「格好よかったですよ」

 

 律は布を持ち直し、女の子へ向き直った。

 

「そうかな、じゃあ、ゆっくり行こうか」

 

 言葉とは裏腹に、彼の言葉は少し早口だった。

 ビリーヴは彼の隣について、同じ速さで歩いた。

 

  *

 

 教室が終わると、子どもたちは道具の片付けまで手伝ってくれた。

 ビリーヴが布を畳むと、隣の子も真似をする。律がコーンを重ねると、小さな手が下から支えた。

 

「重い?」

「これは大丈夫。軽いよ」

「でも、持ってあげる」

 

 律は1個だけ渡した。

 ビリーヴは畳んだ布を箱へしまいながら、その様子を見ていた。隣の女の子が顔を寄せてくる。

 

「ビリーヴ先生みたいにできた?」

「……僕みたいに?」

「先生が困ってないか、見てたの。今日、ずっと先生見てたでしょ?」

 

 律が顔を上げた。

 ビリーヴは女の子へ向き直り、丁寧に頷いた。

 

「よく見ていたんですね。とても助かりました」

「先生、尻尾びっくりしてる!」

「……教えてもらうまで気づかなかったので」

 

 女の子は楽しそうに笑い、迎えに来た保護者の方へ走っていった。途中で振り返り、大きく手を振る。

 

「また来るね! 次も先生のお手伝いする!」

「はい。また、一緒にやりましょう」

 

 ビリーヴも手を振った。

 全員を見送って戻ると、律がベンチに座っていた。片付けた道具の箱は、もう校舎へ運んだらしい。彼の隣に、自分の鞄も置いてあった。

 

「お疲れさま。今日は助かったよ」

「こちらこそ」

 

 ビリーヴは水筒を持って、彼の前へ立った。

 

「お茶、いかがですか」

「ありがとう。でも、さっき飲んだばかりだから」

 

 ビリーヴは頷き、自分のカップへ注いだ。

 

「では、少しここにいらしてください」

「うん。もう座ってるけど」

「もう少しです」

 

 彼女は隣の鞄を脇へ寄せ、腰を下ろした。

 律は水筒と彼女の顔を交互に見て、少し笑った。

 

「もしかして、今日はあまりお世話できなかった?」

 

 ビリーヴはカップへ目を落とした。

 

「皆さん、よく気がついてくださったので」

「ビリーヴの真似をしてたんだね」

「ええ。それは、とても嬉しいです」

 

 顔を上げると、律はまだ彼女を見ていた。

 

「ずっと待ってたの?」

「順番は、きちんと譲りました」

「うん。見てた」

 

 ビリーヴはカップを両手で持った。

 律がそばに座り直し、彼女を見上げる。

 

「じゃあ、少し付き合って。今日の話、ビリーヴとしたい」

「はい」

 

 律は、ボールを運んでいた2人が、次も同じ組になると約束していたことを話した。

 ビリーヴも、布を畳むのを手伝ってくれた子の話をした。端を揃えるのに苦労していたのに、畳み終えると、もう1枚欲しがった。

 

「みんな、ビリーヴに見てもらいたくて頑張ってたね」

「そうでしょうか」

「うん。僕も、走ったところを褒めてもらえて嬉しかったし」

 

 ビリーヴは律を見た。

 

「あれは、本当に格好よかったので」

「ありがとう。あとでライトオにも報告するよ」

 

 彼女は頷いた。

 

「ビリーヴは子どもにも甘いんだね」

「子どもですから」

「僕にも甘いけど」

「トレーナーさんですから」

 

 答えると、律は声を上げて笑った。ビリーヴは口元を緩め、カップへ目を落とした。

 彼が急いで戻る様子もなく、隣で脚を伸ばしたので、もう少しゆっくり飲むことにした。

 

「次も、お手伝いを頼んでくださいね」

「もちろん。また心強い先生に来てもらわないと」

 

 ビリーヴはカップを空にし、水筒と一緒に鞄へしまった。律も立ち上がり、2人で校舎へ戻った。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。