スプリンターズお姉さんに任せなさい 作:Lagavulin
「4名です。はい、祝勝会です」
ライトオが電話を切った。
律は、まだ店の写真を開いたままのスマートフォンを見た。それから彼女を見る。
「予約、取れたの?」
「はい。明日の19時です」
「お店を決めるの、早かったね」
「こちらがよいと仰いましたので」
確かに言った。店の場所も予算も調べ、あとは3人に料理の写真を見てもらうつもりだった。ライトオが画面を覗き込んできたのは、つい先ほどのことである。
ビリーヴが隣からメニューを見た。
「僕は、こちらで構いません」
「私も異存はありません。ただ、祝勝会とお伝えするのは、少々早いのでは」
「明日には間に合います」
ライトオが答えた。デュランダルは何か言いかけたが、口元を引き締め、頷いた。
「ええ。そういたしましょう」
明日は3人が目標としていたスプリンターズステークスだった。
今年の出走表には、3人の名前が並んでいる。出走を決めてから、併走練習のあとに相手の走りを尋ねられることが増えた。いちばん速かった区間を律が教えると、名を挙げられなかった2人が、もう一度映像を見たがった。
今日の調整は、3人とも予定したところで切り上げた。シューズも荷物も、それぞれ確かめてある。律は明日の集合時刻を伝え、机の上の資料を閉じた。
「予約ありがとう。おかげで、今日は早く帰れる」
「では、お送りします」
「ライトオも帰って休んでね」
彼女は鞄を手にしていた。律の物だった。
持ち主が手を差し出すと、少しだけ名残惜しそうに返した。
*
翌日、中山の観客席は、コースを見渡す前から人で埋まっていた。
控室へ向かう通路で、デュランダルが律を振り返った。彼が人の間を抜けて隣へ並ぶと、彼女はそのまま歩調を緩める。
「大丈夫。ちゃんとついてきてるよ」
「はい。確かめただけです」
彼女の肩へ、ビリーヴが指先で触れた。
「デュランダルさん。入口は、こちらです」
律の方を見ていた彼女は、控室を通り過ぎかけていた。咳払いをして向き直り、今度こそ先に入る。
中ではライトオが、もう上着を脱いでいた。
「準備できました」
「まだ招集まで時間があるよ。冷えないようにして」
「はい」
上着を着直すのも早かった。
律は荷物を置き、3人の顔を順に見た。昨日までは休ませる方へ気を配っていたが、今日は走ってもらう日だ。
「脚の感じを聞かせて。ライトオから」
彼女は朝の動きについて答えた。次にビリーヴ、デュランダル。返答を聞きながら、律は直前の練習で確かめた動きと比べた。3人とも、予定していた走りで勝負に向かえる。
最後の確認は、コースの前で1人ずつ行った。
「ライトオ。最初の下りで、前へ出られる。そこからも腕だけ先へ急がないこと。昨日の動きなら、坂でも脚がついてくる」
「最後まで、最速で」
「うん。君の速さで押し切っておいで」
ライトオはコースへ目を向け、両肩をゆっくり回した。
ビリーヴは、その横で前のレースの出走者たちを見送っていた。
「ビリーヴは、前を追える位置へ。周りが動いても、ついていくかは自分で選んでいい。君はそこから、もう一度脚を使える」
「はい。仕掛けるところは、見ています」
「頼もしいね。今日も、君の判断に任せられる」
彼女はこちらへ向き、はっきりと頷いた。
「任せてください」
デュランダルには、後ろから前を捉えるために、どこで走る場所を作るかを確かめた。
「外へ出すなら、迷わずに。少し遠回りでも、君の末脚を全部使える場所を選んで」
「承知しました」
「追いつけるよ。練習で、何度も見せてもらった」
彼女は胸へ手を当てた。
「我が君に、勝利をお届けします」
「私が先に届けます」
ライトオが、すぐに言った。
「お2人とも、僕もいることを忘れないでくださいね」
ビリーヴの声に、デュランダルが笑みを返した。ライトオも彼女を見ている。
律は3人の前へ立った。
「うん。3人とも、勝ちにいこう」
招集の声がした。
デュランダルが最初に歩き出し、ビリーヴが続いた。ライトオは律の前を通るとき、少しだけ身を屈めた。
「よく見ていてください」
「もちろん」
彼女は満足そうに頷くと、すぐに2人へ追いついた。
*
ゲートが開くと、ライトオが飛び出した。
前へ出ようとする相手を横に見ながら、すぐに先頭へ立つ。律には、彼女の腕がいつもよりスムーズに振れているのが分かった。脚も遅れずについていく。
その後ろにビリーヴがいた。前を追う相手が外から近づいても、すぐには速さを上げない。コーナーまでの距離を残し、自分の位置を保っている。
デュランダルは後方だった。
前の集団がコーナーへ向かう中で、彼女だけが小さく見える。律はライトオとの間隔を確かめ、それから、彼女の前を走るウマ娘へ目を移した。
「そこ、出られる」
隣には誰もいなかった。いつも一緒に走りを見ている3人は、全員コースの上にいる。
デュランダルが外へ動いた。前の背中から離れ、直線へ向きながら速さを増していく。
先頭では、まだライトオが腕を振っていた。
ビリーヴが追う。前にいた相手の横へ並び、坂へ入るところで抜け出した。背中を見せているのはライトオだけになった。
そこへ、外からデュランダルが迫る。
律は柵へ手を掛けた。
「ライトオ!」
先頭の肩が上下する。坂に入っても、彼女は前へ出る脚を緩めなかった。
「ビリーヴ!」
追う彼女が、さらに踏み込んだ。
「デュランダル!」
外から伸びてきた姿が、2人へ重なった。
律はもう一度、3人の名前を呼んだ。
*
祝勝会が始まった。
「ライトオ、優勝おめでとう!」
4つのグラスが触れ合う。
夜のレストランで、ライトオはグラスを胸の高さへ持ったまま、正面に座る律を見ていた。
1着がライトオ。デュランダルが2着、ビリーヴが3着だった。デュランダルは席へ着くなり「あと少しでした」と言い、ビリーヴも「次は、あの位置から捉えます」と応じていたが、乾杯では2人とも真っ先にグラスを差し出した。
「おめでとうございます。見事な走りでした」
「最後まで、速かったですね」
「はい」
ライトオは頷いた。それから、まだこちらを見ているので、律も頷き返す。
「本当に速かった。坂でも、最後まで」
「はい」
今度の返事は、少し大きかった。
料理を運んできた店員が、テーブルに皿を並べる。ライトオはようやくグラスを置いたが、律が口を開くと、すぐに顔を上げた。
「特に、直線へ向いてからの」
「はい」
「まだ何も言ってないよ」
律が笑うと、彼女は椅子を少し前へ寄せた。
「続きをお願いします」
ローストビーフも海老のグラタンも、まだ手つかずだった。律は話を続けた。勢いよく飛び出したことだけでなく、最後まで速さを落とさず走るために直してきた動きが、本番でできていたことを伝える。
「あれだけ速く走って、最後も崩れなかった。格好よかったよ」
ライトオが深く頷いた。次に何を言うか待っていると、彼女はビリーヴの方を向いた。
「聞きましたか」
「聞いていましたよ」
「格好よかったそうです」
「ええ。僕も、すぐ後ろで見ていました」
ビリーヴがそう答え、律へ向き直る。
「ですが、次は後ろから見るつもりはありません」
「うん。前の相手を抜いたときの踏み込み、よかった。あそこで自分から勝負にいけるところが、ビリーヴの強さだね」
彼女は口を結び、少しだけ顎を引いた。
「ありがとうございます。そこは、迷いませんでした」
「分かったよ。走りを見ていて」
ビリーヴがもう一度頷く。その向かいで、デュランダルが姿勢を正した。
律は彼女へ顔を向けた。
「デュランダルも。あの位置から、よく追い上げたね」
「……もう少し、だったのですが」
「うん。悔しいね。でも、前が詰まる前に外へ出られた。あの判断から、最後の伸びまで、練習の成果が出ていたね」
デュランダルは胸元へ手を添えた。すぐに礼を言いかけて、少し間を置く。
「どのあたりから、ご覧に?」
「コーナーで、外へ動いたところから」
「では、その前の位置取りについては」
「デュランダルさん。お料理が冷めます」
ビリーヴに言われ、彼女はフォークを取った。
律もグラタンへ手を伸ばしたが、途中で小さく咳が出た。
「お水を」
デュランダルが言うより早く、ライトオが卓上の水差しを持った。ビリーヴが律のグラスを彼女へ寄せる。
「ありがとう。今日はちょっと、声を出しすぎたみたい」
「お1人で、3人分でしたから」
ビリーヴはそう言って、満たされたグラスを律の前へ戻した。
「少し召し上がってください。お話は、そのあとに」
「はい」
律は水を飲み、今度こそグラタンを食べた。向かいのライトオもローストビーフを取り、デュランダルはビリーヴへ料理の皿を回した。
しばらくは、みんなよく食べた。
「トレーナーさん」
皿が空き始めたころ、ライトオが呼んだ。
「優勝したので、お願いがあります」
「うん。何?」
「帰りは、私にお任せください」
律は彼女を見た。両手が空いている。すぐそばに、自分の鞄もある。
「鞄を持ってくれるの?」
「トレーナーさんを」
「今日は走ってないよ、僕」
「応援されました」
彼女は立ち上がるつもりらしく、椅子を引いた。律は慌てて手のひらを向ける。
「待って。まだデザートが来るから」
ライトオは座り直した。
デュランダルが彼女を見る。
「レースを走り終えたばかりでしょう。お送りする役は、私が」
「デュランダルも走ったよ」
「では、ここでゆっくりなさってください。帰りを急ぐことはありません」
ビリーヴはそう言うと、メニューを律の方へ向けた。
「追加で温かいお飲み物は、いかがですか」
「ありがとう。でも、自分の分も選んでね」
「はい。一緒にいただきます」
彼女が律へ近づき、2人で飲み物の欄を見た。デュランダルも隣から覗き込む。
ライトオは、向かいの席で2人を見比べた。
「優勝したのは、私ですが」
「それは、よく存じています」
デュランダルが答えた。ビリーヴはメニューから目を上げる。
「トレーナーさんとお茶を飲むのに、勝たないといけませんか」
ライトオは考え、椅子ごと少し横へ寄った。メニューが見えるところへ身を乗り出す。
「私も、同じ物を」
「まだ選んでないよ」
律は3人へ見えるようにメニューを広げた。
飲み物を頼み終えると、苺のショートケーキが運ばれてきた。ライトオの皿にだけ、小さなチョコレートの板が載っている。『優勝おめでとう』と書かれていた。
「これは僕から。レースのあとで、お店にお願いしておいたんだ」
ライトオは皿を自分の方へ寄せた。しばらく文字を見てから、律へ顔を上げる。
「写真を撮っていただけますか」
「もちろん」
スマートフォンを構えると、デュランダルとビリーヴが席を立った。ライトオの後ろへ並び、2人とも少し屈む。
「まずは優勝者だけで撮ろうか?」
「いえ」
ライトオが首を振った。
「このままでお願いします」
律は3人を画面へ収めた。真ん中のライトオは、チョコレートの文字が隠れないように皿を持っている。
撮った写真を見せると、3人とも彼のそばへ寄ってきた。デュランダルが画面を覗き込み、すぐに顔を上げる。
「我が君も、ご一緒に」
通りかかった店員に、律は撮影を頼んだ。
3人のそばへ戻ると、ライトオが空けてくれた場所へ立つ。両側から肩が触れた。前を向こうとしたところで、デュランダルが彼の襟を直した。
「はい。これで」
「ありがとう」
律は店員へ向き直り、少しかすれた声で頼んだ。
「お願いします。4人で」
律の鞄を持つ人も、帰り道で隣を歩く人も、まだ決まっていない。3人には、レースでの勝利と同じぐらい譲れないことがある。律はそんなことも知らず、撮れた写真を見ながら「みんな、いい顔してるね」と、また余計に張り切らせるようなことを言った。