社会は溌剌さを失って久しく、例えば私という存在にとってみても、朝に起きてより既に疲れきって居て、その身体に鞭打って仕事をこなして帰って来ると消耗し切って、それが翌朝に持ち越されることになる。私にとってこのような活動は面白くなかった。しかし避けられなくもあった。
人は私に話しかけた。
「おはようございます。今日も張り切って行きましょう」
はた別の人は、
「体調が一番ですから。無理して仕事しなくていいですよ」
ああもう。それは分かっている。分かっているんだよ。
パソコンを前にして呆然と、目の前のデータに打ちひしがれて何も出来ない、或いは頭の中が混沌として働かないという帰結を見た時に、それで私の肉体の限界がそこにあるということが分かる。それは訪れそうで訪れず、いざ訪れようとすぐ回復する術を知っているからして訪れるに至らず、それでは私のギブアップはいつ宣告すればよろしくて。これが鞭打つということの実情で、そこに楽しさの介在は無い。私というちっぽけで、しかし力強い一存在の生命がこのプロセスで潰えてしまって良いわけは無い。しかし私は力強いが故に我慢できてしまうのだ。その我慢が積もりに積もって、私が真に行いたいことは何だということについて真剣に考える暇すらなくて、私が何か超越したレールに乗せられた客なのではないかという不安感が心を埋め尽くして、それすらも判別のつかない私の知能の足りなさが昔からの事で分かりきっているからに悔しくて、それ以上に、続けたくても続かない言葉に辟易とした。
私はひたすらに働くことを考えた。私が考えるべきことは目の前で行われている作業と人に迷惑をかけないということであって、自身の身体は関心の範疇になかった。それを続ければなにか報われるだろうという当て推量には、必ずいつしか結果の判明する時が来る。
そしてついにそれは来た。私は卒然立ち上がって声を荒らげて叫んだ。そこは皆の集まるオフィスだった。私の頬には涙が伝っていた。私は席から逃げた。席と席の間を走り抜けて、脇目も振らず部屋のドアへ向かうと、激しく引き戸を開いた。袖で涙を拭いながら、玄関へと向かった。ガラス張りの自動ドアが開いた。目の前の大通りのタクシーを捕まえてそれに飛び乗った。
暫くすると青黒い静寂が辺りを席巻して、私は噴水のほとりのベンチより身を起こすと、煌々と照った黄濁の電灯からなんでもない光が一面に降り注いでいるのを見た。状況を一通り理解するのに時間を要した。公園は広く、近くのトイレは既に消灯して、ただ背面の噴水が無作為な雑音を生じている。頭に鈍痛があった。それゆえ私が酔ってここに来た事が分かった。しかし、どのように、の部分を私は記憶していなかった。
起こした上体から足元を一瞥した。私の影は暗く、反対に脚は単色に白く見えた。地面の砂の凹凸が小さな影を散らしている。その様子は、私には重要と思われなかった。しかし私という存在は確かにそこにあった。それは肌の寒気から確かめられた。
立ち上がって辺りを見渡すと公園の出口の方面に街の光が漏れているのを見た。それはネオンライトの赤や青がLEDの白色と混ざってこちらへ投げかけた光だった。それに吸引されるように、足がそちらの方へ歩行を進めると、遂には電灯の光も薄くなって、街の光がギラギラと私に照りつけたのを、瞳が反射していた。何か私の望むものがある様に思われた。
道中の信号で赤信号を待つ時に、街路樹の奥に見える街を見上げると、大路は段階的に鮮やかな光を備え始めて、最奥部は最早身を刺して灼くくらいのさんざめく光が悲鳴を上げていた。私は辿り着くのをやめて、途中で側道に逸れることにした。
青信号を過ぎて、脇の居酒屋のぼやけた窓ガラス越しには有象無象の客の影を見た。そこの角の小道へ入っていくと、暗がりの奥に小さな駅舎があった。私はそこに行く必要があった。そこの蛍光灯は明滅して、そこかしこの空間を惑わした雰囲気だった。
ホームにはベンチが離れ離れに置いてあったので、その一つに座った。やはり遠くに街の光が絢爛としていた。それから遠ざかっていることが私には重要だった。気づけば黒い鉄の塊が前方の視界を遮ったかと思うと、横開きのドアが私の前で開いた。私はそれに乗り込んだ。開いていたドアはやや経って閉まった。
私は夢を見た。
顔の前にはマイクが立っていて、その奥に誰と知らない観客がずらりと敷き詰められていた。私は芸人で、コントを発表する立場にあった。
私は冷や汗をかいた。私は何か面白いことをこれから喋るのだろうと期待されていながら、勿論何も準備していないまま立っているだけだ。早く何かを言わないといけない。
「み、皆さんこんにちは。小山です。き、緊張なんてしていませんよ。ははははは」
最悪の出だしをしたが、何かを続けるしかなかったので、仕方の無いことだった。
「ええっと。この前路地裏を歩いていた時にですね」
私は続けた。
「後ろからバイクの音が聞こえたんですよ。最初はすごく遠かったんですけど、だんだん近づいてきまして。なんせ狭い路地でしたから、私を轢こうとしてるのかって思うじゃないですか。私だったらあんなに狭い路地をかっ飛ばして人を避けながら通行するなんてできないですからね。それで」
観客は多少聞き入った様子だった。
「本当に音が近づいてくるもんですから、すぐ振り返って『やめろ!』って叫んだんですよ。そうしたらどうなったと思います?実はね、彼はね、隣の路地を走ってたみたいでね、私の後ろには居なかったんですよ。でも私の叫び声に気づいたみたいで、隣の路地から激しいブレーキ音と、それに続いて衝突音が聞こえてきて、びっくりしたんですよね。やっぱり安全運転って大事ですよね。はははははは」
私は無茶な笑い方をした。
翌朝の朝会で起こったそれは、これまでに無いことだった。私の心がこれまで長く育て上げてきた、グロテスクなほど粘り気のある一滴が、ボトンと落ちたのだ。私が知る限り最も肥大して、最もふてぶてしかったそれは、私の心の開けた淵にひとたび触れると忽ち私を追い詰めて、どうしようも無いくらい残酷な痕跡を広げてみせた。私はこれを許してはいけなかった。後戻り出来ないような外からの作用を、私は受け入れてはいけなかった。私は反骨心にいきり立った。
「悪いのはお前だ。謝れ。そして私は明日から来ない」
「お、おい、上司に向かってその態度はなんだ」
「謝れ」
「お、お前がした事だろ。そうだ、お前、明日から来ないと言ったよな。本当にもう来てくれなくて良い。君は、クビだ」
「クビで良いから人として謝れ」
「あ、謝るって、何をだ。いい加減にしろ!」
「もういい。二度と来ない。許しもしない。帰ります」
私は皆の視線を集めながら私物を鞄へ押し込んだ。机の上のクリップの二つは冷たくそこに佇んでいた。
地下鉄の音はけたたましく耳で鳴っているのに、皆はイヤホンをガンガン聞いて、自分の好きな音楽を塗り重ねている。
乗り込んで席に座ろうとしたが、私が座ろうとする前に小学生が駆けて来て私の目当ての席を奪ったので、私はどうしようも無くなった。その場所を離れては、私が座りたいという欲望から座れないために無関心になるまでが見透かされそうで癪である。一方で、そのままそこに立っているのは、何だか目の前に座った子を威圧するような格好になっているのが気に食わない。私は一歩左のつり革を掴んだ。
次の駅に着いてから、ようやく私は自分が失職したことに気がついた。
しかしこれで良かったんだ、と私は思った。私はこれまでしたくもないことを無理に仕事としてしてきて、何も楽しくないし、それで給料を貰ったところで実際に自分の娯楽に使える金がいくら残るというのだ。さらに問題は金ではなく時間。私がどれだけしたいことがあろうと、仕事が時間を圧迫すれば、そして仕事の疲弊が山積すれば、じゃあ私のしたいことは一体いつ行えというのであろう。このような状況では、私の休日はあたかも平日の勤務時間への準備という手段へと成り下がるではないか。そんなことはいけない。私の休息は何かの手段になってしまう程に卑近なものではない。もっと、もっと素晴らしい体験なのだ。
人は、暇な時間があればある程、自分を自分で傷つける。例えばこの、帰りの電車の中。
私とは何だ。この残酷な問いかけが日常私を苦しめるから、巧みにヒラヒラとかわしてみせると、それはそれで、私ではない。私イコール何か、のその何かが誰かに奪われているなら、それは恥ずかしいことで、だから私は先程からひた隠して電車の座席で俯く。深淵を覗きながら、何も見えやしない。それが何だ、おかしいか? 私の関心事に無い。というこの態度が本心を被覆する。ですから私は俯いているんですよ、などと滔々と説明しなくても良いことで、私は私の空間を占めさせて頂く。失礼いたします。
駅を出ても家まで歩く道は遠かった。少しの勾配が私の足に疲労を負わせた。心を無にすることで疲労を軽減することができた。が、家に着いてふとすると、自分の足に残った乳酸が鈍い刺激を振りまいているのが分かって、結局は自分を騙しているだけなんだなと思う。
家では弟の悠斗がフライパンで料理した青椒肉絲を皿に盛りつけて運んでいた。
「おかえり。今日は早く帰って来たんだ」
「ああ」
言い終わった後の沈黙の時間で、再び会話が終止したのを確認した。私はこの無機質な二文字しか返すことができなかったことが悔しくなった。私は弟と楽しく会話をすることによって、その仲をより良くするべきであるのに、これらの単なる長母音一つではそれは実現しない。そんなことは分かりきっているはずなのに、どうしてか私は次について出る言葉が無くて、不自然に、普段立たないような家の一角に立ち尽くすことになったのである。自分が惨めだという行き過ぎた考えは持っていない。ただし、私が弟と話を続けたいのだということは少なからず本人には伝わっていないことが、そしてそれを払拭しようと今すぐにだって取り繕うような話しかけを敢行することができるのにしない選択を取り続けている自分を、さらにその上から、話をする機会を逃したからという正当化で塗り重ねながら、何かしらの立場をとることを先延ばしにしている。このような性格とともに暮らしてきたのが私という人物であった。
私のノートパソコンはキュインと音を立てて起動した。垂れ下がった電源コードは床へ垂れて、そのまま這うようにしてコンセントへと接続されている。
私はタイトルを決めないで書き始める。書くことがおおよそ初めから決まっている状態から書き始めてしまうと、それは作業に近く、創造性とは遠く思えてしまうのだ。私は創作が好きだ。ただし、好きとはいえ上手に書ける訳ではない。下手の横好きという言葉があるように、しっかりとした作品を作り上げたことは一度もない。
窓に雨滴が走る様子を見る。これをなんとか題材にして、何か書けないものか。いや、書けない。画面のファイルは無地に戻った。それではキッチンのカウンターに置いてあるバナナの房を見て、あれを、あの流線型の曲がりを表現すればいいのだろうか。いや、それでは面白くないかもしれない。
私は、いつもこうして三十分程過ごしてから、ほとんど白いwordファイルを見る度に自身の文才の無さに辟易として、ああ私には書くための才がほとんど無いのかといって、憧れの作家の本をなんとなく開いてみるのだ。私もこのような文章が書けたら。私にもこのようにして人を面白がらせるような文章を書け、自分のものとして誰かに読んでもらえたら。普段から読書とこの思考とで右往左往して、心の奥底から湧いてでる熱に動かされて、一週間に一度はパソコンを立ち上げてみてしまうのだ。
「どう、書けた?」
悠斗は私が執筆をしているのに興味を些か示しているようだが、真にどの部分に興味があるのか判然としない。執筆している私に興味があるのか、執筆するという過程がどのようにして経られるのかに興味があるのか、はた私が興味があると言い張った趣味が本当に事実であるのかを確かめるつもりなのか。
「書けてない」
私は事実を答えるほかなかった。目の前の画面は初めと何も変わらないのに、私が「私の頭の中では多少物語ができつつある」などと答えてしまえば、じゃあ「どんな物語?」などと聞かれでもした時に答えられないから、ならば自身を着飾らずに、実はできてないんですと打ち明けてしまう方が将来的にも楽である。
このような無難な選択をいつもしてしまう自分は何者なのだろうか。ありとあることは私にとって不明である。ただし、それらは私にとって「考えなくていいや」と分類したものであって、さらに言えばそれは判断を据え置くことによって私が楽になるというただそれだけの理由で、別段れっきとした理由ではないのに。その私とは関係ないように、窓の雨滴は流れ続ける。外の驟雨の音は無作為に強まった。それを私にどう理解しろと言うのか。多分関係ない。という、私の判断の据え置き。
本当は、私だってすべての物に因果や傾向があると思いたい。実際、天気という事象は天気予報によって予言されているということは、「これが起きたらこうだ」という因果・傾向が科学的にあるということだろう。別に私は気象学を学びたいのではない。私は無作為を無作為と断定してかかりたくないのだ。
「いつもは書けてるの?」
悠斗は中学生、無邪気。別に私に悪い気を起こさせようとしているわけでないのは、経験上わかっている。私だって私が嫌な気持ちになっているなどと思いたくはない。「いつもも書けてない」のに。どのように問いに答えればよいのだろうか、などと考えているうちに数秒が経過して、そのうえその数秒という間は彼に、もちろんどの人間だろうとそのように判断するだろう、気まずい問いだったと知らしめる結果になった。それを私は払拭して取り繕いたいから、じゃあ自己犠牲の精神を優先して「書けてない」と答えた。
「そうなんだ」
そうなんです。悠斗は言葉を詰まらせた。あるいはそもそも返答しようとすら思っていなかったのかもしれない。それを察知するのが私にまたつらい気持ちを負わせるから、これもまた判断を据え置いて、単に会話が止んだことを内心喜んだ。外の雨は弱まって聞こえなくなった。
カフェに来たって私は愚鈍な怠け者だ。しかも何も怠けたいのではなくて、むしろ頑張りたいその一心なんだけれども、上手く実際に頑張ってみることができないために、傍から、それくらいできて当たり前さ、それが貴方の本分なんだからなどと思われては癪である。癪だけど、出来ない。だからもう私は諦めきった。ああこの怠惰な私を皆さん見てください。目の前に原稿用紙と空っぽのノート。それからやる気のない机上のシャープペンシル、一度も使わない消しゴムになんでも良かったドリンクの結露がダラダラと鬱陶しい。
私は恥ずかしげもなく何もしないで堂々とカフェで醜態を晒しながら図々しいマイタイムを呑気な顔で過ごしていられる。アンドそれ以上ものを言うな。言わせないことが、私のしたいことだ。
例えば人はカフェで読書をする。ある者は勉強をしていて、寛いでスマホの画面を眺める者もいる。肝要なのは本分である。つまりあなたは何をするだろうと他人に思われる人間ですかという像に比して自分が実際に何をしていますかという姿を重ねて、ああ貴方はそれが出来ない人なんですねだとか、素晴らしい貴方はよくできた人間だとかいう思考の跋扈は世の常である。その世の常の中に自分がはめ込まれているのは止める気など更々なくて、むしろ私がその様な型にはめ込まれた時にいかに私がだらしなくはみ出しているか、その姿をとくと見て欲しい。そして語るなって言いたい。
私は叶うなら全ての人に嫌がらせをして周りたい。例えば人の勉強ノートの上にコーヒーをぶっかけて、アカンべーをして、当惑する隣の人の顔を平手打ちしてしまって、そこで私は改まって何食わぬ顔、或いはむしろ被害者面で、私の状況を察する能力はお持ちではないのですか、時代に乗りましょうという思いを相手に起こさせるアティチュード。素晴らしい手段と私には見える。
現実の皆さんは私など気にしない様子だ。それが最も気に食わない。私に手を差し伸べなくていい。ただ、私を理解してくれないと、それで貴方が私を解釈するにあたって私がただ怠惰であるというその性格や性質のせいにするという方策をとった時には、私は新たな恥を抱えて忽ち帰路に着くことだろう。私にそんなことをさせるほど貴方達は良識が無いのか?
それで向こうの机の老翁は読んでいた本を静かに閉じてしまったので、じゃあ私をここに置いてきぼりにするつもりですかと問い質す所だったが、続けざまに他の机でも支度をしている人を見たばっかりに私は何か思うことが無くなった。無、を感じていたのかも。それは誰かが私に関心がないのを超えて、誰か、その誰かすら存在しなくなってしまうことへの寂寞と恐怖、それ以外の何かの感情がモコモコと沸き立ってきたのである。