現在時刻は朝7時。
装備を整え終え、そろそろ出勤するかと言う頃合いで、ケイコのスマホが振動を始めた。
画面を見れば、『岩井家』の文字。
この時点でケイコに『出ない』なんて選択肢は無かった。
「はいもしもし。神薙です」
『あー、もしもし、ケイコさん?』
どうやら電話先に居たのはリツトだったらしい。
ケイコの中に、イヤーな予感が生まれた。
「ええ、私だけど……こんな朝早くにどうしたのよ?」
『そっちの家に素材を集めてるって聞いてるけど、どうなの?』
「あるわよ、結構大量に」
この2日間、ケイコは自身のシンパも動員し、素材を回収させていた。
そして現時点で、ケイコが家の者に空けさせておいた14畳ほどの部屋を半分以上埋めるほどの量が既に集まっていた。
2日間でまさかこんなに集まるとはケイコも予想外だったが、それもそのはず。
普段のケイコたちのような普通の冒険者は、戦利品の選別を行う。
嵩張らず、かつ軽く、換金効率の良いものを積極的に回収し、逆にそうでない素材……それこそ『腐った肉』や臓器系のような素材は、捨てるのが常識だ。
だから4時間~8時間の探索で持ち帰る量は、精々リュック一杯分であり、その何倍もの体積の素材を無視しているわけだが、その捨てた分の量を気にしている冒険者などまずいない。
しかし今回はどれだけ安い素材だろうと大きい素材だろうと、集めておくよう言われている。
となれば、今まで無視していた分の素材まで集まってくるわけで。
一応そう言ったことも予想こそしていたものの、その量を少なめに見積もっていたものだから、思いの外部屋が埋まるペースが早いことに、ちょっと驚いているのが現状であった。
『臭いとかは大丈夫?』
「最初は酷かったけど……真空パックの力は凄まじいわね。導入して正解だったわ」
『あー、成程。頭いい』
真空パック。
大気との交流を完璧に遮断するその手法は、『腐った肉』や内臓を保管するにあたって発生が予想された悪臭やハエを完璧に予防する、最高の手段であると言えた。
神薙家はお金持ちであるので、ケイコ個人で業務用真空パック機と専用の袋を大量に用意するなど、朝飯前というもの。
おかげで神薙家は、本当に最初の数時間以来、悪臭問題とは無縁の生活を送ることが出来ていた。
「で。この素材の山はいつ頃そっちに持っていけばいいのかしら?」
『あぁ、大丈夫。俺が今からそっち行くから。錬金釜はあるでしょ?』
「……あるけど、それ以前にね……」
ケイコはマジかコイツと頭を抱えた。
あまりに急すぎるのは、まぁ別にいい。
突然仕事を割り振られるのは、『派閥』所属のユニオンフォースとして慣れている。
と言うかむしろ『派閥』の方が酷いまである。
だから問題は、リツトの危機意識だ。
「いい? 私は確かに貴方の味方だし、その関係で私に着いて来てくれている人たちも貴方の味方と言う立場を取っているけど、神薙家全体だと……詳しく言うと、神薙家の当主とウチの兄様、その直属の配下は未だ『倉本派』なの。そして当主はその重鎮。貴方の存在は、既に把握されているわ。そんな状況下で何の準備も無しにノコノコと来てみなさい。危険なことになるわよ」
『そうだろうね』
「だろうねって貴方ね」
ケイコの真剣な忠告に対し、リツトの返答は余りにも軽いものだった。
そんなことはとっくの昔に理解してますよ、とでも言わんばかりのその口調は、それを理解した上で屋敷に来ると言っているのだと、ケイコに読み取らせる。
『大丈夫大丈夫、リコさんとケイコさん、それと他に数人は味方がいるって事でしょ? だったら何とかなるよ』
「……正気なの? こっちの本拠地なのよ?」
『でもリコさんとケイコさんが神薙で一番強いんでしょ?』
「まぁ、そうね。ウチの兄が私と互角くらいかしら」
『だったら大丈夫だね』
「……うーん……」
そんなわけが無い、とは言えない。
事実、ケイコとリコは神薙家の中で最上位の実力者であるし、そんな二人を容易く捕縛したリツトが居るのなら、兄含む家の者の襲撃に遭っても、切り抜ける事は恐らく可能であるからだ。
それを分かっているからか、リツトは引き下がる気配を見せない。
『大丈夫だよ。対策もバッチリして行くから』
「ウチは武家屋敷よ。敵襲への備えは十全、言っちゃ悪いけど、分が悪すぎるわ」
『行くよ。俺は』
「だからねぇ……」
決定事項を告げるような口調のリツトに、ケイコは尚も食い下がろうとする。
万が一にもリツトに下手を打たれれば、破滅するのはケイコ達である。
ユウジにも申し訳が立たない事態になるだろう。
だから出来ることなら危ない橋を渡って欲しくない、というのがケイコの本音だった。
『ちなみにケイコさんが了承せずとも神薙家屋敷に突撃するから』
だが、リツトはどうしても止まる気は無いらしい。
そう宣言したのなら、リツトは間違いなくそうする。
そんな確信があったケイコは、これ以上の議論は無駄だと、大きく息を吐いた。
「……分かったわよ。じゃあせめてこっちが迎えに行くまでは待ってなさい」
『ん。お願いね』
通話が切れる。
何だか朝っぱらからドッと疲れた気分だ。
「欠勤の連絡、入れておきますねえ」
「ついでに彼らも呼び戻しておいて頂戴。多分、と言うか絶対、父上が動くと思うから」
と、痛む頭を抑えながら命令を下す。
虎穴に入らずんば虎子を得ず、なんて言葉があるが、何だってあの子は頼めば出てくると分かっている虎子をわざわざ取りに来るのか、と。
そう思ってしまうケイコなのであった。
■
「んで、リツト君。本気で行くのか?」
「そりゃあ行くでしょ」
何度目とも分からない同じ質問が、またもタクマさんから投げられる。
しかしやはり俺の返答は変わらない。
「……諦めろ、タクマ。もう無理だ」
「いやまぁリツト君が決めたんならそうすべきだってのは分かってんだけどねぇ……にしてもそんな危ない橋を渡る必要はあるのかね?」
「あるからやっているのだろう」
「そういうこと」
流石父は良く分かっている。
俺が神薙家に行っておく必要があると判断した、だから行く。それだけだ。
「行くことは、決定事項だ。俺達も行くぞ、タクマ」
「……あーもー、わーったよ。そうすっかぁ……今日は休みたかったんだけどなァ……」
「別に休んでくれていいよ。心配してくれるのは有り難いけど、俺一人で大丈夫だから。疲れてるだろうし、今日はゆっくり休養してよ」
大人たちが立ち上がり、身支度を始めようとしたところにそう声をかける。
実際、俺とゴーレム君、それとユニオンフォース二人が居れば、どれだけ敵が居ようと大丈夫だと踏んだからこそ、こうして申し出たわけなのだが。
「いーやダメだね。流石にこれは看過できねー。昨日と一昨日は、ここがウチの本拠地で、リツト君が実際にユニオンフォース二人組に勝った実績があったから置いてったけど、これは無理だ」
「同意見だな」
どうやら大人たちの決意は固いらしい。
大人たちが俺の神薙家行きを諦めさせる事が出来なかったように、俺も彼らが俺について来る事を諦めさせる事は出来ないようだった。
「……まぁ、じゃあ、お願いしようかな。代わりに明日を休みにしよっか」
「そーしてくれぃ」
と、このような具合に大人たちの同行が決定した。
それから十数分ほどかけて二人が装備などの準備を終え、そこから更に十数分程立つと、家の外に一台の車が止まった。
少しの間を置いて。ピン、ポーンとチャイムが鳴る。
三人で玄関の扉を開けると、そこに立っていたのはケイコさんとリコさんだった。
「まさか直々に迎えに来てくれるとは思わなかった。いやごめん、いきなり行くって言っちゃって」
「出来れば事前に言っておいてくれると助かったのは確かね。……まぁ、今の最優先事項は貴方の指示通りに動く事だから、別に良いんだけど……」
「とにかく、先ずは車に乗っちゃいましょうかあ。寒いですしねえ」
彼女たちの後ろに停車しているのは、某有名自動車メーカーの大型乗用車であった。
高級車を使っているものかと思ったが……いやまぁこれも高級と言えば高級なのだが……しかし意外と庶民的な車も使うようである。
どうやら6人乗りタイプであるようなので、運転手さんも合わせて乗車人数はギリギリセーフと言ったところだ。
「ねぇユウジ、私が言うのも何だけど、もうちょっと危機意識とかどうにかならないのかしら?」
「ならないだろうな」
「気持ちは分かるが、理解した上で、やる必要があるならって感じらしいぜ」
「……いやはや、逞しいと言うか、覚悟がキマっているというかあ……」
「世界の命運がかかってるからね」
「そりゃあそうなんでしょうけども……」
そんなことを喋りながら車に乗り込み、神薙家の屋敷へ。
「……うわ、デッカ」
「ひえー、いかにも金持ちの家って感じだなァオイ」
車窓から見える神薙家の外観に、タクマさんと二人して感想を述べる。
実際神薙屋敷は非常に広く、そこいらの学校と同等かそれ以上の敷地がありそうだ。
「神薙は競争に勝ち抜いた側ですからねえ。まぁ格で言えば上の下って感じでしょうかあ」
「これよりすごい家とか、やっぱある感じ?」
「そりゃあもう。それこそ倉本とか獅童はすごいですよお。地図アプリとかで調べたら出て来るんじゃあないですかねえ」
「調べて出るモンなの?」
「あの辺は都会の別邸に越して、本邸は一般公開してますのでえ」
「はえー……うわマジだ」
スマホで調べてみると、どうやら本当に一般公開しているらしい。
地元の観光資源として、役立てているようだった。
まぁ、行ったところで何があるわけでも無さそうだが。
と、そんなことをしていると、車が停車する。
しかしそこは神薙家の敷地ではなく、その向かいのコンビニだった。
「降りるわよ。車のまま入ったら囲まれるわ」
「まぁ、そうなんだろうな」
父が屋敷の方を睨みながら、そう言う。
事実、幾つもの視線が、既に俺達の乗る車に突き刺さっているのが感じ取れた。
いやはや、俺がここに来ることはもう筒抜けか。
だから何だって話ではあるけど。
「……で、いつ仕掛けてくると思う?」
「どこかの部屋に入ったタイミングじゃないですかねえ。仕掛けとかもありますしい」
「あー、そうか、そんな感じなのかぁ……マジかぁ……」
「大丈夫大丈夫、何とかなる何とかなる」
「本当にその自信は何処から来るのかしらね……」
うーん……知識に裏打ちされた確信かなぁ。
「あぁ、そうそう。この耳栓は付けておいてね。早速ぶちかますから」
俺がその場に居た五人に手渡すのは、『耳栓』と『仔羊の綿毛』で作った『黄金色の耳栓』だ。
音を媒介とした攻撃の威力を下げてくれる優れモノである。
「もしかしてだけどリツト君、最初から神薙屋敷を制圧するつもりだったり?」
「嫌だなァ、そんなわけないじゃん。穏便に済ませるのが一番だよ」
「……うん。もう何も言わないわ」
さーて、と。
それじゃあ初陣と行こうか、ゴーレム君。