朝の7時から始まった俺と激臭車の死闘は、昼過ぎになって漸く終わりの兆しを見せた。
車内に充満していた臭いの素は、ありとあらゆる部分に染み込み、とんでもなく地道で大変な作業を俺に強いた。
消臭剤や洗剤を振り撒き、いくらタオルや歯ブラシで擦っても一向に消えない臭いに、何度も『シート引っぺがして洗濯したい』とか『専用の機械を買いたい』とか思わされたが、地道な努力の積み重ねが、遂に我が家の車に新車同様の輝きと清潔さを取り戻させたのである。
本当に長く苦しい戦いだった。
ちゃんと物理的に苦しい戦いだった。
唯一の癒しは、途中で近所のおばあちゃんが差し入れにお菓子を持って来てくれた事だ。
甘味が体に染みた。本当に美味しかった。
……しかし、流石にお菓子だけじゃ腹も膨れない。
現在時刻は午後3時であるが、昼を食っていないおかげで大分腹が減っている。
父が昼を他所で食ってくると聞いたので、今日は遅くてもいいかと用意していなかったのだ。
とはいえ、今から料理を作るのも違う気がするし、一度ここで作業を中断し、コンビニで何かしら軽いものを買って来るか……?
「……んお?」
と、俺が車から顔を出すと、何やら道の向こうから歩いて来る人影が見える。
男が二人だ。片方は父親であるようだが……もう一人の顔に見覚えが無い。
体格から考えるに、冒険者。年齢は父と同じくらい……となると、相当なベテランだ。
「よぅ!」
そんな冒険者であろう男が、俺の事を見つけると、親し気に片手を挙げて挨拶をして来る。
「えぇーと、こんにちは?」
「ンー、流石に覚えてねぇかァ」
「当然だ、困らせるな」
取り敢えず挨拶を返してみるが、男は何やら残念そうなリアクションを返すのみ。
俺が対応に困っていると、父親が男に苦言を呈する。
何やら親しげな様子だ。
……成程、父が今日出かけたのは、この男と会うためだったらしい。
「リツト。こいつは
「そういうわけだ。ここ10年会ってなかったんだが、今日になって急に呼び出されてな。色々ヤバいって話と君が色々すごいことになってるって聞いて来たぜ」
「あー、成程、話したんだ」
「ああ」
そりゃあいつかは知ってる側の人数を増やしていく予定だったけど、こんなに早く増えてくれるとは。
何ともまぁ有り難い事である。
「ただまぁ、君の父親は説明が絶望的に下手糞でなァ。話は聞いたけど、詳しい状況とかが良く分からんから、君にも説明してもらいてぇんだけど」
「あー……」
それはまぁ、仕方ない。
父に伝えた情報は、色々と足りない所も多いからな。
俺が直接話した方が、質問とかにも答えられるだろうし、来てくれたのはよかった。
「それじゃあ、ここで話をするわけにもいかないかな。家に入ろう」
「あぁ、そうしよう」
「お邪魔するぜ」
流石の俺も、往来のどこで誰が聞いているかも分からない状態で、情報の爆弾をぶん投げるつもりは無い。
余計な混乱を招くつもりは無いのだ。
「……アンデッド系のモンスター狩って素材集めてたってのは、マジっぽいな」
「わかるか」
「ああ。腐った臭いがする」
「ありゃま。消臭しきれてなかったか」
昨日のうちに頑張って消臭はしたはずだし、今だって全く臭わないと思うが……
あ、いや、違う。これ俺の嗅覚が馬鹿になってるだけだ。
ってなると、車の方もまだまだ消臭しきれてないのか?
……こりゃあ更に長い戦いになりそうだな。
取り敢えず今は、明日の学校に臭いまま登校はしないよう気を付けるとしよう。
「んで……これが件の錬金釜か。普通の奴だな。レプリカ品だ」
「そこまで高いヤツを、買ってもな」
タクマさんが家の錬金釜を眺めながら、そんなことを言う。
レプリカ品、というのはつまり、今の時代の人間の手によって作られたものという事だ。
逆にレプリカでない錬金釜は、遺跡系のダンジョンなどから出土したものを示す。
「なぁ、リツト君。色々と話を聞く前に、君の錬金を見せて貰いてぇんだけど」
「え? あぁ、まぁそうか。百聞は一見に如かず、ってヤツか」
「そーゆーこと。察しが良いのは好きだぜ」
「おほめにあずかり恐悦至極、っと。さて何を作るか……」
特に材料を集めたわけじゃないからなぁ。
在り物で何か作れるもの……あぁ、一応あるか。
「それじゃあいくぞ。『人骨』×2に『念玉』で、『骨杭』の完成」
完成するのは、おどろおどろしい赤色をした小さな骨の杭。
「マジか! マジで作りやがった!」
「……それは、どういうアイテムだ」
「敵に当てると呪詛系の小ダメージを与えられる使い切りの消耗品だよ。まぁやっぱり弱いから、基本は中間素材かな」
これを二段階くらい強化すると即死の属性が付与されるので、本格使用するならその辺りからになる。
「……いや、マジかァ……」
タクマさんが錬金釜を覗き込むが、中は空だ。
特に何か変な仕掛けがあるとかでもない。
「うわ、こりゃあマジっぽいなァ……ちょっとすまん、それ使っていいか?」
「使うって、『骨杭』を?」
「心配せずともお前らにゃ使わねぇよ、自分にだ」
真面目な顔でタクマさんが言う。
ボケている雰囲気は一切ない。
「……なぁ父さん、この人正気なのか?」
「知らん」
「正気も正気だこの野郎」
真顔のままにタクマさんが言う。
しかし申し訳ないが、自分から呪詛を受けに行く人間を正常とは判断できない。
「流石に今見せられたモンが信じらんねぇ。だから自分の体で確かめてぇ。それで信じる」
「別にそれは良いんだけど……痛いよ?」
「大丈夫だ。『リッチー』の魔法の直撃は耐えた男だぜ、俺ァよ」
「なら大丈夫か」
『リッチー』はアンデッド系のLv40近いモンスターだ。
そんなモンスターの魔法を直撃しても耐えられるならこの程度のカスダメ、それこそ蚊に刺されたくらいでしかないだろう。
そう思って『骨杭』を渡せば、タクマさんは何の躊躇もなく自らの腕に突き立てた。
瞬間、骨の赤色が消え、元の白色に戻った『骨杭』が塵になって消える。
痛がっている素振りは全く見られない。
が、アイテムが消費されたという事は、効果自体は発揮されたのであろう。
「OK、信じた。すまんな無駄に消費しちまって」
「まぁ、必要経費ってところかね。……それじゃあ信じて貰えたところで、話をしようか?」
「そォだな。色々と聞かせて貰おうじゃねーの、リツト君よぉ」
そうして、3人で食卓を囲む。
椅子の数は、足りていた。
「まず……父さんからはどれだけ聞いてる?」
「『錬金』は人が作ったこと、『錬金』に『レシピ』があること、『禁忌』があること、『垣間見える世界』が関係ある事。そのくらいだ。それ以外は良く分からなかった。……あぁ、あとは『聖剣』を作らないと世界が終わるとか何とか」
「結構聞いてるなぁ……なら、俺の方からはもう少し踏み込んだことを話そう」
さて、どこまで話していいものか……
「……まず、ダンジョンがどういうものかを説明しようかな」
「ダンジョン、ねぇ」
そう、ダンジョン。
この世界がこの世界たる根幹の一つ。
『魔力のない世界』を架空の存在に貶めた、無数に存在するパンドラの箱。
「……今んとこ、専門家って言ってる連中が主張してんのは、地理的に魔力が溜まりやすい環境、あるいは
「異世界との接続点、ってのは惜しいけど、違う。正確に言えば、方舟兼寄生虫ってとこかな」
「方舟、兼、寄生虫?」
「いや、寄生虫ってのは違うのか。何て言うんだろ」
大人二人が怪訝な顔を浮かべる。
まぁ、うん。
こんな意味の分からない事を最初から言われても、混乱するだけだよな。
「んーと、ミトコンドリア、って知ってる?」
「聞いたことは、ある」
「俺も。でも詳しくは知らない」
「えーとね、まぁ要するに、俺達の体の細胞の中にある、俺達が生きるために必要なエネルギーを、酸素から作り出してる細胞器官ってやつ」
「要するに、俺らに呼吸が必要な理由か」
「まぁそうなるかな」
自らの手をまじまじと見る大人たち。
そんなにじっくり見てもミトコンドリアは見えたりしないぞ。
「で、とにかくそんな感じで俺たちの生命維持に滅茶苦茶貢献してくれてるミトコンドリアなんだけど、元々は自然界に別個で存在していた微生物だったんだよね。それを俺たちの祖先である微生物が取り込んで、共生し始めた、ってされてるのね」
「そうなのか」
「んで、それがダンジョンとどう関係してくるのよ」
「この二つの関係性が割と似てるんだよね。この世界とダンジョンの」
「……何?」
「ダンジョンはね、異世界から来てこの世界に取り込まれたんだよ。もっと具体的に言えば、『垣間見える世界』からね」
大人たちが唸る。
「タクマさん、さっき魔力が溜まりやすい、って言ったでしょ。逆ね」
「逆……ってのはつまり」
「この世界に満ちる魔力は全て、ダンジョンから生成されてるんだよ。アレは異世界から来た魔力の炉心で、こっちの世界の物質を魔力に変換しては、この世界を魔力無しでは存続できないように
今や動物がミトコンドリアの作るエネルギーが無ければ生きられないように。
今やこの世界は、魔力無しでは成立しない。
俺の居た世界のように物理と化学で回っていたはずの世界は、既に架空のものとなり。
電気が通った現代的な街並みも、薄皮を一枚剥がせばファンタジーが蠢いている。
そんな俺達の目線から見れば異質な、しかしそれこそが正常な世界が、ここだ。
「いやいやいや……マジか?」
「本当だよ」
極めて面倒なことにね。
「……向こうの世界が滅んだことと、それは、関係はあるのか」
「大ありだよ。向こうの世界の住民が、『錬金』によって作り出された『災厄』に滅ぼされる直前にこっちの世界に送って来たのが、ダンジョンっていう方舟なんだから」
「方舟」
「まぁ要するに、こっちの世界でも『錬金』が出来るように『魔力』とか『素材』とかを用意できるよう、環境を移植したのさ」
聖書に語られるノアの方舟の話において。
ノアは神から方舟に全ての動物をオスとメスを一匹ずつ積むよう指示された。
大洪水で世界が更地になった後、再び動物たちが地上で繫栄できるように。
それと似たようなことだ。
「何のために」
「『災厄』に対抗するためにだよ。『災厄』を作り出したのも錬金だけど、『災厄』を止められるのも『錬金』しかないからね。アレは世界間も超えるから、対抗手段がないままだと為すすべなく終わっちゃう」
「……聞くだけでもヤバそうな雰囲気がしやがるな」
「そりゃあね」
何せ、世界を喰らい尽くした怪物だ。
ヤバくないわけがない。
「んで、ダンジョンと一緒に送って来てくれたのが、その『災厄』に対抗するための鍵となる『聖剣』だったんだけど……」
「あの有様、と。ヤバくね?」
「うん、ヤバい。だから近年中に作らないと終わるよ、この世界。向こうの世界から繋がった以上は確実に捕捉されてるから、近年中に来なくても時間の問題って感じかな」
俺がそう告げれば、実に頭の痛そうな表情を浮かべるタクマさん。
「……え、ヤベェ。思ったよりとんでもねぇ話が飛んできやがった。聞かなかった事とかに出来ねぇのかこの話」
「うーん、無理!」
「だよなぁ!」
吹っ切れたように笑うタクマさん。
仕方あるまい。知識とはそういうものだ。
知ってしまった以上、それから逃げることは出来ない。
それが真にどうでもいい事だったならばすぐにでも忘れられるかも知れないが、こんな話がどうでもいいと思える人間はまずいない。
そうなれば、皮肉過程理論──忘れようとすればするほどかえって頭に定着する──も働くというもの。
もう彼は死んでこの知識から逃げるか、この知識と真正面から向かい合うかしか選べないのだ。
「……わかった。『聖剣』作りの話、俺にも乗らせろ。世界を滅ぼされてたまるか」
「うん、お願い。現役の冒険者さんが来てくれるなら、今後の素材集めも捗るよ。一緒に世界を救おうね」
ガシリと、互いに手を握る。
特にベテランの冒険者さんなら、戦闘力にも申し分ないだろうし。
これで事故の可能性が格段に減るというものだ。
「それじゃあ早速、タクマさんにお願いしたい素材があるんだけど」
「本当に早速だなオイ。だがまぁいいぜ。大体の素材なら取って来てやれる自信がある」
「それは頼もしい。んじゃあ、洞窟系のダンジョンの鉱脈からたまに取れる、『魔晶石』っていう虹色に輝く鉱石なんだけどさ」
「あぁ……『虹魔石』のことか? ありゃあ面倒な素材だが……それを取って来ればいいんだな?」
「うん。とりあえず、150個くらいかな」
「おぉ…………おぉ?」
ピタリ、と。
タクマさんの動きが止まる。
「すまねぇな、聞き違いか? 今150って言ったか? お前あの素材の入手難度知ってるか?」
「知ってるよ?」
ゲームでは、序盤の内は特に苦労したものだ。
鉱脈の無駄に高い耐久値。
採掘中周囲のモンスターが寄って来る仕様。
妙に出ない30%。
これらすべてを乗り越えて、漸く2、3個。
そんな時期もあった。
「でも大丈夫。装備とかは適宜更新していくから、効率はどんどん上がるよ。難易度の高いダンジョン程多く落ちるしさ。150個なんて、まだ全然楽な部類なんだから、タクマさんなら問題ないって。大丈夫大丈夫」
「いや大丈夫っておま」
「最終的に数千個とか数万個単位で要求されることになるけど、その頃には装備もすごいことになってるから。安心してくれていいから」
「全然安心できねぇが!?」
と、椅子を蹴って立ち上がるタクマさん。
そんなタクマさんの肩に、父が優しく手を置いた。
「ユウジ、お前……」
「逃がさんぞ?」
「ユウジ!?」
きっと父は察したのだろう。
ここでタクマさんを逃してはならないと。
魔素マラソン、略して『
『魔晶石』を、ひいてはそれを圧縮することで手に入れられる『n段階濃縮魔素』を求める苦行。
かつて我々は、5の累乗で必要数の増加してゆく『魔晶石』を集めるため、永遠にも続くこの苦行に身を投じた。
レベルを上げ、装備を更新しながら、より高い効率を目指し、コツコツ、コツコツと。
そして当然その効率は、人数によっても変化する。
「正しい選択だよ、父さん。そうだ、この苦行を一刻も早く終わらせる方法は一つ。少しでも効率を上げることだ。道連れの人数が増えれば、効率も増える」
「苦行って言ったかお前!? 道連れって言ったかお前!?」
「ふっふっふ……さぁ頑張ろうね! 父さん! タクマさん! ここからが地獄だよ!!」
世界の命運をかけた、先の見えない地獄道。
共に歩んでいこうじゃないか。
俺は今のところ裏方で錬金してるだけだけど、いずれ成長したら俺も参加するって事で。
「やっぱ聞かなかったことには出来ねぇのかなァァァァ!?」
タクマさんの悲鳴が木霊するが、勿論そんなのを赦すはずがなかった。