ルーデウス・グレイラット。
ラノア魔法大学特別生。
泥沼のルーデウス。
フィットア領転移事件の被災者。
若くして水聖級魔術を修め。
赤竜を討伐し、魔王と戦い。
龍神とすら戦った魔術師。
その男が死んだ。
噂が広がるのにそう時間は掛からなかった。
最初はラノア魔法大学だった。
『泥沼のルーデウスが死んだらしい』
誰かが言った。
誰も信じなかった。
『転移迷宮で死んだ』
『母親を助けるためだったらしい』
『父親を庇ったそうだ』
少しずつ話が具体的になっていった。
そして数週間後。
一つの記事が出た。
――若き魔術師、転移迷宮にて死亡。
そこに名前が載っていた。
ルーデウス・グレイラット
死亡
その文字は遠く剣の聖地にも届いた。
⸻
「……」
ニナ・ファリオンはその紙を何度も読んでいた。
「……嘘でしょ」
名前を見るルーデウス・グレイラット。
間違いない。
「……」
ニナはもう一度。
最初から読む。
転移迷宮。
救出。
死亡者一名 ルーデウス・グレイラット。
「なんで……」
ニナは紙を握り締めた。
あの男。
エリスが毎日のように名前を出す男。
そしてあの強い魔王を倒した男。
ルーデウス
ルーデウス
ルーデウス
ルーデウス
ルーデウス
ルーデウス
耳にタコができるほど聞いた
龍神オルステッドに負けた
だから自分は弱い
ルーデウスを守れない
だから強くなる。
いつか、ルーデウスの隣に立つ
そのためにエリスは剣を振っていた。
「……」
ニナは立ち上がった。
走る。
向かった先はギレーヌのいる場所だった。
⸻
「ギレーヌ!」
「どうした」
ギレーヌが振り返る。
ニナは息を切らしていた。
「これ」
紙を差し出す。
「……?」
ギレーヌが受け取る。
読む。
「……」
動かなくなった。
「ギレーヌ?」
返事がない。
「おい」
「……どこで手に入れた」
低い声だった。
「届いた記事よ」
「誰からだ」
「知らないわよ!」
ニナが叫ぶ。
「そんなことどうでもいいでしょ!」
「……これは」
指を差す。
「本当なのか?」
ギレーヌはもう一度、記事を見る。
「……わからない」
ギレーヌははっきりと言った。
「……エリスには」
「まだ言うな」
「え?」
「確認する」
ギレーヌが立ち上がる。
「ラノアへ」
「待って」
ニナが腕を掴んだ。
「確認して」
「……」
「本当だったら?」
ギレーヌが止まった。
「……」
答えない。
「エリスは」
ニナの声が震える。
「あいつは、ルーデウスのために……」
「知っている」
「だったら!」
「知っている!」
ギレーヌが叫んだ。
ニナが息を呑んだ。
ギレーヌは記事を見ていた。
「……私は」
小さな声。
「守れなかった」
フィットア領転移事件。
サウロス様。フィリップ様。ヒルダ様。
ギレーヌが目を閉じる。
「エリスに、なんと言えばいい」
ニナは何も言えなかった。
その時だった。
「何を?」
声。
二人が振り返る。
エリス。
木剣を持っている。
汗を流していた。
「エリス……」
「私に、なんて言うの?」
ギレーヌが記事を背中に隠す。
「なんでもない」
「嘘ね」
即答だった。
「……」
「ニナ」
「な、何よ」
「何があったの?」
「……」
「言いなさい」
ニナはギレーヌを見る。
ギレーヌは何も言わない。
「……ルーデウス?」
二人の表情が変わった。
それだけでエリスには十分だった。
「ルーデウスに何かあったの?」
「エリス」
「何があったの」
ギレーヌが前に出る。
「落ち着け」
「私は落ち着いてるわ!」
叫ぶ。
「ルーデウスに何があったの!」
「……」
ギレーヌは記事を出した。
エリスが奪い取る。
読む。
「……」
静かになった。
「……」
エリスは文字を読むのが得意ではない。
ゆっくり一文字ずつ。
読んでいる。
そして名前を見つけた。
ルーデウス・グレイラット
死亡
「……何これ」
「エリス」
「何これ?」
ギレーヌを見る。
「……まだ、確認は取れていない」
「じゃあ嘘ね」
エリスが言った。
「……」
「ルーデウスが死ぬわけないじゃない」
記事をニナへ投げる。
「馬鹿馬鹿しい」
「エリス……」
「修行するわ」
木剣を握る。
「時間を無駄にした」
歩き出す。
「エリス!」
ニナが呼ぶ。
「何よ!」
振り返る。
「もし!」
ニナは言葉を止めた。
それでも言った。
「もし本当だったら!」
「……」
「どうするのよ!」
エリスがニナを見る。
「本当なわけない」
「でも!」
「ない!」
叫んだ。
「ルーデウスは!」
木剣を握る。
「私がいないと駄目なの!」
「……」
「昔からそう!」
一歩。
「運動はできない!」
一歩。
「剣も弱い!」
一歩。
「すぐ変なことを考える!」
声が震えている。
「だから!」
エリスは自分の胸を叩いた。
「私が強くなって!」
「……」
「私が守るの!」
「エリス……」
「そのために!」
木剣を握る手が震えた。
「私はここにいるのよ……」
声が小さくなった。
「……」
エリスが記事を見る。
地面に落ちている。
ルーデウス・グレイラット
死亡
「……嘘よ」
誰も答えない。
「嘘」
ギレーヌがエリスへ近づく。
「触らないで」
止まる。
「……」
「一人にして」
エリスは歩いていった。
木剣を持ったまま。
背筋を伸ばして。
いつものように堂々とその姿が見えなくなるまでニナとギレーヌは何も言えなかった。
⸻
次の日。
エリスはいつも通り修行場にいた。
剣を振る。
一回。
二回。
三回。
速い。
昨日より速い。
「……エリス」
ニナが呼ぶ。
返事はない。
剣を振る。
「エリス」
振る。
「もうやめなさい」
振る。
「エリス!」
「うるさい!」
エリスが叫ぶ。
剣を振る。
「私は!」
振る。
「もっと強く!」
振る。
「ならないと!」
振る。
「ルーデウスを!」
剣が止まった。
「……」
守る。
その言葉が出なかった。
木剣が手から落ちた。
「……あ」
エリスが木剣を見る。
拾おうとする。
手が震えている。
掴めない。
「……なんで」
もう一度。
「なんで……」
掴めない。
「動きなさいよ!」
自分の手を叩く。
「エリス!」
ニナが駆け寄る。
「離して!」
「もういい!」
「よくない!」
「いいから!」
ニナがエリスを抱き止める。
「離しなさい!」
「嫌よ!」
「ルーデウスが待ってるの!」
ニナの動きが止まった。
「私が強くなるのを!」
「……」
「待ってる!」
エリスが暴れる。
「だから!」
「エリス!」
「離して!」
「ルーデウスは死んだのよ!」
静かになった。
ニナ自身が自分の口を押さえた。
「……」
エリスがニナを見る。
「……嘘」
「……」
「絶対に嘘よ」
初めて。
理解した。
「……ルーデウス?」
膝から力が抜けた。
ギレーヌが後ろから支えた。
「……エリス」
「私」
エリスが呟く。
「強くなったわ」
「……ああ」
「剣王になった」
「……ああ」
「まだ強くなる」
「……」
「ルーデウスを守れるぐらい」
ギレーヌが目を閉じた。
「……そうだな」
「なのに」
エリスがギレーヌを見る。
「なんで?」
答えられない。
「なんでルーデウスは」
声が震えた。
「私を待ってくれなかったの?」
その日エリスは剣を握らなかった。
⸻
遠く離れた土地。
一人のスペルド族が酒場の隅に座っていた。
ルイジェルド・スペルディア
彼は旅を続けていた。
スペルド族の名誉を取り戻すため。
一人各地を巡っていた。
「そういや聞いたか?」
近くの席。
冒険者たちが話している。
「何をだ?」
「泥沼だよ」
「ラノアの?」
「ああ」
ルイジェルドの耳が僅かに動いた。
「死んだらしいぜ」
「……」
「は?」
「転移迷宮だと」
「嘘だろ。あの泥沼が?」
「記事にもなったらしい」
ルイジェルドは立ち上がった。
「その話」
冒険者たちが振り返る。
「なんだ?」
「詳しく聞かせろ」
「……あ?」
ルイジェルドの顔を見て。
男たちは黙った。
「ルーデウス・グレイラットの話か」
「……そうだけど」
「どこで聞いた」
「商人だよ」
「どこの商人だ」
「ラノアから来た奴だ」
「……」
ルイジェルドは何も言わなかった。
「知り合いか?」
「……」
長い沈黙。
「ああ」
ルイジェルドは静かに答えた。
「大切な仲間だ」
「……そうか」
ルイジェルドは酒場を出た。
夜だった。
空を見る。
「……ルーデウス」
魔大陸。
小さな少年。
怯えていた。
それでも。
エリスを守ろうとしていた。
頭が良く。
慎重で。
時々理解できない行動をする少年。
デッドエンド。
三人で旅をした。
「……」
ルイジェルドは槍を握った。
「私は」
小さく呟く。
「お前に、何も返していない」
スペルド族。
恐怖の象徴。
それをルーデウスは変えようとした。
子供だった。
まだ小さな子供だった。
「……なぜだ」
風が吹く。
返事はない。
「なぜ、お前が先に死ぬ」
ルイジェルドは空を見ていた。
長い間。
ただ一人で。
「……エリスは」
「知っているのだろうか」
ルイジェルドは槍を背負った。
行き先を変えた。
噂が本当なのか。
自分の目で確かめなければならない。
そしてもし本当なら。
「……会いに行こう」
ルーデウスの家族に。
エリスにルーデウスが命を懸けて守った人間たちに
デッドエンドは三人だった。
一人が死んだ。
その事実をルイジェルドはまだ受け入れることができなかった。