蒸気の絆、永遠の日常 作:匿名希望
自動人形とお嬢様
煤煙と歯車が街を覆うスチームパンクの世界。
小さな男の子・ソラが目を覚ますと、そこは鉄の匂いが漂う見知らぬ路地裏だった。
「ママ……?」
声を出そうとした瞬間、体に異変が走る。
首元から「カチカチ」と不規則な機械音が響き、視界には不可解な数字が浮かび上がった。
ソラの手は白磁のような繊細な義手に変わり、身に着けているのは真鍮の装飾が施された豪奢なゴスロリドレス。
時空の歪みに巻き込まれた刺激で、ソラの身体は古代の自動人形(オートマタ)へと変貌を遂げてしまったのだ。
「う……うわぁぁん!」
小さな体で自分の手を見つめ、思わず泣き出すソラ。
その時、蒸気機関車の甲高い汽笛とともに、路地裏に綺麗な革靴の足音が響いた。
「あら、こんなところに壊れかけたお人形……ううん、迷子かしら?」
現れたのは、フリルの日傘を差したブルジョワ階級のお嬢様・クラリスだった。
彼女は泣きじゃくるソラの前でかがみ込むと、シルクのハンカチでソラの白磁の頬を優しく拭った。
「カチ……カチ……あうぅ……」
「まぁ、なんて可憐なギアの音。ゼンマイが狂っているのね。おいで、私のお屋敷でミルクでも飲みましょう」
言葉の意味は分からなかったが、差し出された暖かな手と甘いバニラの香りに、ソラはすがるように頷いた。
高級蒸気馬車に揺られて到着したのは、真鍮とガラスで彩られた煌びやかな大邸宅。
クラリスはお気に入りのドレスを着せ替え人形のようにソラにあてがい、専属の技師に命じて真鍮の関節に特製のローズオイルを注がせた。
「ふふ、今日からあなたを『ベル』と名付けますわ。私のお友達になってね」
元の世界に戻る方法はまだ分からない。
けれど、どこか浮世離れしたお嬢様の優しい笑顔に包まれながら、少女の姿をした男の子の、蒸気機関仕掛けの新しい日常が静かに動き始めたのだった。
朝の光が重厚なステンドグラスを透過し、真鍮の床に美しい影を落とす。
ソラ――今は自動人形のメイド「ベル」として暮らす彼の朝は、胸の奥で響く規則正しいギアの音とともに始まる。
「ベル、本日の紅茶はアッサムにして頂戴」
クラリスお嬢様の呼びかけに、ソラは背筋を伸ばして頭を下げた。
見た目は愛らしい少女姿の自動人形だが、中身はまだ幼稚園児の男の子。
お盆を持つ小さな手がわずかに震える。
「は、はい……おじょうさま!」
カチカチと精密な関節音を立てながら、熱々のティーポットからカップへ紅茶を注ぐ。
蒸気仕掛けの体は力加減が難しく、最初の頃はカップを握りつぶしてクラリスを焦らせたものだ。
だが最近では、指先の微細なギア制御もすっかり慣れてきた。
「まあ、綺麗に淹れられたわね。えらいわ、ベル」
クラリスに頭を撫でられると、ソラの胸のコアがコトコトと誇らしげに高速回転する。
幼いソラにとって、この優しいお嬢様の手助けをすることが、異世界での一番の安心感になっていた。
午後の仕事は、邸宅の大広間の掃除だ。
背中に背負った小型の蒸気掃除機「スチーム・バキューム」の圧力を上げ、真鍮のパイプや歯車を磨き上げていく。
「ふー……おそうじ、完了……っ!」
大きなノズルを振り回していると、うっかりドレスの裾を踏んで転びそうになる。
「きゃっ!?」
がしゃんと音を立てて倒れかけたソラを支えたのは、通りかかった専属技師の老人だった。
「おっと、危ない。ベル、ギアの油が少し切れているな。どれ、腕の関節をしめ直してやろう」
「あぅ……ありがとう、ぎしのおじちゃん」
工具で手首のネジをカチリと締め直してもらうと、妙な心地よさにソラは目を細めた。
人間だった頃にはなかった「機械のお手入れ」も、今ではすっかり日常の一部だ。
夕暮れ時、クラリスの膝元でソラは静かに目蓋を閉じる。
「お疲れ様、ベル。私の小さくて可愛いメイドさん」
お嬢様の手が髪を撫でるたび、ソラの内部時計はゆっくりとテンポを落としていく。
元の世界やパパとママのことは、時折切なく思い出される。
けれど、蒸気のぬくもりと歯車の守守歌に包まれながら、ソラはお嬢様の傍らで今夜も穏やかな「休止モード」へと入っていくのだった。