蒸気の絆、永遠の日常 作:匿名希望
数百年という時間が流れ、蒸気都市の景色は鉄とガラスの超高層群へと移り変わり、街を動かすエネルギーも純粋な蒸気から高度な霊導蒸気へと進化を遂げた。
しかし、街の中心に聳え立つ歴史ある邸宅には、ひとつの「伝説」が生き続けている。
「ご先祖様の時代から我が家に仕える、伝説の自動人形……『ベル』様!」
そう呼んで目を輝かせるのは、クラリスのひ孫にあたる少女・シェリーだ。
「……シェリー様、『様』はおやめください。私はこの屋敷のただのメイドでございます」
ベル――かつて幼稚園児の男の子だったソラは、今も変わらず「小さな少女型自動人形」の姿のまま、静かにお辞儀をした。
身に着けているドレスの仕立てや内部の蒸気コアは、時代の最先端技術に合わせてソラ自身の手で幾度となく換装されてきた。
だが、白磁の可憐な顔立ちと、胸の奥で響く規則正しいギアの音だけは、あの日クラリスに拾われた時のままだ。
世代が代わるたび、ソラは一族の成長を見守り、そして見送ってきた。
初代・クラリス: 傷ついた自分を拾い、あたたかな居場所をくれた恩人。
二代目・フィオナ: やんちゃで機械好き、共に数々の発明を生み出した相棒。
三代目・エレノア: 繊細な芸術家で、ベルをモデルに美しい絵画を遺したお嬢様。
そして四代目・シェリー: 少しお転婆で、先祖の遺した日記からベルの秘密を探ろうとする好奇心旺盛な少女。
「ねえベル、おばあ様の日記に書いてあったわ。『ベルは時々、男の子みたいな顔で街の機械を眺めている』って。本当なの?」
「……さあ、どうでしょう。自動人形に性別はございませんから」
すまし顔で紅茶を注ぐベルに、シェリーは「ちぇっ、教えてくれないんだ」と唇を尖らせる。
100年以上生き、その精神は人間の領域を超えて達観しつつあるソラだったが、幼少期の記憶の欠片――「かつて人間だった男の子の心」は、コアの最深部にそっと大切に保管されていた。
夜、歴代の主人たちの肖像画が飾られた長い廊下を、ベルはランプを手に静かに歩く。
一枚一枚の絵画の前で足を止め、かつての愛おしい記憶を脳内の記録ギアから再生する。人間の一生は自分にとって一瞬の夢のように短い。
別れのたびに真鍮の胸骨が押し潰されるような痛みを味わってきた。
それでも、ソラは一度たりとも起動を止めようとはしなかった。
「……今夜も、お屋敷は平和ですよ。クラリス様」
静まり返った館に、カチカチと規則正しいギアの音が心地よく響く。
血筋が途絶えぬ限り、想いが受け継がれる限り。
少女の姿をした永遠の少年は、これからも一族の歴史を静かに紡ぎ、守り続けていく。