蒸気の絆、永遠の日常 作:匿名希望
数百年という途方もない時間が、灰に塗れた都市をさらに沈黙の底へと沈めていった。
大崩壊の夜、シェリーとはぐれて以来、ベルはたった一人でこの死せる廃墟をさまよい続けていた。
失われた主の面影を追い、ボロボロになったドレスの裾を引きずりながら、ただひたすらに。
内部の蒸気回路は摩耗し、関節のオイルは枯れ果て、かつて誇らしかった白磁のボディには深い亀裂が走っている。
もう何十年も、ベルのボイスボックスから声が発せられることはなかった。
――カチ、カチ、カチ……。
静まり返った崩落街区の路地裏。
耳障りなほど孤独に響くそのギアの音だけが、彼がまだ「自動人形」として存在している証だった。
その時、がれきの陰から微かな啜り泣きが聞こえた。
「……うぅ……、だれか……」
足を止めたベルの光学センサーが、暗がりに小さく丸まる影を捉える。
近づいてみると、そこにいたのは煤だらけの薄汚いボロ布をまとった、一人の少女だった。
名をルシアという。
数百年前に別れたシェリーの、遠い、遠い血を引く最後の子孫だった。
冷え切った路上で震え、両親を失い、廃墟に迷い込み、すべてを奪われた絶望の中で泣いている。
その姿を見た瞬間、ベルの内部で眠っていた古い、古い記憶回路が激しくスパークした。
(――あぁ)
脳裏に蘇るのは、数百年前。
あの蒸気と歯車に満ちた世界の路地裏で、不安と寒さに震えながら泣いていた、あの日の記憶。
自分が初めてクラリスお嬢様に拾われた、あの日の自分自身の姿だ。
主を守れず、一人きりになって絶望の淵をさまよっていたはずの自分が、いま、かつての「自分と同じように」泣いている小さな命と出会っている。
「…………」
ベルはゆっくりとひざまずいた。
軋む真鍮の関節が悲鳴を上げようとも構わない。
彼はボロボロになった自分のボレロをそっと脱ぐと、凍えるルシアの肩に優しく掛けた。
驚いて顔を上げたルシアの瞳に、煤と涙に汚れた顔の少女が映る。
ベルはゆっくりと右手を伸ばし、シルクの手袋をはた白磁の指先で、ルシアの頬に付いた黒い灰を丁寧に、愛おしそうに拭い去った。
そして、何十年も使っていなかった声帯のスイッチを無理やり引き上げ、絞り出すように言った。
「もう……大丈夫ですよ」
それは、かつてクラリスが自分にかけてくれた言葉。
そして、何代ものお嬢様たちに自分が捧げ続けてきた、最愛の誓いの言葉。
「おいで、私の小さなお嬢様。もう、一人ではありません」
ルシアは戸惑いながらも、その温かな……しかし冷たい機械の手にすがりつくように、ベルの胸にしがみついて声を上げて泣いた。
崩壊した世界の瓦礫のなか、青く静かな光を放つ古のコアが、再び力強く脈動を始める。
守る者と守られる者が入れ替わり、時を超えて紡がれてきた優しさの連鎖は、失われた都市の片隅で、新しい未来の温もりをしっかりと抱きしめていた。