新世紀エヴァンゲリオン 碇ミレイ 作:最高司祭アドミニストレータ
翻訳 パパは心配だよ! 会えただけでも嬉しいから、シンジが無理して戦うことはないよ!
的な内容かなと、アニメと新劇場版を見た感想です(1回目で看破するのは無理ですよね…これも素直になれないゲンドウパパが悪いんや…)
それでは本編、どうぞご覧ください。
視線の先、遥か上方のガラス張りのブース内。
特務機関NERV最高司令官、碇ゲンドウ。
先ほどの大量の鼻出血により、彼の右の鼻の穴には真っ白な医療用ガーゼが硬く詰められている。本人はその滑稽な姿を一切恥じることなく、後ろ手に組んだ威風堂々たるポーズを維持していた。
オレンジ色の色付き眼鏡の奥の眼光は鋭いものの、鼻から飛び出た白いガーゼのせいで、威厳という概念は完全に宇宙の彼方へ消え去っている。
「…それで」
ミレイは一定のピッチとテンポで、感情ゼロの音声を空間に放った。
「これだけ仰々しい設備と、無駄に人員を割いた歓迎劇。私に送った手紙の真意、ここに呼んだ目的、そして私に課せられるタスク。それらを明確に説明してもらいましょうか。時間は有限ですから」
身も蓋もない、単刀直入な業務連絡のトーンである。
十四歳の少女が実の父親に向ける言葉としては冷徹に過ぎるが、ミレイにとってコミュニケーションとは情報伝達の最短ルートでしかない。
ブースの上から、鼻声の最高司令官が答えた。
「お前には、『使徒』と呼ばれる準完全生物を倒してもらう。それに乗ってな」
ゲンドウの視線がプールに鎮座する紫色の巨人──人造人間エヴァンゲリオン初号機へと向けられる。
なるほど。
ミレイの脳内で、情報のピースが急速に組み合わされていく。
街を一つ消し飛ばすほどの国連軍のN2地雷にも無傷だった未知の巨大生物、使徒。それに対抗するために造られた、この汎用ヒト型決戦兵器。
つまり自分にこの巨大なロボットの操縦桿を握り、あの絶対的なバリアを張る怪物と物理的に殴り合えという要求である。
「冗談でしょう」
ミレイは即座に結論を下した。
「あれだけの火器を無効化する怪物に対し、接近戦を挑む。極めて危険で、かつ割に合わない肉体労働。私の快適な生活を著しく脅かすリスクしかない」
「これは人類の存亡を賭けた戦いよ、ミレイさん」
横から口を挟んだのは紫色の髪の女性、葛城ミサトであった。彼女は真剣な表情を作ろうとしているが、先ほどの迷走劇のせいで説得力は皆無に等しい。
「使徒がこの地下の最深部に到達すれば、サードインパクトと呼ばれる大災害が起きる。世界が完全に滅ぼされてしまうのよ」
「ならば一つ、合理的な疑問があるのだけれど」
ミレイは首をわずかに傾げ、ミサトと白衣の赤木リツコを見据えた。
「何故、大人のあなたたちが乗らないのですか? 未成年を危険な労働環境に放り込み、自分たちは安全な地下施設で指示を出す。組織の構造として、非常に歪ですよ」
至極真っ当な正論である。
それを聞いた瞬間、ミサトは顔を真っ赤にして地団駄を踏み、どこからか取り出したハンカチをギリィッと噛み締めた。
「くっ…! 私だって、乗れるなら乗りたかったわよ! 出来ることなら、私が月に代わってお仕置きしたかったのにィ!」
どこかで聞いたような台詞と共に、大の大人が本気で悔しがっている。
ミレイの脳は瞬時に処理を停止した。
(この人は何を言っているんだ)
理解不能なメタ的発言。やはりこの女は、外見のみ大人の姿をした精神的未熟児である。関わるだけカロリーの無駄だと判断し、ミレイは視線をリツコへと移した。
リツコは小さく咳払いをし、ミサトの奇行を完全にスルーして説明を引き継いだ。
「葛城一尉の戯言は忘れて頂戴。大人が乗れないのには、科学的な理由があるの。エヴァンゲリオンは、パイロットの神経と機体をシンクロさせて動かすシステムを採用しているわ。その接続条件を満たすことができるのは、特定の子供だけなのよ。現在のところ、この初号機を起動させられるのは、あなたしかいないわ」
神経接続。それが意味するところを、ミレイは正確に理解した。機体が受けたダメージが、パイロットの肉体にもフィードバックされるということだ。
痛覚の共有。最悪の場合、精神の崩壊や肉体的な損傷。計算するまでもない。圧倒的なハイリスク・ノーリターンである。
「世界が滅ぼされる。だから乗れと言うんだね」
「ええ。あなたにしかできないことよ」
リツコの言葉に、ミレイは小さく息を吐いた。
そして、きびすを返した。エヴァのケージから背を向け、出口へと向かって歩き出す。
「帰らせてもらいます」
一切の迷いがない、断固たる帰還宣言だった。
踵を返して出口へ向かうミレイの背中に、ミサトが慌てて割って入る。
「ちょ、ちょっとミレイさん!? 話、聞いてたの!? 乗らないと世界が滅んじゃうのよ!?」
「それがどうかしましたか?」
ミレイは立ち止まることもなく、肩越しに冷ややかに言い放った。
「世界が滅ぶかどうかなんて、今の私には証明のしようがない。確かなのは、今の私がものすごく疲れていて、一刻も早くシャワーを浴びて、しっかりエアコンの利いた部屋で快適に眠りたいっていう事実だけ。私の生活の質を守ることにつながらない無償の労働なんて、断固としてお断りするよ。他を当たってほしいな」
葛城一尉の必死な叫びも、ミレイの耳には届かない。
ふと、彼女は先ほどから大げさに騒ぎ立てるこの女性の横顔を観察した。
もしかすると、十四歳の子供を戦場に送り出す罪悪感を隠すため、あるいは私の過度な緊張を和らげるために、あえて道化を演じてふざけて見せているのだろうか。
大人としての不器用な気遣いなのだとしたら、少し見誤っていたかもしれない──そう信じてあげたい気持ちが、ミレイの心にほんの少しだけ芽生えた。
けれど、次の瞬間に思い出すのは、案内板すら読めずに地下迷宮で行き止まりに突っ込んだあの情けない姿と、民間の車から平然と部品を剥ぎ取ったあの横暴さだ。
(いや、ないね。考えすぎだったよ。この人は単純に、中身が子供のまま制服を着ているだけだ。これからは内心で『ポンコツ送迎係さん』って呼ぶことにしよう)
思考の整理を完了し、ミレイは出口へと歩を進めた。
こんな組織に身を置く道理はない。父はきっと、何年も放置していた自分をただの便利な「部品」としてしか見ていないのだ。なら、不良品として突き返されればそれで済む話。
「待て…!」
その時だった。背後から、今にも消え入りそうな声が降ってきた。冷酷で近寄りがたい威圧感を放っていたはずの、最高司令官の声ではない。
「待ってくれ、ミレイ…!」
ミレイの足が、ピタリと止まった。
ゆっくりと振り返る。ガラス張りの観測ブース。碇ゲンドウが分厚いガラスに両手を突き、今にも身を乗り出して落ちてきそうなほどの必死さで、下層の愛娘を見つめていた。
オレンジ色の眼鏡の奥。その瞳は、溢れんばかりに潤んでいた。
涙目である。
世界を裏から動かす秘密組織のトップが、鼻血を止めるための脱脂綿を鼻孔に詰め込んだまま、娘に背を向けられたというただそれだけの理由で、威厳もプライドも完全にかなぐり捨てて、雨の日に捨てられた仔犬のような瞳でこちらを懇願しているのだ。
「頼む…お前がいないと、私は…」
「お父様が…そんな顔をするなんて」
思わず口から、素直な声がぽろりと漏れ落ちた。
ドクン、と心臓が跳ね上がる。
涙目で見つめられると、帰ると決めたはずの頑なな心が、春の雪解けのようにみるみる緩んでいくのが自分でも分かった。
こんなに不器用で、こんなに愛おしい人を一人残して帰るなんて、娘としてできるはずがないじゃないか。
(っ…! か、可愛すぎるでしょ、この男…!)
限界寸前のギャップ萌えだった。
冷酷無比な司令官? が、自分のためだけに泣き出しそうな顔をして縋り付いてきている。
そのあまりの尊さに、ミレイの頭の片隅で、もし自制心が完全に吹き飛んでしまったらどうなるかという恐ろしい光景がふと浮かんでしまった。
──両目をハートマークにして、顔面を真っ赤に染めながら、両手を自分のふっくらしたほっぺたにピタッと当てて。
「お父様が尊すぎて無理…はわわ…♡」
そう口走りながら、その場でプルプルと小動物のように震えて悶絶してしまう、そんな取り返しのつかない世界線。
(だ、駄目! ここでそんな恥ずかしい姿を晒したら、私の尊厳が永遠に消滅しちゃう…っ!)
想像の破壊力に耐えかね、ミレイは両手でスカートの布地をぎゅっと握りしめ、必死の自制心でその衝動をねじ伏せようとした。
しかしあまりの動揺と尊さのオーバードーズにより、全身が小刻みに、子鹿のようにプルプルと震えてしまう。
すると、その震えをまったく別の意味に受け取った人物がいた。
「大丈夫よ、ミレイさん」
ふわりと、柔らかな香りと共に温もりがミレイを包み込んだ。赤木リツコが歩み寄り、過酷な現実に怯えて震えているのだと勘違いして、華奢な肩を優しく抱きしめてくれている。
「怖いわよね。大人たちの都合で、いきなりこんな場所に連れてこられて、恐ろしい怪物と戦えだなんて言われて…震えるのも無理はないわ」
(ち、違うの博士! これは恐怖じゃなくて、あの父親の破壊力に脳が耐えきれなくて悶絶しかけてる震えなの…!)
胸の中で必死に叫ぶものの、抱きしめられた温かさのおかげで、どうにか平静を取り戻すことができた。リツコの胸元からそっと離れ、ミレイは一度だけ深呼吸をする。
ここでだらしなく表情を崩せば、交渉の余地がなくなってしまう。主導権を握り続けるためには、あくまで「親に免じて譲歩してあげた」という構図を演出する必要があった。
ミレイは姿勢を正し、小さく息を整えた。それまでの淡々とした声音から、ふっと角を取り去り、包み込むような柔らかさを帯びたトーンへと切り替える。
「もう…」
小首をわずかに傾げ呆れたような、けれど底知れぬ慈愛を滲ませた微笑みを浮かべる。亡き母の面影が、そこに完璧に宿っていた。
「あなたって人は、本当に不器用なのね…でもそういうところ、私嫌いじゃないわ」
「み、ミレイ…っ」
「仕方ないわね。そこまでお父様が言うなら、少しだけ…乗ってあげる」
ブースの奥で、ゲンドウがへなへなと腰を抜かして床に崩れ落ちるのが見えた。完全に骨抜きになった証拠だ。
勝訴。
交渉の主導権は完全にこちらの手中にある。
ミレイはポーカーフェイスの下で小さく快哉を叫びながら、これから勝ち取るべき「快適な生活環境」の条件闘争に思いを巡らせた。
(これで、高級ベッドの要求は確実に通るね。エアコンの温度設定権も私が独占できる。今日の夕食は厚切りのステーキにしてもらおうかな。いや、ここはあえて最高級の赤身肉にして…)
完全な勝利を確信し、頭の中で今後の快適な生活プランを高速で組み立てていた、まさにその時だった。
「ミレイさん」
隣に立っていた赤木リツコが、眼鏡を指先で直しながら淡々と告げた。
「その『快適な生活環境』の条件を考える前に、今はあの使徒を倒すことを考えてちょうだい。世界が滅んだら、美味しいお肉も食べられなくなるわよ」
ピタリ、と。
ミレイの思考が完全に止まった。
(なっ…心が読まれたの…!?)
顔には出さない。キリッとした真剣な表情を保ったままだ。けれど内心では、冷や汗が背中をツーッと伝っていた。
一語一句、寸分違わぬ思考のトレース。この金髪の博士は何者なのだろう。読心術の使い手か、人の心を覗き見る妖怪の類なのだろうか。
違う。論理的に考えればそんなオカルトはあり得ない。単純に先ほどの主張から、行動基準が「生活の質の維持」にあることを見抜いてプロファイリングしただけだ。
(優秀な頭脳だね。あのポンコツ送迎係さんとは格が違いすぎる。この人、絶対に侮れないな…)
ミレイは内心でリツコの知性に対する評価を何ランクも引き上げた。同時に、自分の考えを綺麗に見透かされていたことに、ほんのちょっぴり悔しさを覚える。
けれど、反論の余地はなかった。リツコが提示した「世界が滅んだら、美味しいお肉も食べられなくなる」という理屈は、反論の隙がないほど合理的だったからだ。
「分かったよ。赤木博士の言う通りだね」
ミレイは頷いた。
「私の快適な睡眠と、今日の夕食を守るためだもの。あの目障りな怪物には、速やかに退場してもらうよ。…それで、私はどうすればいいのかな? そのままこの紫の巨人に乗り込めばいいの?」
「いいえ、まずは着替えてもらうわ。エヴァと神経接続を行うための、専用の装備があるのよ」
リツコが指を鳴らすと、背後の分厚い防爆扉が重々しい音を立てて開き、ロッカールームへと続く通路が現れた。
(着替え、か。面倒だけど、美味しいお肉のためなら仕方ないね)
ミレイは小さく息を吐き、改めてケージ内に佇むエヴァンゲリオン初号機を見上げた。
世界を救うなんて大層な正義感はない。
あの父親の涙に絆されてしまったという気恥ずかしい事実も、心の奥底へしっかりと鍵をかけてしまっておく。
これはあくまで、自分自身の快適で質の高い生活を保障するための、極めて合理的なお仕事なのだ。
「案内してくれる? でも、着替えの手順は最短でお願いね。これ以上汗をかいたら、私の不快指数が大変なことになっちゃうから」
かくして、父の涙にめっぽう弱いツンデレ気質の美少女は、世界の命運を背負う最初の一歩を踏み出したのだった。