新世紀エヴァンゲリオン 碇ミレイ 作:最高司祭アドミニストレータ
それでは皆様の感想と評価お待ちしています。
午前六時、規則正しいアラームの電子音が鳴り響く。カーテンの隙間から差し込む朝の光。ミレイは迷いなく目を開け、ベッドから静かに身を起こした。
昨晩の壮絶な清掃作業の成果により室温は二十四度、湿度は五十パーセント。不快指数は限りなくゼロに近い。生活の質は、徹底した空間管理によって死守されたのだ。
洗面所へ向かい、蛇口をひねる。
顔を洗うのは冷たい水のみ。若さと新陳代謝に満ちた十四歳の素肌に、過剰な化粧水や乳液といった基礎化粧品を塗りたくる必要性は皆無だ。過剰なスキンケアは肌本来のバリア機能を甘やかすだけである。
普段なら目覚めの朝シャワーを浴びて心身をリセットするところだが、今日はパスした。
第3新東京市立第壱中学校への初登校日。万が一にも初日から遅刻などという、己の完璧なスケジュール帳に汚点を残すような愚行は犯せない。
寝室に戻り、ハンガーに掛けておいた新しい制服へと袖を通す。青いジャンパースカートに、清潔感のある白い半袖ブラウス、胸元を飾る赤いリボン。
全身鏡の前で裾を整え、くるりと一回転してみる。
(うん。この制服、結構好き)
機能的でありながら、シルエットも野暮ったくない。なにより清潔感がある。合格点だ。
身支度を整えたミレイは、寝室を出てリビングへと向かった。
向かいの部屋のドアをそっと開けると、ベッドの上でだらしなく手足を投げ出して爆睡している成人の姿が視界に入る。
ミレイは小さく息を吐き、昨晩ドラッグストアで調達しておいた頭痛薬のシートと、常温の水を注いだグラスを枕元のサイドテーブルへ静かに置いた。
(絶対に、あんなだらしない大人にはならないようにしよう)
強く心に誓い、パタンとドアを閉める。
キッチンへ移動し、白いエプロンを身に着けた。
冷蔵庫を開け、昨晩の片付けの合間に作っておいた常備菜と夕食の残りを手際よく確認する。出汁巻き卵を焼き、昨晩の残りの煮物を小鉢に盛り付け、お味噌汁を温め直す。
朝食の準備と同時に、自分のお弁当箱へと栄養バランスを計算しながら彩りよく詰めていく。完璧なマルチタスクだ。
カチッ、と背後で電子音が鳴った。
振り返ると、大型冷蔵庫を改造した特注の個室──ドアの横に『ペンペン』と可愛らしいネームプレートが貼られた冷温室の扉がスライドして開き、中から一羽のペンギンがよちよちと姿を現した。
絶滅危惧種の新種、温泉ペンギン。
朝のニュース番組を眺め、湯船に浸かり、人間顔負けの知性を発揮するこの部屋の同居動物である。
(前世はきっと、疲れた中間管理職のサラリーマンだったんじゃないかな…)
ミレイは冷めた目でその動きを観察する。
昨晩、お風呂に入ろうとしたミレイが脱衣所で湯船に浸かるこの鳥と鉢合わせし、「きゃああああっ!?」と人生最大の悲鳴を上げて浴室から飛び出し、リビングにいたゲンドウの胸に泣きついたのは記憶に新しい。
あの時の父は「私の娘の裸を覗くとは万死に値する!」と本気でペンペンを銃殺しようとしていたが、ミサトの必死の土下座でなんとか回避されたのだ。
そのペンペンが、翼器用に冷蔵庫の下段からビールの缶を取り出そうとした。
「ペンペン。朝からアルコールを摂取するのは感心しないね」
ミレイが鋭い視線を投げかけると、ペンペンはピタリと動きを止め、「クエッ」と気まずそうに鳴いた。
代わりに差し出された冷たい牛乳のパックを受け取り、やれやれと肩をすくめるような仕草を見せる。仕方ない、とでも言いたげな態度が妙に憎めない。
「うぅ、頭が割れるぅ…」
リビングに現れたのは、タンクトップにショートパンツ姿の葛城ミサトだった。髪はボサボサ、顔色は土気色。文字通り、ライフが完全にゼロの状態である。
もちろん、この部屋に碇ゲンドウの姿はない。
昨晩、ミレイとの同居を強硬に主張するゲンドウに対し、泥酔したミサトが「直属の上司が転がり込んでくるなんて! まさか私を同人誌みたいに襲うつもりなんですか!? キャー変態ー!」と叫んだ瞬間、ゲンドウの理性の糸が音を立てて千切れたのだ。
結果、ゲンドウの冷酷な目線と共に別室で「大人同士のお話」が未明まで執り行われ、ゲンドウは官舎へ一時引き揚げ、ミサトは精神的に完全破壊されたのである。
「おはよう、葛城一尉。朝ごはん、できてるよ」
「う、うぅ。ミレイちゃん天使…おっふ!」
テーブルに並べられた湯気立つお味噌汁と艶やかな白米、色鮮やかな朝食を前にして、ミサトの死んだ瞳にほんの少しだけ生気が戻り始めた。
しかし、彼女のライフが尽きかけていた理由は二日酔いと説教だけではない。
時間通りに起床させるため、ミレイが枕元にセットした目覚ましテープ──『起きたまえ、葛城一尉。起きなければ即座にクビだ!』という、ゲンドウの重低音ボイスによる怒声ループを至近距離で浴びせられたからである。
(ちゃんと起きてくれてよかった。これで起きなかったら、バケツ満杯の牛乳を一気飲みさせるところだったよ)
ミレイママがぐったりしたミサトちゃんに牛乳バケツを無理やり飲ませる地獄絵図。想像するだけで恐ろしい。そんな手のかかる子供はごめんである。
温かいお味噌汁を胃に流し込んだミサトの顔に、血色が完全に蘇った。
「ふはぁ〜〜〜生き返ったぁ! ミレイちゃんのご飯、最高すぎるわ!」
「それは何より。しっかりエネルギーを補給して、今日もお仕事に励んでね」
ミレイは淡々と返し、手早く自分のお弁当のフタを閉め、使い終わった調理器具の手洗いを済ませた。
水滴を綺麗に拭き取り、カバンの中の筆箱、教科書、生徒手帳の持ち物チェックを完了する。
ふと、冷蔵庫の前に立ち止まった。
(あっ牛乳、飲むのを忘れていたな)
カルシウムの摂取は成長期における最優先課題だ。マグカップに注ぎ、電子レンジで適温に温めてから、両手で包み込むようにしてちびちびと口に含む。
その様子を横目で見ていたミサトが、ニヤニヤとした意地悪な笑みを浮かべた。
「ぷーくすくす。ミレイちゃんってば、普段は大人びてるのに、牛乳飲むときはちっちゃい子供みたいで可愛いわねぇ〜」
「葛城一尉」
ミレイはカップを置き、亡き母ユイに瓜二つの底知れぬ慈愛に満ちた極上の笑顔を浮かべた。
「お父様に、もう一度ここへ来てもらってお仕置きされたい?」
「ごめんなさい調子に乗りました私が悪かったです!!」
マッハの速度で放たれた綺麗な土下座を見て、ミレイは満足げに頷いた。
ブレザーのポケットに愛用のS-DATを滑り込ませ、通学カバンを手に取る。玄関で履き慣らしたローファーに足を通し、靴紐を結び直した。
「それじゃあ、行ってきます」
「は、はい! 行ってらっしゃいませ!」
ドアを開け、朝の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込む。
マンションのエントランスを飛び出すと同時に、ミレイはトーストしておいた一枚の食パンを素早く口に咥え、猛烈な勢いでアスファルトを駆け出した。
頭の中に描くのは、完璧なる少女漫画の黄金パターン。
(いっけない〜! 遅刻、遅刻〜〜っ!)
心の中で完璧なセリフを叫びながら、足を前へと回転させる。
もちろん、時間には十分すぎるほどの余裕がある。遅刻など絶対にしない。
すべては「角を曲がったところで誰かとぶつかる」という、あの古典的かつロマンあふれるシチュエーションを自らの手で忠実に再現するためだけの、実験的パフォーマンスであった。
住宅街の角が迫る。
スピードを緩めるどころか、ミレイはさらに前傾姿勢を強めて加速した。曲がり角の先から、誰かが歩いてくる気配を察知する。ターゲットを捕捉。
(さあ、来なさい! 『もう! どこ見て歩いてるのよ!』って怒鳴りつけてやるんだから!)
勢いよく角を曲がり、身体を投げ出すようにして──ドォンッ!!
激しい激突音!
二つの華奢な身体が派手に正面衝突し、アスファルトの上へ盛大に尻もちをついた!
「いったぁ…!」
ミレイがお尻を擦りながら顔を上げると、目の前にも同じように地面へ座り込んでいる人物がいた。
淡い水色のショートヘア。透き通るような白い肌。そして、すべてを見透かすような無機質な赤い瞳。
同じ中学校の制服を着た、綾波レイであった。
しかも信じられないことに彼女の口元にも、ミレイとまったく同じようにこんがりと焼けた一枚の食パンが咥えられていたのだ!
「…」
「…」
言葉はなかった。
二人は無言のまま互いの瞳を見つめ合いながら、口に咥えていた食パンをもぐもぐと猛烈なスピードで咀嚼し、ゴクンと同時に喉の奥へ流し込んだ。
見事な完食。
住宅街の交差点に、完全なる静寂が訪れる。
そして──
「チッ」
「チッ」
二人の少女の桜色の唇から寸分の狂いもないタイミングで、低く濁った舌打ちが同時に漏れ聞こえた!
「どうしてあなたがパンを咥えて走っているのよ、綾波レイ」
「それはこちらのセリフよ、碇ミレイ」
お互いに地面から立ち上がり制服のスカートをパンパンと払いながら、氷点下の視線を交錯させる。
ミレイは額に青筋を浮かべながら、目の前の無表情な少女を指差した。
「答えて。なぜこのシチュエーションを知っているの。これは私が綿密に計算してシミュレーションした、由緒正しき青春ラブコメの黄金パターンのはずよ!」
「碇司令が」
「は?」
「碇司令が仰っていたわ。『学生たるもの、朝は食パンを咥えて角で運命の出会いを果たすのが王道だ』と…!」
「お父様はなんで余計な知識を吹き込むのかなぁ!?」
ミレイの絶叫が朝の住宅街に響き渡る。
あの男、娘とのラブコメ展開を妄想するあまり、手近にいたファーストチルドレンにまでアニメの定番シチュエーションを刷り込んでいたのだ。親バカの害悪がこんなところにまで飛び火している!
「碇司令の指示は絶対よ」
レイはすっと姿勢を正し、赤い瞳をスナイパーのように細めた。
「私は司令の期待に応えるために、この交差点で食パンを咥えて待機していたの」
「待機!? 偶然の衝突じゃなくて完全な待ち伏せじゃない? どこまで忠実な信者なのかな」
「うるさいわね。碇司令の命令を愚弄するなら…あなたを排除する」
「ふざけないでもらえる? 私の快適な初登校プランをぶち壊した罪は重いよ、綾波レイ!」
バチバチと音を立てて火花が散る。
登校時間まで、あと20分。ここから学校までの距離を考えれば、普通に歩いていても十分に間に合う計算だ。
しかし、二人のプライドがそれを許さなかった。
「邪魔をしたのはあなたの方! 私はただ、秒単位で定められた登校ルートを正確にトレースしていただけ」
「…口先だけなら、なんとでも言えるわ」
「言わせておけば…! いいわ、受けて立つ! どちらが優れたチルドレンか、ここで白黒ハッキリつけようじゃないの!」
「望むところよ。負けた方は、碇司令の前で土下座ね」
「望むところだわ! あんたのその冷たい鼻っ柱をへし折ってあげる!」
ふたりの足元から、見えない闘気が竜巻のように巻き起こる!
視線が交錯するたびに散る火花!
初秋の涼しい朝風など一瞬で蒸発させるほどの超高熱が、通学路を灼熱のコロシアムへと変貌させていく!
カバンを握り直すふたつの手!
アスファルトを力強く踏みしめる、ふたつのローファー!
目標はここから数百メートル先にある、第壱中学校の校門!
「行くわよ、綾波レイッ!!」
「受けて立つわ、碇ミレイッ!!」
ダンッ!! とふたつの影が同時に地を蹴った!
風を切り裂き、砂塵を巻き上げて爆走するふたりの少女!
どちらが先に教室のドアを開け、どちらを屈辱の『遅刻者』の汚名へと突き落とすか!
絶対に負けられない女の意地とプライドを賭けた、仁義なきスクール・バトルロワイヤルが幕を開けた!
碇ユイ「これが青春なのね」(感動)
最高司祭「そうだね」(思考停止)