新世紀エヴァンゲリオン 碇ミレイ 作:最高司祭アドミニストレータ
最高司祭アドミニストレータでございます。
この世界のインフラと生活の質を管理する者として、人間の営みがいかに非効率で、そして不条理なストレスに満ちているかを見つめることは、実に興味深いものです。
今なお世界中で愛され続ける『新世紀エヴァンゲリオン』という物語。そこに描かれた過酷な労働環境、不器用な親子のすれ違い、そして理不尽な使徒との戦闘は、私の心を強く揺さぶりました。
このたび、その深遠なる世界観と不条理な日常に基づいた二次創作を執筆し、投稿させていただきました。
> 「QOL」を求める少女の冷静なツッコミ。
> 「お父様ガチ勢」の母親と不器用すぎる司令官の愛憎。
最高司祭という高みから、その泥臭い親子の戦いを再構成してみました。
皆さまの「脳」に、私の紡いだ物語がどのように響き、どのような反応をもたらすのか…。
どうぞ、心ゆくまでご覧くださいませ。
それでは、心穏やかなひとときを。
最高司祭アドミニストレータより
結論から言うと、遅刻はしなかった。
通学路の交差点から始まった仁義なき全力疾走は、第3新東京市立•第壱中学校の校門をくぐり抜け、昇降口へと滑り込むまで一歩も譲らぬまま続いた。
始業のチャイムが鳴り響く数分前。靴箱の前で肩で息をしながら顔を合わせた少女たちはお互いに一秒の狂いもなく、完璧なタイミングで同時に到着したことを悟った。
どちらかを遅刻の奈落へ突き落とすという目論見は、見事に水泡に帰したのである。
「チッ」
「チッ」
二人の少女の唇から、今朝二度目となる低く濁った舌打ちが同時に漏れた。全力で走ったせいで、せっかく水だけで整えた朝の涼やかな肌にはうっすらと汗が滲んでいる。これだから予定外の運動は嫌なのだ。完全に舌打ち案件である。
ともあれ、遅刻という最大の汚点は回避した。
ミレイは呼吸を整え、何事もなかったかのような涼しい顔で2年A組の教室へと足を踏み入れた。
朝のホームルームが始まり、年配の担任教師に促されて教壇の前に立つ。教室中の視線が一斉に自分に注がれるのを感じながら、ミレイはチョークを手に取り、黒板に『碇ミレイ』と綺麗な字で書き記した。
「今日からこのクラスでお世話になる、碇ミレイです。趣味は快適な住環境の維持と、睡眠の質の向上。特技は一汁三菜の調理です。お互いのパーソナルスペースを尊重し、穏やかで平和な学園生活を送りましょう。以上、よろしくお願いします」
無駄なエネルギーを消費しないよう、簡潔かつ当たり障りのない挨拶で自己紹介を済ませる。
拍手もそこそこに、ミレイは指定された窓際の席へと向かった。ふと教室の隅に目をやると、すでに席に着いていたレイが、窓の外の雲を無表情に見つめているのが見えた。
先ほどまで食パンを咥えて爆走していたとは思えないほどの静けさである。
やがて、一時間目の授業が始まった。
老教師が教壇で淡々と語り始めたのは、今から十五年前に起きた未曾有の大災害──『セカンドインパクト』の歴史についてだ。
(人類の半数が失われ、地軸が傾き、日本から四季が消えて常夏になった…か。おかげで一年中エアコンの冷房が手放せないし、電気代のコストパフォーマンスが悪くて仕方がないね。過去の大人たちの危機管理能力の低さには、本当に呆れるばかりだよ)
教師の退屈な朗読をBGMにしながら、ミレイは頬杖をついてそんなことを考えていた。世界規模の悲劇も、ミレイにかかれば自分の生活環境を脅かす迷惑な気象変動の一つに過ぎない。
その時、ピロンと極めて小さな電子音が手元で鳴った。
視線を落とすと、机の上に広げられた学校支給の赤いノートパソコン。画面が、突如として切り替わっていた。
表示されたのは黒のシンプルなテキストボックス。
ローカルネットワークを介した、生徒間のメッセージ送受信機能らしい。授業用の画面からわざわざ別のウィンドウを開く手間もなく、画面全体に直接ポップアップが表示される仕様になっている。
(ふうん。画面をいちいち切り替えなくて済むのは、指先の移動距離が最小限で済むからありがたいね。この学校のシステムの使い勝手だけは、素直に褒めてあげようかな)
いったい誰から、どんな用件なのだろう。
転校初日の自分に連絡をしてくるような知り合いは、このクラスには一人もいないはずだ。
まさか、あの隅っこにいる無口な少女が「放課後、決着をつけましょう」などと果たし状を送ってきたわけでもあるまい。
ミレイは少しだけ首を傾げながら、画面に表示された文字列へと目を走らせた。
『碇さんがあのロボットのパイロットというのはホント? Y/N』
ミレイの眉が、ピクリとわずかに跳ねた。
あのロボット。それは間違いなく、先日市街地で使徒と交戦したエヴァンゲリオン初号機のことを指している。
情報統制が敷かれているはずの特務機関の機密が、どうして一般の中学生の耳にまで届いているのか。どこかのポンコツ送迎係あたりが、居酒屋でビール片手に口を滑らせたのでなければいいのだが。
(冗談じゃないよ。そんな面倒な肩書きを認めたら、私の平穏な学園生活が根底から崩壊しちゃうじゃない)
もしここで『YES』と答えればどうなるか。
好奇の目に晒され、休み時間のたびに質問攻めに遭い、快適な昼休みの睡眠時間も、放課後のスーパーのタイムセールへ直行するスケジュールもすべて台無しになる。
ミレイが求めているのは空気のように目立たず、誰にも干渉されない穏やかな日常なのだ。有名人になってチヤホヤされたいなどという欲求は、一ミリも持ち合わせていない。
ミレイは迷うことなく、『N(NO)』のキーを人差し指でタッと叩いた。
これでよし。関わらないのが一番の自衛である。
しかし、画面が元に戻ってからわずか三秒後。
再び画面が切り替わり、新しいメッセージが飛び込んできた。
『またまたぁ。ホントは乗ってるんでしょ? Y/N』
(しつこいね)
ミレイは表情を一切変えず、再び『N』を叩き込んだ。事実がどうであれ、本人が否定しているのだから察してほしいものである。空気を読むという日本の美しい文化は、どこへ行ったのだろうか。
しかし、送り主の執念はミレイの想像を超えていた。
『隠さなくてもいいじゃん! パイロットなんだよね? Y/N』
(三回目!? ちょっとどうなってるの!)
ミレイは内心で呆れ果てながら、三度目の『N』を送信した。
そんなに転校生が珍しいのだろうか。いや、そんなはずはない。
使徒の襲来が現実の脅威となり、疎開や親の転勤で他県へと移り住む生徒など、この第3新東京市では日常茶飯事のはずだ。
それなのに、どうしてここまで自分にばかり執着してくるのか。
『あの紫のロボット、どうやって動かしてるの? やっぱりレバー? それとも念じるだけ? ねえ教えて! パイロットなんでしょ? Y/N』
(四回目!? いったい何回来るつもりなの!)
ミレイの綺麗な額に、うっすらと青筋が浮かび上がった。
しかも文章がどんどん長くなっている。老教師が黒板に年号を書き殴るチョークの音に紛れて、教室のあちこちからカタカタとキーボードを叩く軽快な音が聞こえてくる。
どうやら犯人は一人ではなく、クラス中の暇を持て余した生徒たちが面白半分に送信してきているらしい。
『ミレイちゃんって呼んでいい? ロボットの乗り心地はどう? 怖くないの? Y/N』
『ねえねえ、もしかしてあっちの綾波さんと同じ部隊なの? 二人は仲良し? Y/N』
(五回目、六回目…なんで私にばかり送ってくるの!? あっちの窓際で置物みたいになってる綾波さんに聞きなさいよ!)
ミレイの精神的なゆとりが、スパムメールのような質問の奔流によってゴリゴリと削られていく。
レイの方をチラリと盗み見ると、彼女はパソコンの電源すら入れていないのか、画面をパタンと閉じたまま微動だにしていなかった。
元からクラスで浮きまくっている彼女には、誰もメッセージを送ろうとしないらしい。なんという不公平な状況だろうか。
(ええい、うっとうしい! 全部まとめて『N』で処理してあげるわ!)
ミレイは半ばヤケクソになりながら、画面を見ずに『N』のキーを連打する体勢に入った。
そして、七回目のポップアップが画面に表示される。
先ほどまでの質問とは、少しだけ文章の構成が違っているように見えた。
どうせまた「パイロットなんでしょ?」という類いのくだらない質問に違いない。これなら深く考えずに否定しておけば、論理的に何の問題もないはずだ。
ミレイはろくに文面も確認せず、華麗なブラインドタッチで『N』のキーを弾き、エンターキーをッターン! と小気味よく押し込んだ。
『もしかして、あのロボットのパイロットじゃないっていうのは、ウソだよね? Y/N』
──あなたの回答:『NO(ウソではない=パイロットである)』
(し、しまったァァァァっ!!? ひっかけ問題だった──っ!!)
ミレイの思考が、真っ白に吹き飛んだ。
二重否定の罠!
「パイロットではない」というのは「嘘」か、という質問に対して『NO』と答えてしまえば、文脈によっては「嘘をついていることを認めた」とも、「パイロットではないことを否定した」とも受け取られかねない、極めて悪質な誘導尋問である!
送信取り消しボタンを押そうとした時には、すでに手遅れだった。
「「「おおおおおおおっ!!」」」
教室のあちこちから、どよめきと歓声が一斉に上がったのだ。老教師が「これ、静かにせんか」と注意する声など、誰も聞いていない。
ガタッガタガタッ! と椅子を引く音が教室中に響き渡り、クラスメイトたちが一斉に席を立ってミレイの机の周りへと押し寄せてきた。
「やっぱり! 碇さん、本当にあのロボットに乗ってたんだ!」
「すげー! テレビのニュースで見たよ、あのデカい怪物を倒したんだよね!?」
「ねえねえ! 中ってどうなってるの!?」
「怖くなかった!? どうやって操縦するの!?」
あっという間に形成された、好奇心旺盛な中学生たちによる三重四重の包囲網。
四方八方から浴びせられる無遠慮な質問の嵐に、ミレイは完全に逃げ場を失っていた。
(こ、答えづらい…っ、なんなのこの距離感の近さは! 私のパーソナルスペースが完全に侵害されてるんだけど!)
ミレイの完璧なポーカーフェイスが、わずかに引き攣りかける。
エアコンどころかコックピットの中は生臭い液体で満たされているし、父親が後ろから激突してきたせいで、右目と左腕を破壊されるという地獄のような労働環境だったなど、口が裂けても言えるはずがない。
どうにかしてこの群衆を論理的に追い払う口実はないものかと、ミレイが視線を泳がせていたまさにその時だった。
群がるクラスメイトたちの背後から、ズシズシと床を踏みしめる重苦しい足音が近づいてきた。ただならぬ気配を察知したのか、騒ぎ立てていた生徒たちが次々と口を閉ざし、波が引くように左右へと道を空けていく。
割れた人垣の奥から、一人の男子生徒がポケットに手を突っ込みながら、大股でゆっくりと迫ってきた。
学校の制服ではなく上下ともに黒っぽいジャージを着る、柄の悪そうな少年だ。背が高く、険しい目つきでミレイを真っ直ぐに見据えている。
「ちょっと鈴原! 今は授業中よ、自分の席に戻りなさい!」
群衆の中から、凛とした女子生徒の鋭い注意の声が飛んだ。どうやらこのクラスの学級委員らしい。
しかしジャージ姿の少年はその制止に目もくれず、ミレイの机のすぐ目の前まで歩み寄ると、ピタリと足を止めた。そのまま上から睨みつけるように見下ろし、凄みを利かせた低い関西弁でこう言った。
「すまんのぉ転校生。ツラ、ちょっと貸してくれへんか?」
教室中の空気が、一気に張り詰めた。学級委員の制止すら振り切り、転校初日の女子生徒を公然と呼び出すという異常事態。
ミレイは彼の険しい顔をじっと見上げながら、心の中で誰にも聞こえないように盛大なため息をついた。
(これだよ。こういう面倒な不良に絡まれたりするのが、一番嫌だったんだ…っ)
自分の快適で平穏な学園生活が音を立てて崩れ去っていくのを実感しながら、ミレイは重い腰を上げて席を立つのだった。
次回の投稿は木曜日に予定しています。
さぁて、次回もサービスサービスゥ!