魔法少女まどか☆マギカ 〜純白の魔法少女〜   作:LongLong

12 / 17
第十二話 白ウサギ

第十二話

 

 どうやって帰り着いたのか、覚えていなかった。

 気がつくと、玲佳はリビングのソファに横たわっていた。部屋の明かりは点いていない。閉めたカーテンの隙間から、街の光が一筋だけ、天井に細く伸びていた。

 指先を動かそうとした。

 

「……っ」

 

 電流のような痛みが、肘から肩へ駆け上がった。

 骨に罅が入っている、くらいに思っていた。違った。折れている。一本や二本ではない。腕を持ち上げようとしても、途中で力が抜けて落ちた。筋が、どこかで切れている。脚も、背中も、同じだった。

 今まで歩けていたのが、不思議なくらいだった。

 上半身を起こそうとして、腹に力を込めた。

 

「——っ!」

 

 視界が白く弾けた。全身を、焼けた針で縫われたような痛みが貫いた。

 玲佳はソファに沈み込み、浅い息を繰り返した。

 治せない。

 身体を強くする魔法なら、誰にも負けない自信があった。その代わりのように、治す魔法はほとんど使えない。擦り傷くらいなら塞がる。けれど、骨が折れれば、それを繋ぐのに何週間もかかる。だから、これまで一度も、大きな傷を負わないように戦ってきた。

 今夜、その全部を、自分で壊した。

 

 杏子の顔が、浮かんだ。

 

「杏子……」

 

 奥歯が、かちかちと鳴った。止めようとしても、止まらなかった。

 玲佳は、口の中で何かを呟いた。何を言ったのか、自分でもわからなかった。誰に向けた言葉なのかも、わからなかった。

 目を閉じた。瞼の間から、熱いものが溢れて、ソファの布に染みていった。

 意識が、暗いほうへ沈んでいった。

 

*

 

 小さな女の子が、殴られていた。

 殴っているのは、大人の男だった。父親だ、と思った。父親だったと、記憶している人だった。その手に、角材が握られている。振り下ろされるたびに、女の子の身体が床の上で跳ねた。

 女の子の髪は、白かった。目は、赤かった。

 誰だ。

 自分と同じ髪をして、自分と同じ目をしたこの子は、誰だ。

 

 場面が変わった。

 教室だった。女の子が、何人もの子どもに囲まれている。突き飛ばされ、髪を引っ張られ、背中を蹴られている。

 

「ウサギはウサギ小屋にでも入ってろよ、白ウサギ!」

 

 教室中が、どっと笑った。先生の机には、誰も座っていなかった。

 こんな記憶は、ない。

 私の家は、何の問題もない、幸せな家だった。そう、覚えている。

 

 また、場面が変わった。

 病院の診察室だった。女の子が、丸椅子にちょこんと座っている。壁の時計の針は、八時三十分を指していた。

 白衣の医者が、隣に立つ母親に何か話していた。医者の口は動いているのに、肝心の言葉だけが、ざらついた雑音に塗り潰されて聞こえない。

 

「お子さんには、     の兆候がありますね」

「え……? この子が、     ?」

 

 雑音が膨れ上がって、診察室が掻き消えた。

 

 暗い部屋で、男が怒鳴っていた。

 

「お前が     だと? ふざけるな!」

「ご、ごめんなさい……」

「謝って済むかよ!」

 

 蹴り飛ばされた女の子の指が、ありえない方向に曲がっていた。白い腕にも、脚にも、数え切れないほどの痣が浮かんでいた。

 

「痛い……やめて……」

「この出来損ないが!」

「うるさいわね。静かにさせてよ」

 

 女の声が、どこか遠くから言った。

 

「押し入れにでも入れておけばいいじゃない」

 

 頬を張られ、女の子は押し入れの中へ押し込まれた。襖が閉まる。真っ暗になる。

 

「出して! お願い、ちゃんとごめんなさいするから!」

 

 襖は、開かなかった。

 女の子は、叫ぶのをやめた。

 暗闇の中で、膝を抱えて、じっと襖を見ていた。その目の奥で、何か黒いものが煮え立っていた。

 みんな、死んじゃえ。

 みんな、殺されちゃえ。

 絶対に、許さない。

 女の子から溢れ出してくるものに、玲佳は思わず目を背けた。見なければいけない気がした。知らなければいけない気がした。それでも、顔を上げられなかった。

 

 押し入れの暗がりに、白いものが座っていた。

 女の子と同じ白い身体に、同じ赤い目をした、小さな獣。

 

「僕と契約して、魔法少女になってよ」

「……なんでも、叶えてくれる?」

「どんな願いでも、一つだけ。その代わり、君は魔女と戦うことになる」

「なる。魔法少女に、なる」

「君の願いは?」

 

 女の子の口が、開いた。

 その言葉が聞こえる前に、また雑音が走った。

 

 白い病室だった。

 白いベッドの上に、白い女の子が横たわっていた。部屋の白さに溶けてしまいそうなほど、白かった。

 女の子は、震えていた。

 笑っていた。

 死んだのだ。あの二人は、死んだのだ。自分の願いで。自分の力で。

 女の子は、身体を折り曲げて笑い続けた。人の声とは思えない、ひび割れた笑い声だった。

 

 違う。

 これは、私じゃない。

 私は、親を恨んでなんかいない。殺したいなんて、一度も思ったことがない。私の願いは、こんなものじゃなかった。

 

 本当に?

 

 どこからか、声がした。

 

 本当に、違う?

 

 これは、私じゃない。これは、ただの夢だ。

 

 本当に?

 本当に、夢?

 

*

 

 屋上の手すりに鎖を解かせて、杏子はそのまま隣のビルの屋上へ跳んだ。

 もう一つ。さらにもう一つ。路地から十分に離れたところで、ようやく足を止めた。給水塔の陰に腰を下ろして、槍を消す。

 息は、少しも上がっていなかった。それが、かえって腹立たしかった。

 

「……くそ」

 

 降りさせてもらう、と言った。自分の口で。

 マミは、あたしがやる。あいつとは、あたしがケリをつける。玲佳の前で、あれだけはっきり言っておいて、このざまだった。あの黒い髪のイレギュラーが何をしたのかは、わからない。わからないものに、背中を取られた。それだけで、退いた。

 賢い判断だった。わかっている。それでも、奥歯が軋んだ。

 

 目を閉じると、落ちていく途中で見た顔が浮かんだ。

 槍の切っ先の、すぐ下。マミは、銃を構えたまま、こちらを見上げていた。

 怯えた目ではなかった。怒っている目でもなかった。

 知っている目だった。

 昔、マミの部屋で、紅茶のカップ越しにこちらを見ていた目。佐倉さんは、筋がいいわ。そう言って笑っていた頃の。それから、最後に別れた夜、雨の中で、何も言わずにこちらを見送っていた目。

 あれと、同じだった。

 

「……やめろよ。今さら」

 

 誰にともなく呟いて、杏子は膝を抱え直した。

 

 ふと、町外れのほうに目をやった。

 玲佳は、今頃あっちだ。新入りの相手を頼んだ。殺すなよ、とだけ言った。

 玲佳は、たぶん、言われたとおりにする。そういう奴だ。ただ、手加減というものを、あいつがどこまで知っているのかは、わからなかった。あの事務所の有様を、杏子は見ている。

 それに、新入りのほうも、ろくに戦い方を知らないはずだった。痛い目を見せる、のつもりが、どこまで行くか。

 新入りのことは、何日か見ていた。夜ごと一人で、使い魔まで律儀に追いかけていた。グリーフシードを落とさない相手に、わざわざ魔力を削って。誰かを守るためだと、顔に書いてあった。

 見ていて、苛立った。

 理由は、わかっていた。昔の自分を見ているようだったからだ。マミの隣で、同じ顔をして、同じように使い魔を追いかけていた頃の。

 あの顔が、いつかどうなるのか。杏子は、知っていた。

 だから、叩き出してやりたかった。痛い目を見て、こんな街から出ていけばいい。そう思っていたはずなのに、今は、あの新入りが無事でいるかどうかが、少しだけ気になっていた。

 どちらのことを心配しているのか、自分でもよくわからなかった。

 杏子は、ポケットを探った。プレッツェルの箱は、空だった。

 

 帰る前に、コンビニに寄った。

 菓子を何種類か、適当にかごに放り込む。レジに並んでから、玲佳の好きそうなものが何も入っていないことに気づいて、棚に戻った。何が好きなのか、まだ知らなかった。結局、自分が好きなものを、二つずつにした。

 玲佳の家までの道を、わざと遠回りして歩いた。

 負けて帰るのは、初めてではない。ただ、負けて帰る先に誰かがいるのは、初めてだった。どんな顔で、ただいまと言えばいいのか、わからなかった。

 

 エレベーターの扉が開く。廊下を歩いて、合鍵を差し込んだ。

 ドアを開けると、部屋は暗かった。

 玄関の床に、何か黒いものが点々と落ちていた。

 血だった。

 コンビニの袋が、手から落ちた。

 

*

 

 目を開けた。

 全身が、汗で濡れていた。服も髪も、肌に貼りついている。心臓が、壊れそうなほど速く打っていた。

 声が、聞こえた。

 聞こえるはずのない声だった。

 

「おい、玲佳! 大丈夫か!?」

 

 杏子が、ソファの脇に膝をついて、玲佳の顔を覗き込んでいた。

 

「な、んで……」

「なんでって、帰ってきたら、あんたがすげえうなされてたから」

 

 杏子は玲佳の身体に掛かっていた毛布をめくって、顔をしかめた。

 

「うわ、汗だく……」

 

 その手が、止まった。

 毛布の下の、白いシャツの脇腹に、赤黒い染みが広がっていた。

 

「おい、これ……血じゃねえか。玄関にも落ちてたぞ。どこ切った?」

 

 杏子が、シャツの裾をめくった。脇腹に、肉が内側から裂けたような傷が一筋、走っていた。乾きかけた縁の内側から、まだじわりと赤いものが滲み出している。

 杏子が、一瞬だけ眉を寄せた。めくったシャツの裾を、指でつまんで裏返す。白い布には、穴ひとつ開いていなかった。

 杏子の目が、布と傷口とを、一度だけ見比べた。それから、すぐに傷口へ戻った。

 

「止まってねえじゃん……」

 

 杏子は、ソファの背に掛けてあったタオルを掴んで、傷口に押し当てた。玲佳が小さく呻くと、押さえる手の力が一瞬緩み、それから、もう一度、さっきより強く押さえつけた。

 

「我慢しろ。押さえとかねえと、止まんねえから」

 

 杏子の肩の上に、キュゥべえが乗っていた。赤い目で、玲佳の身体を見下ろしている。

 

「骨折が十か所以上。筋肉の断裂に、靭帯の損傷。玲佳の回復力なら、早くても二か月はかかるだろうね」

「はあ!? 二か月って……」

 

 杏子の顔から、血の気が引いた。

 

「……悪い。あたしが、途中で引き上げたりしたから」

 

 杏子が、生きていた。

 怪我も、していなかった。目の前で、自分のことのように顔を歪めていた。

 玲佳は、長く息を吐いた。肺が軋むのもかまわずに、最後まで吐き出した。

 

「待ってな。すぐ治してやるから」

 

 杏子の身体が、赤い光に包まれた。変身した杏子が、玲佳の胸にそっと掌を当てる。

 

「いい」

 

 玲佳は、小さな声で言った。

 

「……は?」

「いいから」

「何言ってんだよ、二か月だぞ!?」

「杏子は、魔女でも狩ってて」

 

 声が、掠れた。

 

「私のために、魔法を使わないで」

 

 杏子の掌が、胸の上で止まった。

 魔法は、とことん自分のためだけに使う。他人のためになんか、二度と使わない。ホテルの天井に手を伸ばしながら、杏子はそう言っていた。

 その決まりを、自分のために破らせるわけにはいかなかった。

 

「……なんだよ」

 

 杏子は、俯いた。前髪に隠れて、顔が見えなかった。

 

「なんで、嫌がるんだよ……」

 

 杏子は変身を解くと、押さえていたタオルを玲佳の手に押しつけて、立ち上がった。背を向けて、玄関へ向かう。ドアが開いて、閉まる音がした。

 部屋に、キュゥべえだけが残った。

 

「どうして断ったんだい?」

 

 キュゥべえは、首を傾げた。

 

「君の魔法じゃ、回復は見込めない。わかっているだろう?」

「わかってる」

「なら、合理的な判断じゃないね。感情というのは、本当に理解しがたいよ」

「理解しなくていい」

「まあ、その感情こそが、僕たちのエネルギー源なんだけどね」

 

 キュゥべえはそう言うと、少しだけ開いていた窓の隙間から、夜の中へ出ていった。

 

 一人になると、さっきの夢が戻ってきた。

 角材。白ウサギ。塗り潰された言葉。押し入れ。笑い声。

 思い出すだけで、喉の奥が酸っぱくなった。

 夢にしては、生々しすぎた。痛みも、匂いも、押し入れの暗さも、全部に手触りがあった。

 玲佳は、子どもの頃のことを思い出そうとした。

 家族がいた。幸せだった。あの日、箪笥の中に隠れた。家族が殺された。

 順番に並べていくと、どこにも綻びはない。綻びはないのに、どこかがおかしかった。どこがおかしいのかは、わからなかった。

 あれは、記憶なのか。

 それなら、今覚えていることは、何なのか。

 考えれば考えるほど、足元の床が抜けていくような気がした。玲佳は、そこで考えるのをやめた。

 

 視線を、感じた。

 ねっとりとした、肌に絡みついてくるような視線だった。

 首を動かせる範囲で、部屋の中を見回した。誰もいない。カーテンも、閉めたときと変わらない。視線だけが、消えなかった。

 玲佳は目を閉じて、耳を澄ませた。

 身体を強くする魔法を、耳に集める。冷蔵庫の唸り。エレベーターの駆動音。二十五階下の通りを走る車。さらに遠く、夜の街のどこかを、誰かが走っている足音。

 杏子の足音だった。

 部屋の中には、何の音もなかった。息遣いも、衣擦れも。

 目を開けた。

 視線は、もう消えていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。