魔法少女まどか☆マギカ 〜純白の魔法少女〜   作:LongLong

13 / 17
第十三話 私のために、魔法を使わないで

第十三話

 

 どこへ行くつもりもなかった。

 マンションを飛び出した杏子は、夜の通りを当てもなく歩いていた。終電の過ぎた駅前は、居酒屋の明かりだけがしぶとく灯っている。酔った大人の笑い声が、やけに耳についた。

 

「……なんなんだよ」

 

 私のために、魔法を使わないで。

 あんな身体で、あんな声で、何を言ってるんだ。二か月だぞ。二か月も、あのソファの上で呻いてるつもりか。

 杏子は、足元の空き缶を蹴飛ばした。缶は乾いた音を立てて転がり、電柱にぶつかって止まった。

 わかっていた。玲佳が何を気にしているのかは。

 魔法は、とことん自分のためだけに使う。ホテルで、自分でそう言った。玲佳は、それを覚えていたのだ。覚えていて、守らせようとしている。あんな怪我をしてまで。

 馬鹿じゃねえの、と思った。

 そう毒づいてから、その馬鹿に、自分がどれだけのものをもらったのかを考えた。寝る場所。財布。スマホ。服。朝の「おはよう」と、夜の「おやすみ」。

 それから、カレー。

 

 気がつくと、杏子は二十四時間営業のスーパーの前に立っていた。

 自動ドアをくぐると、蛍光灯の白い光の下で、深夜の店内はがらんとしていた。杏子はカゴを一つ取り、野菜の売り場へ向かった。

 人参。じゃがいも。玉ねぎ。

 玲佳が台所で使っていたものを、一つずつ思い出しながらカゴに入れていく。肉の売り場で、少し迷ってから挽肉のパックを取った。玲佳が使っていたのは、たしかこれだった。

 カレーのルウの箱を手に取って裏の作り方を読んでみたが、読んでも、よくわからなかった。

 

「……こういうの、慣れないね」

 

 レジへ向かう途中の棚に、料理の本が並んでいた。いちばん薄くて、写真の多いものを一冊、カゴに放り込んだ。

 会計を待つ間、杏子は自分の指に嵌まった、赤い指輪を見下ろしていた。

 玲佳が起きている間は、治させてくれない。

 なら、起きていなければいい。

 その方法を、杏子は一つだけ知っていた。あの日から一度も使っていない魔法だった。家族がいなくなったあの日に、自分で封じた。二度と使わないと決めた。

 それでも、あれなら。

 

 これは、玲佳のためじゃない。

 杏子は、自分に言い聞かせた。あたしが困るからだ。寝る場所がなくなったら困る。飯が食えなくなったら困る。だから、これはあたしのためだ。

 そういうことにしておけば、決まりは破っていない。

 

 マンションに戻ったのは、午前二時を過ぎた頃だった。

 玄関のドアを開けると、リビングの暗がりの中で、玲佳がソファから首だけをこちらに向けた。まだ起きていた。

 玲佳の目が、杏子の手にぶら下がったスーパーの袋を見た。何を買ってきたのか、見当もつかないという顔だった。

 

「た……ただいま」

 

 声が、少し裏返った。

 玲佳は、しばらく黙っていた。それから、小さな声で言った。

 

「……おかえり」

 

 杏子は、顔を見られないように、足早にキッチンへ入った。

 冷蔵庫を開け、買ってきたものを押し込む。扉の陰で、杏子は変身した。槍は出さない。赤い光が、足元から静かに身体を包んだ。

 ソファのほうへ、意識を向ける。

 指先から、魔力を細く伸ばす。あの日から、一度も通していない道だった。錆びついた扉を無理やり押し開けるような手応えがあった。

 玲佳の目の前に、霧を置く。眠りへ誘う、薄い幻を。

 ソファの上で、玲佳の頭がことりと傾いた。

 

 杏子は、足音を殺してソファに近づいた。

 玲佳は、目を閉じていた。規則正しい寝息が聞こえる。杏子は、その顔の前でそっと手を振ってみた。反応はなかった。

 

「……よし」

 

 膝をつき、玲佳の胸に両手を当てる。

 赤い光が、掌から玲佳の身体へ流れ込んでいった。

 玲佳が、眉を寄せて小さく呻いた。骨を繋ぎ、切れた筋を寄せ合わせるときの、ちくちくとした痛み。その痛みで目を覚まさないように、杏子は眠りの幻を重ね続けた。

 治す魔法と、眠らせる魔法。慣れない魔法を二つ同時に動かすのは、思っていたよりずっときつかった。額に、汗が噴き出す。封じていたほうの魔法が、何度も途切れそうになる。

 胸元のソウルジェムが、みるみるうちに濁っていった。

 杏子は片手を離し、ポケットからグリーフシードを取り出した。ソウルジェムに押し当て、濁りを吸わせる。すぐにまた、両手を玲佳の胸に戻した。

 何十分、そうしていたのかわからない。

 最後の骨が繋がった手応えがあった。杏子は、ゆっくりと手を離した。玲佳は、穏やかな寝息を立てていた。

 

「……終わった、のか」

 

 呟いた途端に、全身の力が抜けた。

 杏子は、L字型のソファのもう一方の端に倒れ込んだ。変身を解く余力もなかった。毛布を掛けようと思ったが、手が上がらなかった。

 目を閉じる直前に、玲佳の寝顔が見えた。

 あの日から、誰かのために魔法を使ったのは、これが初めてだった。

 違う、と杏子は思った。これは、あたしのためだ。

 そう思ったまま、眠りに落ちた。

 

*

 

 目を覚ますと、窓の外は暗かった。

 玲佳は、ゆっくりと上半身を起こした。

 起こせた。

 痛みが、なかった。腕を持ち上げる。指を握って、開く。脚を曲げて、伸ばす。どこも、軋まなかった。

 時計を見ると、夜の八時を回っていた。丸一日近く、眠っていたらしい。

 

「……まさか」

 

 そんなことができるのは、一人しかいない。

 すぐそばで、穏やかな寝息がしていた。首を巡らせると、ソファの反対の端で、杏子が丸くなって眠っていた。変身したままだった。毛布も掛けていない。疲れ果てた子どものような顔をしていた。

 玲佳は立ち上がり、自分の足元に落ちていた毛布を拾って、杏子の肩にそっと掛けた。

 杏子は、小さく唸って、毛布の端を握った。

 

 身体を洗わなければ、と思った。昨夜の汗が、まだ肌に貼りついていた。

 脱衣所で服を脱いで洗濯機に放り込むと、洗面台の鏡に、自分の姿が映った。

 細い身体だった。けれど、骨が浮いているわけではない。腕にも、脚にも、腹にも、薄くしなやかな筋肉が過不足なく沿っている。余分なものは一切ないのに、足りないものもない。動くために要るものだけで、きちんと形づくられた体躯。戦い続けるうちに、身体のほうが勝手にそうなっていった。

 白い肌だった。

 昨夜の夢の中で、角材で殴られ、押し入れに押し込まれていた女の子と、同じ色の肌。

 玲佳は、鏡から目を逸らした。

 

 浴室の壁のパネルに触れて、シャワーの温度を一度上げる。湯が、頭の上から降ってきた。

 髪を洗う。シャンプーを掌にたっぷりと取って、根元から毛先まで、指で梳くように泡を通していく。腰の下まで届く髪は、洗うのに時間がかかった。それでも、この髪にだけは手を抜いたことがない。持っているものの中で、ただ一つ、大切にしているものだった。

 湯船に身体を沈めると、湯の熱が、骨の奥まで染みていった。

 

 昨夜のことを、順番に思い返した。

 遊びすぎた。あの青い子を相手に、もっと早く片をつけることはできた。それを長引かせて、隙を突かれかけた。挙句の果てに、あの声一つで、何もかもわからなくなった。

 杏子は、生きていた。傷一つ負っていなかった。

 自分は、何を見て、何を早合点したのか。

 玲佳は、湯の中で膝を抱えた。

 

 黒い髪の少女のことを考えた。

 暁美ほむら。キュゥべえが、イレギュラーだと言っていた子。

 あの子は、何の前触れもなく、目の前に現れた。そして、あの青い子を抱えて、次の瞬間にはもういなかった。

 瞬間移動。あるいは、時間を止めたのか。

 時間を止めるなどという魔法が、あるのだろうか。瞬間移動のほうが、まだ考えやすい。少なくとも、自分以外の誰かを一緒に運べることはわかった。

 それから、もう一つ。

 二年生に来た転校生の話を、教室で聞いた。すごい美人で、黒髪で、髪がこんなに長くて。あの黒い髪の少女の、腰まである黒髪を思い出す。

 青い子のほうは、モールのCDショップで見かけた。見滝原中の制服を着ていた。

 二人とも、同じ学校にいる。

 

「……クソったれ」

 

 吐き捨てるように呟いて、玲佳は壁のパネルに目をやった。湯の温度の下に、時刻が表示されていた。

 二十時、三十分。

 八時三十分。

 診察室の、壁の時計。

 塗り潰された医者の言葉。角材。押し入れ。

 こめかみを、太い針で刺されたような痛みが走った。

 玲佳は額を押さえた。背中を、冷たいものが這い上がってくる。

 視線だった。

 昨夜と同じ、ねっとりと絡みつくような視線。いや、昨夜よりも近い。すぐそばから、覗き込まれている。肌の表面ではなく、そのもっと奥。自分でも知らない場所まで、見透かされている。

 痛みが、頭を割った。

 身体中の筋肉が、勝手に跳ねた。湯が揺れ、縁から溢れる。目の焦点が合わない。視界が、白と黒に点滅する。

 何かが、入ってこようとしていた。

 自分を押しのけて、自分の中に、自分ではない何かが。

 

「……や、めて」

 

 声が、掠れた。

 

「見ない、で……」

 

 喉が引き攣る。息が吸えない。玲佳は、ありったけの力を振り絞った。

 

「私を、見ないでっ!」

 

 叫んだ瞬間、すべてが引いた。

 痛みも、痙攣も、視線も。まるで最初から何もなかったかのように。

 玲佳は、湯船の縁にしがみついて、荒い息を繰り返した。

 

「か、はっ……」

 

 今のは、何だったのか。

 考えようとして、やめた。考えても、何も出てこないことだけはわかっていた。

 

 代わりに、杏子のことを考えた。

 魔法は、とことん自分のためだけに使う。他人のためになんか、二度と使わない。

 ホテルの天井に手を伸ばして、杏子はそう言った。その決まりを守らせたくて、治療を断った。それなのに、杏子はそれを破った。自分のために。

 自分が取り乱したりしなければ、杏子は、決まりを破らずに済んだ。

 自分には、杏子のような決まりが何もない。信じて貫いているものが、何もない。そんな人間が、杏子の貫いてきたものを、折らせてしまった。

 浴室の小さな窓の向こうに、丸い月が浮かんでいた。雲一つない夜空に、煌々と白く光っている。

 

「……私は、どうすればいい?」

 

 月は、何も答えなかった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。