魔法少女まどか☆マギカ 〜純白の魔法少女〜 作:LongLong
第三十一話
「有益な情報?」
玲佳は、ベッドの縁に腰を下ろしたまま、足元の白い獣を見下ろした。
「そうだよ。まどかと、それから杏子の命に関わる情報だ」
玲佳の目が、細くなった。
キュゥべえは、それを気にする様子もなく、ベッドの脇に行儀よく座り直した。
「詳しく言えば、ある魔法少女たちの情報だね。君にとっては、敵ということになるかな。ところで、魔法少女狩りという言葉を知っているかい?」
「知らない」
「この一月ほどの間に、見滝原の周りで、魔法少女が何人も殺されている。魔法少女の素質を持った子もね。やっているのが誰なのか、何のためなのか、二日前にようやく特定できた」
「なんで、もっと早く言わなかった」
「君が倉庫街で起こしたことの後始末に、手間取っていたからさ」
キュゥべえは、首を傾げた。
「それに、昨日までの君では、どのみち手に負えなかっただろう?」
玲佳は、黙った。
言われてみれば、あれほど騒がれていた倉庫街の竜巻のニュースを、ここ数日、見かけなくなっていた。
「それで、その子たちは誰」
「それは言えない。魔法少女同士のことに、僕たちは口を出せないんだ。促すことしかできない。直接手を出せるなら、とっくにそうしているよ」
玲佳はキュゥべえの赤い目を見た。
この獣が、わざわざ自分のところへ話を持ってきた理由。まどかの名前を、最初に出した理由。
考えるまでもなかった。
「……その子たちが、まどかを狙ってる。だから、私に片付けてほしい」
「引き受けてくれるかな」
玲佳は、答えなかった。
立ち上がって、クローゼットを開けた。制服を取り出し、手早く袖を通す。スカートのホックを留め、リボンを結ぶ。袖口から、左の手首の星の飾りが小さくのぞいた。
部屋を出る前に、玲佳は一度だけ振り返った。
薄く、笑っていた。
「まさか。……そんなこと、最初から決まってる」
キュゥべえは赤い目で玲佳の背中を見送っていた。
「僕は、君に賭けさせてもらうよ」
その声が、ドアの閉まる音に重なった。
*
リビングに出ると、杏子がダイニングテーブルで食パンをかじっていた。
トースターを使わない。袋から出した一枚を、焼きもせずに口に運ぶ。何度言っても、直らない癖だった。
「おう。……早いな、今日」
玲佳は杏子の向かいの椅子に腰を下ろした。
左の手首から髪ゴムを外して、二人のあいだのテーブルの上に置いた。紺色のゴムに、銀色の、角の欠けた星の飾り。
杏子はパンをかじる口を止めた。
「それ……」
「持っていく。結ぶのは、まだ先」
杏子はしばらく何も言わなかった。玲佳の顔と、テーブルの上の星とを、交互に見ていた。
「杏子」
「……なんだよ」
「あの子から、伝言」
杏子の手の中で、食パンがぐしゃりと潰れた。
「あの子は、もういない。私の中に、溶けて、混ざった。だから、もう二度と、杏子に手を出したりしない」
玲佳はテーブルの上で指を組んだ。
「それと。ごめんなさい、って。杏子に、ひどいことをしたって。あの子の手に、杏子の首の感触が、ずっと残ってたって」
杏子は、黙っていた。
うつむいて、潰れた食パンを見下ろしていた。長いこと、そうしていた。
「……そっか」
やがて、杏子はぽつりと言った。
「そいつ、泣いてたろ。あのとき」
玲佳は、目を見開いた。
「あたしの顔に、ぼたぼた落ちてきてたからさ。首絞めてる奴が、なんで泣いてんだよって。……ずっと、わけわかんなかった」
杏子は潰れたパンを、口の中に押し込んだ。噛んで、飲み込んで、それから顔を上げた。
「もういいよ。そいつにも、そう言っといてくれ。……言えないんだっけか」
「言えない。でも、たぶん、聞こえてる」
「なら、いい」
玲佳は、テーブルの上の髪ゴムを取り上げて、左の手首に戻した。
杏子は鼻の頭を指でこすった。
「で、今日はなんでそんな怖い顔してんだ」
玲佳は少しだけ迷った。
「魔法少女狩り。まどかが、狙われてる」
杏子の目つきが、変わった。
「あたしも行く」
「杏子は、マミとさやかに知らせて。私は、まどかのところに行く。それから、相手を探す」
「一人でやる気かよ」
「一人のほうが、速い」
玲佳は、立ち上がった。
玄関で靴を履きながら、振り返った。
「今日は、遅くなるかもしれない」
「……絶対、帰ってこいよ」
杏子はテーブルに頬杖をついて、そっぽを向いていた。
「ええ」
玲佳は玄関のドアを開けた。
*
登校の支度をしていたまどかは、インターフォンの音に首を傾げた。
こんな朝早くに、誰だろう。
朝食の片付けをしていた父が、エプロンで手を拭きながら、インターフォンの画面を覗いた。
「まどか、お客さんだよ。見滝原中の制服の……すごく綺麗な子だね」
玄関のドアを開けると、玲佳が立っていた。
「玲佳さん!?」
「おはよう、まどか。……少しだけ、いい?」
玄関先の、門の脇だった。
朝の光の中で、玲佳は、まどかの知っている玲佳と、どこか違って見えた。
どこが違うのか、すぐにはわからなかった。顔は同じだった。声も同じだった。紅い目も、白い髪も。
ただ、その目の奥が、前より静かだった。凪いだ水面のように。
玲佳は制服のポケットから何かを取り出した。
小さなものだった。直径三センチほどの、丸い石。深い青色で、どこまでも透きとおっていた。朝日にかざすと、石の奥で光がゆっくりと揺れて見えた。
「これを、持ってて」
玲佳はそれをまどかの掌の上に載せた。ひんやりとしていた。
「これは……?」
「お守り。肌身離さず、持ってて。一度だけ、どんなものからでも、まどかを守ってくれる」
まどかは掌の上の青い石を見下ろした。
それから、玲佳の顔を見上げた。
「何か、あったんですか」
玲佳はすぐには答えなかった。
「……少しだけ。大丈夫。今日中に、終わらせる」
「玲佳さん」
まどかは青い石を両手で包んだ。
「無茶、しないでくださいね」
玲佳は何も言わなかった。
代わりに、まどかの頭に手を置いた。そっと、一度だけ撫でて、それから背を向けた。
束ねていない白い髪が、朝の風に揺れていた。
*
公園のベンチに腰を下ろして、玲佳は長く息を吐いた。
朝から、街を歩き回っていた。学校には行かなかった。まどかの家の周りを何度か巡り、通学路を辿り、駅前を抜けて、また戻ってきた。
手がかりは、何一つなかった。
杏子を探した日に、少し似ていた。違うのは、探している相手に向ける気持ちが、あのときとは正反対だということだった。
まどかに渡したお守りは、自分の翼の力を、小さな石に固めたものだった。氷の翼。いざというとき、一度だけ開いて、まどかの身体を包む。けれど、あの大きさに込められる力では、防げるのは一撃だけだ。二撃目が来る前に、片をつけなければならない。
日が、少し傾きはじめていた。
ベンチの後ろの植え込みが、がさがさと揺れた。
「うあああああ、ないよう! ないよお!」
甲高い声だった。
玲佳は振り返らなかった。
誰かが、何かを探しているらしい。付き合ってやる義理はない。こちらにも、時間がない。
「どうしよう、ないよお! あれがないと、もうだめだ、生きていけない!」
玲佳は、立ち上がった。
その場を離れようとして、足元に目がいった。
ベンチの脚のすぐ横の地面に、小さなものが落ちていた。ストラップだった。細い紐の先に、何かの飾りがついている。
玲佳の足が、一瞬止まった。
「さよなら、私!」
植え込みの向こうで、声が絶望的な響きを帯びた。
玲佳は小さくため息をついた。ストラップを拾い上げて、植え込みのほうに差し出した。
「……あなたの探し物って、これ?」
植え込みから、黒いものが飛び出してきた。
黒い髪の少女だった。見滝原中の制服を着ている。ただ、スカートの丈は大胆に切り詰められていて、片脚にだけ黒いストッキングを穿き、もう片方の脚には、足首に輪のような飾りを嵌めていた。
少女は、玲佳の手からストラップをひったくると、胸に抱きしめた。
「会いたかった! もう離さない!」
目の端に、涙が浮いていた。
玲佳はその顔を見て、瞬きをした。
見覚えがあった。
杏子と出会った次の朝。ホテルからの帰り道で、杏子が放った空き箱が、風に流されて、誰かの頭に当たった。あのとき、頭を押さえて振り返った、黒い髪の少女。
その隣には、白い制服を着た、銀色の髪の少女が立っていた。
「じゃあ、私はこれで」
玲佳は、背を向けた。
「およっ!?」
背中を、思い切り引っ張られた。制服の裾を、掴まれていた。
「待って待って! キミのおかげで、愛が死なずに済んだんだよ! 私は、呉キリカ。恩人に、礼をしたい!」
「……愛?」
玲佳は、振り返った。
恩人というのは、どうやら自分のことらしかった。
「いい。急いでるから」
「だめ!? 恩人は、礼を拒否なの!?」
キリカは、ぎゅっと目をつむって、泣きそうな顔で詰め寄ってきた。
断ってもよかった。本当に、急いでいた。
けれど、この顔を振り切って立ち去るのは、どうにも後味が悪い気がした。
「……拒否ってわけじゃ、ないけど」
「やった!」
キリカは玲佳の腕を掴んで、ぐいぐいと引っ張りはじめた。
*
モールの一階の、クレープの屋台だった。
キリカは一番高いクレープを二つ注文した。苺と、チョコと、生クリームと、アイスが山のように載ったものだった。
玲佳はそれを両手で受け取って、しばらく眺めていた。
こういうものを、ほとんど食べたことがなかった。
一口かじると、甘さが、舌の上に一気に広がった。頭の奥が、少しだけ痺れた。
「どう? どう?」
「……甘い」
「それだけ!?」
「美味しい。……甘すぎるけど」
キリカは満足そうに頷いて、自分のクレープにかぶりついた。
口の端に、生クリームがついていた。杏子と同じだ、と玲佳は思った。
最後の一口を飲み込んで、玲佳は包み紙を丸めた。屋台の脇のゴミ箱に落とす。
「ごちそうさま。用があるから、行く」
「えっ、もう!?」
玲佳は答えずに歩き出した。
モールの裏口を出ると、川へ下る細い道が続いていた。表通りの賑わいが、背中のほうで遠ざかっていく。
後ろから、ぱたぱたと足音がついてきた。
「待ってよ恩人、まだ礼が足りてない気がするんだ!」
「充分って言った」
「恩人は、ほんとーにあれだけでよかったの?」
「よかった」
足音は、離れなかった。
玲佳はため息をついて、少しだけ歩く速さを落とした。
道の両側には、シャッターの降りた古い倉庫と、雑草の伸びた空き地が並んでいた。人の気配は、ほとんどない。川のほうから、湿った風が吹き上がってきた。
「さっきの、愛が死ぬって」
前を向いたまま、玲佳は言った。
「うん?」
「そのストラップ。好きな人から、もらったもの?」
「す、好きとか!」
キリカが、玲佳の前に回り込んだ。
後ろ向きに歩きながら、目を大きく見開いていた。口の端のクリームも、拭っていなかった。
「そんな軽々しいものじゃないぞ! 好きとか、大好きとか、愛を物差しで測るみたいな奴らは、愛の本質を何もわかってない!」
玲佳は、足を止めた。
キリカも、止まった。空き地の真ん中の、錆びたフェンスの前だった。
キリカは玲佳の顔を、まっすぐに覗き込んでいた。
その目に、何か底のないものが渦を巻いていた。
「ねえ、恩人。キミは、本当の愛を知ってる?」
玲佳は、答えなかった。
杏子の顔が、浮かんだ。
朝のテーブルで、潰れた食パンを口に押し込んでいた顔。絶対、帰ってこいよ、と、そっぽを向いて言った声。
それが、キリカの言う愛と同じものなのかどうか、玲佳にはわからなかった。
まわりの音が、ふっと遠のいた。
右手の薬指が、熱を持った。