魔法少女まどか☆マギカ 〜純白の魔法少女〜 作:LongLong
第三十六話
ときどき、玲佳のことがわからなくなる。
杏子は、空港の到着ロビーの椅子に深く腰を下ろして、天井の照明を見上げていた。
魔法少女狩りのことも、そうだった。
あの朝、玲佳は全部話してくれた。まどかが狙われていること。相手を探しに行くこと。そこまでは、話してくれた。
あたしも行く、と言った。
一人のほうが、速い。玲佳は、そう答えた。
その晩、玲佳は頬に深い傷をつけて帰ってきた。傷を見た瞬間、心臓が跳ねた。玲佳はあった出来事を全部話した。キリカという子のこと。織莉子という子のこと。その子を、自分の手で殺したこと。
全部、話してくれた。
話してくれたのは、全部終わってからだった。
それに、願いのことも。
神様みたいな力が、ほしい。マミの家で、玲佳はそう言った。
両親を天国に送る。ホテルのベッドで、そう聞いたと思っていた。あれは本当の願いじゃなかった、と玲佳は謝った。思い込んでいただけだと。玲佳のせいじゃないことは、わかっている。
わかっていても、胸のどこかが、ちくりとした。
それに、あのとき玲佳は、何かを飲み込んでいた。神様みたいな力、の前に、何かを。
それが何だったのか、訊けなかった。
こんなふうに思うのは、身勝手なんだろうか。
「ほむらちゃん、まだかなあ……」
まどかが、到着口のほうを背伸びして覗いていた。
ほむらの便は予定どおりに着いたらしく、自動ドアの向こうから、旅客の群れがひっきりなしに吐き出されてくる。マミとまどかはドアのすぐ前で待っていて、さやかは自販機の前で飲み物を選んでいた。
玲佳は、いなかった。
少し準備があるから。今朝、玲佳はそれだけ言って、また出かけていった。何の準備なのかは、言わなかった。今日は、空港には行けないかもしれない、とも言っていた。
訊き返そうと思ってポケットを探ったら、スマホがなかった。家に置いてきたらしい。
四日前は、勝てた。
次は、どうなのだろう。
玲佳に勝てる相手なんて、そういるものじゃない。それは、わかっている。わかっているから、余計に落ち着かなかった。
強いから、一人で行く。強いから、誰にも頼らない。
強いから、いつか、一人で。
ロビーの壁に掛かったテレビが、昼のニュースを流していた。
音はほとんど聞こえず、字幕だけが画面の下を流れていく。
白女中等部の生徒、美国織莉子さん(十四)の行方が、四日前から分からなくなっており——
画面に映った写真の中で、銀色の長い髪の、整った顔立ちの少女が、制服姿で微笑んでいた。
杏子は、その写真から目を逸らした。
織莉子という子を、自分は見たことがない。見たことがないのに、玲佳の話を聞いた夜から、ずっと知っている気がしていた。
誰も、あの子がどこへ行ったのか知らない。
自分と、玲佳のほかには。
「杏子。なに、ぼーっとしてんのよ」
目の前に、缶のジュースが差し出されていた。
さやかだった。
「ん……いや。なんでもない」
杏子は缶を受け取った。冷たかった。
さやかは杏子の隣の椅子に、どさりと腰を下ろした。
稽古をつけるようになってから、さやかとはよく話すようになった。自分が選べなかった道を、真正面からまっすぐに歩いていくさやかは、見ていると少しだけ眩しかった。
玲佳に向ける気持ちは、うまく言葉にならない。さやかに向ける気持ちは、はっきりしていた。
友達、だった。
「もしかして、上級生がいないから? 心配してんの?」
「な、わけないだろっ」
「図星かい!」
さやかは、からからと笑って杏子の肩をばしんと叩き、それから急に真顔になって、声を少しだけ落とした。
「上級生の手の傷。この前、マミさんと上級生で、魔女ってことにしてたけど」
杏子は缶を口に運びかけた手を止めた。
「魔法少女狩りと、一人でやり合ったんでしょ」
「……ああ」
「やっぱりね」
さやかは缶のプルタブを開けた。
「片付いた、ってことだけは、あんたから聞いたけど。どうやって片付けたのかは、誰も言わないし」
杏子は、何も言わなかった。
相手を殺した、というところまでは、言えなかった。さやかも、その先を探ろうとはしなかった。
「認めたくないんだけどさ。上級生って、強いでしょ」
杏子は、頷いた。
いつの間にか、ロビーの喧騒が遠くなっていた。実際に静かになったのではなく、杏子の耳に入ってこなくなっていたのだ。
「だから、あんな怪我したってことは、相手がよっぽど強かったんでしょ。……それでも、一人で行くんだよね、上級生って」
さやかはジュースを一口飲んだ。
「あたしのときも、そうだった。最後まで、刀を抜かなかったもん。まあ、そのおかげで、あたしは助かったんだけど」
杏子は黙って聞いていた。
「全力出せば一瞬で終わるのに、出さないのよね、上級生って。わざと手を抜いてるんじゃなくて、なんか、癖みたいに。自分が全部背負えば済むって思ってる」
杏子は缶を握る手に、少しだけ力を込めた。
そうだった。
自分が心配していたのは、まさにそれだった。玲佳は強い。強いから、全力を出さない。強いから、誰も頼らない。
玲佳が、本当の全力を出したところを、杏子は一度も見たことがなかった。
倉庫街の夜のことは、マミから聞いた。けれど、あれは全力とは違う。あれは、壊れていただけだった。
「すごいな、さやか」
口に出した声は、自分でも思ったより素直だった。
たった一度、刃を交えただけで、そこまで見抜いたのか。
感心して、それから、ほんの少しだけ、胸の奥がむずむずした。自分が、四日前にやっと知ったようなことを、さやかは、ずっと前から知っていたのだ。
「ありがと。でさ、このこと、上級生に言っといてくれない?」
さやかは缶を膝の上で転がした。
「本人も、たぶんわかってて直らないだけなんだと思う。あたしが言っても、絶対聞かないでしょ。杏子が言ったら、一発だよ」
「ははっ。……そうだな」
杏子は、笑った。
笑いながら、それを玲佳にどう言えばいいのか、考えていた。
頼ってくれ。
それだけのことが、どうしてこんなに言いにくいのだろう。
「ほむらちゃん!」
まどかの声が、ロビーに響いた。
杏子は到着口のほうを振り向いた。
自動ドアの向こうから、長い黒髪の少女が歩いてくるところだった。手に、荷物を何も持っていなかった。
さやかが、立ち上がった。
「美樹さん、佐倉さん! 暁美さんよ!」
「はーい、今行きまーす!」
さやかが、駆け出した。
杏子も、椅子から立ち上がった。大きく伸びをして、背骨を鳴らしてから、その後を追った。
杏子が輪に加わるのと、ほむらがまどかたちの前にたどり着くのは、ほとんど同時だった。
ほむらは、まず全員の顔を順番に見てから、わずかに眉を動かした。
「……玲佳が、いないようだけど」
「玲佳は、どっか行ってるよ。準備があるんだとさ」
杏子が答えると、ほむらは、そう、とだけ言った。
それから、まどかのほうへ向き直った。
「久しぶり。……まどか、待たせてしまったわね」
「そんなことないよ、ほむらちゃん。おかえり」
「ええ。ただいま」
ほむらの目元が、ほんのわずかにやわらいだ。
それを見て、さやかが大げさに額を押さえた。
「かーっ! さすがほむら、クールだねえ!」
「ねえ、みんな」
マミが、手を合わせた。
「せっかく、全員揃ったんだもの。今日は、みんなでどこかに出かけない?」
マミは、少しだけ間を置いてから言った。
「……これが、最後になるかもしれないから」
何が最後なのか、誰も口にしなかった。
ワルプルギスの夜まで、もう、何日も残っていなかった。