魔法少女まどか☆マギカ 〜純白の魔法少女〜 作:LongLong
第三十七話
街外れの丘の上の墓地は、朝の光の中で静まり返っていた。
玲佳は、並んだ墓石の間の細い道を、一つずつ名前を確かめながら歩いた。
区画の奥のほうに、その墓はあった。
花宮家之墓。
墓石の側面に、名前が刻まれていた。一番新しい行の、一番新しい名前。
そら。
享年、十三。
玲佳は途中の花屋で買ってきた花を、花立てに挿した。何の花を選べばいいのかわからず、店の人に明るい色のものを、とだけ頼むと、黄色と薄い桃色の花になった。
花立てには、先に誰かが供えた花が、まだ新しいまま挿さっていた。
家族なのだろう、と思った。今でも、ここに来る人がいる。
玲佳は墓石の前にしゃがみ込んだ。
手を合わせようとして、手が止まった。
何を言えばいいのか、わからなかった。
この子と過ごした日々は、自分のものではなかった。卵焼きの甘さも、土手の草の匂いも、うなじに触れた柔らかい指も。全部、あの子のものだった。自分は、それを後から受け取っただけだ。
それなのに、ここに来ずにはいられなかった。
ワルプルギスの夜が来る前に、一度だけ。
「……ごめん」
最初に出てきたのは、それだった。
あの子の代わりに言ったのか、自分の言葉なのか、わからなかった。たぶん、どちらでもあった。
「あなたの星、まだ、一つも消えてない」
玲佳は、空を見上げた。
朝の空は青く、星は一つも見えなかった。夜になれば、あの空は、また数えきれないほどの光で埋まる。
「もうすぐ、大きな嵐が来る。この街を、全部壊してしまうような」
墓石は、何も答えなかった。
「守りたい人が、できた。……あの子にも、あなたがいたみたいに」
左の手首に、指を当てた。
指先に、小さな硬いものが触れた。角の欠けた、星。
外そうとして、やめた。
まだだった。
これを結ぶのは、今ではない気がした。
玲佳は立ち上がり、墓石に向かって深く一度だけ頭を下げてから、丘を下った。
*
墓地からの坂道を下りながら、玲佳は、別のことを考えはじめていた。
考えたくて考えたのではなかった。墓地の静けさから離れるにつれて、頭が勝手に、次の戦いのほうへ向いていった。
魔法を、混ぜられないだろうか。
自分が呼び出す力は、一つにつき、一つの性質しか持たない。
水を司るガブリエルの力は、水しか操れない。炎が欲しければ、火を司るミカエルの力を、別に呼び出さなければならない。二つを同時に使うことはできる。けれど、それは二つの力を並べているだけで、一つにはならない。
もし、火と水を、一つの新しい力として、一度に振るえたら。
ワルプルギスの夜は、並べた力では倒せないかもしれない。けれど、混ぜ合わせた力なら。
「……でも、どうやって」
無理やり結びつけることは、できなくはない。ただ、ひどく効率が悪いだろう、と玲佳は思った。火と水、たった二つを合わせるだけで、ソウルジェム半分ほどの魔力は持っていかれる。
何度か試せば、無駄は減るかもしれない。ただ、そのたびにグリーフシードを使うわけにはいかない。決戦の前に、蓄えを削るのは愚かだった。
「ほかに、方法は……」
制服のポケットでスマホが震えた。取り出して画面を見ると、非通知と表示されていた。
玲佳はそれを無視した。番号を隠してかけてくる相手に、ろくな用件があるとは思えない。
震えが止まった。ポケットに戻した。
また、震えた。
しばらく迷ってから、玲佳は通話の表示を押した。
「……もしもし」
『はあーいっ! さやかちゃんだよお!』
耳が、痛くなった。
玲佳はスマホを耳から遠ざけて、眉間に皺を寄せた。
「少し、黙って」
『今、なんでこいつがって思ったでしょ! あのね、空港の公衆電話ってやつ、初めて使ったんだけどさ、これって——ちょっと、杏子っ!』
ごとん、と何かがぶつかる音がした。
雑音が混じって、それから、別の声が聞こえた。
『玲佳か。あたし』
玲佳はスマホを耳に戻した。
そちらの声のほうが、ずっとよかった。
『スマホ、家に忘れてきちまってさ。ほむら、着いたよ。これから、みんなで遊園地に行くんだって。空港からちょっと離れたとこの。飯も、そこで食うらしい』
「行く。今すぐ」
『……よかった』
杏子の声が、少しだけ緩んだ。
それから、低くなった。
『なあ、玲佳』
「何?」
『一人で、背負い込もうとすんなよ』
電話の向こうで、杏子が息を吸う音が聞こえた。
『あたしを、頼ってくれ』
通話が、切れた。
あとには、冷たく平らな無音だけが残った。
玲佳は手の中のスマホを見下ろした。
「……頼ってくれ、か」
口の中で、繰り返した。
その言葉は、どこにも残らずに、朝の空気の中へ溶けていった。
頼る、ということは、自分の行き先を、誰かの手に預けることだった。
杏子になら、預けてもいい。そう思うのに、手が、どうしても開かなかった。
*
空港の正面の車寄せで、皆が待っていた。
玲佳が近づいていくと、真っ先に杏子が気づいて、手を上げた。
「杏子。これ」
玲佳は家に寄って取ってきたスマホを、杏子に差し出した。
「お、そうだそうだ。ありがとな」
「あんた、知ってて忘れたでしょうが」
さやかが、横から突っ込んだ。杏子が、声を上げて笑った。
玲佳は二人を見比べた。
前に三人で顔を合わせたときより、ずいぶん距離が近くなっているように見えた。たった数日で、何があったのだろう。自分のいないところで。
「久しぶり、玲佳」
声のほうを見ると、ほむらが、こちらを見ていた。
手ぶらだった。行きには、紫色のスーツケースを引いていたはずだった。
「……それで」
玲佳は挨拶を返さずに訊いた。
「武器は、揃った?」
ほむらの目が、わずかに細くなった。
「十分よ。県ひとつ吹き飛ばせるくらいはあるわ」
ほむらの声は、少しも誇らしげではなかった。
県ひとつ。それで、あの夜に足りるのかどうか。何度も戦ってきたほむらにも、きっとわからないのだろう、と玲佳は思った。
「バスが来たわよ。乗りましょう」
マミが、手を振って皆を呼んだ。
側面に、遊園地の名前と、観覧車の絵が大きく描かれたバスだった。空港から直通の便が出ているくらいだから、それなりに大きな遊園地なのだろう。
玲佳は記憶を探ってみたが、この近くにそんな場所があった覚えはなかった。県境を越えるのかもしれない。
バスが走り出して、一時間ほど経った頃、玲佳は通路を挟んだ席のほむらに訊いた。
「荷物は、どこに?」
「盾の中よ」
ほむらは窓の外を見たまま答えた。
時間を止めるだけではなく、空間まで、ある程度は扱えるらしい。
空間なら、自分にもできる。捕らえた使い魔の檻を封じておく、ソロモンの壺。炎の矢を吐き出す、宙の黒い穴。
時間は、違った。
自分の中のあの子は、自分にできないことなど、何一つないと思っていた。
神様みたいな力を願って、それを手に入れたのだから。神話や伝承に語られるものなら、神の槍でも、天使の翼でも、望めば何でも、この手に呼び出せた。
だから、一度だけ、時の神の力に手を伸ばした。すべての時を統べるという、クロノス。
写し取ることは、できた。扱いきれなかった。
壁の時計の秒針の進みが、ほんの一瞬、鈍くなった気がした。気がしただけだったのかもしれない。確かめる前に、頭の中を焼けた鉄でかき回されたような痛みが走って、鼻から血が溢れた。気がつくと、暗い部屋の床に倒れていた。ソウルジェムが、半分近く黒く濁っていた。
あれ以来、あの子は二度と、時間に触れようとしなかった。何でもできるはずの手が、初めて届かなかったものだった。
今なら、わかる。時間に手をかけるには、契約そのものと同じくらいの力が要るのだ。まどかほどの素質があれば、あるいは扱いきれたのかもしれない。
それを悔やんでも、仕方がなかった。
「まもなく、到着いたします。バスが完全に停車するまで、お席を立たないようお願いいたします」
車内に、若い女の人の声が流れた。
玲佳は何気なく窓の外に目をやった。
緑の丘の向こうに、観覧車と、ジェットコースターの白い骨組みと、色とりどりの屋根が見えた。思っていたよりも、ずっと大きな遊園地だった。
後ろの席で、まどかが息を呑む音がした。前の席から、さやかの歓声が聞こえた。
「杏子。起きて。……着く」
玲佳は隣の席で眠っている杏子の肩を、そっと揺すった。
杏子は、右手に菓子の箱を握りしめたまま、身体を小さく揺らして眠っていた。薄く目を開けて、唸るような声を漏らした。
疲れが、溜まっているのだろう。
ここ数日、杏子は、さやかの稽古をつけて、玲佳を探して走り回って、帰ってくれば、玲佳の傷を治していた。
「……まだ、寝てても大丈夫」
玲佳は、杏子の目にかかりそうになっている赤い前髪を、中指で、そっと払ってやった。
杏子はもう、眠りの中に戻っていた。