魔法少女まどか☆マギカ 〜純白の魔法少女〜 作:LongLong
第三十九話
マミの部屋の低いテーブルを、六人で囲んでいた。
遊園地から戻ったのは、夜の九時を過ぎてからだった。帰りのバスでは誰もがはしゃぎ疲れて眠っていた。駅で解散するはずだった。けれど、改札の前でほむらが言った。
話しておきたいことがある、と。
マミが、それならうちで、と言った。
紅茶のカップが六つ並んでいた。誰も、手をつけていなかった。
「私は、この時間を、何度も繰り返してきたの」
ほむらはそれだけ言って、少し黙った。
それから、ゆっくりと話しはじめた。
魔法少女になった日のこと。時間を巻き戻す力のこと。一か月前の病院のベッドで目を覚まし、同じ一か月をまた最初から生き直すこと。何度も、何度も。
何のためなのかは、言われなくてもわかった。
ほむらの目がまどかのほうを向いていたからだ。
まどかは膝の上で手を握りしめていた。遊園地から帰る前に、もう聞いていたのかもしれない。驚いた顔は、していなかった。泣きそうな顔を、していた。
「ワルプルギスの夜を越えられたことは、一度もないわ」
ほむらは平らな声で言った。
「そのたびに、あなたたちが死ぬのを見てきた。巴マミも。佐倉杏子も。美樹さやか、あなたも」
さやかは、息を止めた。
自分が死ぬところを、この子は見てきたのだ。一度ではなく、何度も。
どんなふうに、と口にしかけて、やめた。
ほむらの表情が、それを言わせなかった。
マミが両手で口を覆っていた。
杏子は壁にもたれて、天井を睨んでいた。
長い沈黙のあとで、ほむらは言った。
「今回は、違う。こんなに手札が揃ったのは、初めてだから」
その目がテーブルの向こうの白い髪に向いた。
*
「私も、話しておくことがある」
玲佳が、口を開いた。
紅い目はテーブルの上のカップを見ていた。誰の顔も、見ていなかった。
「私の中には、もう一人、私がいた」
玲佳は、話した。
淡々とした声だった。まるで、よその家の話でもしているように。
小さい頃のこと。殴られていたこと。押し入れの中で、もう一人の自分が生まれたこと。その子が、キュゥべえと契約したこと。
それから、願いのこと。
「お父さんとお母さんを、殺せる力。……神様みたいな力が、ほしいって」
お茶会で、玲佳は神様みたいな力の前で一度言葉を切った。あのとき飲み込んだのが、これだったのだ。
「その子は、願いを叶えた。両親を殺した。見滝原の一家殺害事件は、私の家。犯人は、私」
誰も、声を出さなかった。
さやかは自分の喉がからからに乾いているのに気づいた。
「そのあとで、学校で私をいじめていた四人も。縄張りを取りに来た魔法少女も。命乞いをした子も。……それから、一人、友達だった子も」
玲佳の声は、そこで一度だけ細くなった。
「その子とは、この前、一つになった。だから、その子のしたことは、全部、私のしたこと」
玲佳はそこで口を閉じるかと思った。
閉じなかった。
「それと、この前の夜。見滝原を取りに来た魔法少女を、一人、殺した」
杏子の目が、初めて動いた。玲佳の横顔を見た。
「出ていってって、言った。そしたら、その子が、杏子の名前を出した。杏子をどうにかするって。……だから、殺した」
迷わなかった、とは、玲佳は言わなかった。
言わなくても、わかった。その声が、少しも揺れていなかったから。
「覚えていない夜も、いくつかある。そこで何があったのかは、私にもわからない」
さやかの背中を冷たいものが這い上がった。
覚えていない夜。
長い刃物で、心臓を一突き。通り魔のニュース。あのとき、マミさんの家で盗み見た、上級生の横顔。
さやかは口を開きかけて、閉じた。
*
部屋の中が、しんとしていた。
壁の時計の秒針だけがやけに大きく聞こえた。
許されることじゃない、とさやかは思った。
どんな理由があっても。どんなにひどい目に遭っていても。人を殺していい理由には、ならない。命乞いをした子まで。友達だった子まで。
簡単に、受け入れられるわけがなかった。
それなのに。
さやかはテーブルの下で、自分の拳を握りしめた。
もし、自分があの押し入れの中にいたら。
殴られて、閉じ込められて、誰も助けに来てくれなくて。そこに、白い獣がやって来て、何でも一つだけ叶えてやると言ったら。
自分は、何を願っただろう。
恭介の手を治してほしいと願ったとき、さやかはほとんど迷わなかった。目の前に、それを打ち破る力があったから。手を伸ばせば、届くところにあったから。
もっとひどい場所にいて、もっとひどいものに囲まれていて。それを全部打ち破れる力が、目の前にあったら。
使わない、と言い切れるだろうか。
言い切れなかった。
それが、何より腹立たしかった。
「……あたしだって」
杏子の声だった。
壁にもたれたまま、杏子は天井を見ていた。
「願いで、家族を死なせた。親父の話を聞いてほしいって祈って、その結果、親父は母さんと妹を連れて死んだ。直接手を下したかどうかなんて、そんなの、関係ねえよ」
杏子は玲佳のほうを見なかった。
ただ、座る位置を玲佳のほうへ少しだけずらした。
マミが口元から手を下ろした。
「……私もね」
マミの声は、かすれていた。
「事故のとき、車の中で、キュゥべえに言ったの。助けて、って。それだけ。お父さんとお母さんのことは、願わなかった。願えたはずなのに。私は、自分だけが助かる道を選んだの」
マミは自分の膝を見下ろしていた。
「だから、如月さんのしたことを、許すなんて、言えない。私には、その資格がないわ。……でも、責める資格も、きっとないの」
まどかが、泣いていた。
声を立てずに、ぽろぽろと涙をこぼしていた。誰のために泣いているのか、さやかにはわからなかった。たぶん、全員のためだった。
*
「美樹さやか」
玲佳が、さやかの名前を呼んだ。
さやかの顔をまっすぐに見ていた。
「私と一緒に戦えないなら、降りていい」
さやかは、目を見開いた。
「明後日の戦いから。誰も責めない。私が、責めさせない」
「玲佳、待って」
ほむらが、身を乗り出した。
「美樹さやかの力は、必要よ。回復役がいなければ、長くは——」
「その分、私が働く」
玲佳はほむらを見ずに言った。
「一人分でも、二人分でも。私が、埋める」
勝手だ、とさやかは思った。
また、一人で全部背負えば済むと思っている顔をしている。空港で、杏子にそう言ったのは自分だった。
さやかはテーブルに両手をついた。
「……ふざけないでよ」
声が、震えていた。怒りなのか、何なのか、自分でもわからなかった。
「降りろって? あんたに言われて、はいそうですかって降りると思ってんの?」
「思ってない。ただ、選べるようにしておきたかっただけ」
「選んだわよ、もう」
さやかは玲佳の紅い目を、正面から睨み返した。
「あんたのしたこと、あたしは許さない。一生、許さないと思う。人殺しだって、今でも思ってる」
玲佳は、目を逸らさなかった。
「でも、降りない」
さやかは、息を吸った。
「あんたのためじゃない。まどかのため。マミさんと、杏子と、ほむらのため。この街のため。……それと」
言葉が、喉に詰まった。
言いたくなかった。それでも、言わずにはいられなかった。
「あんたが一人で全部やるって顔してるのが、腹立つから。あんた一人に、いい格好なんかさせない」
部屋の中が、また静かになった。
やがて、杏子がぷっと噴き出した。
「……なんだよ、それ」
「うっさい!」
さやかは真っ赤になって、杏子を睨んだ。
マミが泣き笑いの顔で、目元を拭っていた。ほむらは小さく息を吐いて、椅子の背にもたれた。まどかが涙に濡れた頬でさやかのほうを見て、少しだけ笑った。
玲佳はしばらく黙っていた。
それから、小さく頭を下げた。
「……ありがとう」
さやかはふんとそっぽを向いた。
礼を言われる筋合いはなかった。許したわけでも、なかった。
けれど、テーブルの向こうで杏子が玲佳の肩に自分の肩をぶつけるのが見えた。玲佳は少しだけよろけて、それを押し返しもせずに、そこにいた。
さやかは冷めきった紅茶を、一息に飲み干した。
苦かった。
*
時計の針は、十一時を回っていた。
「今夜は、泊まっていって。もう、遅いもの」
マミがそう言って、押し入れから客用の布団を出してきた。足りない分は、ソファのクッションと毛布で補った。家には、それぞれ電話をかけた。まどかの父は、先輩のところなら安心だね、と電話の向こうで穏やかに笑っていた。
リビングのテーブルを壁際に寄せると、床の上に六人で車座になれるだけの場所ができた。
誰も、すぐには眠れそうになかった。
「……こういう夜はさ、トランプでしょ」
さやかが鞄の底から、角の擦り切れたトランプの箱を取り出した。
「なんで持ってんだよ」
「遊園地の帰りのバスでやろうと思ってたの! みんな寝ちゃったけど!」
さやかは慣れた手つきでカードを切って、配りはじめた。
「最初はババ抜きね。負けた人、明日の朝、全員分のお茶淹れる係!」
一回目に負けたのは、さやかだった。
二回目も、さやかだった。
三回目、まどかの手札に、最後にジョーカーが残った。
まどかは隣のほむらに、二枚のカードを差し出した。ジョーカーと、ハートの三。
ほむらは迷わずにジョーカーを引いた。
「……え」
まどかはほむらの顔を見た。
ほむらは表情を変えずに、ジョーカーを自分の手札に収めた。
次の番で、ほむらはさやかに二枚のカードを差し出した。さやかが右のカードを引いた。
ジョーカーだった。
「ちょっと! ほむら、今の、絶対わざとでしょ!」
「何のことかしら」
「まどかからジョーカー引いて、あたしに回したでしょ!」
「偶然よ」
杏子が腹を抱えて笑っていた。マミが口元に手を当てていた。
四回目。
さやかの手札は、残り二枚だった。ハートのエースと、スペードのエース。これを出せば、上がりだった。
「よーし、今度こそ……!」
さやかは二枚を場に出そうとして、手を止めた。
「……あれ」
さやかの手の中にあったのは、ハートのエースと、ジョーカーだった。
「え、え、え? さっきまで、スペードのエースだったじゃん! あたし、ちゃんと見たもん!」
さやかが周りを見回した。
ほむらは自分の手札を静かに見ていた。その中に、スペードのエースがあった。
「……ほむら」
杏子が、低い声で言った。
「今、止めたろ」
「何のことかしら、佐倉杏子」
「フルネームやめろ。止めたろ。時間」
「証拠はあるの」
「ねえけど、止めたろ!」
さやかが床に突っ伏した。
「ずるい! ほむら、ずるい! 魔法、反則!」
「まどかが、負けそうだったもの」
ほむらはあっさりと言った。
「え、わたし、負けそうじゃなかったよ……?」
まどかは自分の手札を見た。三枚残っていた。確かに、一番多かった。
「負けそうだったわ」
ほむらはまどかの顔を見ずに言った。
部屋が、笑いに包まれた。マミが涙を拭いながら笑っていた。杏子は床を叩いて笑い、さやかはほむらの肩を揺さぶって、ずるいずるいと繰り返していた。
まどかも笑った。
さっき、ほむらは言った。何度も、何度も、同じ一か月を繰り返してきた、と。その全部が、自分のためだった、と。
その人が今、トランプで時間を止めて、ジョーカーを一枚、引き取ってくれた。
笑いながら、まどかは、少しだけ泣きそうになった。
それから、玲佳のほうを見た。
玲佳は手札を持ったまま、ほむらに目を向けていた。
口元が、ほんのわずかに動いていた。
笑っていた。
さっきまで、あんなに静かな声で、自分のしてきたことを話していた人が。誰の顔も見ずに、カップだけを見ていた人が。
今、ほむらのずるさを見て、笑っている。
まどかは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じながら、ジョーカーを握りしめて唸るさやかのほうに、自分の手札を差し出した。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
第三十九話で、第二章は完結です。
次話から、最終章に入ります。残りは五話です。
評価をくださった方、本当にありがとうございます。とても励みになっています。
最後まで、お付き合いいただけたら嬉しいです。