魔法少女まどか☆マギカ 〜純白の魔法少女〜 作:LongLong
第四話
いつもの通学路の、いつもの角で、さやかと仁美が待っていた。
「おはよう、まどか」
「おはようございます、まどかさん」
「おはよ……って、えっ」
さやかの声が裏返った。視線は、まどかの顔ではなく、その少し右上に釘付けになっている。まどかの肩の上では、キュゥべえが尻尾を揺らしていた。朝、家を出るときに、当然のような顔で飛び乗ってきたのだ。
重くはない。重くはないけれど、落ち着かない。
「さやかさん? どうかなさいました?」
仁美が首を傾げる。その目は、まどかの肩の上を一度も見なかった。
さやかがまどかの袖を引いて、耳元で囁く。
「やっぱそいつ、あたしたちにしか見えないんだ」
「うん。そうみたい」
「あの、お二人とも……?」
「ああ、ううん、なんでもない! 行こ行こ」
歩き出したところで、頭の内側に声が響いた。
『頭の中で話しかけるだけで、会話ができるよ』
さやかの肩が、びくりと跳ねた。
『えっ、ちょっと、あたしたちもう、こういうことできちゃうわけ?』
『今はまだ、僕が中継しているだけだけどね。内緒話には便利だろう?』
『なんか、変な感じ……』
まどかが頭の中で呟くと、それがさやかにも届いたらしく、さやかがこちらを見て眉を上げた。まどかも、つい見返してしまう。
その様子を、仁美が見ていた。
「お二人とも、さっきから目配せばかりなさって……」
仁美は立ち止まり、両手を胸の前で組んだ。鞄が、その足元にすとんと落ちる。
「まさか、昨日あれから、言葉がなくても通じ合うような仲に……?」
「いや、ないない。それはない」
「まあ、色々あったのは確かなんだけどさ」
さやかが頭を掻きながら言ったのが、決定打になったらしい。仁美の頬が、みるみる赤くなっていく。
「いけませんわ、お二人とも! そういうことは、もっと段階を踏んでから……!」
言い終わらないうちに、仁美は踵を返して走り出していた。鞄は、足元に残されたままだった。
「仁美、鞄! 鞄忘れてるって!」
さやかの声は、小さくなっていく背中に届かなかった。
まどかは仁美の鞄を拾い上げて、土を払った。
「今日の仁美ちゃん、なんだかさやかちゃんみたい」
「それ、どういう意味よ」
教室に入ったとき、窓際の席から、まっすぐな視線がまどかを射抜いた。
暁美ほむらだった。昨日のコスプレのような服ではない。見滝原中の制服を着て、机の上で手を組み、ただこちらを見ている。睨んでいる、と言ってよかった。
まどかは慌てて目を逸らし、自分の席に鞄を置いた。背中に、視線が刺さり続けている。
『気にすんな、まどか。あいつがちょっかい出してきたら、あたしがぶっ飛ばしてやるから』
さやかの声が、頭の中に飛び込んできた。続けて、もう一つ。
『そうよ。美樹さんはともかく、私がついているんだから大丈夫』
『ともかくって何!』
三年の教室にいるはずのマミの声だった。キュゥべえが中継しているのだろう。まどかは少しだけ笑って、それから、昨日から気になっていたことを思い浮かべた。
『マミさん。ほむらちゃんも魔女と戦ってるなら、どうして仲良くできないんですか? 同じ敵と戦ってるなら、仲間は多いほうがいいのに』
少し間があってから、マミの声が返ってきた。
『魔女を倒すと、見返りがあるの。それが、たくさんあるものじゃないのよ。だから、時と場合によっては取り合いになる。……放課後に、見せてあげるわ』
背中の視線は、ホームルームが始まっても消えなかった。
*
放課後、マミが案内したのは、川沿いの工場跡だった。
錆びたシャッターの奥で、魔女の結界はもう崩れかけていた。マミのリボンが最後の使い魔を絡め取り、銃口の光がそれを散らす。空気のねじれがほどけ、元の薄暗い倉庫に戻ったとき、床の上に何か小さなものが転がっていた。
マミがそれを拾い上げ、二人の前で掌を開いた。
黒い卵だった。大きさは鶏の卵よりひと回り小さい。上下から針のようなものが一本ずつ突き出している。見ているだけで、まどかは胃の底が冷えるような気がした。
「これがグリーフシード。魔女の卵よ」
さやかが一歩下がった。まどかも、半歩下がっていた。
「大丈夫。この状態なら安全だよ」
マミの足元で、キュゥべえが言った。
「むしろ、とても役に立つものなんだ」
「見て。私のソウルジェム、夕べよりちょっと濁っているでしょう?」
マミが左手を差し出す。昨日の夜、部屋で見せてもらった黄色いソウルジェムが、今は底のほうにうっすらと影を溜めていた。
マミはそこへ、黒い卵をそっと近づけた。
影が、糸のように引き出されていく。ソウルジェムの中から滲み出た黒いものが、黒い卵の中へ吸い込まれて消えた。数秒で、ソウルジェムは昨夜と同じ、蜂蜜のような色に戻っていた。
「わあ、きれいになった」
「ね? これで、使った分の魔力も元通り。朝に話した見返りっていうのは、これのこと」
まどかは、卵の中に吸い込まれていった黒いものから、目が離せなかった。きれいになったのは嬉しい。けれど、黒いものが溜まり切ったらどうなるのだろう。
その問いを口にする前に、マミが倉庫の奥の暗がりへ向かって、グリーフシードを放った。
ぱしん、と乾いた音がした。
暗がりから、暁美ほむらが歩み出てきた。片手に、今受け止めたばかりの卵を持っている。
「あと一回くらいは使えるはずよ。貴女にあげるわ、暁美ほむらさん」
「……あいつ」
さやかが低く唸る。ほむらはそちらを一瞥もしなかった。
「それとも、人と分け合うのは嫌かしら?」
「それはあなたが手に入れたもの。私が受け取る理由はないわ」
ほむらは、グリーフシードを軽く投げ返した。マミは片手でそれを受け止める。
ほむらの目が、一度だけまどかに向いた。何かを言いかけたように見えた。口は、開かなかった。ほむらは背を向け、来たときと同じ暗がりの中へ消えていく。
「くうっ、やっぱり感じ悪い!」
「……仲良くできたらいいのに」
まどかが呟くと、マミは暗がりを見つめたまま、小さく笑った。
「お互いに、そう思えればね」
その声が、少しだけ寂しそうに聞こえた。もしかしてマミさんも、あの子と仲良くなりたいのかな。まどかは、そんなことを思った。
*
川沿いの高架下の駐車場で、玲佳は魔女の最期を見届けた。
結界の天井が崩れ落ちていく。紙を燃やしたような灰が舞い、その向こうに、コンクリートの柱と、錆びた車止めと、切れかけた蛍光灯が戻ってくる。足元に、黒い卵が一つ転がっていた。
拾い上げて、指先で針の先をなぞる。ずしりと重い。育ちきった魔女のものだった。
視界の端で、影が動いた。
崩れかけた結界の縁を、小さな使い魔が一匹、這って逃げようとしている。魔女の足元にまとわりついていた、黒い毛玉のような使い魔だった。ただ、他のものよりひと回り大きく、輪郭が不安定に波打っている。
玲佳は歩いていって、それを見下ろした。
使い魔を狩る意味はない。グリーフシードを持っていないのだから、倒しても何も手に入らない。放っておけば、いずれどこかで人を喰って育ち、魔女になる。
これは、もうすぐだ。
玲佳は右手をかざした。使い魔の周りの空気が、音もなく閉じる。透明な檻の中で、黒い毛玉がもがき、それから動かなくなった。
檻ごと、手の中へ引き寄せる。掌の上の空間に指で切れ目を入れると、その向こうに、玲佳だけが開けられる暗い場所があった。
古い王の伝承。ソロモンの壺。捕らえた精霊を真鍮の壺に閉じ込め、王の印で封じて海の底へ沈めたという。
先客が、二つ。どちらも、同じような檻の中で、同じように輪郭を波打たせている。
玲佳は三つ目の檻を、その隣に並べた。
高架の上を、最終に近い電車が通り過ぎていく。車窓の明かりが、コンクリートの床の上を一列に流れて、消えた。
三つあれば、足りる。
何に足りるのかを、玲佳は考えなかった。考えなくても、手はいつも正しく動いてきた。