王歴1416年10月10日
アンティーカ騎士団の住んでいる古城には朝の光が照らしている。
碌に整備されていない荒れ放題の庭に紫色の皮鎧を着る竜人がやってきていた。
「竜人、また来たのかい?」
《……》
こくり、と竜人は頷き背中に背負っていた箱を地面に置いた。ディスティールが諦めているように、しかし意固地になってでも説得を試みるように尋ねる。
「今日も腕試しと称して模擬戦を行うのかい? 少しぐらい……話し合いたいな」
《……》
まるで話し合うことは無い、と言わんばかりに竜人は抜刀する。そんなに私と戦いたいのか、とディスティールは呆れながらも剣を抜く。
幾度も繰り返された、模擬戦を称した本物のディスティールとの闘い。それは今日も誰も死なないし、だれの日常を壊さないように行われる――はずだった。
かぁん、と小さなナイフが竜人の頭、そこにある丁寧に偽装された面の留め具を破壊するまでは。
「なっ――え?」
《――!》
竜人――いや、それに偽装した何かが思わず自分の顔を隠したがもう遅い。相対し、その顔を見たディスティールが自分たちが襲撃されたという事実も忘れて呟く。
「リーラ………?」
呆然と呟くディスティールと、朝の光に目を細めながらも襲撃によりおっとり刀で飛び出したリーラが、目の前にいる人形の顔を見てしまった。
「わ、私……⁉」
毎朝身支度の時に見る自分の顔がそこにあったことにリーラの表情が戸惑いに変わる。
しかし似ているのは顔だけだ。竜の耳を意識したような特異なツインテールと中途半端に再現された竜人のような体。なによりも顔面の肌は本物のリーラのそれとは少し異なる。
正直、紫の竜人が「竜人」ではないことは予測していた。でもそれが自分のドッペルゲンガーか、それに似た存在であることは予想していなかった。
「間に、合った……」
よろよろと歩いて茂みからイーリスが這い出る。
「イーリス……⁉ 1週間ほどは帰ってこないはずじゃ――」
ディスティールの声を無視してイーリスは倒れるように片膝をついた。彼女の義手に抱えられた黒い本を見て偽物のリーラが言う。
《あぁ……知っちゃったんだ》
「全部読んだ……逃走していなくなったアンティーカ騎士団の偽物が国を掌握して、吸血鬼を『飼う』計画……。――あなたはそのために作られた、リーラさんの偽物でしょう?」
息も絶え絶えだったがイーリスがなんとか声を振り絞って尋ねた。
傍から聞いているだけのディスティール達がイーリスの言葉に理解できないような表情を見せた。当然だ。文言だけ聞けばフィクションの粗雑な世界征服計画である。
しかし目の前に根拠が立って、喋っている。
《ふぅん……その計画書を持っているってことは、これ以上私が偽装しても仕方がないってことか》
「……発声器官が違うから喋れない、筆談でって――こういうこと?」
音ともテレパシーとも違う何か。まるで自分の想像の中の彼女が原稿を読み上げて演技しているような、自分の想像とは寸分違わぬリーラの声が頭の中に響く。
……といっても感じる違和感は本物が実際に目の前に呆然と呟くから感じるもので、顔見知りなら騙せるだろうが。
落ちた竜人の面を拾い、ただし被りなおすことはせずに偽物は言う。
《私は吸血鬼の中でも人間との共生を願う、いわゆる『融和派』と呼ばれる集団のリーダーに選ばれた元アンティーカ騎士団第四席リーラ……の偽物。エノラ・スワンには『背信』と呼ばれたし、その計画書にはそう記されてると思うケド》
自己紹介のつもりだろうか。背信、と名乗る偽物は言ってのけた。
*
「――何が起こっている」
ディスティールの口から漏れ出た疑問は当然の産物だった。リーラも、古城の窓から今の様子を窺い状況を確認しようとしているクロシェとフィロも似たような気持ちだろう。
「……全部、計画のうちだったんですよ。騎士団へのクーデターも、それの扇動に使われた『ディスティールの英雄譚』も、最近王都で流行している『背信の騎士たち』も……。全部、偽物のアンティーカ騎士団を生み出す魔法を起こすための、仕組まれたことだったんです」
「なんだって……⁉」
イーリスが計画書の要所をまとめた言葉にディスティールが驚き、慄く。それに満足したように背信は不敵に笑った。
《ふーん……ちゃんと読み込めてるんだ。理解、できてるんだ》
「……そして最後は王都を巻き込んで紛争を起こし、リーラさん――いえ、『背信』が討ち取られることで、もとより共生が不可能だと唱えていた者たちが吸血鬼を支配する。でしょ?」
《満点かな》
偽物はイーリスの言葉を認めると、逆に本物のリーラは自身が本物であることを証明するように鋭く息を吐いた。
「……正気? フィクションでもあるまいし、そんな上手くいくわけがない」
《どうだろう――私たちはフィクションによって生まれたからさ》
「……創作と技術で生まれた
作家にでもなればいい、と言ってようやく「ディスティールの英雄譚」の作者がスチリウムなるものを開発していたことも人形劇にも関わっていたことも思い出した。
《――そう、全部はエノラ・スワンの計画。アンティーカ騎士団によって『共生』を実現させるためのね》
「ふざけるな! 私たちの偽物が、自分たちの意にそぐわない存在を踏みにじって――そして最後は吸血鬼を支配するだと⁉ そんなこと――『共生』とは言わない!」
ディスティールの言葉に偽物のリーラは少し笑って彼女に何かを投げつけた。
「っ――、な」
正確には彼女の足元にだった。投げつけられた袋の中に入ったガラス瓶が割れ、内部にあった塩水が突沸し周囲に白煙を発生させた。
「調理用のスチリウム……!」
リーラが偽物に向かって駆け出す、がもう遅い。偽物は疲労困憊なイーリスを尻尾で打ち倒すと《……じゃあね》と一言だけ言って森の中に消えていった。
「――リーラぁッ!」
ディスティールの叫びが古城の庭に響く。
*
古城の食堂に集まった者たちはイーリスが持ち帰ったアイドール計画の計画書を深刻な表情でその文言を読む。
功績者のイーリスは椅子に座ったまま突っ伏している。本来二日かかる道程を一日強で踏破したのだ。ボロボロの体にディスティールの血を飲むことで強引に目を覚まさせているのは質問攻めになると踏んだからだ。
「……そういえば、イーリス。しばらく王都でお母さんと一緒に王都で時計の設置作業があるって。新型の義手もそこで最終調整するって聞いたけど……」
「8日の夜にお母さんに無理言って一時間でやってもらいました」
机に突っ伏したままクロシェの質問に答えるのは不躾だが、だれも咎める者はいない。
ぺらぺらとページをめくって内容を確認すること3往復目。ディスティールは大きくため息をついて眉間を抑える。
「……常識的に考えて、無理くりな計画書だ。それはイーリスも分かるだろう」
「……はい」
「でも……私たちをモチーフにした作品もある。そして物語上の私たちをかたどって、実際に私と本気で稽古できるリーラの偽物……『背信』と私たちは半年以上も関わっている。そして悪名高いアンティーカ騎士団の偽物ならば――紛争を起こして国に混乱をもたらすのは納得できる。………荒唐無稽だが、状況証拠のどれもがこの計画を成功させると――。私もきっと、可能だと思う」
ディスティールは苦々しげに言った。3年間亡命したそのツケが「自分たちの偽物による偽物の共生」だと考えたくなかった。
「しかし――」
「……ディスティール?」
逆接の言葉にリーラが不安げな視線を向けた。
団長は計画書のあるページを開くと鋭く息を吐く。
「――吸血鬼を飼う、ということは血液の調達に関して解決できたということだ。そして計画書に記されている『毒液』……露悪的な表現がなされているが、効能を見れば吸血鬼の食糧問題を幾分か解決できる」
示された部分は大部分がインクで塗りつぶされて「技術封鎖のため検閲済み」とのスタンプが捺されている。しかしいくつかの情報も残されていた。
材料の部分では塩と水と果実と家畜の血液を用いるのみで、悪影響も「体力。・膂力の低下。ただし人間よりかは強いレベル。不愉快な満腹感」と記されているのみだった。
「その『家畜』というのが吸血鬼っていう事とかじゃ……」
「………だとしても人間の血液を採るよりかはよっぽどマシ。悪影響が気にはなるけど……もとより人間よりも強力すぎる膂力のままじゃ小さなトラブルが共生の崩壊のきっかけにもなり得るし、不愉快な満腹感に至っては動物の血をそのまま飲むよりかはマシって判断じゃないかな」
フィロの悪意的な懸念を認めつつも、リーラは毒液の良い部分を並べる。
もとより無限ともいえる再生力を持つ吸血鬼だ。血液を抜かれる程度で食料を得られるのであればまだマシかもしれない。
……無論、それに納得できるかどうかについてはまた別問題だが。リーラの表情は言葉とは反して苦々しげだ。
「……なぁ、これ私たちが止める必要は無いんじゃないか」
それでもディスティールがつぶやいた一言に誰しもが彼女の表情を窺うことになった。
彼女がその一言をきっかけに滔々と言い訳を並べ始める。
「だって――そうだろう? 確かに私たちアンティーカ騎士団本人が共生を果たす必要は無い。この計画が上手くいけば――人間は吸血鬼を自分たちの手中に収めることができる。吸血鬼だって恒常的に食料を得ることができる。――これは私たちが目指してきた『共生』に最も近いんじゃないか? ――そうだろう?」
その言葉はどちらかというと彼女が自分に言い聞かせるように言っていた。その言葉にリーラが何かを言おうとして、やめた。
ディスティールはこの3年間で様々なものを失いすぎた。自身の立場もさる事ながら、家も失い、家族だと思っている騎士団のみんなを傷つけた。
彼女の主張する「共生」が曖昧だったせいで、一番若手のイーリスは左腕を失った。
彼女の信念はすでに折れていた。
「………そうですか」
イーリスが顔を上げた。その覚悟に染め上げられた表情にディスティールは予感がよぎって、思わず止める。
「――イーリス、君がもし本気で偽物の掲げる共生に異を唱え王都に向かうのであれば……私は君を止めなければならない」
「……!」
その言葉にほか3人が色めき立った。
クロシェはいつだってディスティールの味方だ。だからディスティールがそう言った以上、計画を止めに行く気はなかった。
フィロには勇気がなかった。だから王都に行くなんて発想すらなかった。
リーラもイーリスの思いは痛いほど理解していた。それでもディスティールの心が壊れかけている以上、自身の心に従えるほど自分に正直でなかった。
ただ、イーリスだけが自分の思いに正直でかつ勇気もあった。
「これが『共生』だと言うんですか。人間が吸血鬼を一方的に支配し、相手のことを全く理解しようともせずにただ自分たちにとって都合の良く管理するのが、あなたにとっての共生だったというんですか」
「その共生を掲げた結果が――イーリスの左腕だろう!」
ディスティールはついに耐え切れないと言った面持ちで叫ぶ。フィロが止めようとしたが、リーラが抑えた。
「イーリスだってこの3年間で十分理解しただろう! 人は自分にとって都合の良い物事しか受け入れない……だからディスティールの英雄譚は受け入れられ、本物の私は捨てられた……。君だって知っていたはずだろう、でないと3年前まで自分がハーフであることなんて隠さなかったはずだ! ……団長の私が、ハーフと言う存在を認めるはずがないと考えていたからな」
「………はい」
「もう――良いんだ。私は自分の家族が傷つくのを見たくない。……私が全部守る。だから……ここでみんなで隠れて暮らそう? な?」
イーリスの肩を掴んで必死になだめようとするディスティールの手はまるで彼女を必死に縛り付けるように震えていた。
きっと3年前のクーデターが起きた夜のことを思い出しているのだろう。団長である不甲斐ない自分を守るために、イーリスが傷ついたあの夜を。自分の故郷のように、自分の家が燃えたあの夜を。
――だけど
「……ごめんなさい。嫌なんです」
イーリスの心はまだ折れていなかった。
「どうして……?」
ディスティールの表情はまるで理解できないものを見るかの表情だった。自身を騙る偽物との対話を諦め、自分と仲間を守るためならばどんなに汚れようとも構わない――そう決めた、心優しい殺戮者は呆然と自らの信念を否定する彼女の真意を窺う。
「私はあの日――誓ったんです。人間と吸血鬼の間にある壁を、無くすって。人間と吸血鬼が共に歩んで、その方法を一緒に考える日が来るまで戦い続けるって」
それはいつだったか、イーリスが言った言葉だった。
アンティーカ騎士団が人々から憎まれ、他の皆が諦めても彼女の願いは、騎士道は折れてはいなかった。
「……こんな方法じゃ、何も変わらない。……ただ人間が支配の名のもとに下賜する状況は、吸血鬼の思考停止を産んで人間は傲慢になる」
「………出来るわけがない。同じ人間であっても、対立するというのに」
「だとしても――! 私は、アンティーカ騎士団で見た光を信じてみたいんです! あの日の選択が間違いじゃなかったって証明したいんです!」
イーリスの必死に訴えに、眼光にディスティールは脂汗を流しながらも真正面から受け止めた。
しかしディスティールも譲れない。もう二度と、家族を傷つけたくない。
「行かせられるわけないだろう! 私よりも弱く、隻腕の部下に」
「……試してみます?」
「……は?」
ディスティールは耳を疑った。しかし続けて放たれたイーリスの煽りよってにさらに気分を害することとなる。
「……今の腑抜けた団長なら、私でも倒せます」
「………そこまでして、止めに行くのか」
ディスティールは少なからず驚いた。いつも従順なイーリスがここまで啖呵を切っているのだ。覚悟を示しているのだ。
しかし……こちらにもこちらの道理がある。そして――
「……そこまで言うのなら、表に出ろ」
「……!」
その一言には明らかに怒気が充填されていた。
「確かに3年前に比べたら私は腑抜けたかもしれない。そして入団して四年近くにもなるイーリスは強くなったかもしれない。――だが、私はアンティーカ騎士団の団長。お前が私に勝つなど、烏滸がましいにも程がある」
一触即発の空気に、付き合いが長いクロシェやフィロでもたじろぐようなディスティールの怒りの眼光に、それでもイーリスは一歩も動かずに真正面から受け止めた。
「――分かりました。装備を整えてきます」
「あぁ。私も鎧を着てくる」
*
ディスティールとクロシェの部屋のドアを、彼女は乱暴に開けた。
「――くそ」
ディスティールは悪態をつきながら箱を開けて金属製のブーツを履き始めた。彼女の様子に危険なものを感じ取ってクロシェは必死にディスティールを宥めようとする。
「ディスティール、冷静になって……」
「……すまない。でも……イーリスの言葉は正しい。このままだと私はまた彼女を傷つけてしまう。だから――私は彼女の骨を折ってでも止める。君が王都で討たれて死ぬのよりも、心折れたまま平穏を生きたほうが良いはずだ」
言葉は冷静のように見えるが、その声音は強く激情に駆られているように見える。
(怒りの感情をあえて抑えないことで、無理やり戦おうとしている……)
「……クロシェ、止めないでくれ。私はイーリスを傷つけるわけにはいかない」
「――うん」
クロシェはその言葉に従ったが、止めたかった。
だってこんな方法で吸血鬼を管理するなんて、ディスティールが一番納得していない。でも仲間や家族のことばかり考えて、自分の苦痛を無視してしまう。
(でも……ディスティールが決めたんだから、きっと正しいんだよね……?)
手首と二の腕を守る装甲を身に着けたディスティールだったが、装甲の場所が同じなだけでみんなに認められてみんなのために守ってきていたあの時の制服姿ではない。
「――行ってくる」
「うん……」
クロシェには分からなかった。今の共生を諦め自分たちを守るための殻になろうとするディスティールが正しいのか、それとも昔の愚直に未来と仲間の可能性を信じていたあの頃のディスティールが正しいのか。
*
イーリスの部屋。クロシェがディスティールについて行ったのを確認していたのでフィロとリーラはイーリスのほうについて行くことにした。
「………あのさ、イーリス」
「分かってます。すっごく嫌な言い方しました」
さすがの先の一幕について るべきだとリーラは仕掛けたが、イーリスの返答に混ざった自己嫌悪の割合に気づいて黙ることにした。
しかしイーリスは自己嫌悪の様相を見せつつも、なお義手を変える手は止まらない。
「団長の言い分にも一理あることも、そしてこの3年間私たちが団長の庇護のもとでいたから無事だったのも理解しています。……でも、だからってずっと殻にこもるわけにはいかない」
「……ま、そうだよね。あんたが言わなかったら、私がディスティールに立ち向かっていたからさ」
「……本当です?」
「――ごめん、嘘。勝手に黙って一人で王都に向かうと思う」
イーリスの指摘にリーラは観念したように言った。フィロもその言葉に賛同するかのように少し笑う。
「リーラは猫だから……決死の覚悟だったら、きっと私の前からはいなくなるだろうなぁって心配してた」
「フィロまで……え、そんなに私信用されてない?」
「信頼はしてるよ。きっとリーラは、みんなの言う言葉の裏まで読んで勝手に行動するだろうなぁって」
「……恥ずかしいな」
「あのまずは猫である部分を否定してもらえませんかね」
どうして自分はこれから決闘だというのに先輩方の惚気を見せつけられているのだろうか。場違いな安っぽい甘さにイーリスは渋い顔をし――すぐにこめかみを抑えた。
「――っ」
「だ、大丈夫……?」
「え、あー……だいぶ大丈夫じゃないです。王都からここまで街道をほぼ眠らずに走って抜けたんで。……でも啖呵切った手前、どうにかしますよ」
心配そうに気遣いをしようとしたフィロを丁重に無視してイーリスは壁に立てかけられた剣を手に取った。金属の左手で少しだけ刀身を撫でて、調子を確かめる。
「行ってきます」
「……うん」
「行ってらっしゃい」
疲労を誤魔化すイーリスの表情を見ながらフィロは己の決定意思の低さを、リーラは己の臆病さを呪うしかできなかった。
*
「来たか」
太陽は昼と言うほどではないにせよ高い位置に移動した。ボロボロの花壇だったものに腰かけていたディスティールがやって来たイーリスを見て立ち上がる。
佩いていた剣を抜く。一般的な者よりもやや幅広で、彼女の膂力にも防御にも使える形状の剣は騎士団の正式装備だった銀の剣よりも重い。
「はい」
イーリスは短く答えて剣を構えた。レイピアほどではないが、かなり細身の剣で振りやすさを優先した剣は隻腕であることを考慮したものだ。
そして左腕の義手は鈍色であるが、数日前に見たものとは形が違う。
「……肘、曲がらないんじゃなかったのか」
「新型です。操作が煩雑になりましたが、便利になりました」
「ぶっつけ本番で新しいものに手を出すか。随分と自信があるんだな」
ディスティールの皮肉にイーリスは含み笑いをするだけで何も答えない。ただ義手をかくかくと動かして調子を確かめるのみである。
「どっちが勝つと思う?」
「そりゃあディスティールでしょ。ただでさえ実力差は明確なのに、イーリスはもう体力が限界。吸血鬼とか日光とか以前に、コンディションが悪すぎる」
クロシェの質問にリーラは答えた。白い日傘の中にはリーラと、当然のようにフィロが入っており定員オーバーでクロシェは入れない。秋の日差しなど人間のクロシェにはむしろ心地よいものだが、仲間外れにされているようで少し悲しかった。
「……ディスティールも若干精神状態は良くないけど――まぁだからって調子が悪くなるほどじゃないと思う。まぁ……イーリスが勝てるとは思えないね」
クロシェの意見も同じだった。同じではあったが……
「でも二人とも、イーリスに勝って欲しそうに聞こえるよ?」
フィロの指摘に2人は黙った。図星だということだ。
三人の視線の先で相対していた二人がほぼ同時に地面を蹴った。
「ハァっ!」
大ぶりのディスティールの振り降ろしの初撃をイーリスは回避、横薙ぎを仕掛けたが鉄のブーツによって遮られる。
「――うそ」
驚きでイーリスは場当たり的にバックステップで下がってしまったが、ここは連撃をするべきだった。その後悔はすぐにディスティールの突きで証明される。
きん、と金属音。義手が突きを弾く。
「シッ」
「――っ⁉」
しかしその義手で殴られることは予測してなかったのだろう。短い気合と共に放たれた正拳突きをまともに受けてディスティールはたまらず後ろに下がった。
「なるほど……肘か」
当たり前だが肘を曲げずに正拳で殴ることは出来ない。構造的脆さを無視しても可動域を高めたのは、アンティーカ騎士団の剣戟において攻撃に使うことが少ない左腕を武器として使用するためか。
殴られた衝撃が消えない。突きを弾かれた時も感じたが、相当重く、硬く作られている。
(でも可動域が増えた分、叩き続ければ壊れる――!)
ディスティールが踏み込む。袈裟切りはイーリスの義手によって防がれたが、続けて放たれた二撃目三撃目にイーリスが焦り始めた。
「団長――まさか」
「そうだ、左腕が無ければお前は防御できない!」
そう。イーリスは装甲を身に着けず剣も細身で、防御は義手に頼り切っていた。
本来は問題にもならないものだが、人間離れしたパワーとスピードを以って放たれるディスティールの猛攻相手に防御に偏重された義手でも耐えるのは難しい。
(そう、イーリスを止められるのは私だけだ)
己の信念のもとに相手を叩き伏せ、相手の左腕をもう一度切り落とす言葉の意味も理解しないまま振り降ろす。左腕に集中していたこれまでの攻撃のようにではなく確実に右腕を狙った一撃は服と浅く右腕の肌を切り裂いた。
「イーリス――っ!」
ディスティールが後ろに踏み込む。彼女のおもいを込めた回転切りはそのままイーリスの左肩へと向かい――
*
王歴1416年10月8日
「一時間で調整を行えって言われてもねぇ……」
計画書を渡された後にやって来た母にはそんなことを言われた。外は真っ暗。ペンライトの光は頼りなく、十分な光量ではない。
「感謝しなさいよ。いきなり『みんなのもとに戻るから最終調整をやれ』って言われて、真夜中でできるのは吸血鬼の職人ぐらいよ。……もっとも自信ないけど」
「ごめんね、母さん」
「……何があったか言わないのね」
「ごめん。母さんをあんまり巻き込みたくない。……騎士団のことだから」
瞬間、がくんと肘が曲がって驚く。技術的に難しい、と言われていたが実現したことに驚きを隠せない。
「難しいんじゃなかったの?」
「機能を実装させるのは出来たのよ。問題は関節が増えることによって脆くなったのと操作の煩雑性。両方無視して無理やり実装したわ。操作性はこれまでの2倍以上悪くなってる。慣れて」
「……まぁ無茶言ったのは私だけどさぁ」
本来作業用でない机に置かれた3つの義手。1つはこれまで使用していた人工肌の肘が動かないもの。1つは今調節している鉄と所々銀の装飾を入れた新モデル。そして残った1つは腕の部分に大きな1本のパイプが目立つモデル。
「この子達、名前あるの?」
「名前? 憶えるの面倒じゃないの?」
「まぁ……確かに。お母さんなら名付けないよね。でもこれの開発に協力していた工房では何もなかったの?」
当てつけのつもりではないが、イーリスはそう言った。基本的に風情と言うものを考慮しないこの母親の性格は知っていたが、協力者がいるのならば話はまた違うかもしれない。
その言葉を聞いて母は整備用だと思われる紙をイーリスに見せた。
「えーっと……『
「アヤメは汎用型の2つよ。そしてホウセンカが手品付きのもの」
「いや……どういう意味かなぁって」
機能自体は見ればわかるし前2つが同型だということも紙を見ればわかることだ。だけど名前の意味が分からない。聞きなじみのない言語だからきっと異邦の言葉なのだろう。
ん、と思い出すかのように作業の手を止めてまで考えて母はゆっくりと答えた。
「『アヤメ』は『
「ふぅん……」
少なくとも名前のセンスは母親のそれではないな、と判断する。工房の誰かのセンスだろうか。
「じゃあもう1つは?」
「こっちは……『Balsam』。『Touch-Me-not』のほうが分かる?」
「あー、触ったら弾ける花の。だから野外調理用のスチリウムを使う訳ね」
設計図には「緊急時には仕込まれた調理用のスチリウムを熾すことで煙幕と音を発生させる」と記されていた。水が沸騰したときに笛が鳴るやかんと同じ設計思想らしい。
「――『堅牢な防御と余計な手品』。それがウチのモットーらしいわ」
余計な手品、の一言にイーリスは少し笑ってしまったが次の母の一言で黙るしかなくなった。
「もう――二度とあなたの腕を失くさせない」
*
だからその左腕から短い笛の音と熱い白煙が自身の顔面を襲った時、容易にディスティールは前後不覚となった。
熱い、うるさい、何も見えない――何が起こった?
その疑問は瞬間襟を後ろから引っ張られた衝撃によってすぐに消えた。
地面に転ばされた、と思った瞬間ディスティールの顔のすぐ横に剣が付きたてられた。
「……!」
「――団長の負けです。私はあなたに守ってもらうほど、弱くない」
「あぁ……そうだな」
イーリスの言葉にディスティールは素直に認めた。
一気に彼女の頭に後悔が流れ込む。
(左腕をもう一度切り落とせば止まってくれる――か。なんて、私は乱暴でおぞましい選択を……)
ディスティールを眺めるイーリスの表情は日光による逆光で何も見えなかった。
誰かが走ってくる音が聞こえる。その人物はディスティールよりも先にイーリスを支えた。
「……イーリス」
「あぁ、クロシェさん……」
地面に突き刺さった剣をクロシェに手渡したイーリスはがくんとうずくまった。
「あ、まず……」
「イーリス、大丈夫か⁉」
どうして負けた自分よりも勝ったイーリスのほうがダメージを受けているのだと思いながら、上半身を起こしてイーリスを支えた。
(そうか……君はさっきまでずっと走って王都からここまで……。なのに『背信』と相対し、私と決闘して――そりゃあ倒れるよな)
すぐにやって来たリーラが問答無用でイーリスを肩で抱えた。「うぐ……」とイーリスが結構苦しそうにうめき声を漏らし、フィロが雑な扱いをやや非難するようにリーラを見たが彼女はまるで気にしない。
リーラはイーリスを肩で抱えたまま座り込むディスティールに尋ねた。
「それで……どうするの? イーリス一人だけっていうのは不可能だから、私も出るけど……ディスティールは」
「……あぁ」
リーラが差し伸べた手を掴んで立ち上がった。立ち上がって短く息を吐く。
「私だって……嫌だった。これまで培ってきたアンティーカ騎士団の歴史が偽物によって成り代わるのも……それで間違った共生でこの国が染められるのも」
「……うん」
「でも……怖かった。昔私たちが掲げた共生は何の確証も無く、ただ人間と亜人族の間の溝を深めるだけだった。そして……そんなことを言って、もう一度イーリスや騎士団のみんな、この城に身を寄せる様々な者を傷つけるんじゃないかって。だから――傲慢なことにみんなを守らなくてはならないと考えてしまったんだ」
落としてしまった剣を拾った。そこら辺の野盗から強奪した粗製の剣で王都を守る騎士団として与えられた宝石が埋め込まれたあの剣とは全く違うものだ。
「リーラ、みんな………こんな私でも、もう一度アンティーカ騎士団の団長として王都を――自らの騎士道を示すために、我儘になってもいいのかな」
ディスティールの問いに3人は頷いた。
「たとえ他のみんながディスティールを認めなくても、うちは――いや、ここにいる四人はディスティールの仲間だから。多少の我儘は認めるから!」
「でも……間違った時は、その時はみんなでディスティールを止めて見せるから……」
クロシェとフィロの言葉にリーラは頷く。
それを見てディスティールは持っていた剣を掲げた。
「我らは――アンティーカ騎士団。……たとえどんなことがあっても、人間と吸血鬼の共生を――そして民を守ると誓った身。――あの時の選択は間違いだったのかもしれない。でも……自らの騎士道を信じて、私は――いや、私たちはもう一度騎士としての誇りを取り戻す!」
思えばこうやって剣を掲げたのはいつぶりだろうか。自らの共生と騎士道を信じられなくなって、諦めたのはいつだったか……。
それでも――過去の選択を悔やんだままで閉じこもって、自分の心に従わない人生なんて嫌だ!
「騎士の誇りを――剣に、懸けて!」
*
イーリスが起きた時には夕方だった。ベッドの脇にはディスティールが椅子に座って「背信の騎士たち」を暇そうに読んでいた。勝手にイーリスの本棚から取ったのだろう。
渋い顔をしているのはあの計画書のこともあるだろうが、内容がディスティールにとっては複雑怪奇なのだろう。退廃的ラブロマンスは彼女には早すぎる。
「んぁ……」
「……起きたか」
「あの、今何時です……?」
「17時だな。意外と早く起きた」
ディスティールはわざわざ立ち上がって、ベッドの上で体を起こしたイーリスに頭を下げた。
「イーリス……本当にすまない。私は――」
「あー! 良いんですよっていうか、私こそ本当にすみません! 団長の思いを無視して自分のやりたいことだけ言って……!」
「いや……良いんだ。――長い間、私の独りよがりに付き合わせてしまったな」
「いえ……私も団長に甘えてたので……」
イーリスがそう言ってしばらくの静寂。下手に次の言葉を言えば謝罪になり相手に気を遣わせてしまうから黙るほかない。
しばらくの気まずさを打ち破るために先に言葉を発したのは意外にもディスティールだった。
「――他のみんなは厨房で支度をしている。保存食を作ったりしてるらしい。……私は戦力外とみなされてしまったが」
「え……私のために?」
「イーリスだけじゃない。騎士団全員で行くんだ」
ディスティールの言葉にイーリスは目を見開いた。
イーリスは本当に一人で止めに行くつもりだったのだ。きっと、ディステールも誰も自分の行動を支援してくれないと思い込んでいた。
「私も……いや、私たちもイーリスのように自分の心に従いたいと思ったんだ。……迷惑だったか?」
「――いえ! 皆さんと一緒なら、千人力です。ぜひ、お願いします!」
その言葉にイーリスは喜びを以って頷いた。
立ち上がって礼を――と思った時、しかし彼女は一つ伝えなければいけないことがあることを思い出す。
「……団長。アイドール計画を止めるのなら――本当に私と一緒に行動するのなら、伝えたいことがあります」
「? なにかな……?」
計画を止めるのなら、とイーリスは言った。つまりこれは表向きは計画に賛同していたあの時のディスティールには聞かせられない話だということだ。
「この計画には――重大な懸念事項があります」
Q.アイドールってなんですか?
A.物語の中の人物を人形として再現する魔法技術です。
Q.スチリウムって?
A.生石灰と水の反応を利用して発熱を起こす錬金術です。どうにかして蒸気動力を物語に組み込みたかった、私のエゴの塊です。
ほらー、変なオリ設定ぶち込むからあとがきで解説するー