吸血鬼でもどんな達人でも剣の切っ先を複数本向けられながらでは真っ当な行動は不可能だ。
ディスティールなら人間の剣や槍程度なら無茶は出来るが……それが吸血鬼や亜人族ならば話は別。
(……やりにくいな)
ディスティールは向けられた視線と槍の数に思った。
人間と吸血鬼の判別は難しい。イーリスの紹介によるとこの場所は何人か吸血鬼や亜人族がいることは分かっている。だから強引に突破しようとは思えなかった。
居心地の悪さを感じるのは仕方がない。騎士団にとって吸血鬼や亜人族の存在を隠匿していた村は処罰対象だし、隠れ里は明らかに糾弾しなければならない存在である。
この隠れ里にとっても、クーデターによって追われた騎士団に匿ってくれと頼みこまれるなど想像しえなかっただろう。加えて案内したイーリスは元住人で騎士団に入団したせいで左腕が切断されたとなれば印象が悪くなるのは仕方がない。
(……さすがにこの場で暴れるほど私も愚かではないが……吸血鬼がいる村と聞くと……)
「やりにくいなぁ……」
騎士団の全員の言葉を代弁するイーリスだったが、彼女が居心地の悪さを感じている最大の原因は左腕が無いことであり他の団員の居心地の悪さとはまた別種のものではある。
イーリスの父は娘の左腕が無くなっていることをひとしきり聞いた後に「……母さんのほうが詳しいよな」と呟いて案内することになったのだ。
案内された家の前で待つ。視線と槍の数は変わらない。
「ここがイーリスの家?」
「そうですね。一人っ子で、母と父しかいないはずです。フィロさんは?」
「兄がいるよ。今は……何やってるんだろう……」
「フィロの兄さんは頭かなり良かったからね~。いまごろ医者か学者か……。騎士だからうかつに故郷に戻れないのはきついよね~。ちなみにうちも一人っ子! まぁディスティールがいたから実質、妹がいたようなものだけど」
「……騎士団へのクーデターで村八分とかされてなければいいですが……」
「ん~……大丈夫じゃない? うちらの父さん、無茶苦茶強いし」
やりにくさを誤魔化すようにイーリスとフィロとクロシェが談笑し始めた。
ディスティールとリーラが黙っているのは単純に周囲にいる住人の出方を窺っているだけで、彼女らに親がいないからという訳ではない。……ただ話題に入ることは難しいだろうな、とも思うが。
「イーリスの御両親ってどんな人~?」
「父が罠専門の狩りをしていて、母が時計職人ですね。お父さんも昔は時計作ってたんですけど、目がかなり悪くなったんで……」
「――吸血鬼の研究をしていたってさっきは言ってたけど」
「うちの母は――よく物語に出てくるような変な研究者みたいな人なんで……人や吸血鬼の区別なく人体実験とかを見境なく……って感じらしく」
「……今も?」
「2年ほど会ってないんで今は――」
イーリスが視線をクロシェから住人のほうに向けた。
槍を持った、人間としてはやや背の低い――おそらくドワーフとかレプラコーンとかその辺りの亜人種だろう――は、しばらく表情を渋い顔にして「……特に変わってないよ」と言った。
「――変わってないらしいので、たぶん時計を小型化するのに躍起になっているはずです」
(……かわいそ)
リーラは心の中でそうつぶやいた。
どうして槍を持っているほうがビクビクしているのに、つい2日前に左腕を落とされた娘のほうは平然としているのだ。隠れ里がいろんな犯罪者とか吸血鬼とかが逃げてきたとかイーリスは言っていたが、実質的なまとめ役が彼女の母親であるのは間違いなさそうだ。
周囲の人々がはけていく。どうしたのだろう、と眺めると女性がこちらにやって来た。
「あの人が、イーリスの母上か」
「……はい」
姿かたちはイーリスの母親だとわかる程度の姿。髪色はイーリスと同じく若干茶が混じった黒。
母はイーリスの姿を見るなり驚いて彼女のもとに駆け寄る。周囲に人の視線や他の騎士団員を無視したのは仕方がないだろう。
「イーリス……あぁ、本当に左腕を無くしたのね」
「うん。団長の血は飲んだけど、完全に再生は出来なかった」
「――あんまり動揺してないのね?」
「まぁ……あんまり実感がないというか……。というかお母さんも」
「あなたが騎士団に入ったって聞いた日から、私はあなたに殺されることも私があなたを殺すことも覚悟していたわ。……まさか先に騎士団のほうが反逆を受けるとは思ってもなかったけれど」
心配……自体はしているのだろう。イーリスの母は娘の左腕の傷をしげしげと観察している。次に体を――と調べようとしたところで周囲の視線を思い出して「まぁ、生きてるようで何よりだわ」とかなりドライな様子で言ってほか4人の前に立った。
「……あなたたちがアンティーカ騎士団?」
「はい」
騎士団を代表してディスティールが返答する。母上は4人の様子、特にリーラを少しだけ注視した後にディスティールの正面に立った。
「……良くもまぁ人の子供の左腕を落とした挙句、会おうとしたわね」
「お母さん……!」
「あなたは黙ってて」
イーリスの窘めを彼女は一言で静かに制した。
フィロとリーラが視線を落とす。代わりにクロシェは腕に力を込めて、相手がどんな行動に出てもいいように重心が前に偏っている。
(――怒りをぶつけられても、仕方がない)
「申し訳ありません。すべては……あの時、娘さんに庇われた私の責任です」
頭を下げる。それしかできない。……自分に言い訳ができる余地は無いのだ。
たとえ目の前の吸血鬼が――
「あぁ、あなたが団長さん? 見たわよ『ディスティールの英雄譚』」
「………」
「よくもまぁ……黒い髪の吸血鬼に謝罪なんて出来るわね」
「……」
「母さん!」
イーリスの非難に、ディスティールは頭を下げたまま視線で止めるように訴えた。意図を察したようにイーリスは黙る。
頭を下げたまま、ディスティールは溢れ出る激情を抑えるために強く拳を握りしめながら尋ねた。
「……あなたが、私の故郷を襲った――本当の『黒髪の吸血鬼』なんですか?」
「――どの故郷かは知らないけど、私は自分の知的好奇心だけで人を殺したことぐらいあるわよ」
「……!」
思わず視線を上げる。無礼かどうかなんて気にする余裕は無かった。
彼女の視線はひどく冷徹で、ディスティールの意思を本当に確かめるかのような視線だった。
「イーリスの思想に共感し、あなたのお友達の吸血鬼を受け入れたところで――あなたはすべての吸血鬼を受け入れるわけじゃない。吸血鬼が人の血を飲まないといけないという生態を無視して、あなたはどんな幻想を王都の民衆に押し付けてきたの? 現にあなた達騎士団は共生の方法を何一つ提示できてないじゃない」
「それは――!」
それはディスティールの弱みだった。
「……イーリスも、何も考えずに飛び出したはいいけどその後がない。どうするつもり? あなたたちはどうしているかは知らないけど……うちみたいに持ち回りで人間が瀉血して――じゃあ吸血鬼が増えた時に対応できない」
「それは……これから、みんなで頑張って……」
「そして、それを提示できたとしても――黒い髪を持つ吸血鬼というだけで畏れたり憎んだり……そんなことで動揺する騎士団の団長が現状をどうにか打ち破れるとは思えない」
「……それは」
イーリスの母親の言葉はディスティールが、そして騎士団がずっと目を背けていた問題だった。
共生などと言っておきながら両者が歩み寄れるような仕組みを構築できていない。そしてそのような仕組みがもしも出来上がっていても、騎士団自体が歩み寄る心構えができていない。
現状ディスティールが団長だから母親の指摘は団長に向けられていたが、他の団員も反論できずに受け止めるほか無かった。
「……あなた達を匿うことは出来る。でも、いつかあなた達も答えを出してほしい。本当に『共生』の道を選び取るのかを」
*
アンティーカ騎士団は一時的に隠れ里にあった小さな空き家に住むことになった。
「……ありがとうございます。お母さん」
1人だけ実家に戻ったイーリスが母の前で言った。
作業台の上にはこまごまとした部品。出来上がった時計が並べられ、機械油の臭いに混じってどこか血液と死臭。
「今回だけよ」
母はイーリスの血だらけの服を脱がし始めた。
「ちょっと、このぐらい1人でできるって……」
「出来ないでしょ。右腕しかないんだから」
「……確かに」
血だらけの騎士団の制服を母はカゴに投げ入れる。「さすがに捨てるわよ、こんなに血だらけじゃ綺麗になる前に生地が破ける」とも「変な構造の服ね……」とも言いながら裸に剥き始める。
「……そういえば父さんは?」
「騎士団の四人に家の使い方とかどこに何があって、この里のどこが何の場所なのかを教えているわ」
「そっか……」
切断された左腕を母は撫でる。濡れタオルでイーリスの体を清め始めた。
「……ごめん」
「それはどれに対しての謝罪?」
母はかなり怒っているようだ。基本的に技術と自分の家族のことばかりの人だと思っていたから、彼女が初めて会話するであろうディスティールにあんな強い言葉で糾弾するのは中々見ない光景だった。
「騎士団に入るって言って、村を飛び出した挙句何も考えずに共生の道を提示して、民衆に受け入れられなくなって王都から逃げ帰ったこと?」
「それもそうだけど」
母は怒りを隠さずに続ける。
「あなたの左腕よ」
「切られたこと? それは――ごめん」
「切られたのは良いわ。……何も良くはないけど。でも――左腕は持ち帰って欲しかった」
「……治せた?」
「治せないわよ。今の医学じゃ、神経をつなげて骨を接げて――なんて無理」
どういうことだろう。とりあえず自分が傷ついたことに怒っているという雰囲気ではない母の言葉に若干不満に思いつつ次の言葉を待つ。
「吸血鬼の体……死体も切り離された腕や体の一部は霧になって消える。でも……あなたの体は半分人間……もしかしたら霧になってない可能性もある。……吸血鬼由来の生物を始めて解剖できるのよ」
「……それ、本人の前で言う?」
あまりにも残酷な言葉にイーリスは苦笑い。慣れているのだ。
この隠れ里は度々襲撃されている。だから大量に人払いの仕掛けがあるが、それを潜り抜けた襲撃者は里の吸血鬼のための餌となり、両親の実験台になる。
イーリスは幼少期からそういった「実験」に慣れていた。もちろん母も父も倫理感は無かったが、良心はあったから実際に見た事は無い。知っているのは実験によって得た記録と考察のみ。何をしたのかを見たことは無い。
だから医学で自分の腕が治せないことも、もし腕を持ち帰っていたら実験台にされていたことも、それでも自分を心配しているのも事実なのだろう。
でも続いた言葉にイーリスも表情を改めるほか無かった。
「……もしも切断された左腕が霧にならなかったとき、何らかの形で悪用される可能性もある」
「……悪用」
「錬金術、悪魔信仰――ま、『アンティーカ騎士団の団員を傷つけた証拠』というだけでも大問題じゃない?」
母の言葉をイーリスは認めるほか無かった。
*
ディスティール達が空き家でイーリスの父親の話を聞く。
「……以上だ。何か質問はあるかい?」
一通り話を聞き終えた時には窓の外はかなり暗くなっていた。
騎士団の面々が言いにくそうにしている中、クロシェが尋ねる。
「……あなたの奥さんはうちのディスティールの故郷を滅ぼした可能性は」
おそらくこの場にいた全員が問い質したかった言葉は、当の被害者本人の冷たい視線が結論を告げていた。
「……はっきり言おう。イーリスの母上はきっと『黒髪の吸血鬼』じゃない」
「どういうこと?」
イーリスの父が問う。この里の実質的なリーダーであろう吸血鬼の夫、という立場だ。物腰は柔らかそうに見えても内面はきっとかなり違うのだろう。
「イーリスを産み育てた年月と襲われた年を考えるとあり得ない。それに……あの人が私の故郷を襲った張本人なら、あんな風に私の掲げた共生に対してはっきりと指摘なんてしない。きっと甘言を告げて、寝首を掻く。加えて人間と恋に落ちるなんてありえない」
「まぁそうだろうね」
イーリスの父もその言葉に簡単に頷いた。懐から「ディスティールの英雄譚」の上巻を取り出す。
(ずっと持ってたのか……?)
「この本によれば、君が襲撃されたときにはイーリスはすでに生まれていた。当時のイーリスは病気がちで、君の故郷にまで行く余裕は無かった。……イーリスはそんな感じの説明しなかったのかい?」
「……『あのお母さんなら否定できない』と聞きました」
ディスティールの言葉にイーリスの父は「あいつ……」と悪態をつく。
だが否定できない部分もあるのだろう。しばらく言い訳を考えていたようだが「……まぁ良い」と諦めてしまった。
「先ほどの妻の言葉に謝罪しよう。すまなかった。……言い訳になるかもしれないが、彼女は『共生をあきらめた』吸血鬼なんだ」
「……あきらめた?」
彼の言葉にリーラが尋ねる。
諦めようとしていたが、イーリスの叱咤によって救われる覚悟を決めた吸血鬼としては「共生をあきらめた」という言葉が気にかかる。
「もともと人間とは何か吸血鬼とは何かばっかりを研究して、そして同胞から爪弾きにあったひとだった。そんなところで僕と出会って――まぁ色々あって『人間と吸血鬼は分かり合えるはずだ』って、いろんな研究をしたけど――全部空ぶった」
「空ぶった、ですか」
「人間の血は、人間じゃないと作れない。そして人間が嫌がる以上、瀉血の痛みを抑える方法を作り出すか代わりを開発するかの2択」
ここで彼は自嘲の笑みを浮かべた。
「色んなことをした。隠れ里を襲ってきた人間吸血鬼その他亜人種を生きたまま実験台にしたこともあった。出来た試料をこの村のみんなに振る舞ったりもした。……イーリスにも、ね。まだ実験の内容を伝えてないけど――どこまで察しているかなぁ……」
「……!」
村へ行くまでの道にあった大量の罠はそのためのものだったのだろう。侵入者を弱らせ、実験体に加工するための……。
「君の故郷に行けないのはそういう理由さ。子育てと実験で彼女はだいぶ疲弊していた。わざわざ出歩く必要がないぐらいには、実験体の供給も滞りなかった」
「……イーリスは、そこまでのことは言ってはいませんでしたが」
「じゃあ……まだ大丈夫かもね。本当に信用できないと思ったらこんなとこ来ないか」
彼は笑いながら言った。
(……狂っている)
自分が決めた理想の為なら倫理も人道も捨てる覚悟と行動。イーリスのそれも常軌を逸していたが、親はさらに重い。
彼は口だけは笑いながら、ディスティールに問うた。
「僕らは何人もの人間を殺した挙句たいした結果が出せず、挫折した。……アンティーカ騎士団、君たちの掲げる『共生』に『
「……無理、ですね」
ディスティールは言いにくそうに、しかし確実に言い切った。
彼女たちがこれまで提唱してきた「共生」は
たった一つの成功例をほかの吸血鬼に押し付けるのか?
たとえそれが幾程の奇跡を紡ぎだすモノだっても、何人もの犠牲を生んで得られた技術を自分は肯定できるのか?
……それは無理だろう。いくら「寛大」と言えども、限度がある。
それ以上に――
「私には、それを認められるほどの度量はありません。……わたしはまだ、吸血鬼という存在を恐れていて、自身が言う『共生』を疑い始めています」
「………」
その言葉にリーラが何か言いたげだったが、ゆっくりと息を吐いただけで言葉には出さなかった。
*
王歴1414年1月
クーデターから3か月が経過した。季節はすっかり冬へと変わり、王歴も1413年から1414年に変わっていた。
この里の住人はアンティーカ騎士団の団員と関わろうとしなかった。彼女たちも自分たちが招かざるものであるという自覚を持って、イーリスの両親の手伝いぐらいしかできない日々を送っていた。
「……現状を確認しよう」
椅子に座ったディスティールが溜息を吐く。室内だというのに息が白いのは暖炉に火を入れていないからで、それでもある程度は快適に過ごすことができていたのは彼女たちの懐にあるものがあったからだ。
「『スチリウム』だっけ? 便利だよね」
フィロが家畜の胃をなめしたものを手に抱えて柔らかく微笑む。
今年の冬から王都で販売され、爆発的に広まっているものだ。防水性の高い家畜の胃で出来た包みの中には砂鉄・石灰・砂の混合物と塩水の入ったアンプルが入っており、包みの中でアンプルを割ればどういうことか発熱するというものだ。
原理どころか原材料すらわからないペンライトに比べれば安心できる開発物だった。問題は……
「これを開発したエノラ・スワン博士は――私の間違った伝記を広めることで、アンティーカ騎士団を失墜させた張本人だ」
彼女の言葉に一同が溜息をついた。
机の上には3冊の本。「ディスティールの英雄譚」の上・中・下巻。
よく出来たものだった。「弱者を守る」という物語上に提示されたディスティールの信念は下巻のうちに「敵を倒す」という考えに変わっていき、そしてあたかも吸血鬼を討つことが正義だと標榜しリーラを討つというものになっていた。
吸血鬼の共生を願うための伏線と思われた部分はすべて、彼女が被害者であり、が故の暴走を許諾するものになっていた。
「そういえばこの本はどうやって?」
クロシェの問いにイーリスが答える。
「母が買ってきてくれました。時計の出荷で近くの村を訪れた時に。相当格安で販売されていたらしくって」
「……印刷技術の向上で今や誰でも本を買える時代になってきたからな。その技術を間違った歴史を発信するための方法にするのはあまりにも悪辣だが……」
その技術が間違った方向へ向かってきているというのをディスティールは肌で感じていた。
このスチリウムだって、今は便利な道具として持て囃されているが将来的に放火などに用いられるようになるだろうと誰しもが予想していた。
「騎士団としては……いや、私たちにはもうどうにもできない」
アンティーカ騎士団は、もう王都には戻れない。だから今更自分たちの評価がどのようになろうが気にしても仕方がないのだ。
本の下に置かれた5枚の手配書。かつて王都を外敵から必死に守ってきていたアンティーカ騎士団は悪辣な文章と共に懸賞金が掛けられていた。
「お、私吸血鬼になってます」
イーリスが手配書の内容を見て暢気に言った。
朗らかに言った後に「……なんで?」と改めて思ったのか、改めて手配書を取ろうと――したが、左腕は途中から存在しない。
「――そういうことかぁ」
取り損ねたことを悔いずにイーリスが渋い顔をする。代わりに手配書を取ったクロシェが不思議そうな顔をして「いらない?」と聞いて続けた。
「――イーリスって半分吸血鬼って王都ではだれにも言ってなかったよね? なのにどうして『吸血鬼』って?」
「……私の左腕です」
その言葉に団員が納得した表情を見せた。
吸血鬼の体は基本的に切断されたとき、切り離された部分は霧になって消滅する。
……といっても通常の戦闘では剣で人間の体を一太刀で……なんてのは難しく、吸血鬼相手ではもっての外だ。彼女たちがそれを知っているのは、騎士になるための試験で必須だった知識だからである。
……もっともそのような情報をどうやって知識として確立できたかは多分知らないほうがいいのだろうが。
「私の左腕は3ヶ月前のクーデターの時に切り落とされて、そのまま……もしかしたら霧になったり何らかの方法で私が吸血鬼由来だってバレたのかもしれません……」
その言葉にディスティールが自らの額に手を当て、嘆く。
「――やはりあの時、私が迷っていたばかりに」
「あぁ気にしなくてもいいんですよ! 私は特に気にしてないんで!」
本当に左腕が無くなったことを気にしていないことが事実なのが余計タチが悪い。何度かリーラに「私たちが気まずいから、もうちょっと気にしてくれる?」と苦言を言われたのを思い出した。
ただ当人が本当に気にしていないといえど、その結果を引き起こしたディスティールにとっては何の慰めにもなっていない。
「イーリスの左腕はもう再生しないの?」
「はい……。何度か実験してみたんですけど、今の状況が限界でして」
「実験?」
なんだか不穏な言葉にクロシェが尋ねて、イーリスが馬鹿正直に答える。
「ディスティールさんに頼んで、左手の先をもう1度切断したりもらったりして――」
「ごめんもういい聞きたくない」
もう導入の地点で血なまぐさい話が始まったのでクロシェは慌ててイーリスの発言を強引に打ち切った。椅子に座ったディスティールが青い顔をしているあたり、本当に冒涜的なことをしたのだろう。
さすがはあの両親から産まれた……まぁこれに関して言及するのはさすがに良心が咎めるので言及しないが。
「これ以上ディスティールのトラウマを抉るようなことはさせないで」
「はい、すいません……」
かなりの剣幕でクロシェが凄んでイーリスを叱った。流石クロシェ、ディスティールの精神的な外傷に関わる問題にはとても厳しい。
「……まぁそれは良い。問題は――騎士団には、もう居場所がない。急場しのぎでイーリスの隠れ里を頼ったが……ここもあまり私たちを歓迎していないようだ」
ディスティールの発言の通り、それは里の空気感を感じればわかることだ。
亜人たちにとっては「今までさんざん同族を殺しておいて、仲間がそうだと分かれば急に手のひら返しをしてきたコウモリ集団」であり、人間からしても「数少ない食料を減らされる原因」となり、「アンティーカ騎士団がいることでこの里が襲撃されるかもしれない」という疑念が拭えない。
「……ここから少し離れた場所に、廃墟となった城を見つけた。そこに行こう」
ディスティールとクロシェが最近里から出て何かしていたのはこれが原因だったらしい。
しかしイーリスは不服だった。納得は出来なかったが、団長の言葉の正当性は認めるほかなかった。
(実際、私のお母さんがかなり力を持っているからこの場所で迫害されてないけど……何かが起これば、次はこの家が燃やされるか)
もとよりはぐれ者たちの寄り合い所帯だ。母が人間と吸血鬼や亜人族の共生を諦めて技術の更新を行わなくなってからはさらに排他的になり、イーリスはこの里を飛び出した。
王都から逃げてきた吸血鬼との融和を図る騎士団が、以前の騎士団が吸血鬼に対して行ってきたように滅ぼされても仕方がない。
「……そうですね。両親は良いかもしれないけど、他の人たちを恐怖に曝してまで私たちがここにとどまっては……いけませんからね」
それは敗北宣言だった。
アンティーカ騎士団が、吸血鬼であるリーラを受け入れた時に宣誓した「あたらしいやり方」が当人たちにとっても難しいというものだった。
*
少ない荷物をまとめる。3か月の間で随分と失ったが、数えても仕方がない。無くした左腕の重みを偲びながら思った。
「行くんだね、イーリス。アンティーカ騎士団のみんな」
「うん……。ごめんね、父さん。ただ物だけもらって、何も返せずに出ていくなんて」
イーリスの言葉に父は「気にしないで」と言った。
1月の朝はひどく寒く、リーラがぶるると震える。陽光は吸血鬼にとってつらいだろうが、真夜中の森を突っ切るほど騎士団も無謀じゃない。
「大量にスチリウムを渡したけど、使わないのかい?」
「これからのことを考えると使うのは怖いんで……。――その、良かったんですか? スチリウムだけじゃなくって、服とかペンラとか色々……」
「うん。服はほとんどイーリスのものだし、スチリウムはそもそもが格安だ」
嘘だというのは質問したリーラも隣にいたフィロも分かっていた。イーリス衣服では、大柄なクロシェやディスティールの体格をカバーできない。
でもそれに言及するのも良くないから2人は頭を下げて感謝を伝えるしかできない。
「――ありがとうございました」
「ありがとうございます……!」
2人の礼に父はやや照れくさそうに笑って見せた。
「すまない、みんな待たせた」
「ごめんね。使っていた家の掃除をしていて遅れちゃって……。そういえばなんですけどあの家は元々誰が……?」
ディスティールの後ろについて歩いてきたクロシェが父に尋ねた。彼はしばらく思いだすかのように悩んだ後、「誰だったかな……」と諦めた。
「たまにこの里のことを知った流れ者がやって来ては、定住をあきらめるんだ。もう名前も忘れたよ」
「ふぅん……空き家にしては整備されているとは思っていたけど……」
彼の言葉にクロシェは微妙に納得していないようだが……この情報を深堀りしても意味がないと判断したのかこれ以上の言及はしなかった。
「そういえばお母さんは?」
「母さんは……さっきまで焦って工房で何か作っていたけど。何をやってるんだろうな」
焦って?
あの母親が焦る場面は何度か見た事はあったが、焦りながらモノを作るというのは少し想像できない。
さすがに挨拶なしで離れるのは良くないだろう。実家に少しだけ顔出すか……とイーリスが思案していた時、
「――ぁっ、はぁっ、……イーリス!」
「あ、母さん。ちょうど今から家に行こうかと――」
「出来たの!」
イーリスの言葉に構わず、飛び出した言葉に全員が目を白黒させた。
母の様子は随分と久しぶりの「自分が目指したいものを目指して探求する」ことを愉しむ、研究者としての眼だった。
「えっと……何が?」
普段からは想像できないほどはしゃいでいる自分の母親の様子にイーリスが引きながらも尋ねた。……もっとも尋ねた、というよりも思わずつぶやいてしまったというのが正しい表現だったが、吸血鬼である母親の耳はきちんとその声を拾って答える。
「あなたの――左腕!」
タイトルは花海咲季じゃない方です。ユニコーンのほうです。