大海を知らぬ蛙の短編集   作:雪夜

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サブタイトルはその話の題名にしています。


桜の養分

 ひどい頭痛がしていた。学校からの帰り道、視界は狭く、足元もふらつく。疑う余地はない、私の体にはもう限界が来ていた。行きたい大学があるわけではなかった。だが、だからと言って勉強をせずに格の低い大学に行くという選択をするほどの愚かさも私にはなかった。だからこそ、睡眠時間も削って勉学に励んでいたのだが、それが裏目に出てしまったのだろう。小さな後悔を胸に、なんとか歩を進めていると、ふと脇道に眼が留まった。覚えがある。確かこの先には桜の大木があったはずだ。広場のようになっていて、春には観光名所もかくや、というほど綺麗な桜が見られる。少し立ち止まった後、私の足は脇道へと逸れていった。

 5分ほど歩けば、思い出のままの風景がそこにはあった。秋だから桜の花は拝めないが、それでも巨木の威圧は桜の綺麗さを滲ませている。懐かしい気持ちが心を満たしていた。もう少し近くで見たい、と足を踏み出したとき、より強い頭痛が走って、私の意識は暗闇の底へと沈んでいった。

 

 ぽつ、ぽつ、と顔に冷たい何かが落ちてくる感覚がして、目を覚ました。辺りはもう暗い。時計を見れば、時間はもう日付を超える寸前だった。頭痛は収まっている。早く帰らねば、と思うも全身に重りを付けられているような怠さがあって体を動かすことは叶わなかった。そのまま雨を全身で受け止め続ける。これが原因で風邪を引かなければいいのだが。

「キミ、大丈夫かい?」

そうして倒れこんでいると、ふと雨が当たらなくなって女性らしき声がした。気づかぬうちに、誰かが私に傘をさしてくれたようだ。心配の声に対して、私は大丈夫だ、と答えたが喉から出たのは息も絶え絶えの細い声だった。思ったよりも、疲れは取れていなかったらしい。

「その様子だと、ダメそうだね。少し失礼するよ」

よっと、と軽い声を出して、その人は私の腕を取って肩に乗せ、私の体を立ち上がらせた。傘を持っているから片手で私の体を支えていることになる。驚愕を隠せずにいると、その人が住所を訪ねてきた。どうやら私を運んでくれるらしい。そのまま私はか細い声で道案内をして、すぐに家の前へとたどり着いた。その頃には私の体もなんとか自立出来るようになって、お礼を言いながら私は地面を踏みしめる。それを見て、去っていこうとする人を私は呼び止めた。こちらを向いて首を傾げる恩人に、お礼をしたいと伝える。少しの思考ののち、恩人は口を開いた。

「それじゃあ、お言葉に甘えて。すこし手伝いをしてもらえないかい?」

私はもちろんその言葉に快諾した。今日はもう遅いから、と翌日の夜、もう一度巨木の下で集合することになって私たちは解散した。

 翌日、私は何にも集中できずにいた。寝不足はもちろんあるが、それ以上に恩人の事が気になってしょうがなかったのだ。そうして時間は過ぎていき、日が沈み始めた。すぐに私は桜のもとへ向かった。すでに恩人は到着していた。昨日よりはましだがそれでも容姿

はよく分からない。恩人もこちらを見つけたようで手を振った。そうして近寄った先、恩人の足元にはいくつも道具があった。ローブとナイフとシャベルそして一冊の本。嫌な予感が背筋を走った。

「先に結論から話してしまうけど、私を殺して埋めてほしいんだ。桜の下にね」

嫌な予感はすぐに的中した。この人は私に恩人を殺せというのだ。上手く呼吸が出来なくなってすぐに私の息は荒くなった。そんな私の様子を意に介さず恩人は言葉を続けた。

「きっと何故って思うだろうから日記を用意しておいたんだ。私のこれまでとかが書いてある。すこし恥ずかしいが遺品処理だからね。君への義理も兼ねて渡しておく」

私はもう目の前のそれを恩人だと思えなくなっていた。恩を忘れたわけではない、人だと思えなくなったのだ。死生観も常識もズレすぎている。逃げ出したい気持ちが膨らんでいくのを感じた。だが、受けた恩が私を縛り付けていた。気が狂いそうな中、私はナイフを手に取った。恩人の口角が少し上がる。そのまま私はナイフを喉元へ突き立てた。鮮血が飛び散る。即死ではないだろうがすぐに息絶えるだろう。私はシャベルを手にもって穴を掘り始めた。人一人分の穴が出来上がると、私は冷たくなった恩人をおんぶして穴へと運んだ。傷口から出る生暖かい液体が私の服を汚した。そうして埋め終わって、疲れ切った私は巨木へともたれかかった。日記を手に取る。そこには恩人の名前や経歴が事細かに書かれていた。一際目を引いたのが桜についてのことだった。どうやら恩人は桜の下には死体が埋まっている、という言葉と桜の美しさを結び付けて、それを実験したようだった。日記の最後には私に桜が綺麗に咲くかどうか見届けてほしい、と綴られていた。私の考えはもう見透かされていた。恩人を埋めた後、私が後を追おうとすることはわかっていたのだろう。私は日記とナイフを懐に入れて、そのまま帰路を辿った。

 

季節は巡って、ついに春が来た。私は桜のもとにいる。今年も桜は綺麗に花を開かせていた。これが恩人の死体故なのかは分からない。これから行く先で会っても、望む答えを渡せないことに少し嫌気がさす。恩人を埋めた場所のすぐ前に私は座り込んだ。約束は果たしたのだ。文句はあるまい。そのまま私はナイフを取り出して、勢いよく、喉元へと突き刺した。

願わくば、私の死体も桜の養分になりますように。

 




桜の下には死体が埋まっている、という話を元に書いた話です。こういう不可思議な女性は良いものですよね。癖です。
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