第10話 歴史に踏み込む覚悟
西暦2308年――ソレスタルビーイング地上施設・ブリーフィングルーム
中央モニターに表示された地名を見た瞬間、アーミアは息を詰めた。
タクラマカン砂漠。
ユニオン、人類革新連盟、AEU。三大国家群による合同軍事演習が行われるその場所には、ソレスタルビーイングが看過できない紛争まで用意されている。
偶然であるはずがなかった。
「罠ね」
スメラギが腕を組んだまま、三大国家群の戦力配置を見つめる。
「これだけ露骨だと、むしろ目的が分かりやすいわ。私たちをここへ呼び込みたいのよ」
「分かっていても行くしかない、か」
ロックオンが苦笑する。
「随分と嫌な仕事だな」
「我々が武力介入を行わなければ、ソレスタルビーイング自身が理念を否定することになる」
ティエリアの答えに、ロックオンが肩をすくめた。
「分かってるよ。だから嫌なんだって」
「向こうもそこまで込みで組んでるんだろうな」
壁際に立っていたレイナスが、モニターへ目を向けた。
「正面からガンダムを落とすのが難しいなら、まず逃げられない仕事を用意する。来たところを大人数で囲んで、あとは交代しながら削っていく。趣味の悪い話だが、呆れる程有効な戦術だ」
スメラギがレイナスを見る。
「あなたならどうする?」
「俺?」
レイナスは少し考えた。
「できるなら休む」
「真面目に答えて」
「真面目なんだけどな」
小さく笑ってから、表情を戻す。
「まあ、休ませてもらえないなら長期戦に付き合わないことだ。相手は人も機体も交代できる。こっちは四人しかいないんだから、同じ土俵で残業勝負を始めた時点で分が悪い」
「残業……」
アレルヤが困ったように笑う。
「似たようなものだろ。向こうは交代制、こっちは退勤時間未定。しかも追加手当も期待できない」
「レイナス」
スメラギに睨まれ、レイナスは肩をすくめた。
「分かってるよ。笑い事じゃない」
その言葉で会話は終わった。
アーミアは何も言わなかった。
タクラマカン。
自分は、この戦いを知っている。
三大国家群が膨大な物量を投入し、四機のガンダムを長時間にわたって拘束する。
そして、この戦場には――。
アーミアは隣にいるレイナスを見る。
彼も関わる。
ただし、アーミアが知っているのはあくまで後から知った歴史だ。この時期のレイナスが何を考え、どこで何をしていたのか、そのすべてを知っているわけではない。
未来から来たからといって、過去のすべてを見ていたわけではないのだ。
「アーミア」
不意にレイナスがこちらを向いた。
「はい?」
「顔に出てるぞ」
「……何がです?」
「何か知ってるって顔だ」
心臓が跳ねた。
「そんな顔があります?」
「ある。少なくとも今のお前はそう見える」
レイナスはそれだけ言うと、再びモニターへ視線を戻した。
問い詰めてはこない。
アーミアが話さないと決めているなら、勝手に踏み込まない。
この時代のレイナスも、そこは同じだった。
「先生」
「ん?」
「……何でもありません」
「そうか」
それで終わった。
◆
数日後――タクラマカン砂漠
戦闘は始まった。
エクシア、デュナメス、キュリオス、ヴァーチェ。
四機のガンダムが戦場へ介入し、三大国家群の大軍と激突する。
最初の数時間、性能差は明白だった。
エクシアが敵陣を切り裂き、デュナメスが遠距離から敵機を撃ち抜く。キュリオスは高速機動で包囲を崩し、ヴァーチェの砲撃がまとめて敵部隊を薙ぎ払う。
それでも、戦いは終わらない。
損耗した部隊が退けば、次の部隊が来る。
それを退ければ、また次が投入される。
三大国家群は機体も人員も交代できる。
ガンダムマイスターには交代要員がいない。
時間だけが過ぎていった。
◆
ソレスタルビーイング後方拠点
戦闘開始から十五時間を越えていた。
「刹那の反応速度、また落ちた!」
クリスティナの報告が響く。
「キュリオスも動きが鈍ってる。デュナメスとヴァーチェも……もう相当きてるよ」
戦況モニターには、今も戦い続ける四機が映っている。
動いている。
戦えている。
だが、明らかに最初とは違う。
一つ一つの反応が遅れ始めていた。
「狙い通りってわけか」
レイナスが低く言った。
先ほどまでの軽さはない。
「機械なら部品を替えれば済むが、中に乗ってるのは人間だからな。十五時間も集中して戦わせれば、そりゃ請求書は身体に回ってくる」
スメラギは険しい表情でモニターを見つめていた。
「このまま続けば……」
その先を言う必要はなかった。
アーミアにも分かる。
そして。
こうなることを、自分は最初から知っていた。
右手を握る。
タクラマカンの名を聞いた時。
アーミアは何もしないことを選んだ。
自分の知っている歴史では、この戦いを乗り越えている。
この時代にはレイナスもいる。
ならば自分が余計なことをしなければ、歴史は自分の知っている形へ近づくのではないか。
その方が安全なのではないか。
そう思っていた。
だが今、モニターの向こうで苦しんでいるのは記録の中の人物ではない。
この数か月、同じ場所で過ごしてきた人たちだ。
刹那も。
ロックオンも。
アレルヤも。
ティエリアも。
アーミアにとって、過去の世界の他人ではなかった。
――いちいち気にしてもしょうがないってことだ。やりたいようにやればいい。
以前、レイナスに言われた言葉を思い出す。
あの時。
未来を知らない人だから、そんなことが言えるのだと思った。
自分が動けば何かが変わる。
小さな変化が、五十年以上先まで続く歴史を変えてしまうかもしれない。
自分が帰りたいと思っている2364年さえ、なくなるかもしれない。
怖くないわけがない。
けれど――。
アーミアは四機のガンダムを見る。
歴史を守るために。
目の前の誰かが苦しんでいても、記録通りになるまで見ている。
それを選んでいるのも。
結局は自分だ。
未来を知っていることは、何もしない理由にはならない。
「スメラギさん」
「何?」
アーミアは立ち上がった。
「アストレアを使わせてください」
スメラギが振り返る。
「……前線に出るつもり?」
「はい」
「状況は見ているでしょう?」
「見ているからです」
アーミアは戦況モニターを指した。
「敵を全滅させる必要はありません。私が加われば、少なくとも四人に集中している攻撃を分散できます。その間に少しでも立て直せれば」
スメラギは黙った。
アーミアがモビルスーツを操縦できることは、すでに聞いている。
問題はそこではない。
「実戦よ。それも、今まであなたがここで見てきたような規模じゃない」
「分かっています」
「死ぬかもしれない」
「それも分かっています」
アーミアは視線を逸らさなかった。
「それでも行きます」
数秒。
スメラギが何かを言おうとした時だった。
「なら、俺も出る」
レイナスが口を挟んだ。
アーミアが振り返る。
スメラギは眉を寄せた。
「あなたの機体は?」
「ないな」
「……そこまで堂々と言われると、こっちが困るんだけど」
「俺も困ってるよ。機体の一機くらい給料に含まれてれば助かったんだが、契約書には書いてなかった」
「書くわけないでしょう」
「だよな」
レイナスは戦況モニターを見る。
軽く言っているようで、目は前線から離れていない。
「まあ、ないものをここで数えてても四人の勤務時間が延びるだけだ。機体は向こうで何とかする」
アーミアには、その一言で分かった。
「……先生」
「ん?」
「まさか」
「現地調達」
「やっぱり」
スメラギだけが意味を理解できていない。
「現地調達って、何を?」
「モビルスーツ」
「敵の!?」
「他に余ってる機体があるなら、そっちの方が助かる」
「ないわよ!」
「じゃあ仕方ないな」
仕方なく敵機を奪う人間の態度ではなかった。
スメラギが頭を押さえる。
「簡単に言うけど、どうやって敵機を奪うつもりなのよ」
「そこは現場を見てからだな。条件のいい機体を探す」
「中古車を選びに行くんじゃないのよ」
「命を預けるんだ。乗り物選びは大事だろ?」
アーミアは思わず小さく息を漏らした。
未来でも。
こういうところは変わらない。
「先生。それ以前に問題があります」
「何だ?」
「どうやって戦場まで行くんです?」
レイナスが止まった。
「…………」
「考えてなかったんですか?」
「いや」
少し間を置いて。
アーミアを見る。
嫌な予感がした。
「ちょうど輸送手段が目の前にあるなと思って」
「ありません」
「まだ何も言ってないぞ」
「分かります」
「五十年以上付き合ってると話が早いな」
「先生!」
アーミアは慌てて周囲を見る。
レイナスは悪びれた様子もない。
スメラギが怪訝そうに二人を見ている。
「……五十年?」
「こっちの話だ」
レイナスはそれ以上説明しない。
当然だった。
自分のことなら軽く話してしまうくせに、アーミアが伏せていることには絶対に踏み込まない。
そして何事もなかったように話を戻した。
「アストレアの掌までなら乗れるだろ?」
「やっぱりそれですか!」
「コクピットに二人で詰め込まれるよりはいいと思うけどな」
「比較対象がおかしいです!」
「《アニマ》で身体を固定する。落ちる心配はない」
「私が心配してるのはそこだけじゃありません!」
「まあ、気持ちは分かる。ただ時間もない」
そこで。
レイナスの声から軽さが消えた。
「前の四人は限界なんだろ?」
アーミアも黙る。
スメラギがモニターを見る。
状況は今も悪化している。
やがて。
「……分かった」
スメラギが息を吐いた。
「アーミア。アストレアの使用を許可するわ」
「ありがとうございます」
「目的は四機への攻撃を分散させること。深追いはしない。危険だと判断したら、私の指示で戻ってもらう」
「了解です」
「それからレイナス」
「何だ?」
「あなたは……」
スメラギは一度言葉を止めた。
どう指示を出せばいいのか、本気で迷っているようだった。
「とにかく、生きて帰ってきなさい」
レイナスが僅かに笑う。
「ああ。その条件なら契約成立だ」
◆
ソレスタルビーイング後方拠点・格納庫
GNY-001 ガンダムアストレア。
白い機体がゆっくりと立ち上がる。
コクピットの中で、アーミアは表示される各部の状態を確認していた。
未来で扱ったモビルスーツとは違う。
操作系も。
反応も。
補助システムも。
百年以上の技術差があるのだから当然だった。
それでも。
動かせる。
「各部、問題ありません」
『了解。アストレアのデータはこちらでも監視するわ』
スメラギの声が返ってくる。
『アーミア』
「はい」
『無理だけはしないで』
アーミアは少しだけ間を置いた。
「……はい」
右腕を動かす。
アストレアの掌を格納庫の床へ下ろした。
そこへレイナスが歩いてくる。
白い巨人の掌を見上げ。
一度だけため息をついた。
『先生?』
「いや。百年以上生きてきたが、ガンダムの手に乗って出勤する日が来るとは思わなかった」
『私も人を乗せて出撃するとは思いませんでした』
「お互い、職歴に妙な一行が増えたな」
レイナスが掌へ飛び乗る。
《アニマ》が身体を包み、足元をアストレアへ固定した。
『先生』
「ん?」
『勝手に飛び降りないでください』
「了解」
『本当に分かってます?』
「ちゃんと降りる前に言うよ」
『飛び降りないでって言ってるんです!』
レイナスが笑う。
「現地調達するんだから、いつかは降りないと仕事にならないだろ?」
『もう……』
アーミアはため息をつき。
正面を向いた。
発進口が開く。
タクラマカンの空が見えた。
その瞬間。
胸の中に残っていた迷いが、もう一度顔を出す。
ここから出れば。
自分は歴史の外から眺めているだけの人間ではなくなる。
自分の行動が。
この時代に残る。
アーミアは右手を見る。
そして。
操縦桿を強く握った。
自分で決めたことだ。
「アーミア・リー。ガンダムアストレア――出ます!」
アストレアが空へ飛び出した。
◆
タクラマカン砂漠・戦闘空域
戦場へ近づくにつれて、レーダー上の光点が増えていく。
やがて。
画面の大部分が敵性反応で埋まった。
「……分かってはいましたけど」
『実際に見ると笑えない数だな』
「先生でもそう思います?」
『俺だって数くらい数えるさ。これを全部相手にしろって言われたら、まず追加料金の交渉から始めたいところだ』
「交渉する相手がいませんよ」
『そこが一番厄介だな』
アーミアは少し笑った。
その直後。
警報が鳴る。
「来ます!」
アストレアを急旋回させる。
複数の砲弾が横を抜けていった。
『今のは危なかったな』
「先生が乗ってるから動きづらいんです!」
『それは悪い』
素直に謝った。
『だから、そろそろ自分の足を確保するよ』
「え?」
『右前方。AEUの部隊』
アーミアがセンサーを向ける。
複数のイナクト。
そのうち一機が、こちらへ突出してくる。
『ちょうどいいのが来た』
「ちょうどいいって……」
『あれを借りる』
「先生」
『何だ?』
「どうやって?」
一拍。
『直接交渉する』
「嫌な予感しかしません」
『奇遇だな。俺も穏便に済む気はしてない』
レイナスが掌の上で立ち上がる。
《アニマ》が強まった。
「待ってください!」
『じゃ、行ってくる』
「先生!」
『今から降りるぞ』
「事前申告すればいいって話じゃ――!」
レイナスが跳んだ。
◆
AEU部隊
「五機目だとぉ!?」
パトリック・コーラサワーは白いモビルスーツを睨みつけた。
聞いていない。
ガンダムは四機。
そう聞いていた。
それがどういうわけか、一機増えている。
「上等じゃねえか! 何機増えようが、この俺が――」
白いガンダムの右手から。
何かが飛んだ。
「……あ?」
人間だった。
「…………は?」
こちらへ来る。
「ちょ、待て」
どんどん近づいてくる。
「待て待て待て待て!」
回避するより早く。
衝撃が走った。
「うおおおおおっ!?」
イナクトの装甲へ。
レイナスが着地した。
「何だお前ぇぇぇぇぇ!!」
「悪いな」
「何がだ!」
レイナスは足元の機体を軽く見回した。
「思ったより状態は良さそうだ」
「人の機体を査定してんじゃねえ!」
『先生!』
今度は通信から女の声が飛んでくる。
『だから勝手に飛び降りないでって言ったでしょう!』
「降りる前に言っただろ?」
『二秒前です!』
「前より一秒増えたな」
『そういう問題じゃありません!』
「何なんだよお前らぁぁぁぁ!!」
レイナスはパトリックの叫びを聞き流しながら、コクピット周辺を確認する。
「悪いけど、こっちも急いでるんだ」
「だから何がだ!」
「この機体、借りるぞ」
「貸すわけねえだろ!」
「だろうな」
レイナスは困ったように笑った。
「交渉不成立か。まあ、予想通りだ」
「最初から交渉する気なかっただろうが!」
『先生! 私、先に行きますからね!』
アーミアの声が飛ぶ。
レイナスが顔を上げた。
遠方。
四機のガンダムが戦っている。
「分かった。こっちも片付けて追いつく」
「だから勝手に話を進めるなぁぁぁぁ!!」
パトリックの絶叫を背に。
アストレアが加速した。
アーミアは正面を見る。
四人のいる戦場へ。
自分の知っている歴史が、この先どうなるのか。
今は分からない。
それでも。
もう、見ているだけではいられなかった。