西暦2308年――ソレスタルビーイング地上施設・ブリーフィングルーム
「――ここから先の歴史を、全部話します」
アーミアがそう告げると、ブリーフィングルームに静寂が落ちた。
スメラギ、刹那、ロックオン、アレルヤ、ティエリア、イアン。そしてクリスティナ、フェルト、ラッセ、リヒティ。少し離れた席にはレイナスもいる。
これまでアーミアは、自分が持つ未来の情報を意図的に伏せてきた。
知っていることを話せば歴史そのものを変えてしまうかもしれないし、そもそも自分が知る未来と、この世界が同じ道を進む保証もない。
だが、タクラマカンで自ら出撃した時点で、その考えはもう成り立たなくなっていた。
アーミアが《オーバーライズ》を使い、それを目の当たりにしたレイナスは、本来より遥かに早く同じ技術へ辿り着いた。
そして今、チーム・トリニティまで現れている。
歴史は既に動き始めていた。
「その前に、一つだけ」
全員の視線を受けながら、アーミアは続けた。
「私は西暦2364年から来ました」
最初に反応したのはロックオンだった。
「……2364年?」
「はい」
「今が2308年だぞ」
「五十六年後です」
スメラギはすぐには信じなかった。腕を組み、アーミアの表情を確かめるように見つめる。
「それを、そのまま信じろと?」
「いいえ。疑って当然です」
「未来から来たという主張だけなら、証明にはならない」
ティエリアの指摘にも、アーミアは素直に頷いた。
その中で一人だけ、レイナスには驚いた様子がない。
スメラギもすぐに気づく。
「……レイナス。あなた、知っていたの?」
「ああ。最初に会った日に聞いてる」
「信じたの?」
「可能性としてはな」
レイナスは椅子の背に身体を預けたまま、いつもと変わらない調子で答える。
「俺自身、ここへ来るまでにいくつか世界を渡ってる。時間まで跨いだと言われても、最初から与太話で切り捨てる理由はないよ。まあ、信じるのと確認するのは別の話だけどな」
「そこは私も同じです」
アーミアは自分の端末を机の中央へ置いた。
「これは2364年から持ってきた私の個人端末です。私の時代までの歴史資料や技術情報が入っています」
クリスティナが興味深そうに端末を見る。
「じゃあ、それを調べれば……」
「必要な資料は提供します。でも、端末の中身をそのまま全部見せることはできません」
「どうして?」
「私物だからです」
あまりにも単純な答えに、クリスティナが瞬いた。
「歴史や技術とは関係のない写真や映像もあります。それに、皆さんの将来の私生活まで入っていますから」
そこでクリスティナの目つきが変わった。
「……もしかして、誰と誰が結婚するとか?」
「教えません」
「まだ聞いてない!」
「聞く顔をしていました」
フェルトが小さく笑い、張り詰めていた空気がわずかに緩む。
アーミアも少しだけ表情を和らげたが、すぐに話を戻した。
「歴史資料と必要な技術情報は分けて渡します。ただし、これから話す内容も含めて、『これから必ず起きる未来』として扱わないでください」
「あなたがいた世界で起きた歴史、ということね」
「はい」
それが一番重要だった。
そして、もう一つ。
「2307年から2314年までの出来事について、私はほとんど当事者ではありません」
リヒティが首を傾げる。
「未来から来たのに?」
「未来から来たからこそ、後から知ったんです。当時の私はソレスタルビーイングとは関係のない一般人でした」
十七歳になるまで、アーミア・リーは世界の裏側で起きていた出来事など知らなかった。
後年になって歴史資料や報道記録を調べ、さらにソレスタルビーイングの関係者から話を聞いたことで、その全容を知ったにすぎない。
だから、記録されなかったことや、当事者が誰にも話さなかったことまでは分からない。
「その前提で聞いてください」
アーミアが端末を操作すると、三機のガンダムが表示された。
「まず、チーム・トリニティです」
ヨハン・トリニティ。
ミハエル・トリニティ。
ネーナ・トリニティ。
そして三機のガンダムスローネ。
「彼らはソレスタルビーイングを名乗っていますが、プトレマイオスとは別系統で行動します」
スメラギの視線が、ネーナのデータで止まる。
「この子が、あなたの言っていた……」
「はい。私が知る歴史では、ネーナ・トリニティは民間人の結婚式場を攻撃します」
アーミア自身も、その事件をリアルタイムで知っていた。
ただし、当時はまだ子供だった。
ニュースで知ったのは、結婚式場という非軍事施設がガンダムタイプのモビルスーツに攻撃されたという事実だけで、攻撃した機体もパイロットも知らなかった。
ネーナ・トリニティとガンダムスローネドライの名を知ったのは、ずっと後になって事件を調べてからだ。
「理由は?」
スメラギが尋ねる。
「分かりません。記録から実行した人物までは確認できました。でも、ネーナ本人がその時に何を考えていたのかまでは知りません」
そして何より。
今のネーナは、まだ何もしていない。
「だから、止めます。起きていない罪で彼女を裁くつもりはありません。でも、これから被害が出る可能性を知っているなら、起きる前に止められます」
それこそが、アーミアが未来を話すと決めた理由だった。
画面が切り替わり、一人の男が映し出される。
「次に、アレハンドロ・コーナー」
スメラギの目が細くなった。
「国連大使……」
「そして、ソレスタルビーイングの監視者です」
アーミアが知る歴史では、アレハンドロはヴェーダを掌握し、ソレスタルビーイングの計画そのものを自らの目的に利用しようとする。
だが、本当に後世まで大きな影響を残したのは、その傍にいた人物だった。
「リボンズ・アルマーク。彼はイノベイドです」
「イノベイド?」
ティエリアが僅かに反応する。
「その説明は後でします。今は、アレハンドロが倒れた後もリボンズが残り、次の時代へ繋がっていくとだけ」
その前に、世界そのものが大きく変わる。
三大国家群はソレスタルビーイングという共通の敵を前に結束し、各陣営には擬似太陽炉を搭載した量産型モビルスーツが配備される。
画面に現れた機体を見て、イアンの目つきが変わった。
「GN-X――ジンクスです」
「擬似太陽炉を量産機に載せるのか」
「はい。これによって、ガンダムだけが持っていたGN粒子による圧倒的な性能差が崩れます」
国連軍はGN-X部隊を編成し、ソレスタルビーイングへ総攻撃を仕掛ける。
レイナスが画面を眺めながら尋ねた。
「俺もその戦いに参加してるのか?」
「はい」
「何に乗ってる?」
「GN-Xに乗っていたそうです」
ロックオンが横から口を挟む。
「国連軍に転職でもしたのか?」
「違います。先生が鹵獲した機体です」
一斉に視線が集まる。
レイナスは少し間を置いてから肩をすくめた。
「……未来の俺の調達方法まで責任を持てと言われても困るな」
「イナクト返してねえだろ、お前」
「そっちは今の俺だったな。まあ、返却期限を決めてなかった向こうにも多少は――」
「盗った側の理屈ね、それ」
スメラギに切られ、レイナスはそれ以上の抗弁を諦めた。
だが、その先は笑える話ではなかった。
「国連軍との戦いで、ソレスタルビーイングは一度壊滅します。プトレマイオスも失われます」
フェルトの表情が強張り、クリスティナやリヒティ、ラッセも言葉を失った。
今、自分たちが生活し、戦っている船が失われる。
その事実は、五十六年後の歴史と言われても簡単に聞き流せるものではない。
「アレハンドロ・コーナーは最終的に倒されます。でも、リボンズ・アルマークは残ります」
そしてソレスタルビーイングが表舞台から姿を消した四年間で、地球連邦政府が成立する。
同時に、独立治安維持部隊《アロウズ》が設立され、強大な権限を背景に反政府勢力を苛烈に弾圧していく。
その背後にいるのもリボンズだった。
「そして、西暦2312年。ソレスタルビーイングは再び活動を始めます」
新たに表示されたガンダムを、刹那が黙って見つめる。
「ダブルオーガンダム。刹那さんの新しい機体です」
二基の太陽炉を同調させる《ツインドライヴシステム》。
さらにオーライザーが加わることで、機体はダブルオーライザーとなる。
それだけではない。
「ロックオン・ストラトスも戻ります」
ニールが眉を寄せた。
「戻る?」
「ライル・ディランディ」
「……ライル?」
今度こそ表情が変わった。
「あなたの弟が、二代目ロックオン・ストラトスとしてケルディムガンダムに乗ります」
「……あいつがガンダムに?」
「はい。少なくとも、残された記録と後に聞いた話では」
アーミア自身がその光景を見たわけではない。
そこは曖昧にしない。
アレルヤも地球連邦側に拘束されるが、ソレスタルビーイングによって救出される。
同じ施設からマリナ・イスマイールも救出され、やがてアレルヤにとってさらに重要な人物が戦場へ現れる。
「ソーマ・ピーリス。本当の名前は、マリー・パーファシーです」
「……マリー?」
アレルヤの顔色が変わった。
「生きているのか……?」
「はい。私が知る歴史では、生きています。そして2312年、ソレスタルビーイング側へ来ます」
「どうやって……?」
「先生が、乗っていた機体ごと連れて帰ってきたそうです」
また全員の視線がレイナスへ集まる。
「だから俺を見るなって。四年後の俺に直接言ってくれ」
「その四年後のあなたがここにいるんでしょうが」
スメラギの指摘に、レイナスは困ったように眉を上げた。
「時間絡みの苦情処理まで今の俺に回されるのか。割に合わない仕事だな」
アーミアは小さく笑ってから、再び端末へ視線を落とした。
2312年の戦いはさらに激化する。
アリー・アル・サーシェスによるアザディスタンへの攻撃。
衛星兵器《メメントモリ》。
そして、軌道エレベーターの崩壊によって大量の破片が地上へ降り注いだ《ブレイク・ピラー》事件。
「地上への直撃は?」
スメラギが尋ねる。
「先生が防いだと記録されています。《アニマ》を使って」
今度はレイナスも何も言わなかった。
アーミア自身はその場にいなかった。
だから、記録以上の細部を知っているように語ることはできない。
続いて。
画面に一人の少女が映し出された。
長い金髪。
明るい表情を浮かべた、ごく普通の少女。
その顔を見た瞬間。
刹那の視線が止まった。
「……ルイス・ハレヴィ」
アーミアが刹那を見る。
ロックオンも反応した。
「知ってるのか?」
「ああ」
刹那は画面に映る少女から目を離さない。
「日本に潜伏していた時、隣に住んでいた沙慈・クロスロードのガールフレンドだ」
今度はアーミアが少し驚いた。
沙慈とルイスの関係自体は、後から調べた記録で知っている。
だが、この時点ですでに刹那が二人と接点を持っていたことまでは把握していなかった。
「知り合いだったんですね」
「何度か会っている」
刹那の答えは短かった。
だが。
先ほどまで未来の記録を聞いていた時とは、僅かに様子が違う。
アーミアは画面へ視線を戻した。
「ルイス・ハレヴィ。今は、ソレスタルビーイングとも軍とも関係のない一般人です」
ロックオンが眉を寄せる。
「なら、どうしてその子が出てくる?」
「ネーナ・トリニティが襲撃する結婚式場にいたからです」
刹那が反応する。
「彼女が?」
「はい」
アーミアが知る歴史では、あの襲撃によってルイス・ハレヴィの人生は大きく変わった。
何の関係もなかった一般人が、突然ガンダムタイプのモビルスーツによる攻撃へ巻き込まれる。
そして、大切なものを失った。
刹那が静かに尋ねた。
「沙慈は?」
「結婚式場にはいません」
刹那は何も言わなかった。
ただ。
画面に映るルイスを見つめている。
スメラギが尋ねる。
「その後、この子はどうなるの?」
「ガンダムを憎むようになります」
アーミアは答えた。
「彼女にとって、スローネもソレスタルビーイングのガンダムも同じでした。突然ガンダムに襲われた一般人に、それを区別しろという方が無理だったと思います」
刹那の視線が僅かに下がる。
沙慈の隣で笑っていた少女。
そのルイスが。
ガンダムを憎む。
「2312年には、アロウズ側のモビルスーツパイロットとして戦場に出ています」
「……ルイスが、パイロットに」
刹那が小さく呟く。
クリスティナも画面の少女を見つめた。
「今は普通の女の子なのに……」
「はい」
だからこそ。
まだ間に合う。
「ネーナが結婚式場を攻撃しなければ、少なくとも私が知っているのと同じ形で、ルイスさんの人生が壊れることはありません」
未来のネーナを罰するためではない。
まだ何もしていないネーナが、その一線を越えないようにする。
そして。
今はまだ普通に暮らしているルイス・ハレヴィを、被害者にしない。
刹那が画面を見たまま言った。
「止める」
アーミアが刹那を見る。
「はい」
「その攻撃は、起こさせない」
声はいつも通り静かだった。
けれど。
この話だけは、五十六年後の記録ではない。
刹那にとって。
今この時代で知っている人間の話だった。
アーミアは小さく頷く。
「そのために、今こうして話しています」
そして少しだけ先の記録へ進めた。
「ちなみに2312年には、ルイスさんも先生が機体ごと連れて帰っています」
レイナスが数秒黙った。
「……未来の俺、敵機の回収業者でも始めたのか?」
「他にもあります」
「まだあるのか」
「イノベイド用の機体まで鹵獲しています。ガデッサです」
「そいつには乗れた?」
「生体認証で起動できなかったそうです」
レイナスが露骨に残念そうな顔をした。
「そこまで持って帰って乗れないのか……」
「解析には使えたそうです」
「なら無駄にはならなかったか」
イアンが即答する。
「十分だ。むしろ持って帰ってこい」
レイナスが横を見る。
「イアン、未来の俺を甘やかすと調子に乗るぞ」
「今のお前が言うのか」
そのやり取りを挟みながらも、アーミアは話を先へ進めた。
やがて戦いは、リボンズ・アルマークとの最終局面へ入る。
巨大宇宙船《ソレスタルビーイング》を舞台にした戦いの中で、人類史そのものを変える出来事が起きた。
「刹那さんが、真のイノベイターへ覚醒します」
スメラギがすぐに手を上げた。
「その前に聞かせて。イノベイターって何?」
「人類の進化した姿です」
二十一世紀末、イオリア・シュヘンベルグは、人類がいずれ現在とは異なる存在へ進化すると予見していた。
その新たな人類が、イノベイターと呼ばれる存在だった。
「特に大きく変わるのは脳です。通常の人間とは情報伝達の仕組みそのものが変化し、量子的な情報伝達を行うようになります。その結果、情報処理能力が飛躍的に高まり、強い脳量子波による意思伝達も可能になります」
「脳量子波……」
アレルヤが小さく呟いた。
彼にとっては馴染みのある言葉だ。
「身体にも変化があります。細胞が活性化して身体能力が向上し、老化速度も大幅に低下します」
「老化まで?」
クリスティナが驚く。
「はい。寿命も通常の人間より遥かに長くなります」
イアンが腕を組んだ。
「GN粒子を浴びれば、誰でもそうなるのか?」
「いいえ。そこは個人差が非常に大きいです。少ない量で覚醒する人もいれば、長期間、高濃度のGN粒子に晒されても覚醒しない人もいます。いつ覚醒するかを正確に予測することもできません」
可能性そのものは、基本的には誰にでもある。
GN粒子は自然界にも存在するが、自然状態では極めて希薄だ。
本来なら数千年、あるいは数万年という長い時間をかけて人類が辿り着いたかもしれない進化を、太陽炉によって大量に生み出されたGN粒子が大幅に早めた。
「それと、外からでも分かる特徴が一つあります」
アーミアは一度目を閉じた。
再び開いた時。
灰色がかった瞳が、鮮やかな金色に輝いていた。
「強い脳量子波を使用したり感知した時、瞳が金色に発光します」
クリスティナとフェルトが息を呑む。
だが。
アレルヤが感じ取ったものは、目に見える変化だけではなかった。
「……脳量子波」
「はい」
アーミアは金色の瞳で頷いた。
「――私もイノベイターです」
刹那は黙ってその瞳を見つめていた。
「俺も、そうなるのか」
「私が知る歴史では、刹那さんが人類で最初の真のイノベイターです」
やがてアーミアの瞳から光が消え、元の灰色へ戻る。
「私自身が覚醒するのは2314年です」
スメラギが年代を確認する。
「2312年の戦いから二年後。今からなら六年後ね」
「はい」
西暦2314年。
そこでアーミアは一度、言葉を切った。
ここまでは、後から調べた記録と、後年になって当事者たちから聞いた話が中心だった。
だが。
ここからは違う。
「2314年、私は十七歳でした」
まだソレスタルビーイングとは無関係の学生だった頃。
ここから先は歴史資料の中の出来事ではなく、アーミア自身の記憶になる。
「この年、人類は初めて地球外生命体と接触します」
アーミアは自分の右手へ視線を落とした。
「ELS――Extraterrestrial Living-metal Shape-shifter。地球外変異性金属体です」
金属でありながら生命体であり、接触した対象を同化する。
対象が人間であろうと、モビルスーツであろうと、艦船であろうと関係ない。
やがて木星方面から、ELSの本隊が地球圏へ接近した。
「どれくらいの規模だったの?」
スメラギが尋ねる。
アーミアは少し間を置いて答えた。
「当時の戦力比で、およそ一万対一です」
ラッセが聞き返す。
「……一万対一?」
「人類側を一とした場合、ELS側がおよそ一万です」
クリスティナの表情が引きつった。
「それ、戦争になるの?」
「なりました」
「勝てるわけないじゃない……」
「通常の戦争として考えるなら、その通りです」
殲滅戦で勝利できるような相手ではなかった。
それでも人類には、ELSの目的が分からない。
接触されたものは同化され、その圧倒的な数が地球へ向かってくる以上、侵略と判断して迎撃するしかなかった。
刹那が静かに尋ねる。
「違ったのか?」
「はい。少なくとも、人類を滅ぼすために来た存在ではありませんでした」
「なら、何をしに来た」
「それが分からなかったんです」
人類とELSは、生命としての在り方からして違いすぎた。
相手の行動を理解できない。
意思を伝える方法も分からない。
だからこそ必要になったのが、力による勝利ではなく対話だった。
「そのために造られたのが、ダブルオークアンタです」
画面に、新たなガンダムが表示される。
「刹那さんはこの機体でELSとの対話を試みます。そして最終的に、人類とELSは分かり合うことに成功しました」
一万対一という絶望的な戦力差を覆したのは、それ以上の火力ではなかった。
互いを理解すること。
それが、戦いを終わらせた。
そして同じ2314年。
十七歳だったアーミア自身も、ELSと遭遇していた。
「私はELSに襲われ、右腕を侵食されました」
アーミアが右手へ意識を向けると、人間の肌を模していた表面が銀色へ変化した。
クリスティナが思わず身を乗り出す。
「それが……?」
「はい。今も私と共生しているELSです」
五十年間。
この右手と共に生きてきた。
そして、その事件でアーミアはレイナスと関わることになる。
「先生に助けてもらいました」
「六年後の俺に?」
「はい」
その時。
アーミアは初めて《アニマ》という力を体感した。
自分を守るために使われた力。
その温かさと感覚だけが、強烈に記憶に残った。
「それで俺が教えたのか?」
「いいえ」
アーミアは首を横に振った。
「最初は、自分で再現しました」
レイナスが少しだけ目を見開く。
「俺が教える前に?」
「はい。先生から受けた《アニマ》の感覚を手掛かりにして、自分で発現させました。それを先生に見せてから、基礎と制御を教えてもらったんです」
レイナスはしばらく考え、それから小さく息を吐いた。
「……自力でそこまで来たなら、放っておく方が後々面倒だな」
アーミアの口元が緩む。
「未来でも似たようなことを言っていました」
それが。
レイナスを「先生」と呼ぶようになった理由だった。
さらにELS本隊が地球圏へ現れた際、アーミア自身にも決定的な変化が起きた。
「ELS本体から届いた強烈な脳量子波を受けて、私はイノベイターへ覚醒しました」
「ELSと融合していたことが原因なのか?」
イアンの問いに、アーミアは首を横に振る。
「分かりません。右手のELS、《アニマ》、そしてELS本体から受けた脳量子波。それぞれがどこまで関係していたのか、今でも完全には分かっていません。ただ、覚醒の直接のきっかけになったのは、あの強烈な脳量子波でした」
未来を知っていても。
分からないことは分からない。
そして同じELSとの接触で、レイナスにも大きな出来事が起きた。
「先生は、ELSに同化されかけます」
「俺が?」
「はい。体内まで侵入されました。でも先生は、体内へ入ったELSを《アニマ》で排除して、破壊しました」
レイナスの表情から、わずかに軽さが消えた。
「その時に得た先生の情報が、ELS全体へ共有されたようです」
「ようです、ということは断定できないのね」
スメラギの確認に、アーミアは頷いた。
「ELSの集合意識を人類が完全に解析できたわけではありません。ただ、その後の反応を見る限りでは」
アーミアは銀色の右手をレイナスへ近づけた。
すると右手が、本人の意思とは関係なく、すっと後ろへ逃げる。
「……おい」
もう一度近づける。
やはり避ける。
クリスティナが目を丸くした。
「本当に嫌がってる……」
「はい」
レイナスは、自分から距離を取ろうとする銀色の右手を眺めた。
「でも、それをやるのは六年後の俺なんだろ?」
「はい」
「今の俺はELSに会ったことすらないんだけどな」
「この子には関係ないみたいですね」
「未来の俺が作ったツケを六年前から取り立てられるとはね。ずいぶん気の早い話だ」
「ELSからすれば同じ先生なんじゃないですか?」
「本人としては別会計にしてもらいたいところだよ」
アーミアは思わず笑った。
今のレイナスには、まだELSとの因縁など存在しない。
それでも未来から来たアーミアの右手だけは、六年後に起きる出来事を覚えている。
時間の順番が崩れていることを、これほど分かりやすく示すものもなかった。
2314年の対話以降、人類とELSの関係は長い時間をかけて変わっていった。
かつて一万対一という圧倒的な戦力差で衝突した生命体と共生するようになり、イノベイターも少しずつ増えていく。
人類の活動領域も地球圏だけでは収まらなくなった。
そして五十年後――西暦2364年。
アーミアが端末の年代を進めると、クリスティナが表示された数字を見つめた。
2314年。
十七歳。
2364年。
そこまで五十年。
「……ちょっと待って」
「何ですか?」
「2314年の時、アーミアは十七歳だったのよね?」
「はい」
「そこから五十年後ってことは……」
クリスティナは画面とアーミアの顔を交互に見る。
「アーミアって何歳なの?」
「六十七歳です」
一瞬。
誰も反応しなかった。
「…………え?」
「六十七歳です」
「嘘でしょ!?」
「本当です」
「どう見ても十七歳くらいじゃない!」
「見た目はそうですね」
「六十七!?」
「何回言うんですか」
隣ではフェルトまで驚いた顔でアーミアを見ている。
「……本当に六十七歳なの?」
「フェルトまで……」
「だって……」
クリスティナはまだ納得できないらしい。
「イノベイターって、ここまで老化しないの?」
「老化速度は大幅に低下します。それに私の場合は、ELSと共生している影響もあるかもしれません」
「そこも分からない?」
「分かりません」
六十七年生きても。
知らないことはいくらでもある。
スメラギが苦笑しながら話を戻した。
「それで、六十七歳のあなたは2364年に何をしていたの?」
「外宇宙にいました」
「外宇宙?」
「はい。探索と、未知の存在との接触です」
端末に、一隻の巨大な船が表示される。
五十六年先の技術で建造された外宇宙航行艦。
「外宇宙航行艦《スメラギ》」
今度はスメラギ本人が固まった。
「……スメラギ?」
「はい」
「船の名前が?」
「はい」
「どうして?」
アーミアは少しだけ困った顔をする。
「それは今、必要な未来情報ではないので」
「余計に気になるんだけど」
「我慢してください」
クリスティナが吹き出し、スメラギは納得していない顔をしながらも追及を止めた。
ラッセは船の映像を見ながら尋ねる。
「それで、お前はこの船に乗っていたのか?」
「はい」
「役職は?」
「艦長です」
今度はクリスティナがアーミアを二度見した。
「……艦長?」
「はい」
「アーミアが?」
「六十七歳ですから」
「それはもう分かったけど、見た目が邪魔して頭に入ってこないの!」
何人かが笑った。
アーミアも苦笑しながら、画面に表示された《スメラギ》を見る。
「先生も乗っていました」
「俺も?」
レイナスが眉を上げる。
「はい」
「何の仕事をしてる?」
アーミアは少し考えた。
「……役職は、よく分かりません」
「艦長、それでいいのか?」
「少なくとも、先生の機体が格納庫のかなりの場所を占領していました」
「五十六年後もMSに乗ってるなら悪くないな」
「そこなんですか?」
「今から確認できる勤務条件なんて、そのくらいだろ」
十七歳で出会った頃から、六十七歳になった時まで。
長い時間が流れても。
こういうところはほとんど変わらなかった。
「《スメラギ》の周囲にはELSもいました。全部で十二体。そのうち三体には、先行して周囲を偵察してもらっていました」
イアンが感慨深そうに船とELSの映像を見る。
「2314年には一万対一で戦っていた相手と、五十年後には一緒に外宇宙を飛んでいるのか」
「はい」
最初は理解できなかった。
敵だと思った。
それでも対話し、五十年をかけて関係を築いた。
その先にあったのが、アーミアの生きていた2364年だった。
「その航海中、私たちは未知の異常を発見しました」
スメラギの表情が引き締まる。
「どんな異常?」
「分かりません」
「ELSにも?」
「分かりませんでした」
五十年を共に過ごしてきたELSにも理解できない。
だからこそ、調べる必要があると判断した。
「私は艦長として、調査を続行することを決めました。その直後です」
量子的な異常が発生した。
光に包まれ、感覚が消えた。
次に目を開いた時、《スメラギ》はいなかった。
乗組員も。
周囲にいたELSも。
五十年以上を共に過ごしたレイナスもいない。
残っていたのは、身につけていたものと2364年の個人端末。
そして、既に身体の一部となっていた右手のELSだけだった。
「気がついた時、私は西暦2307年にいました」
なぜ自分だったのか。
なぜ2307年だったのか。
なぜレイナスの近くへ現れたのか。
そして、ここが本当に自分が生きてきた世界の過去なのか。
それとも。
よく似た別の世界なのか。
「今も、何一つ分かっていません」
アーミアはそう言い切った。
レイナスも何も補足しなかった。
いくつもの世界を渡ってきた彼でさえ、自分の意思で世界や時代を選んで移動できるわけではない。
アーミアを2364年へ帰す方法を知っているわけでもなかった。
「だから、今日話したことを『これから必ず起きる未来』だとは考えないでください」
タクラマカンで、アーミアは既に自分が知る歴史にはなかった行動を取った。
《オーバーライズ》を使ったことで、2308年のレイナスは本来より早くその技術へ辿り着いている。
そして今。
本来なら未来を知らないはずのソレスタルビーイングが、五十六年先までの歴史を知った。
もう同じ歴史にはならない。
「これは予言じゃありません」
アーミアは全員を見回した。
「私がいた世界で、実際に起きた歴史です」
ネーナ・トリニティ。
ルイス・ハレヴィ。
アレハンドロ・コーナー。
リボンズ・アルマーク。
GN-X。
アロウズ。
そしてELS。
同じことが起きる保証はない。
だが。
起きる可能性を知った以上、何もしない理由にもならない。
「知っているなら、防げることがあります」
「結婚式場への攻撃も」
スメラギが言った。
「はい」
未来のネーナを裁くのではない。
まだ何もしていないネーナが、その一線を越えないようにする。
そして今。
刹那が実際に知っている、沙慈・クロスロードの隣で笑っている金髪の少女を。
ルイス・ハレヴィを。
被害者にしない。
そのために未来を使う。
アーミアは端末を閉じた。
「私が知っている重要な歴史は、これで全部です」
長い説明が終わった。
五十六年。
ソレスタルビーイングの壊滅と再生。
世界の統一とアロウズ。
人類の変革。
ELSとの遭遇と対話。
そして、外宇宙へ進出した人類。
そのすべてを一度に知らされた誰もが、すぐには言葉を発せなかった。
やがてスメラギが端末を操作し、最初に表示されていた三機のガンダムを再び画面へ呼び出した。
ヨハン。
ミハエル。
ネーナ。
今、この時代に存在するチーム・トリニティ。
「まず考えるべきなのは、五十六年後じゃないわね」
「はい」
「今、目の前にいる彼らをどうするか」
アーミアはガンダムスローネドライを見る。
ネーナ・トリニティは、まだ何もしていない。
ルイス・ハレヴィも、まだガンダムを憎んではいない。
そして刹那は、既にそのルイスを知っている。
未来を知ることと、その未来に従うことは違う。
それを理解するまでに、ずいぶん時間がかかった。
けれど今は。
もう迷わない。
「変えられるところから、変えましょう」
アーミアは静かにそう言った。