西暦2307年――某都市・車内
窓の外を街並みが流れていく。
後部座席に座ったレイナスは、向かいにいる王留美を眺めていた。
その隣にはアーミア。
王留美の傍らには紅龍が座っている。
「それで」
最初に口を開いたのはレイナスだった。
「俺たちをどこへ連れていくつもりだ?」
「ご安心ください。危害を加えるつもりはありません」
「それは目的じゃなくて安全説明だな」
王留美がわずかに笑う。
「慎重な方ですね」
「今日会ったばかりの相手の車に乗ってるんだ。これくらいが普通だろ」
「それもそうですね」
王留美はレイナスを見る。
工業区で見せた力。
人間が生身でモビルスーツの攻撃を防ぎ、そのまま機体を無力化した。
映像を確認した今でも、常識的な説明は思いつかない。
「先ほどの力について、お聞きしても?」
「《アニマ》だ」
「アニマ?」
「ああ」
「それは、どのような技術なのでしょう?」
「技術っていうのとは少し違うな」
レイナスはそこで言葉を切った。
「詳しく説明するとなると長くなる」
「では、後ほど改めて」
「そうしてくれ」
王留美はそれ以上追及せず、今度はアーミアへ視線を移した。
「アーミアさん、でしたね」
「はい」
「あなたは彼のことを『先生』と呼んでいる」
「そうですね」
「ですが、レイナスさんはあなたを知らないように見えました」
レイナスは口を挟まなかった。
アーミアも表情を変えない。
「少し事情があります」
「その事情をお聞きしても?」
「今はまだ」
柔らかい口調だった。
だが、明確な拒否だった。
王留美は数秒だけアーミアを見た。
「分かりました」
アーミアは窓の外へ目を向ける。
王留美。
紅龍。
どちらも知っている。
だが、それを口にするつもりはなかった。
この時代の自分はまだ十歳。
目の前の彼らと関わるのは、もっと先の話だ。
そして。
本来なら、この場に自分はいない。
それだけで、すでに条件は変わっている。
過去へ戻ったのか。
よく似た並行世界なのか。
まだ判断できない。
ならば。
余計な情報を与えるべきではない。
車はそのまま市街地を抜けていった。
◆
西暦2307年――王留美所有施設
通された部屋は、外から想像するより広かった。
レイナスが室内を見回す。
「日雇いの面接とは随分違うな」
「比較対象が数時間前ですからね」
アーミアが言う。
「そっちの給料、まだ受け取ってないけどな」
「あ」
「忘れてただろ」
「……少し」
「俺は忘れてない」
二人の会話を聞きながら、王留美が席につく。
「報酬については、こちらのお話を聞いていただいた後で補填いたします」
レイナスが振り返った。
「本当か?」
「ええ」
「それは助かる」
アーミアが呆れたように見る。
「先生、そこですか?」
「今日働いた分だからな。そこは大事だろ」
「それはそうですけど」
王留美が口元を緩める。
「では、レイナスさんに損はさせないとお約束します」
「それなら安心した」
レイナスが椅子へ座る。
アーミアも隣へ。
紅龍は王留美の後方に立った。
王留美の表情から笑みが薄れる。
「レイナスさん」
「ん?」
「ソレスタルビーイングをご存じですか?」
アーミアは反応しなかった。
レイナスは少し考える。
「ニュースで見た」
「どのような印象を?」
「武力による戦争根絶を掲げて、ガンダムとかいう機体で武力介入を始めた連中」
「ええ」
「ずいぶん派手なことを始めたと思ってるよ」
「賛同は?」
レイナスはすぐには答えなかった。
「理念だけ聞けば分かりやすい。ただ、やってることはかなり危うい」
王留美の目がわずかに細くなる。
「危うい?」
「戦争をなくすために、戦争してる連中へ武力を向ける。結果として争いが減ることもあるだろうけど、逆に全員から敵として見られる可能性もある」
アーミアは黙って聞いていた。
これは未来の知識ではない。
この時点のレイナス自身が、ソレスタルビーイングを見て出した答えだ。
「それでも」
レイナスは続ける。
「何もしなければ今の状況が続くと思ったから始めたんだろ。その覚悟まで否定する気はない」
「なるほど」
王留美が一度頷く。
そして。
「では、そのソレスタルビーイングで働くことに、興味はありませんか?」
レイナスの目が止まった。
「……俺を?」
「はい」
「ずいぶん急な話だな」
「先ほどの戦闘を拝見しました。あなたほどの能力を持つ方を放置しておく理由はありません」
レイナスはしばらく王留美を見た。
「仕事内容を聞かせてくれ」
「もちろんです」
王留美が端末を操作する。
表示されたのは四機のガンダム。
エクシア。
デュナメス。
キュリオス。
ヴァーチェ。
アーミアには見慣れた機体だった。
だが。
何も言わない。
王留美が説明を続ける。
「ソレスタルビーイングは現在、四機のガンダムを用いて武力介入を行っています」
レイナスの視線が機体へ向く。
「俺にガンダムへ乗れと?」
「現時点では、その予定はありません」
「そうか」
「残念ですか?」
「少しな」
アーミアが思わずレイナスを見る。
その反応だけは。
未来とまったく変わらなかった。
だが、口には出さない。
王留美が続ける。
「レイナスさんには、まず外部協力者という立場を考えています」
「外部協力者?」
「あなたの能力は、現在の我々が保有する戦力とはまったく異質です。こちらも、まだあなたについて何も知らない」
「まあ、そうだろうな」
「ですから、いきなり組織の中枢へ迎え入れるつもりはありません」
レイナスが少し笑った。
「その方が信用できるな」
「お互いに、ということです」
「なるほど」
合理的だった。
正体不明の人間をいきなり内部へ入れない。
レイナスにとっても、素性の分からない組織へ最初から深く関わらずに済む。
「報酬は?」
「生活に困らない程度は保証します」
「住む場所は?」
「こちらで用意できます」
「身分関係は?」
「必要であれば手配します」
レイナスが黙る。
現在の自分に必要なものは、ほとんど揃っている。
「条件だけなら悪くないな」
「では?」
「一つ確認したい」
レイナスが王留美を見る。
「俺の力を見たから誘った。それは分かる」
「はい」
「でも、俺があんたらの理念に賛同する保証はないぞ」
「構いません」
王留美は即答した。
「最初から盲目的な賛同を求めているわけではありません」
「意見が合わなければ?」
「その時は話し合いましょう」
「それで済まない場合は?」
「その時に考えます」
レイナスが少し笑った。
「正直だな」
「嘘をついても仕方ありませんから」
レイナスはもう一度、表示された四機のガンダムを見る。
それから王留美へ視線を戻した。
「分かった」
一度区切る。
「受けるよ」
王留美が微笑む。
「歓迎いたします」
「ただし」
「はい?」
「俺が納得できないことまで黙って従う気はない」
「承知しました」
契約書もない。
正式な所属ですらない。
だが。
この瞬間。
レイナス・レノアークとソレスタルビーイングの関係が始まった。
◆
話が一段落したところで。
王留美の視線がアーミアへ向いた。
「さて」
アーミアも彼女を見る。
「次は、あなたですね」
「私ですか」
「当然でしょう」
アーミアは苦笑した。
分かっていた。
「あなたについても調査しました」
その言葉に。
アーミアはわずかに警戒する。
「ですが、目の前にいるあなたに該当する人物は確認できませんでした」
「そうですか」
それ以上は言わない。
この時代にもアーミア・リーはいる。
十歳の自分が。
だが。
王留美がどこまで調べたのか。
何を掴んでいるのか。
こちらから答えを与える必要はない。
「驚かないのですね」
「驚くようなことでもありませんから」
「では、理由をご存じなのですね?」
「それについては話せません」
王留美の表情が少し変わった。
紅龍も黙ってアーミアを見ている。
「あなたは何者なのですか?」
「アーミア・リーです」
「それ以外は?」
「今言えるのは、それだけです」
沈黙。
レイナスは口を挟まなかった。
アーミア自身が何を話し、何を隠すか。
それは彼女が決めることだ。
やがて。
王留美が息を吐いた。
「分かりました」
「いいんですか?」
「よくはありません」
はっきり言った。
「ですが、無理に聞き出せるとも思っていません」
王留美は一度レイナスを見る。
「それに、レイナスさんと行動を共にしている以上、このまま放置するわけにもいかないでしょう」
「それは……そうですね」
「当面はこちらで生活環境を用意します」
アーミアが少し驚く。
「私にも?」
「ええ。ただし、こちらもあなたを無条件に信用したわけではありません」
「分かっています」
「いずれ事情をお聞かせください」
アーミアは少しだけ考えた。
「話せる時が来たら」
王留美はそれ以上追及しなかった。
アーミアもまた、何も付け加えない。
未来。
ELS。
イノベイター。
これから起きる戦い。
自分の端末に保存された歴史。
今ここで。
そのどれか一つでも不用意に口にすれば。
何が変わるか分からない。
まだ。
その時ではなかった。
◆
数時間後――王留美所有施設・客室
「……先生」
「何だ?」
「すごい一日でしたね」
「朝から色々ありすぎたな」
「今日の朝は無職だったのに」
レイナスが振り返る。
「そこから入るのか?」
「昼は日雇いでした」
「そうだな」
「夕方には秘密組織の協力者です」
レイナスは少し考えた。
「改めて並べると酷い一日だな」
アーミアが笑う。
「しかも住む場所までできました」
「結果だけ見れば就職活動は大成功だ」
「普通の就職活動では絶対にないですけどね」
「職歴に書けないのが難点だな」
レイナスはベッドへ腰を下ろす。
アーミアも少し離れた椅子に座った。
しばらく沈黙が続く。
やがて。
レイナスが口を開いた。
「アーミア」
「はい?」
「さっきは悪かったな」
「何がです?」
「君のことまで巻き込んだ」
アーミアは少しだけ目を丸くした。
「先生が連れてきたわけじゃないでしょう」
「まあ、それはそうだけどな」
「それに」
アーミアは少し笑う。
「ついて行くと決めたのは私です」
レイナスが彼女を見る。
「そうか」
「はい」
それ以上。
レイナスは何も言わなかった。
アーミアも未来の話はしない。
今のレイナスは。
自分が知っている先生ではない。
同じ人間。
同じ顔。
同じ声。
そして、ところどころで見せる同じ癖。
それでも。
まだ自分と五十年以上を過ごしていないレイナス・レノアークだ。
ならば。
未来の彼が選んだ道を理由に。
この時代の彼の選択を誘導するべきではない。
アーミアはポケットの中の端末へ触れた。
その中には。
この時代の先に何が待っているのか。
記録されている。
だが。
まだ開く時ではない。
西暦2307年。
ソレスタルビーイングによる武力介入は。
まだ始まったばかりだった。