西暦2308年――プトレマイオス周辺宙域
刹那には、戦場がそれまでとは違って感じられていた。
モニターに映る景色は変わらない。センサーが表示する数値も、GN-Xの位置も、味方の機体反応も同じだ。
それでも、その向こうにいる人間の存在が分かる。
近くにいるアレルヤ。
その先にいるソーマ・ピーリス。
少し離れた場所でアストレアを操るアーミア。
言葉が聞こえるわけではない。
考えていることが読めるわけでもない。
ただ、そこにいる。
その感覚だけが、これまでとは比べものにならないほど鮮明だった。
「これが……」
刹那が呟いた直後、正面からビームが飛んできた。
考えるより先にエクシアが動く。
機体を捻り、射線を外す。
続けて三機のGN-Xが左右から迫った。
包囲。
刹那はそれを見てから反応したわけではなかった。
敵の位置。
自分の位置。
エクシアの腕と脚。
全てが、ひとつの感覚の中へ収まっている。
《TRANS-AM》によって跳ね上がった機体性能。
エクシア全体へ《アニマ》を巡らせ、自分の身体そのものとして扱う《オーバーライズ》。
そして、真のイノベイターへ覚醒した刹那自身の認識。
赤いGN粒子と青白い光を纏ったエクシアが、一気に三機の間を抜けた。
一機目のライフルを断つ。
二機目の右腕を斬り落とす。
三機目は背部の推進器だけを切断した。
コックピットは狙わない。
殺さずに、戦闘能力だけを奪う。
以前なら、そのためには意識して攻撃箇所を選ぶ必要があった。
今は違う。
そうしたいと思えば。
エクシアがその通りに動く。
「……エクシア」
返事などない。
それでも。
自分と機体の境界が、さらに薄くなったように感じられた。
◆
「なんだありゃ……!」
パトリックが思わず声を上げた。
先ほどまででも十分に速かった。
だが、今のエクシアは別物だった。
GN-X部隊の中を通過するたび、機体が一つずつ戦闘不能になっていく。
「速いとか、そういう話じゃねえだろ!」
「どこ見てんだ!」
ミハエルのツヴァイが正面から突っ込んできた。
「うおっ!」
パトリックが咄嗟にサーベルを構える。
刃がぶつかる。
「戦ってる最中によそ見すんな!」
「今のは見るだろ普通!」
「知らねえよ!」
「だったらお前も見ろ! 絶対おかしいから!」
「敵に勧められて見るか!」
「面倒くせえ奴だな!」
「お前に言われたくねえ!」
二機はそのまま押し合った。
少し離れた場所。
グラハムもエクシアの変化に気づいていた。
『あれほどの動きを……!』
その一瞬。
意識が横へ逸れる。
レイナスのGN-Xが距離を詰めた。
ビームサーベルが振り下ろされ、グラハムが受ける。
『むっ!』
「俺とやってる最中に別の男を見るのは、ちょっと失礼じゃないか?」
『君がそれを言うのか!』
「俺はちゃんと手を動かしてるだろ。見るだけなら無料だよ」
『ならば私も、君を見ながら彼を観察するとしよう!』
「いや、そこは普通に俺だけ見てくれていいんだけどな」
グラハムのGN-Xが押し返す。
レイナスは無理に競り合わず、一度距離を取った。
『レイナス・レノアーク!』
「はいはい、聞こえてるよ」
『その余裕、いつまで続くか試させてもらう!』
「できれば機体を壊さない範囲で頼みたいね。これ、借り物じゃなくて戦利品なんで」
『なお悪い!』
「そこまで怒ることか?」
『怒る!』
「そうかい」
レイナスは小さく笑い、再びサーベルを構えた。
「じゃあまあ、付き合うよ」
◆
戦場の端。
戦闘能力を失ったGN-Xの中で、アリー・アル・サーシェスは警告音を聞きながら笑っていた。
右腕。
脚部。
推進器。
主要な武装も失っている。
それでもコックピットは無傷だった。
「ハッ……!」
殺そうと思えば殺せた。
あの一瞬なら。
確実に。
だが。
刹那はそうしなかった。
「甘くなった……って感じでもねえな」
むしろ逆だった。
自分を殺さず。
それでいて確実に戦闘不能にする。
その方が難しい。
サーシェスの口元がさらに歪む。
「面白えじゃねえか、クルジスのガキ」
残された補助推進器を使い、少しずつ戦線から離れていく。
「次は、もっと近くで見せてもらうぜ」
◆
キュリオス。
アレルヤも刹那の変化を感じていた。
「すごい……」
これまで何度か感じた微弱な脳量子波とは違う。
はっきりと分かる。
刹那がそこにいる。
それどころか。
遠く離れているのに、以前より近く感じる。
その一方で。
目の前にいる存在も。
強く意識していた。
ソーマ・ピーリス。
マリー・パーファシー。
二つの名前を持つ少女。
ピーリスのGN-Xが接近する。
『よそ見をするな!』
「っ!」
ビーム。
キュリオスが回避。
反撃。
だが。
アレルヤはコックピットを狙わない。
ピーリスも気づいていた。
『なぜ本気で撃たない!』
「君を撃ちたくない」
『戦場で何を言っている!』
「マリーだから」
『その名で呼ぶな!』
ピーリスの攻撃が激しくなる。
アレルヤは防ぎながら距離を取った。
「でも、君はマリーだ」
『私はソーマ・ピーリスだ!』
「今はそう名乗っていても」
アレルヤの声に。
ピーリスの頭の奥が疼く。
マリー。
知らない。
知らないはずなのに。
聞くたびに。
何かが反応する。
『少尉』
セルゲイの通信。
『深追いするな。部隊との距離が開いている』
ピーリスは一瞬だけ黙る。
「……了解」
GN-Xが後退する。
だが。
離れる直前。
もう一度だけ。
キュリオスを見る。
アレルヤも。
追わなかった。
「マリー……」
今はまだ。
それ以上はできない。
◆
セルゲイは戦況全体を見ていた。
包囲は既に崩れ始めている。
原因は明確だった。
エクシア。
あの一機が中央戦線を大きく押し返している。
だが。
それだけではない。
ガンダム側にはスローネ三機が加わり、ヴェーダの支援を失った後も問題なく行動している。
さらに。
鹵獲されたGN-X。
アストレア。
そして各ガンダムのTRANS-AM。
これ以上戦闘を続ければ。
こちらの損害が急激に増える。
セルゲイは判断した。
「全機、後退する」
ピーリスが反応する。
『中佐』
「目的を達成できる状況ではない。これ以上の損耗は不要だ」
別回線。
グラハム。
『まだ決着は――』
「グラハム上級大尉」
セルゲイの声が強くなる。
「命令だ」
短い沈黙。
『……了解した』
レイナスの通信が割り込む。
『助かったよ、中佐さん。そろそろこの機体も整備代が気になってきたところだ』
グラハムが即座に返す。
『君は黙っていろ!』
「撤退するんだろ?」
『次は逃がさん!』
「俺が逃げる側になってるのか……まあいいか。また縁があったらな」
『その言葉、忘れるな!』
「そっちこそな」
さらに別の回線。
『待ってください!』
パトリックだった。
『俺はまだイナクト泥棒に一発も入れてません!』
セルゲイが返す。
「君は今、別の機体と交戦しているだろう」
『それはそうですけど!』
ミハエルが叫ぶ。
『おい! 俺との勝負はどうした!』
『お前は後だ! 先にあいつだ!』
『何で俺が後なんだよ!』
「交戦を終了しろ」
『……了解』
『ちっ』
GN-X部隊が少しずつ戦場から離れていく。
セルゲイは最後に。
赤いGN粒子を纏うエクシアを見た。
未知の力。
未知の変化。
次に戦う時。
同じ相手だと思わない方がいい。
そう判断した。
◆
プトレマイオス・ブリッジ。
「敵部隊、後退を開始!」
フェルトが報告する。
スメラギが戦況を確認した。
「追わないわ。全機、追撃禁止」
リヒティが見る。
「いいんですか?」
「こっちもTRANS-AMを使ってる。ここから長引かせる必要はないわ」
それに。
確認しなければならないことがある。
「刹那の状態を最優先で確認する」
『了解』
各機から返答。
エクシアのTRANS-AMも終了する。
赤い光が薄れ。
大量のGN粒子を放出した反動によって、機体性能が一時的に低下した。
刹那は《オーバーライズ》も解除する。
青白い光が消える。
それでも。
金色の瞳は。
まだ戻らなかった。
◆
「刹那」
アーミアの通信。
「ああ」
「身体に異常はありますか?」
「ない」
「頭痛は?」
「ない」
「吐き気、目眩は?」
「ない」
「何か変な感じは?」
刹那は。
少し考えた。
「……人が多い」
アーミアが一瞬黙る。
「どういう意味です?」
「今までより分かる」
刹那は言葉を探す。
「アレルヤがいる。ピーリスがいる。アーミアも」
「声が聞こえるんですか?」
「違う」
「考えていることが分かる?」
「そこまでは分からない」
刹那は再び。
遠くへ意識を向ける。
敵部隊よりさらに先。
ずっと遠く。
はっきりした位置は分からない。
だが。
何かが。
自分を見ているような感覚。
「もう一人いる」
「もう一人?」
「ああ」
アーミアには。
候補が思い浮かんだ。
だが。
今は断定できない。
「無理に探さないでください」
「なぜだ」
「初めて使う感覚でしょう。自分でも扱い方が分かっていないのに、いきなり遠くまで意識を伸ばす必要はありません」
刹那は少し黙る。
「分かった」
そこへレイナスが入る。
『その辺はアーミアの言うことを聞いといた方がいい』
刹那が返す。
「レイナスもそう思うのか」
『思うよ。使い方の分からない力なんて、便利になる前は大体面倒だからな』
「経験があるのか」
『何回かね。新しい力ってのは、説明書を一緒に渡してくれないのが困る』
アーミアが言う。
「先生の場合、説明書があっても読まないでしょう」
一拍。
『……否定はしないけどな。今回は俺の話じゃないだろ』
「そうでした」
『戻ってから調べればいい。急いで答えを出す必要もないよ』
刹那は前を見る。
遠くにあった感覚を。
少しずつ意識から外す。
「分かった」
『よし。じゃあ帰ろう。このGN-Xも一度イアンに見せないと、次の請求が怖い』
「誰から請求されるんです?」
アーミアが聞く。
『……誰からだろうな』
「適当に言いましたね?」
『雰囲気だよ、雰囲気』
◆
プトレマイオス・医務区画
帰艦した刹那は、すぐに検査を受けた。
TRANS-AMによる消耗。
《オーバーライズ》を維持したことによる疲労。
その両方は確認された。
だが。
身体そのものに重大な異常はない。
刹那はベッドへ腰掛けている。
スメラギ。
アーミア。
アレルヤ。
ティエリア。
そしてレイナス。
数人が周囲にいた。
まだ刹那の瞳は金色を残している。
「意識して、脳量子波を抑えてみてください」
アーミアが言う。
刹那が目を閉じる。
先ほどまで。
強く広がっていた感覚。
それを。
少しずつ自分の内側へ戻していく。
数秒後。
目を開く。
金色だった瞳が。
元の色へ戻った。
アレルヤが反応した。
「脳量子波も弱くなった」
スメラギがアーミアを見る。
「やっぱりイノベイターなの?」
「はい」
アーミアは刹那を見る。
「私が知っている特徴とは一致しています」
ティエリアが尋ねる。
「《オーバーライズ》とTRANS-AMの併用が原因か?」
「そこまでは分かりません」
アーミアは即答した。
「同時使用の直後に覚醒したのは事実です。でも、それだけを原因だと断定する材料はありません」
これまでにも。
刹那は《アニマ》を使った時に脳量子波を発し。
瞳が金色になる兆候を見せていた。
刹那自身の資質。
GN粒子。
《アニマ》。
《オーバーライズ》。
TRANS-AM。
どれが。
どこまで関係したのか。
今の段階では分からない。
「ただ」
アーミアは続ける。
「私が知っている刹那より、かなり早くイノベイターになったことだけは確かです」
スメラギが息を吐く。
「また一つ、あなたの知っている歴史から外れたわけね」
「はい」
刹那が尋ねる。
「問題なのか」
「問題かどうかも、まだ分かりません」
アーミアが答える。
「でも、覚醒した以上は使い方を覚える必要があります」
「教えられるか」
「脳量子波の基本なら」
アーミアが少し考える。
「でも、刹那自身の感覚は私と同じとは限りません」
レイナスが横から口を挟む。
「そこは《アニマ》と同じだろ。入り口は教えられても、最後は本人が自分で掴むしかない」
刹那が見る。
「お前も教えるのか」
「イノベイターは専門外だよ。そこまで何でも押しつけられると困る」
アーミアが少し笑う。
「《アニマ》だけで十分です」
「そうしてくれ。担当が増えると覚えることまで増える」
スメラギが呆れたように言う。
「あなた、そこだけ妙に普通の会社員みたいね」
レイナスは一拍置いた。
「仕事が増えて喜ぶ人間は少数派だと思うよ」
◆
同じ頃――プトレマイオス・居住区
アレルヤは一人で椅子へ座っていた。
頭の奥には。
まだ残っている。
ソーマ・ピーリスの脳量子波。
いや。
マリーの。
未来の歴史として聞いていた時とは。
まるで違う。
実際に感じた。
いた。
同じ戦場に。
マリーが。
扉が開く。
アーミアだった。
「入ってもいいですか?」
「うん」
アーミアが隣へ座る。
何も聞かない。
しばらくして。
アレルヤの方から口を開いた。
「アーミア」
「はい」
「未来では、マリーはソレスタルビーイングに来るんだよね」
「私の知っている歴史では」
「なら」
一度。
言葉が止まる。
「今、連れてきた方がいいのかな」
アーミアはすぐには答えなかった。
「会いたいですか?」
「会いたい」
迷いはなかった。
「でも」
アレルヤは俯く。
「今の彼女は、僕を知らない」
「そうですね」
「ソーマ・ピーリスとして戦ってる」
「はい」
そして。
セルゲイ・スミルノフを信頼している。
未来でマリーへ戻るからといって。
今のピーリスの意思まで無視していいわけではない。
「未来を知っているからって、答えまで決まっているわけじゃないんですね」
アレルヤが言う。
アーミアは少しだけ笑った。
「それを理解するのに、私はかなり時間がかかりました」
「じゃあ、どうすればいいと思う?」
「戦場以外で話せる方法を探しましょう」
アレルヤが顔を上げる。
「戦場以外で?」
「はい。撃ち合いながら名前を呼んでも、まともに話せませんから」
「……確かに」
「会える方法があるなら、それからです」
アレルヤは。
少しだけ表情を緩めた。
「分かった」
◆
月――ヴェーダ周辺施設
リボンズ・アルマークは、一人で刹那の戦闘記録を見ていた。
何度確認しても。
先ほど感じたものを否定することはできない。
強い脳量子波。
そして。
人間から生まれた変革者。
「……真のイノベイター」
知識としては知っていた。
イオリア・シュヘンベルグが、人類の変革の先に想定した存在。
だが。
実際に、その脳量子波を自分自身で感じるのは初めてだった。
リボンズは刹那・F・セイエイのデータを呼び出す。
これまで。
わずかな変化は感じていた。
微弱な脳量子波。
説明のつかない揺らぎ。
それが。
今回。
明確なものへ変わった。
「刹那・F・セイエイ……」
ただのガンダムマイスターとして扱える存在ではなくなった。
そして。
もう一人。
画面が切り替わる。
アーミア・リー。
彼女が現れてから。
ソレスタルビーイングには、不可解な変化が増えている。
見たことのない力。
《アニマ》。
《オーバーライズ》。
ヴェーダとの接続を失うことを見越した準備。
本来なら別系統だったはずのトリニティとの合流。
そして。
刹那の変革。
もちろん。
その全てをアーミアが引き起こしたと断定できる証拠はない。
それでも。
無関係だと切り捨てるには。
変化が彼女の周囲へ集まりすぎている。
「アーミア・リー……」
これまでは興味だった。
何者なのか。
何を知っているのか。
その程度だった。
今は。
違う。
彼女自身だけではなく。
彼女が周囲へ与える影響まで。
確認する必要がある。
背後の扉が開いた。
アレハンドロが入ってくる。
「まだ刹那・F・セイエイを調べているのか?」
「ええ」
「そこまで気にする必要があるとは思えんが」
リボンズはゆっくりと振り返る。
「ありますよ」
アレハンドロが眉を寄せる。
「真のイノベイターは、イオリア計画の根幹に関わる存在です」
「なら好都合ではないのか? 人類が進化したのなら」
リボンズの瞳が僅かに細くなる。
「僕たちの把握していないところで変化が進んでいる。それを好都合と呼ぶには、まだ材料が足りません」
刹那。
アーミア。
《アニマ》。
《オーバーライズ》。
そして。
真のイノベイター。
自分の知らない要素が。
ソレスタルビーイングの中で増えている。
「アレハンドロ」
「何だ?」
リボンズは画面を閉じた。
「次は、僕も出ます」
アレハンドロの表情が変わる。
「お前が?」
「ええ」
これ以上。
遠くから情報だけを集めても足りない。
刹那・F・セイエイが何になったのか。
アーミア・リーが何者なのか。
その二つを。
直接確かめる。
リボンズの表情に笑みが戻る。
だが。
以前と同じ余裕から生まれたものではなかった。
今度は。
明確な警戒を伴っていた。