西暦2308年――プトレマイオス・格納庫
刹那が真のイノベイターへ覚醒してから数日。
ロックオン、アレルヤ、ティエリアの三人は、再び格納庫へ集められていた。目の前にはデュナメス、キュリオス、ヴァーチェが並び、その少し離れた場所にはエクシアも固定されている。
これまで続けてきたのは、生身で《アニマ》を扱うための訓練だった。
ロックオンは両腕へ安定して巡らせられるようになり、アレルヤは四肢まで範囲を広げている。ティエリアは短時間なら全身へ薄く循環させることが可能になっていた。
そこでアーミアは、三人を次の段階へ進ませることにした。
「今日から、機体へ《アニマ》を流す訓練に入ります」
ロックオンがデュナメスを見上げる。
「やっとこっちか。生身で光ってるだけだと、どうにもガンダムマイスターらしくなかったからな」
「ロックオンの場合、まずその発想から離れた方がいいかもしれません」
「いきなり駄目出しか?」
「《オーバーライズ》は派手に光るための技術じゃありませんから」
アーミアが言うと、少し離れた場所にいたレイナスが口を挟んだ。
「そこは覚えといた方がいい。《アニマ》を機体に流せたからって、それだけで《オーバーライズ》になるわけじゃない。機械を強化するだけなら、その手前でもできる」
ティエリアが視線を向ける。
「では、何をもって《オーバーライズ》とする?」
「自分と機体を別物として扱わなくなったところだな」
レイナスは三機のガンダムを見渡した。
「人間は腕を動かす時に、肩から先を別の機械だとは考えないだろ。目も脚も同じだ。全部まとめて自分の身体として扱ってる。機体もそこまで持っていく」
刹那がエクシアの前から振り返る。
「機体が自分になる」
「そういうことだ」
レイナスは短く頷いた。
「言葉にすると簡単なんだけどな。実際にやると、機械だって知ってる頭が邪魔をする。その辺は一人ずつ癖も違うだろうし、最初から全身を狙わない方が無難だ」
ロックオンが笑う。
「今日はちゃんと先生らしいじゃねえか」
「その肩書きはアーミアだけで間に合ってる。俺まで増やしたら話がややこしくなるだろ」
「先生は先生でしょう」
即座にアーミアが返す。
レイナスは一拍置いてから彼女を見る。
「……そこ、今わざわざ確定させる必要あったか?」
「あります」
「そうか。なら諦めるしかないな」
そのやり取りを見ていたネーナが笑った。
「レイナス、アーミアには弱いね」
「長く付き合ってる相手と正面から全部争ってたら身が持たない。それだけの話だ」
「五十年以上の経験?」
「それは俺じゃない」
アーミアがネーナを見る。
「それより、ネーナはこっちです」
「私もガンダムでやりたい」
「まだ早いです」
「またそれ?」
「まず《アニマ》を自力で出してください。順番を飛ばしてドライへ流そうとしても、何も起きません」
ネーナは明らかに不満そうだったが、アーミアの視線を受けると渋々頷いた。
「分かった。じゃあ今日出す」
「そう簡単に宣言通り出るものでもありません」
「でも出す」
「……その意気込みだけは買います」
◆
最初にデュナメスへ乗り込んだのはロックオンだった。
普段なら、コックピットに座った時点で機体の状態を確認し、武装やセンサーへ自然と意識が向く。だが今回は、それらを細かく追うこと自体が邪魔になる。
『まず右腕からでいいです』
アーミアの声が通信から届く。
ロックオンは自分の右腕へ《アニマ》を巡らせた。ここまでは問題ない。青白い光が腕を覆い、その感覚を保ったまま操縦桿へ手を置く。
そこから先が続かなかった。
「……駄目だな。自分の腕までは分かるんだが、そこから急にデュナメスになる」
レイナスが通信に入る。
『それで普通だろ。今まで何年も機械として扱ってきた相手を、今日から身体だと思えって方が無茶なんだ』
「じゃあどうする?」
『右腕を上げてみろ』
ロックオンが自分の腕を上げるような感覚で操縦入力を行い、デュナメスの右腕も持ち上がる。
『今、右腕のモーターが何基動いたか考えたか?』
「考えるわけねえだろ」
『なら、それが普通だ。内部構造を理解する必要はあるが、動かす瞬間まで部品を意識する必要はない。デュナメスの腕を動かしたんじゃなく、自分の腕を上げたくらいのつもりでやってみろ』
ロックオンは一度息を吐き、目を閉じた。
自分の右腕と、デュナメスの右腕。
二つを並べて考えれば、どうしても別物になる。
ならば最初から分けない。
腕を上げる。
ただ、それだけ。
再びデュナメスの右腕が動いた瞬間、ロックオンの《アニマ》が操縦系を通り、その先へ僅かに流れた。
機体の右腕に青白い光が走る。
「……お」
アーミアがすぐに反応した。
『通りました。まだ一瞬ですけど、間違いありません』
ロックオンは自分の右手を見た。
「なるほど。流そうとした時は全然駄目だったのに、忘れた途端に通りやがった」
『そういうもんだ。意識しすぎると、かえって身体から遠くなる』
レイナスの返答に、ロックオンが苦笑する。
「説明が感覚任せなのは変わらねえな」
『そこは悪かったな。俺も説明書付きで覚えたわけじゃない』
「開き直ったぞ」
『結果が出たなら、今のところは勘弁してくれ』
ロックオンはもう一度、デュナメスの右腕へ意識を重ねた。
今度は先ほどより長く、《アニマ》が留まった。
◆
アレルヤは、ロックオンとは違う入り方をした。
キュリオスのコックピットに座った彼が最初に意識を向けたのは腕ではなく、脚部と推進系だった。
「腕より、こっちの方が分かりやすい」
『キュリオスの動かし方が関係しているのかもしれませんね』
アーミアの言葉に、アレルヤが頷く。
高速で姿勢を変え、進行方向を切り替えるキュリオスでは、腕一本よりも機体全体の加速や向きを身体感覚として捉える機会が多い。
レイナスもそこを否定しなかった。
『入りやすい場所があるなら、そこからでいい。全員同じ順番で覚える必要はないだろ』
「じゃあ脚からやってみる」
アレルヤは自分の両脚へ《アニマ》を巡らせ、そのままキュリオスが前へ踏み出す感覚を重ねた。
推進器を吹かすのではない。
自分が前へ出る。
そう考えた瞬間、キュリオスの脚部へ青白い光が走った。
アレルヤ自身にも手応えがあった。
「今、分かった」
『その感覚を覚えてください』
アーミアが言う。
「もう少し続けてみる」
再び《アニマ》を流す。
だが、今度は途中で意識しすぎたのか、脚部へ届く直前で感覚が途切れた。
「あれ?」
『追わなくていいです』
アーミアがすぐに止めた。
『一度通ったなら、無理に再現しようとしなくても大丈夫です。さっき何をしたかより、どう感じたかを覚えてください』
レイナスも続ける。
『一回目より二回目の方が下手になるなんて珍しくない。成功した直後ってのは、同じものをもう一度作ろうとして余計なことを考え始めるからな』
アレルヤは少し考えてから頷いた。
「じゃあ、一度休む」
『その方がいい』
◆
ティエリアは、最初からヴァーチェ全体へ《アニマ》を流そうとしていた。
アーミアが止める前に、レイナスが先に気づく。
『ティエリア。一回やめた方がいい』
「まだ始めたばかりだ」
『だからだ。全部を順番に繋ごうとしてるだろ』
ティエリアが黙る。
図星だった。
ヴァーチェの構造を把握し、どこからどこへ《アニマ》を巡らせるかを組み立てる。その方法なら、生身の身体へ循環させた時には上手くいった。
だがMSでは違う。
「構造を理解していることが、逆に邪魔になるというのか?」
『理解してるのは悪くない。ただ、それを動かすたびに思い出す必要はないって話だ』
レイナスは少し考え、以前刹那へ伝えた言葉をそのまま使った。
『人間は目が二つあって、腕が二本あって、脚も二本ある。それでも自分を部品の集合だとは思わないだろ』
「当然だ」
『機体も同じように見ろ。ヴァーチェの右腕を動かす、左脚を動かす、GNドライヴから何をどう繋ぐ――そこまで全部を別々に考えてたら、いつまで経ってもヴァーチェはヴァーチェのままだ』
ティエリアは目の前の表示を見る。
「一つの身体として認識する」
『そういうことだ。文字通り、お前がガンダムになる』
その言葉に、刹那が反応した。
「それで分かった」
ティエリアがエクシアを見る。
「君の場合は、その一言で理解したのか」
「ああ」
「……参考になるような、ならないような話だな」
格納庫に小さな笑いが起きる。
ティエリアは再び目を閉じた。
今度はヴァーチェの構造を追わない。
巨大な機体全体を一つとして捉え、自分がそこに座っているのではなく、その巨体そのものが自分だと考える。
最初は何も起きなかった。
だが二度目。
コックピット周辺に青白い光が現れる。
三度目には、それが僅かながら胸部から肩へ広がった。
「……これは」
ティエリアの声が変わった。
アーミアが確認する。
「分かりましたか?」
「操縦している感覚とは違う。入力して機体を動かすのではなく、自分が動こうとしている感覚に近い」
刹那が静かに頷いた。
「それが入口だ」
アーミアも肯定する。
「はい。まだ《オーバーライズ》ではありません。でも、そこまで来れば方向は合っています」
三人とも到達の仕方は違う。
それでも、MSへ《アニマ》を流すことには成功した。
刹那だけが先に辿り着いていた場所へ、他の三人も少しずつ近づき始めていた。
◆
同じ頃、格納庫の隅ではネーナが床に座っていた。
目を閉じているが、数分ごとに片目を開けてはアーミアの様子を確認している。
「ネーナ」
「閉じてる」
「今開けてました」
「ちょっとだけ」
「集中してください」
ネーナは再び目を閉じた。
前回の訓練で、胸の奥に温かいものがあるような感覚までは掴んでいた。ただ、それを自分の意思で表へ出すところまでは届いていない。
アーミアは隣へ座る。
「昨日感じたものを覚えていますか?」
「温かいやつ?」
「はい。それを無理に光へ変えようとしないでください」
ネーナが眉を寄せた。
「でも《アニマ》って光るじゃん」
「光は結果です。最初から見た目を作ろうとすると、自分の中にあるものを見失います」
その言葉は、かつての自分にも当てはまった。
十七歳だったアーミアも、最初は映画の中で見た青白い力を再現しようとして失敗した。
本当に手掛かりになったのは、レイナスに助けられた時に身体の内側で感じた温かさだった。
ネーナの場合も、入口が似ているのかもしれない。
「胸の辺りにある感覚を探してください。見つけても無理に掴まない。そのまま腕へ、手へ動かす感じです」
「動かなかったら?」
「今日はそこまでです」
「嫌」
「即答ですね」
「だって出したいもん」
アーミアは少しだけ笑った。
「その気持ちは分かりますけど、力んでも早くはなりません」
「アーミアも最初はできなかった?」
「できませんでした」
ネーナが目を開ける。
「ほんとに?」
「本当です。最初は見当違いなこともしました」
「アーミアでも?」
「私を何だと思ってるんです?」
「何でもできる人」
思わずアーミアの言葉が止まった。
ネーナは特に深い意味を込めた様子もなく、再び目を閉じる。
「じゃあ、もう一回やる」
「……はい」
今度はしばらく何も話さなかった。
胸の奥。
そこにある温かさを探す。
ネーナの呼吸が少しずつ落ち着く。
見つける。
それを掴もうとせず、ただ手の方へ運ぶ。
最初は曖昧だった感覚が、少しずつ腕へ移っていく。
右手の指先が僅かに震えた。
アーミアが気づいたが、声はかけなかった。
ネーナ自身が見失わないように待つ。
数秒後。
右手の中に。
小さな青白い光が生まれた。
弱い。
掌の周囲を薄く包む程度しかない。
それでも間違いなく、外から与えられたものではない。
ネーナ自身の《アニマ》だった。
「……ネーナ」
呼ばれて、ネーナが目を開ける。
自分の右手を見た瞬間、その目が大きく開いた。
「出てる……」
「出ましたね」
「これ、私の?」
「ネーナ自身の《アニマ》です」
ネーナの顔が一気に明るくなる。
「やった!」
その瞬間、集中が切れた。
青白い光も消える。
「あっ」
ネーナが慌てて手を見る。
「消えた!」
「それで普通です」
「もう一回!」
「今日は一度休んでからです」
「まだできるって!」
「最初に出た直後が一番無理をしやすいんです。休憩して、感覚を覚えているうちにもう一度。それで十分です」
「でも――」
「ネーナ」
名前を呼ばれただけで、ネーナが止まった。
数秒だけ不満そうな顔をした後、渋々頷く。
「……分かった」
そこへレイナスが歩いてきた。
「上手くいったみたいだな」
ネーナがすぐに振り返る。
「見た?」
「ちゃんと見てた。最初としては十分だろ」
「私も《オーバーライズ》できる?」
「気が早いな。今やっとスタートラインに立ったところだろ」
「でも刹那はできてる」
「刹那は先に何段か登ってる。追いつきたい気持ちは分かるが、階段を飛ばして転ぶくらいなら一段ずつ行った方が早い」
ネーナは少し考えた。
「じゃあ、次は身体に流す?」
「まず今のを何回やっても出せるようにする。それからだな」
アーミアも頷く。
「先生の言う通りです」
ネーナは二人を交互に見た。
「二人で同じこと言うと、お父さんとお母さんみたい」
沈黙。
アーミアが固まる。
レイナスも数秒だけ止まった。
「……俺まで巻き込まれるのか?」
「先生」
「いや、俺は何も言ってないだろ」
「顔に出てます」
「最近その判定が厳しくないか?」
ネーナは楽しそうに笑っていた。
◆
訓練を終えた三機のガンダムが、格納庫に並んでいる。
ロックオンはデュナメスの右腕へ。
アレルヤはキュリオスの脚部を中心に。
ティエリアはヴァーチェのコックピット周辺から胸部へ。
まだ範囲は狭く、維持できる時間も短い。それでも三人とも、自分の《アニマ》をMSへ流すことに成功した。
《オーバーライズ》完成までは、まだ距離がある。
機体へ力を通すだけでは足りない。
MSそのものを、自分の身体として扱えるところまで感覚を繋げなければならない。
それでも、進んではいる。
そして別の場所では、ネーナが何度も自分の右手を眺めていた。
もう光は出ていない。
だが、さっき自分の内側から生まれた感覚は残っている。
アーミアがその姿を眺めていると、隣へレイナスが来た。
「ずいぶん嬉しそうだな」
「ネーナですか?」
「そっちもだけどな」
アーミアが横を見る。
「私も?」
「自分では気づいてないのか?」
「普通だと思いますけど」
「そういうことにしとくか」
レイナスはそれ以上追及せず、ネーナの方へ視線を戻した。
以前のアーミアなら。
未来で何をした人物なのかを先に考えていた。
今は違う。
目の前で初めて《アニマ》を出せたことを、自分のことのように喜んでいる。
レイナスはその変化に気づいていたが、わざわざ言葉にする必要もないと思った。
少なくとも今は。
ネーナが嬉しそうに自分の手を眺めている。
それで十分だった。