西暦2308年――《ソレスタルビーイング》号・内部
ヴェーダ中枢へ向かう一行は、巨大艦の内部を進んでいた。
先頭を歩くのはリジェネとリボンズ。その後ろにスメラギ、ティエリア、刹那、アーミア、レイナスが続き、さらにリヴァイヴ、ヒリング、ブリング、ディヴァインが周囲を警戒しながら歩いている。
通路そのものが広い。
プトレマイオスとは規模が違う。
一つの艦の中とは思えないほど長い通路がいくつも分岐し、途中には大型設備へ続く隔壁やエレベーターが並んでいた。
レイナスが周囲を見る。
「これ、ヴェーダまで歩いて行く距離なのか?」
リジェネが振り返る。
「全部歩くつもり?」
「そう聞こえたから確認した」
「途中から移動設備を使うよ」
「それなら安心した」
リボンズが横から言う。
「君は宇宙船の中で迷子になりそうだね」
「初見でこの規模なら誰でも迷うだろ」
「僕は迷わない」
「お前の家みたいなもんだろ。比較対象にならない」
リジェネが笑う。
「リボンズの家、か。案外間違ってないかもしれないね」
「勝手に決めないでくれるかな」
その後ろでヒリングが小さく息を吐いた。
「緊張感ないんだけど」
スメラギも同感だったが、口には出さなかった。
少なくとも。
敵意を剥き出しにしたまま歩くよりはいい。
そう考えることにした。
◆
しばらく進んだところで。
前方から人影が現れた。
一人ではない。
何人もの男女が、端末を持って通路を行き交っている。
整備区画から出てくる者。
壁面端末へ何かを入力している者。
別の通路へ向かう者。
服装こそ統一されていないが、その動きに無駄は少ない。
プトレマイオスから来た面々へ視線が集まった。
レイナスが僅かに眉を上げる。
「……結構いるな」
リジェネが答える。
「《ソレスタルビーイング》号を維持するのに、僕たちだけで全部やっていると思ってた?」
「そこまでは思ってない。ただ、もっと無人化されてるのかと思ってた」
リヴァイヴが口を開く。
「彼らもイノベイドだ」
レイナスが改めて周囲を見る。
「全員?」
「ああ」
通路を歩いていた一人が、リボンズを見つけて足を止めた。
「リボンズ」
その声をきっかけに。
近くにいた何人かもこちらへ目を向ける。
リボンズはいつも通りの表情で軽く手を上げた。
「作業を続けて」
「はい」
それだけで。
彼らは再び動き始める。
ただ。
視線までは完全には戻らなかった。
リボンズと共にいる見知らぬ人間たち。
特に。
刹那やティエリアへ向けられる視線が多い。
そして。
リボンズ本人に対しても。
どこか様子を窺うような雰囲気があった。
ヒリングがそれに気づく。
「当然よね」
スメラギが見る。
「何が?」
「リボンズがプトレマイオスの人間を連れて歩いてるんだもの。気にならない方がおかしいでしょ」
リボンズが訂正する。
「だから、僕が連れてきたという表現は少し違うんだけどね」
「細かい!」
「事実は大事だよ」
レイナスが横から言う。
「そこだけは同意する」
ヒリングが二人を睨む。
「なんでリボンズと普通に話してるの?」
レイナスが首を傾げる。
「話しかけられたから?」
「そういうことじゃない!」
「じゃあどういうことだ?」
ヒリングが言葉に詰まる。
リジェネが楽しそうに口を挟んだ。
「ヒリングとしては、昨日まで敵だったリボンズと君たちが普通に会話しているのが気に入らないんじゃない?」
「気に入らないっていうか、変なの!」
「それなら俺もそう思う」
レイナスが答える。
ヒリングが止まった。
「……自覚あるの?」
「そりゃあるだろ」
リボンズが小さく笑う。
「それでも普通に話すんだね」
「毎回喧嘩腰で話してたら疲れるだろ。必要な時に警戒すればいい」
「随分と合理的だ」
「仕事で嫌いな相手と話すのと大して変わらない」
リボンズが少しだけ眉を上げる。
「僕は仕事相手扱いかい?」
「今のところ、それ以下じゃないか?」
「そこまで下げる必要はないと思うけどね」
アーミアが小さく息を吐いた。
「また始まりました」
刹那が横を見る。
「放っておけばいい」
「刹那まで慣れてきましたね」
「昨日からずっとだ」
◆
さらに進む。
一般のイノベイドたちとすれ違う回数は増えていった。
若い男女。
外見年齢も。
髪や瞳の色も。
一様ではない。
中には同じ顔立ちを持つ者もいた。
だが。
誰も機械のように無表情というわけではない。
仲間同士で短く会話している者もいる。
端末の表示を見て眉を寄せる者。
こちらを見て驚く者。
リボンズへ会釈する者。
反応は様々だった。
ティエリアは。
その光景を黙って見ていた。
リジェネが横から聞く。
「気になる?」
「……少しな」
「自分と同じ存在が、これだけいるとは思っていなかった?」
ティエリアは一度リジェネを見る。
「イノベイドが僕だけではないことは知っている」
「でも、実際に見るのは別だろう?」
否定はしなかった。
ティエリアは再び通路へ目を向ける。
ソレスタルビーイングの中で。
自分は特別な存在だと思っていた。
少なくとも。
人間とは違う。
そう認識してきた。
だが。
ここには。
同じイノベイドがいる。
一人や二人ではない。
その中を歩いている自分が。
急に別の場所へ入り込んだようにも感じる。
リジェネが言う。
「彼らの多くは、ヴェーダやこの船を維持するために活動している」
ティエリアが聞く。
「リボンズの命令で?」
リジェネは少し考える。
「そういう者もいる」
「それだけではない?」
「イノベイドだからといって、全員が全く同じ考えを持っているわけじゃないよ」
ティエリアの足が僅かに遅くなる。
その言葉は。
妙に引っかかった。
リジェネは前を向いたまま続ける。
「君を見れば分かるだろう?」
ティエリアが無言で見返す。
「僕は君とは違う」
「もちろん」
リジェネは笑った。
「だから面白いんだ」
◆
やがて。
一行は大型の移動設備へ乗り込んだ。
扉が閉まり。
低い駆動音と共に動き出す。
レイナスが壁へ寄りかかる。
「まだ遠いのか?」
リボンズが答える。
「もう少しだよ」
「さっきからその言葉を聞いてる気がするな」
「巨大艦なんだから仕方ないだろう?」
「それはそうなんだけどな」
リジェネが前方表示を見る。
「ヴェーダ中枢は艦の奥にある。簡単に外から辿り着ける場所へ置く意味もないからね」
スメラギがリボンズを見る。
「セキュリティは?」
「当然ある」
「あなたがいれば通れる?」
「僕だけならね」
ティエリアが即座に反応する。
「どういう意味だ」
「僕一人なら問題ない。でも今日は大人数だ」
ヒリングが言う。
「リボンズが許可すれば通れるでしょ?」
「今まではね」
リジェネが横を見る。
「今までは?」
リボンズは少しだけ笑みを消した。
「僕が戻ってから、まだヴェーダへ接続していない」
ティエリアの表情が変わる。
「つまり、現在のアクセス権がどうなっているか確認していない?」
「ああ」
「昨日のうちに言え!」
「聞かれなかったからね」
「リボンズ!」
「そんなに怒鳴らなくても聞こえているよ」
レイナスが横を見る。
「これ、割と重要な話じゃないか?」
「そうだね」
「そこは素直に認めるのか」
「僕にも説明不足はある」
ティエリアが額へ手を当てた。
「君という存在が少しずつ分かってきた」
「それは光栄だ」
「褒めていない」
「それも分かっている」
移動設備が停止した。
◆
扉が開く。
その先は。
それまでとは明らかに雰囲気が違った。
通路が広いわけではない。
豪華でもない。
だが。
何重もの隔壁。
独立した端末。
厳重な認証設備。
ここから先が重要区画であることは、一目で分かった。
一般のイノベイドたちも。
ここにはほとんどいない。
リボンズが先頭へ出る。
「ここから先がヴェーダ中枢区画だ」
ティエリアの視線が扉へ向く。
自分たちが失ったヴェーダ。
その中枢が。
この先にある。
リボンズが認証端末の前へ立った。
手を触れる。
認証が始まる。
数秒。
誰も喋らない。
やがて。
端末に表示が現れた。
認証。
承認。
ヒリングが小さく息を吐く。
「当然よね」
リボンズが振り返る。
「何を心配していたんだい?」
ティエリアが冷たく答える。
「お前自身が確認していなかったと言ったからだ」
「結果として問題なかっただろう?」
「結果論だ」
巨大な隔壁が。
ゆっくりと開き始める。
その向こうから。
青白い光が漏れた。
ティエリアの目が僅かに見開かれる。
刹那も。
スメラギも。
アーミアも。
初めて見るその光景へ視線を向けた。
レイナスも少しだけ姿勢を正す。
「……これが」
隔壁が完全に開く。
その先には。
巨大な空間が広がっていた。
幾重にも配置された演算設備。
複雑に走る光。
中央部へ集約されていく膨大な情報。
そして。
その中心。
ヴェーダ。
ティエリアは。
しばらく動かなかった。
言葉も出ない。
失ってから。
どれだけ求めたか。
繋がっていたものを突然切られ。
その存在を感じることすらできなくなった。
今。
それが。
目の前にある。
リジェネがティエリアを見る。
「これが現在のヴェーダ中枢だよ」
ティエリアは返事をしない。
一歩。
前へ出る。
その時。
リボンズが言った。
「待った方がいい」
ティエリアが止まる。
「なぜだ」
「昨日も話しただろう? いきなり接続を戻すべきじゃない」
「分かっている」
ティエリアの声は低い。
「ただ、近くで確認するだけだ」
「なら構わない」
リボンズは道を開ける。
ティエリアがゆっくり進む。
その後ろを。
スメラギたちも追った。
アーミアはヴェーダを見上げる。
知っていた名前。
知っていた存在。
だが。
こうして中枢そのものを目の前にするのは。
彼女にとっても初めてだった。
そして。
リボンズもまだ知らない。
この場にいるアーミアが。
この先のヴェーダを。
未来の記録から知っていることを。
全員がそれぞれ異なる情報を抱えたまま。
ついに。
ヴェーダの中枢へ辿り着いた。