西暦2308年――プトレマイオス・ブリーフィングルーム
ヴェーダとの限定接続を取り戻した翌日。
プトレマイオスの艦内には、ここ数日では珍しいほど静かな時間が流れていた。
修理は続いている。ヴェーダとの接続も、まだ必要な範囲だけに限定されたままだ。
《ソレスタルビーイング》号にいるイノベイドたちとの関係も決まっていない。それでも、差し迫った戦闘がないというだけで空気はずいぶん違っていた。
ブリーフィングルームには、スメラギ、ティエリア、刹那、アーミア、レイナス。
そしてリボンズがいる。
昨日までのような尋問ではない。
今度はリボンズ自身が、話をしたいと言ってきた。
席についたリボンズはしばらく黙っていたが、やがてアーミアへ視線を向けた。
「昨日は僕ばかり質問されたからね」
スメラギが腕を組む。
「今日は仕返し?」
「そこまで子供じゃないよ」
レイナスが横から言う。
「少し怪しいな」
リボンズが見る。
「君は黙っていてくれないかな」
「俺も呼ばれた側なんだけどな」
「それはそうだった」
軽く流してから、リボンズは改めてアーミアを見る。
「僕からも聞きたいことがある」
「何でしょう?」
「アーミア・リー」
一拍置く。
「君のことだ」
室内の空気が僅かに変わった。
スメラギもティエリアも何も言わない。
いずれ、この話になることは分かっていた。
「君は僕を知っていた」
アーミアは否定しない。
「はい」
「僕だけじゃない。アレハンドロのことも、ヴェーダのことも、イノベイターのことも知っている」
リボンズの視線が刹那へ動く。
「刹那が覚醒した時も、何が起きたのかすぐに理解していた」
そして再びアーミアを見る。
「僕が知らないことまで知っているように見える。君は何者なんだい?」
アーミアはすぐには答えなかった。
昨日までなら、話すつもりはなかった。
敵だったからだ。
何を知っているか分からない相手に、自分から重要な情報を渡す理由はなかった。
だが今は、少し状況が違う。
「一つ確認してもいいですか?」
「もちろん」
「あなたは今後、私たちに協力するつもりですか?」
リボンズの眉が僅かに動く。
スメラギたちも黙って返答を待った。
「昨日、ヴェーダを戻すことには協力してくれました。でも、それだけではありません」
「何を求めている?」
「今後もです」
アーミアは静かに続ける。
「私たちと一緒に動くつもりがあるのか。それとも、今はたまたま利害が一致しているだけなのか」
リボンズは少し考えた。
「その答え次第で、君は自分のことを話す?」
「はい」
「随分と分かりやすい条件だ」
「曖昧にする必要がありませんから」
リボンズが僅かに笑う。
「君は僕より交渉が上手いかもしれないね」
「答えになっていません」
「厳しいな」
アーミアは急かさない。
リボンズも今度は冗談で誤魔化さなかった。
◆
「協力するよ」
やがてリボンズが答えた。
ティエリアの目が僅かに動く。
アーミアはもう一度確認する。
「今後も?」
「ああ」
「理由を聞いても?」
「必要かい?」
「聞いておきたいです」
リボンズは椅子へ背を預けた。
「昨日も言ったけど、刹那に負けたからといって、君たちの考えが全部正しいと思ったわけではない。僕はまだ、自分が間違っていたと思っていない部分もある」
ティエリアが眉を寄せる。
「随分と都合がいいな」
「一日で思想まで全部入れ替わる方が不自然だろう?」
「それは……」
ティエリアも否定はしなかった。
リボンズは続ける。
「ただし、僕一人が人類の上に立ち、全てを決めるという考えは捨てる」
刹那がリボンズを見る。
「君との話を無かったことにはしないよ、刹那」
「ああ」
「ヴェーダも、僕一人のものにはしない」
スメラギが聞く。
「だから協力する?」
「それだけじゃない」
リボンズはアーミアを見る。
「知らないことが増えたからね」
「私も含めて?」
「特に君だ」
少しだけ、いつもの笑みが戻る。
「自分が何も知らないまま外に放り出される趣味はない」
レイナスが言う。
「結局そこか」
「知りたいと思うのは自然なことだろう?」
「否定はしないけどな」
アーミアは少し考え、頷いた。
「分かりました」
リボンズの目が細くなる。
「話してくれるのかい?」
「はい」
アーミアは一度息を整えた。
「私について話します」
◆
「私は、西暦2364年から来ました」
沈黙。
リボンズはすぐには反応しなかった。
数秒間、ただアーミアを見ている。
「……もう一度言ってくれるかな」
「西暦2364年です」
「今は2308年だ」
「はい」
「五十六年後?」
「そうです」
リボンズの視線がスメラギへ移る。
続いてティエリア、刹那、レイナス。
誰も驚いていない。
「君たちは知っていたのか」
スメラギが答える。
「ええ」
「全員?」
「ここにいるメンバーはね」
リボンズが小さく息を吐く。
「なるほど」
レイナスが見る。
「思ったより反応薄いな」
「驚いているよ」
「そうは見えないけどな」
「表に出さなければ、驚いていないことになるのかい?」
「そういうタイプか」
「君に言われたくないね」
アーミアが続ける。
「正確には、これが単純な時間移動なのか、別の並行世界への移動なのか、私自身にも完全には判断できていません」
リボンズがすぐに反応した。
「断定できない?」
「はい」
「2364年の世界から2307年へ来た。それは確か?」
「それは確かです」
「でも、ここが君の世界の過去そのものとは限らない」
「その通りです」
リボンズの表情に、明らかな興味が浮かぶ。
「なるほど」
◆
「君はいくつなんだい?」
「六十七歳です」
今度はさすがに間が空いた。
リボンズは目の前のアーミアを改めて見る。
どう見ても十代後半。
「……六十七?」
「はい」
「君が?」
「はい」
レイナスが横から言う。
「そこは俺も最初引っかかった」
アーミアが見る。
「先生が言います?」
「俺の話は今してないだろ」
リボンズが反応する。
「先生?」
新しい疑問が増えた。
アーミアは少しだけ困った顔をする。
「その話もします」
「ぜひ聞きたいね」
ティエリアが割って入る。
「一つずつにしろ」
「君は本当に進行役が好きだね」
「話が逸れるからだ」
「正論だ」
リボンズは素直に引いた。
アーミアは続ける。
「私の外見がこの状態なのには、複数の理由があると思っています」
「イノベイター」
リボンズが言う。
「はい」
「それだけではない?」
「それだけではありません」
アーミアは右手を見る。
今は普通の人間の手に見える。
「私の右手は、ELSと融合しています」
リボンズが止まった。
「ELS?」
当然知らない。
この時代には、まだ現れていない存在なのだから。
アーミアは右手を上げ、擬態を解除する。
人間の肌に見えていた手が、滑らかな銀色へ変化した。
リボンズの表情から笑みが消える。
「……それは」
「ELSです」
リボンズは僅かに身を乗り出したが、近づきはしなかった。
「生きている?」
「はい」
「君と共生している?」
「はい」
「その姿もELSによるもの?」
「それだけとは断定できません」
「イノベイターとしての老化の遅延もある」
「はい」
リボンズの目が完全に興味へ向いている。
レイナスがぼそりと言う。
「食いついたな」
「当然だろう?」
リボンズが即座に返す。
「五十六年後から来た人間が、真のイノベイターで、未知の生命体と共生している。これで興味を持たない方が難しい」
「そこだけ聞くと大概だな」
「君も人のことを言えるのかい?」
レイナスが少し黙る。
「……今はアーミアの話だ」
「逃げたね」
「話を戻しただけだ」
アーミアは右手を元の姿へ戻した。
「質問は後でお願いします」
「まだあるのかい?」
「あります」
「それは楽しみだ」
ティエリアが呆れたように言う。
「さっきまでの警戒はどうした」
「警戒と興味は両立するよ」
◆
「私がこの時代のことを知っている理由ですが」
リボンズの表情が戻る。
「それが一番聞きたい」
「私は2308年を実際に経験したわけではありません」
「……何?」
「この時代の私は、まだ子供です」
リボンズが目を細める。
「君自身がこの時代にも存在している?」
「はい」
「何歳?」
「十歳前後です」
「では、君が知っている2308年の情報は?」
「記録です」
アーミアは答える。
「後の時代に残った資料、ニュース、歴史記録。それから、この時代を生きた人たちから後に聞いた話です」
リボンズが理解する。
「全てを直接見ていたわけではない」
「はい」
「だから、君の知識にも限界がある」
「あります」
アーミアは迷わず認める。
「未来から来たからといって、この時代の全てを知っているわけではありません」
「それでか」
「何でしょう?」
「君は何度か、知っていることと知らないことを妙にはっきり分けていた」
アーミアが頷く。
「知らないことまで知っているふりをするつもりはありません」
「それは助かる」
レイナスが横を見る。
「随分素直に評価するな」
「情報を扱う上では重要だろう?」
「そこは同意する」
◆
リボンズは少し間を置いた。
「僕のことも、未来の記録から知っていた?」
「はい」
「どこまで?」
スメラギがアーミアを見る。
ここからどこまで話すかは、彼女自身へ任せる。
「あなたがイノベイドであること」
「ああ」
「ヴェーダへ深く関わっていること」
「ああ」
「ソレスタルビーイングと敵対すること」
リボンズが僅かに笑う。
「そこまではもう終わった話だね」
「そうですね」
「他には?」
アーミアは少しだけ考えた。
「あなたが、この先も生きていること」
リボンズの笑みが止まる。
「……僕が?」
「はい」
「君の知る歴史では?」
「そうです」
リボンズは黙った。
自分の未来を、他人から聞く。
そんな経験は当然初めてだった。
「どうなる?」
アーミアはすぐには答えない。
リボンズが気づく。
「言わない?」
「必要なことなら話します」
「今は必要ではない?」
「今のあなたが、これから何をするかまで先に決めたくありません」
刹那がアーミアを見る。
アーミアは続けた。
「私が知っているのは、私がいた世界の歴史です。この世界の未来と同じとは限りません」
「もう違っている?」
「かなり」
リボンズが小さく笑う。
「僕が君たちと一緒にここにいる時点で?」
「それもあります」
「なるほど」
リボンズはそれ以上、自分の未来を聞こうとはしなかった。
◆
「では、先生というのは?」
結局、そこへ戻った。
レイナスが嫌そうな顔をする。
「忘れてなかったのか」
「当然だろう?」
アーミアが答える。
「未来の先生――レイナスさんから、《アニマ》の使い方を教わりました」
リボンズがレイナスを見る。
「君が?」
レイナスが片手を上げる。
「先に言っとくが、今の俺は教えてない」
「どういうことだい?」
「アーミアが知ってるのは未来の俺だ。俺にはその記憶がない」
リボンズがアーミアとレイナスを交互に見る。
「……面白いね」
レイナスが眉を寄せる。
「その顔やめろ」
「まだ何も言っていないよ」
「何か考えてる顔だ」
「君も顔で判断するんだね」
「この数日で学んだ」
アーミアが少し笑う。
「ただし、《アニマ》そのものは私が先に自分で発現しました」
リボンズが反応する。
「レイナスから与えられた力ではない?」
「はい」
「彼が教えたのは?」
「発現した後の基礎と制御です」
「なるほど」
リボンズの中で、これまで理解できなかった情報が少しずつ繋がっていく。
◆
「最後に一つ」
リボンズが言った。
ティエリアが呆れたように見る。
「まだ聞くのか」
「これは重要だよ」
リボンズはアーミアを見る。
「なぜ僕に話した?」
「さっき言いました」
「協力するから?」
「はい」
「僕が裏切る可能性は考えない?」
「考えています」
即答だった。
「信用していない?」
「完全には」
「正直だね」
「あなたも同じでしょう?」
リボンズが少し笑う。
「確かに」
アーミアは続ける。
「でも、協力すると言ったあなたに、こちらだけ重要なことを隠し続けるのも違うと思いました」
リボンズは黙って聞いている。
「それに、これから起きることは私の知っている歴史と同じとは限りません」
「だから僕にも協力してほしい?」
「はい」
「未来を知っている君が?」
「未来を知っているからです」
アーミアの答えに、リボンズの表情が少し変わる。
「未来を知っていても、全部は解決できません」
知識はある。
だが、人は違う。
選択も違う。
既に起きる出来事まで変わり始めている。
「これからは、私にも分からないことの方が増えていきます」
リボンズはしばらく何も言わなかった。
やがて小さく息を吐く。
「なるほど」
いつもの余裕を含んだ声。
だが、少しだけ違っていた。
「随分と大きな秘密を聞かされたね」
レイナスが言う。
「自分から聞いたんだろ」
「そうだった」
「今さら重いみたいな顔するな」
「していないよ」
「してる」
スメラギが二人を見る。
「その辺でやめて」
「分かったよ」
リボンズは肩をすくめ、もう一度アーミアへ視線を戻した。
「アーミア・リー」
「はい」
「君の話を全部そのまま信じるかどうかは、もう少し考えさせてもらう」
「構いません」
「ただ」
リボンズはアーミアの右手を見る。
「少なくとも、君が普通ではないことだけは十分理解した」
アーミアが少しだけ笑う。
「六十七歳だからですか?」
「それもある」
「リボンズさんに年齢のことを言われるのは、少し納得できませんね」
「……どういう意味だい?」
アーミアはリボンズを見た。
「イノベイドも、外見はほとんど変わらないでしょう?」
一瞬。
沈黙。
ティエリアがリボンズを見る。
刹那も見る。
スメラギまで口元を緩めた。
レイナスが先に笑う。
「確かに、お前が言うことじゃないな」
リボンズは周囲を見回した。
「僕の場合は、そういう存在として造られているんだよ」
「結果は同じじゃないですか」
アーミアに即座に返される。
リボンズが止まった。
レイナスが追い打ちをかける。
「六十七で十七に見える奴に、見た目と年齢が合わないって驚いてる側も見た目が変わらない。説得力はないな」
「僕は見た目と年齢が合わないとは言っていないよ」
「さっき二回聞き返してたぞ」
「六十七という数字に驚いただけだ」
「言い訳が細かいな」
「事実関係の整理だよ」
ティエリアが冷静に言う。
「苦しいな、リボンズ」
リボンズがティエリアを見る。
「君まで言うのかい?」
「客観的な評価だ」
刹那が最後に一言だけ加える。
「お前も同じだ」
リボンズは数秒黙った。
そして椅子へ深く座り直す。
「……この話はもういい」
レイナスが口元を緩める。
「珍しく引いたな」
「人数が多すぎるんだよ」
「味方がいなかっただけだろ」
「君は本当に余計な一言が多いね」
「お互い様じゃないか?」
今度はスメラギも笑いを隠さなかった。
アーミアはそんなやり取りを見ながら、静かに息を吐く。
また一人。
自分の正体を知る者が増えた。
そして、この世界の未来はさらに自分の知る記録から離れていく。
それでも。
もう止めるつもりはなかった。