西暦2308年――プトレマイオス・食堂
その日の午後。
プトレマイオスの食堂には、任務中とは思えない程度には穏やかな空気が流れていた。
クリスはテーブルに端末を置き、その向かいに座る天城ミライと話している。フェルトも隣に座っていたが、会話の主導権は完全に二人へ移っていた。
「じゃあ二十三世紀初頭のネット文化も結構残してるんだ?」
「はい。消えたサービスの記録もかなりあります。むしろ消えたものほど後から追うのが大変なので、可能な範囲で保存していました」
「分かる。なくなってから見たくなるんだよね」
「そうなんです」
ミライが深く頷く。
フェルトが飲み物を口へ運びながら、二人を見る。
「本当に気が合うね」
「ねー」
「そうですね」
返事までほぼ同時だった。
少し離れたテーブルでは、アーミアが自分の端末を確認している。
その横にはネーナ。
さらにレイナスとロックオンもいた。
クリスがふとアーミアの端末を見る。
「そういえばさ」
アーミアが顔を上げる。
「何ですか?」
「アーミアの端末に未来の映画が――」
ガタッ!
大きな音が食堂に響いた。
全員が振り向く。
ミライが立っていた。
勢いよく立ち上がったせいで、椅子が後ろへずれている。
クリスが目を瞬く。
「……ミライ?」
「今」
ミライの声が。
妙に低い。
「何と言いました?」
クリスが少し引く。
「未来の映画……?」
「未来の?」
「映画」
「アーミアさんの端末に?」
「入ってるけど」
ミライの視線が。
ゆっくり。
アーミアへ向いた。
アーミアが端末を持ったまま固まる。
「……」
ミライが一歩近づく。
「アーミアさん」
「はい」
「未来の映画を持っているんですか?」
「持ってますね」
「何本?」
「何本と言われても……」
アーミアは端末を見る。
「結構あります」
ミライが止まった。
「結構」
「はい」
「あります?」
「あります」
数秒。
沈黙。
そして。
ミライが両手をテーブルへついた。
「なぜ今まで黙っていたんですか!」
アーミアが僅かに身を引く。
「聞かれなかったので」
食堂の奥。
リボンズが顔を上げた。
その答えに覚えがある。
「……どこかで聞いた言い訳だね」
ティエリアが即座に見る。
「君が言うな」
「僕もそう思ったよ」
◆
ミライはアーミアの前へ座った。
さっきまでとは明らかに姿勢が違う。
「確認します」
「はい」
「西暦2364年までに公開された映画が入っている」
「全部ではありませんよ」
「当然です。個人端末に全映像作品が収まっているとは考えていません」
そこは妙に冷静だった。
「では、どういう基準で保存しているんです?」
「自分が見たものとか、気になったものとか。あとは誰かにもらったものですね」
「ジャンルは?」
「色々です」
「公開年は?」
「色々です」
「シリーズものは?」
「あります」
「アニメーション作品は?」
「あります」
「実写は?」
「あります」
「ドキュメンタリーは?」
「あります」
「劇中劇は?」
アーミアが少し考える。
「ありますね」
ミライの目が輝いた。
レイナスがその様子を見て小さく言う。
「完全にスイッチ入ったな」
ロックオンが頷く。
「昨日まででも十分濃かったけどな」
クリスが嬉しそうにミライの隣へ移動する。
「私も見たい!」
フェルトが見る。
「クリスまで」
「だって五十年以上未来の映画だよ? 気になるでしょ!」
「それは……少し」
フェルトも完全には否定できなかった。
ミライが即座に反応する。
「ですよね?」
「圧が強い」
◆
アーミアは端末を少し持ち上げた。
「見るのは構いませんけど、何でも無条件に見せられるわけではありません」
ミライの表情が真面目に戻る。
「未来の情報が含まれるから?」
「はい」
そこは理解が早かった。
「映画でも歴史や実在人物を題材にしているものがあります。今の時代に知られていない情報が普通に入っている作品もありますから」
クリスも頷く。
「なるほど。娯楽作品でも未来資料になるのか」
「そういうことです」
ミライは少し考える。
「では、現在の歴史への影響が少ない作品から」
「選ぶ気満々ですね」
「もちろんです」
「諦める選択肢は?」
「ありません」
即答。
レイナスが笑う。
「強いな」
アーミアは仕方なく端末の映像一覧を開いた。
ミライとクリスが左右から覗き込む。
「近いですよ」
「すみません」
ミライは一歩だけ下がる。
だが視線は画面から一切離れない。
スクロール。
映画。
ドラマ。
アニメーション。
ドキュメンタリー。
様々なタイトルが並ぶ。
ミライが完全に固まった。
「……」
クリスが横を見る。
「ミライ?」
「タイトルだけで情報量が多すぎます」
「落ち着いて」
「無理です」
「そこは即答なんだ」
◆
そして。
ミライの目が一つのタイトルで止まった。
「……《劇場版ソレスタルビーイング》?」
食堂が少し静かになる。
クリスが「あ」と声を漏らした。
レイナスも気づく。
「それか」
ミライが振り返る。
「知ってるんですか?」
「もう見た」
ミライの顔が完全に止まった。
「……見た?」
「前にな」
「未来の映画を?」
「ああ」
「私抜きで?」
レイナスが首を傾げる。
「その頃お前知らなかっただろ」
「それはそうですが」
妙に悔しそうだった。
リボンズが興味を示す。
「何の映画なんだい?」
クリスが答える。
「未来で作られた、私たちソレスタルビーイングを題材にした映画」
リボンズの眉が上がる。
「君たちの?」
「かなり脚色されてるけどね」
レイナスがぼそりと言う。
「かなりどころじゃない部分もあったけどな」
ミライがアーミアを見る。
「見たいです」
「これは皆さんも一度見ていますから、問題ないと思います」
「本当に?」
「はい」
「今?」
「今ですか?」
「できれば」
「早いな」
◆
ところが。
ミライは次のタイトルを見つけた。
指が止まる。
「……《レイヴン》」
レイナスの顔が僅かに引きつった。
アーミアも気づいた。
「そっちは」
「何です?」
ミライが見る。
レイナスが先に答えた。
「俺がモデルらしい」
沈黙。
ミライが。
レイナスを見る。
画面を見る。
もう一度レイナスを見る。
「あなたが?」
「ああ」
「未来の映画の主人公のモデル?」
「そうらしい」
ミライが急に静かになった。
レイナスが少し警戒する。
「なんだよ」
「……」
「ミライ?」
クリスが覗き込む。
ミライがゆっくり座った。
「これは」
一度呼吸を整える。
「資料価値が高すぎます」
レイナスが嫌そうな顔をする。
「嫌な言い方するな」
「実在人物をモデルにした未来の娯楽作品ですよ?」
「だから?」
「制作された時代の価値観、人物像の再構成、英雄化の傾向、史実との乖離、演出技法、視聴者が求めた――」
「待て」
レイナスが止める。
「分析する気か?」
「します」
「見る前から決めるな」
「観測担当なので」
「趣味だろ、もう」
「両方です」
レイナスはアーミアを見る。
「止められない?」
「無理だと思います」
「即答か」
◆
リボンズも画面を覗く。
「僕を題材にした映画は?」
アーミアが見る。
「気になります?」
「少しはね」
ミライが即座に割り込む。
「悪役として出ている可能性がありますね」
リボンズが振り返る。
「なぜ最初から悪役前提なんだい?」
「過去の行動を聞く限り、映像化するなら配置しやすいので」
「配置しやすい?」
「主人公側と思想的に対立し、巨大な組織や情報網を握り、専用ガンダムまである」
ミライは指を折る。
「かなり強いです」
リボンズが少し考えた。
「……作品上の役割として?」
「はい」
「褒められているのか分からないな」
レイナスが笑う。
「ラスボス向きってことだろ」
「またその言葉か」
クリスが吹き出した。
◆
アーミアは映像一覧を閉じた。
ミライが目に見えて反応する。
「なぜ閉じるんです?」
「このままだと今日一日終わります」
「問題あります?」
「あります」
「何が?」
「皆さん仕事があります」
クリスが時計を見る。
「あ」
ようやく気づいたらしい。
ミライも確認する。
「……確かに」
レイナスが腕を組む。
「そこはちゃんと戻ってくるんだな」
「趣味で任務を放棄するほどではありません」
リボンズが言う。
「少し安心したよ」
「リボンズに信用されていなかったんですか?」
「今日かなり下がったね」
「映画があると知っただけですが」
「椅子を吹き飛ばす勢いで立ち上がっていたよ」
ミライが後ろを見る。
ずれたままの椅子。
「……」
静かに戻した。
クリスが笑いを堪える。
「ちゃんと直すんだ」
「公共設備なので」
◆
ミライは改めてアーミアを見る。
「では提案があります」
「嫌な予感しかしませんが、どうぞ」
「上映会をしましょう」
「上映会?」
「はい」
ミライの表情が真剣になる。
「未来情報として問題のない作品をアーミアさんが選定する。その上で、《ソレスタルビーイング》号とプトレマイオス双方の希望者で鑑賞します」
クリスが即座に手を挙げる。
「賛成!」
フェルトも少し考えてから。
「見るだけなら」
ネーナが別のテーブルから聞きつけた。
「映画? 私も見る!」
ヒリングが聞く。
「映画って何か食べながら見るの?」
ミライが振り返る。
「非常に重要な質問です」
「そうなの?」
「上映環境における飲食は――」
レイナスが遮る。
「また長くなるぞ」
「では簡潔に。あると嬉しいです」
ヒリングが少し考える。
「何か作ろうかな」
アーミアが笑う。
話が。
勝手に広がっていく。
リボンズがその様子を見る。
「君たち、本当に自由だね」
ミライが答える。
「リボンズが自分のやりたいことを見つけてもいいと言ったんですよ」
リボンズが止まる。
「……確かに言ったね」
「私は元からやっていますが」
「知っているよ」
レイナスがリボンズを見る。
「もう諦めろ」
「何をだい?」
「こいつを制御するの」
ミライがすぐに抗議する。
「制御される必要はありません」
リボンズが小さく笑った。
「その点だけは同意するよ」
ミライが少し意外そうに見る。
◆
アーミアは自分の端末を見た。
そこには。
この時代にはまだ存在しない数多くの作品が眠っている。
単なる娯楽。
だが。
天城ミライにとっては。
五十年以上先の人類が何を考え。
何を笑い。
何を恐れ。
何を物語として残したのか。
それを知ることのできる宝庫でもある。
「アーミアさん」
「はい?」
「上映作品の選定、手伝います」
「駄目です」
即答だった。
ミライが止まる。
「なぜ?」
「あなたに選ばせたら、未来情報が入ってるかどうかより見たいかどうかを優先するでしょう」
「……」
「違います?」
「否定しづらいです」
クリスが笑う。
レイナスも口元を緩めた。
アーミアは端末をしまう。
「まず私が確認します。その後なら」
ミライの表情が戻る。
「分かりました」
少し間を置いて。
「できれば早めに」
「急かさないでください」
「五十年以上未来の映画が目の前にあるんですよ?」
「逃げませんから」
「分かっています。でも気になります」
「それも分かりました」
リボンズが小さく息を吐く。
「天城ミライを参考にして自由に生きろと言った覚えはないんだけどね」
ミライが振り返る。
「でも、悪くないんでしょう?」
リボンズが一瞬黙る。
それから。
「……まあね」
と答えた。