西暦2308年――プトレマイオス・ブリーフィングルーム
ELSに関する未来の戦闘記録を確認してから数週間が過ぎた。
木星圏では、今のところアーミアの知る歴史にあったようなワームホールも、大規模な空間異常も確認されていない。《ダブルオークアンタ》に関する資料の検討や《アニマ》の訓練は裏で進んでいるが、来るかどうかも分からない未来だけを見ているわけにはいかなかった。
地球では、国連軍との戦いが終わった後も各地に火種が残っている。
GN-Xと擬似太陽炉も、その一つだった。
スメラギが表示した中東方面の地図には、複数の擬似GN粒子反応が記録されている。正規軍の行動記録とは一致せず、停戦後も残っていた武装勢力の活動地域と重なっていた。
「数日前から、ここで所属不明のGN-Xが確認されてる。周辺の武装勢力と交戦していて、戦闘区域が民間人の避難経路まで広がり始めているわ」
ロックオンが資料を見る。
「今の俺たちの介入条件には引っかかるな」
「ええ。まずは民間人の避難経路確保。それと所属不明機の無力化、できれば機体の出所も確認したい」
そこでスメラギが画面を切り替えた。
一人の男の顔が表示される。
アリー・アル・サーシェス。
刹那の表情が僅かに硬くなった。
ロックオンはそれを見てから、改めて写真を見る。
「こいつ、前に刹那とやり合った奴だよな」
「ああ」
「向こうはお前を『クルジスのガキ』って呼んでた」
刹那は何も言わない。
ロックオンは少し眉を寄せた。
「サーシェスってのは、結局どういう奴なんだ?」
部屋の空気が少し変わった。
刹那は数秒黙ったあと、スクリーンの男を見る。
「KPSA」
ロックオンの目が止まる。
「……何?」
「アリー・アル・サーシェスは、KPSAにいた」
先ほどまで背もたれへ預けていたロックオンの身体が起きた。
刹那は続ける。
「俺をKPSAに入れたのも、あいつだ」
「待て」
ロックオンの声から、普段の軽さが消えた。
「お前を?」
「ああ。クルジスにいた俺たちへ、神のために戦えと教えた。武器を持たせ、人を殺せと命じた」
アレルヤが息を呑む。
ティエリアも黙って刹那を見る。
ロックオンだけは、サーシェスの顔から目を離さなかった。
「KPSAは自爆テロもやってた」
「ああ」
「サーシェスも関わってたのか?」
「関わっていた」
その返事で、ロックオンの拳が強く握られた。
「……俺の家族はKPSAの自爆テロで死んだ」
刹那がロックオンを見る。
スメラギも何も言わない。
それはロックオンがガンダムマイスターになった理由の一つでありながら、普段は自分から口にすることのない過去だった。
「両親も、妹もだ」
低い声だった。
怒鳴ってはいない。
だからこそ、感情を押さえていることが分かった。
刹那が静かに言う。
「俺もKPSAにいた」
「ああ」
「サーシェスに使われて、人を殺した」
ロックオンはそこで初めて刹那を見る。
しばらく二人の視線が重なった。
「……お前に言ってるわけじゃねえよ」
「分かっている」
「ガキだったお前まで、あいつらと一緒にするつもりはない」
ロックオンは再びサーシェスを見る。
「でも、子供を集めて戦わせて、自爆までやらせてた側の人間なら話は別だ」
◇
「それなら、僕からも話しておくべきことがあるね」
リボンズだった。
ロックオンが振り向く。
リボンズはいつもの落ち着いた口調のまま、サーシェスの資料を見ている。
「アリー・アル・サーシェスは、アレハンドロが雇っていた」
今度はレイナスもリボンズを見る。
ロックオンの表情がさらに険しくなった。
「……何だと?」
「正規の構成員ではない。アレハンドロが外部から使っていた傭兵だよ。表立って動かしにくい仕事を任せるには都合がよかった」
「お前は知ってたのか?」
「知っていた」
即答だった。
ロックオンが立ち上がる。
「KPSAの件も?」
「過去についても把握していた」
「それで使わせてたのかよ」
「直接雇ったのはアレハンドロだ」
リボンズはそこで言葉を切り、ロックオンの目を見る。
「ただ、それを理由に僕が無関係だと言うつもりはない」
ロックオンは黙っている。
「アレハンドロがサーシェスを使うことを、僕は止めなかった。当時の僕にとって重要だったのは、彼が何をしてきた人間かではなく、使えるかどうかだったからね」
「……よく俺の前で平然と言えるな」
「隠しても意味がないだろう?」
「そういう話じゃねえ!」
ロックオンの声が初めて大きくなった。
「KPSAだぞ。あいつらが何人殺したと思ってる」
「人数の問題ではない」
「だったら――」
「ロックオン」
刹那の声だった。
ロックオンが振り向く。
刹那は立ち上がってはいない。
ただ、まっすぐロックオンを見ていた。
「リボンズは、あいつを止めなかった」
「ああ」
「それは変わらない」
「ああ!」
「でも今ここでリボンズを撃っても、サーシェスは止まらない」
ロックオンの口が止まった。
レイナスが少し遅れて口を開く。
「怒るなとは言わない。俺でも腹は立つ」
ロックオンが見る。
「だったら黙ってろよ」
「ただ、順番は間違えない方がいい」
レイナスの声は落ち着いていた。
「今外で好き勝手やってるのはサーシェスだ」
ロックオンはしばらくレイナスを睨んでいたが、やがて小さく舌打ちして椅子へ座り直した。
◇
リボンズは、その様子を見ても弁解を始めなかった。
ティエリアが訊く。
「君は今、当時の判断を間違いだったと思っているのか?」
リボンズは少し考えた。
「今の僕なら、別の判断をする可能性はある」
「曖昧だな」
「過去の僕まで、今の価値観に合わせて善人だったことにする方が不誠実だろう?」
リボンズはサーシェスの顔を見る。
「当時の僕なら、同じ情報を見ても利用価値を優先したと思う」
ロックオンの目が再び鋭くなる。
だが、リボンズは続けた。
「だから弁解する気はない。僕が知っていて止めなかった事実は変わらない」
スメラギが静かに聞く。
「アレハンドロは、サーシェスに何をさせていたの?」
「必要に応じた戦闘、妨害、始末。そういった表に出せない仕事だよ。アレハンドロ自身が動くより、戦争屋を金で動かす方が簡単だった」
レイナスが鼻で息を吐く。
「本人にとっても願ったり叶ったりか」
「そうだろうね。金をもらえて、戦争までできる」
刹那の目が細くなる。
「サーシェスは理由を必要としない」
全員が刹那を見る。
「あいつは戦うために理由を使う。神でも、国でも、金でもいい」
ロックオンが低く言った。
「救いようがねえな」
「だから使いやすかった」
リボンズが答える。
その言葉にロックオンがもう一度睨んだが、今度は立ち上がらなかった。
◇
スメラギが中東の地図へ戻す。
「今回、この地域で確認されたGN-Xとサーシェスの直接的な関係はまだ確定していない。でも、活動開始の直前に彼がこの地域へ入った記録がある」
ティエリアが追加資料を表示する。
「アレハンドロは死亡した。現在のサーシェスには、以前の雇用主はいない」
「だから次の仕事を探してるか、自分で戦争を見つけたか」
ロックオンが言う。
リボンズが頷く。
「どちらも彼らしい」
「お前が言うと妙に説得力あるな」
「実際にアレハンドロが使っていたところを知っているからね」
ロックオンは不愉快そうに顔を背けた。
スメラギが全員を見る。
「改めて作戦目的を確認するわ。最優先は民間人の避難。次に所属不明GN-Xの無力化と情報収集」
そして刹那とロックオンを見る。
「サーシェスがいた場合も、そこは変えない」
刹那が即答する。
「了解」
ロックオンは数秒遅れて頷いた。
「分かってる」
「本当に?」
「会ったら撃ちたくなるとは思う」
率直な答えだった。
「家族を殺したKPSAに関わって、刹那みたいなガキを戦争に放り込んで、今でも戦争やってる奴だ。何も思うなって方が無理だろ」
「ええ」
「でも、そいつ追っかけて避難民を見殺しにしたら、俺がここにいる意味がねえ」
スメラギは少しだけ表情を緩めた。
「ならいいわ」
レイナスが横から聞く。
「逃げたら?」
ロックオンが振り返る。
「何だよ」
「民間人を逃がしてる間にサーシェスが逃げたら、どうする?」
ロックオンは一度スクリーンを見る。
以前なら即答できなかったかもしれない。
「……次に見つける」
「それでいい」
「試したのか?」
「確認しただけだ」
「同じだろ」
「まあな」
◇
ブリーフィング終了後。
刹那が格納庫へ向かおうとすると、後ろからロックオンが呼び止めた。
「刹那」
足を止める。
他の者たちは先に出ており、廊下には二人だけだった。
「一つ聞かせろ」
「ああ」
「あいつのこと、いつから知ってた?」
「子供の頃からだ」
「そうじゃねえ」
ロックオンは壁へ軽く背を預ける。
「サーシェスが今も生きてて、戦争やってるって分かってからだ」
「以前戦った時から」
「何でKPSAのことまで言わなかった?」
刹那は少し黙る。
「聞かれなかった」
ロックオンが額を押さえた。
「お前な……」
「必要なら話すつもりだった」
「それをもうちょい早く判断してくれ」
「分かった」
あまりにも素直に返され、ロックオンはそれ以上責める気を失った。
少し間を置いてから、刹那が聞く。
「ロックオン」
「何だ?」
「サーシェスを殺したいか?」
今度はロックオンが黙った。
やがて、苦笑にも似た表情を見せる。
「さっき知ったばっかの人間に聞く質問かよ」
「ああ」
「……正直に言えば、ぶっ殺してやりたい」
刹那は何も言わない。
「俺の家族を殺したテロそのものを、あいつが直接命令したかまでは分からない。それはリボンズも言ってた」
「ああ」
「でもKPSAの側にいて、ああいう自爆攻撃にも関わってた。お前みたいな子供まで利用してた。それだけでも十分腹立つ」
刹那が頷く。
「俺も憎んでいる」
ロックオンが見る。
「今でもか?」
「ああ」
「でも、前みたいに追いかけない?」
「必要なら追う」
少し間を置く。
「憎いからではなく、止めるために」
ロックオンはその言葉を聞いてから、僅かに笑った。
「随分変わったな、お前」
「そうか?」
「ああ」
それから歩き出す。
「俺も照準くらいは外さないようにするさ」
刹那も並ぶ。
「外すな」
「そこは心配するところじゃないだろ」
◇
西暦2308年――中東・旧紛争地域上空
エクシア、デュナメス、キュリオス、ヴァーチェ。
さらにスローネアイン、ツヴァイ、ドライ。
レイナスのGN-Xも加わり、八機が荒れた大地の上を低空で進んでいた。
眼下には、南へ向かう避難車両の長い列が見える。
フェルトから通信が入る。
『避難民は予定ルートを移動中。敵影はまだありません』
スメラギが続ける。
『最優先は車列の保護。敵が出た場合は避難経路から引き離して』
「了解」
刹那が答える。
ロックオンも狙撃センサーを展開した。
レイナスの声が通信へ入る。
『大丈夫か?』
『誰に言ってる?』
『お前』
ロックオンは少し間を置いた。
『平気だよ』
『ならいい』
『それだけか?』
『長々聞いてほしいなら聞くけどな』
『いらねえよ』
『じゃあ仕事しよう』
その程度でよかった。
◇
最初の敵影は数分後に現れた。
『前方、擬似GN粒子反応! 五機!』
岩山の陰から五機のGN-Xが上昇する。
正規軍の識別信号はない。
そのうち二機が避難車列へ向きを変えた。
『ヨハン、右側をお願い!』
スメラギの指示に、スローネアインが即座に動く。
『了解。ネーナは車列との間へ。ミハエル、左から追い込め』
『了解!』
『任せろ!』
アインの砲撃がGN-Xの進路を制限し、ドライが避難車列との間へ入る。ツヴァイが反対側へ回り込み、二機を戦場中央へ押し戻した。
ロックオンが一機へ照準を合わせる。
サーシェスの顔が一瞬だけ頭をよぎった。
だが、目の前のパイロットはサーシェスではない。
引き金を引く。
GNビームが敵のライフルだけを撃ち抜いた。
『一機、武装を潰した』
『こっちで落とすよ』
アレルヤのキュリオスが接近し、推進器を破壊する。
ロックオンはもう次の敵へ照準を移していた。
感情と仕事は分ける。
そう決めた。
◇
その時。
刹那が上を見た。
「来る」
『何が?』
アレルヤが聞き返した瞬間、警報が鳴った。
高高度からビームが降り注ぐ。
レイナスが真っ先に反応する。
『ネーナ、右へ!』
『えっ?』
ドライが動いた直後、先ほどまでいた空間をビームが貫いた。
雲を割り、一機のMSが降下してくる。
刹那の表情が変わる。
オープン回線に笑い声が響いた。
『ハハハハハッ! やっぱり来たか、ガンダムども!』
「サーシェス」
そして。
『特にお前だ、クルジスのガキ!』
エクシアがGNソードを構える。
だが。
その横から一発のGNビームが飛んだ。
赤い機体が咄嗟に回避し、肩の装甲を掠める。
『あ?』
デュナメス。
ロックオンの銃口が、サーシェスを捉えていた。
「お前がサーシェスか」
『何だ? 狙撃屋まで俺に用かよ』
「KPSA」
その名前を聞いた瞬間。
サーシェスの笑い方が少し変わった。
『……へえ』
ロックオンは照準から目を離さない。
「ガキ集めて、神のために戦えなんて吹き込んでたそうじゃねえか」
『昔の話だな』
「自爆テロもやらせてた」
『それがどうした?』
あまりにも軽い声だった。
ロックオンの奥歯が噛み締められる。
「どうした、だと?」
『戦争だぜ?』
サーシェスは笑っている。
『使えるもん使って、殺せる奴を殺す。それだけだろ』
デュナメスの銃口へ粒子が集まる。
だが、ロックオンは撃たなかった。
地上。
まだ避難車列が残っている。
その瞬間を見逃さず、サーシェスがさらに笑った。
『撃たねえのか?』
「撃つさ」
ロックオンの声は低い。
「ただし今じゃねえ」
『ハッ!』
「今のお前より、あそこにいる連中の方が優先だ」
少し離れた場所で、レイナスの口元が僅かに上がった。
刹那がエクシアを前へ出す。
「サーシェス」
『何だ、クルジスのガキ』
「俺は刹那・F・セイエイだ」
一瞬。
サーシェスが黙る。
「覚えておけ」
GNソードを構える。
「今度は、お前に使われていた子供じゃない」
サーシェスは数秒静かにしてから。
大きく笑った。
『いいねえ!』
赤い機体が加速する。
『だったら見せてみろよ、刹那・F・セイエイ!』
エクシアも前へ出る。
その背後でロックオンはライフルを持ち直した。
KPSA。
家族。
刹那。
アレハンドロ。
リボンズ。
今まで別々だったものが、一本の線で繋がった。
だが。
今やるべきことだけは見失っていない。
「逃げんなよ、サーシェス」
低く呟き。
デュナメスは避難車列へ迫るGN-Xへ、次の照準を合わせた。