西暦2308年――プトレマイオス・訓練区画
サーシェスとの戦いから数日。
久しぶりに大きな作戦予定のない時間を使い、プトレマイオスでは《アニマ》の合同訓練が行われていた。
もっとも、合同と言っても全員が同じことをするわけではない。
すでに習熟度にはかなり差がついている。
「ロックオン、アレルヤ、ティエリアは機体への浸透範囲を広げる練習。ラッセさん、フェルト、スメラギさん、クリスは身体内部での移動と制御。ネーナは安定化です」
端末を見ながら、アーミアが一人ずつ確認していく。
「刹那は《オーバーライズ》の維持。ただし今日は出力を上げる必要はありません」
「分かった」
即答した刹那を、アーミアが少しだけ見つめる。
「……本当に?」
「ああ」
「なら信じます。疑い続けても仕事が増えるだけですから」
壁際にいたレイナスが口元を緩めた。
「その言い方、妙に聞き覚えがあるな」
アーミアは振り向かない。
「長く生きると、余計な仕事を増やさない知恵くらいは身につきます」
「そうか。なら俺はいい影響を与えたと思っておこう」
「そこまで言ってません」
「評価は自分で拾っておかないと、誰も拾ってくれないからな」
ロックオンがシミュレーターへ入りながら笑った。
「朝から格好いいこと言ってるようで、よく聞いたら結構寂しいな」
「世の中そんなもんだろ」
◆
今回、一番進んでいるのは当然ながら刹那だった。
すでにエクシア全体へ《アニマ》を通し、《オーバーライズ》を成立させている。
ロックオンたちはそこまで届いていない。
デュナメスは右腕から肩。
キュリオスは脚部から推進系。
ヴァーチェは胸部から肩。
一度成功した部位から、少しずつ範囲を広げている途中だった。
「腕から肩までは行くんだがな」
ロックオンの声がシミュレーターから響く。
「そこから先に行こうとすると、急に『機械動かしてる』感じに戻る」
アーミアがモニターを見る。
「そこが今の壁ですね。腕だけを自分だと思うのではなく、その先も含めて――」
刹那が横から言う。
「全部自分だと思えばいい」
沈黙。
ロックオンが答える。
「お前、その説明で俺が分かると思ったか?」
「分かりやすい」
「本人だけだぞ、それ」
レイナスが腕を組んだ。
「まあ、言ってること自体は間違ってない。説明書として売ったら返品されそうだけどな」
刹那が見る。
「レイナスも同じだろう」
「俺は説明書を作る仕事は引き受けてない」
「逃げたな」
ロックオンが言う。
レイナスは少し考えた。
「人には向き不向きがある。俺は見本を見せて帰る側だ」
「言い方だけ妙に格好いいな」
「中身まで求めるのは贅沢だろ」
◆
フェルトは相変わらず安定していた。
右手に出した淡い青白い光を腕へ戻し、胸を経由して左腕へ流す。
速度は速くない。
出力も小さい。
だが、ほとんど揺れない。
アーミアが頷いた。
「やっぱりフェルトは制御が上手いですね」
フェルトは左手に移った光を見る。
「大きくはできないけど」
「今は十分です。大きさだけなら後からでも増やせます。雑に大きいより、小さくても言うことを聞く方が扱いやすいです」
レイナスが横から頷く。
「力ってのは大体そうだな。デカけりゃ偉いで済むなら、世の中もっと単純だった」
ラッセが聞く。
「お前が言うと説得力あるのかないのか分からんな」
「俺自身は結構デカい方だからな」
「自分で言うのかよ」
「事実を謙遜しても給料は増えない」
アーミアがちらりと見る。
「そういうところです」
「何が?」
「いえ。少し懐かしくなっただけです」
レイナスには意味が分からなかったが、それ以上は聞かなかった。
◆
ラッセは、相変わらず力を抜くところで苦戦していた。
「だから肩の力を抜いてください」
「抜いてる!」
「上がってます」
「これ以上抜いたら寝るぞ」
「寝て成功するなら、それはそれで新しい発見です」
アーミアが淡々と返した。
ラッセが止まる。
「試していいか?」
「本当に寝ないでください」
「今の流れなら試せって意味じゃないのか?」
「全部真に受けると損しますよ」
少し離れたところでレイナスが笑う。
「その辺まで似なくていいんだけどな」
アーミアが振り返った。
「先生が言います?」
「長年の環境って怖いな」
「他人事ですね」
「今の俺に五十年分の責任を請求されても困る」
「それはそうです」
あっさり認められた。
「そこは引くんだな」
「勝てないところで粘るほど若くありませんから」
「見た目は若いけどな」
アーミアが無言で見る。
レイナスはすぐに視線を逸らした。
「……今のは忘れてくれ」
「判断が早いですね」
「生存戦略だ」
◆
スメラギとクリスは、別の意味で真剣だった。
「右腕までは行ったわ」
スメラギが呟く。
「そこから胸へ戻すと消える」
クリスも自分の腕を見ている。
「私は肘で引っかかる感じです」
「力んでるんじゃない?」
「スメラギさんに言われたくないです」
「私はさっきより抜けてるわよ」
「眉間に皺ありますよ」
離れた場所からロックオンの声。
『なあ』
「何?」
スメラギが振り向く。
『お前ら、例の若返り目的じゃないだろうな』
「戦力強化よ」
クリスも頷く。
「戦力強化です」
『返事が揃ってんぞ』
「偶然よ」
「偶然です」
レイナスは黙って別方向を見る。
ラッセが気づいた。
「助け舟出さねえのか?」
「目的が何でも続くなら立派なもんだ。動機まで綺麗にしようとすると、人間だいたい何も始められない」
妙にもっともらしい。
ロックオンが通信越しに聞く。
『お前、二人に怒られたくないだけだろ』
「それもある」
台無しだった。
◆
そして。
今回。
一人だけ完全に別枠の人間がいた。
天城ミライ。
前回、《アニマ》そのものは発現していない。
だが初めて教わったその日に、胸の奥から肩、腕、手まで、内部の感覚を追うことには成功している。
アーミアはミライの正面へ立った。
「今日は、その先です」
「外へ出す」
「はい。ただし無理に出そうとしないこと。前回、手まで持ってきた感覚を再現してください」
「分かりました」
隣でネーナが腕を組む。
「私は?」
「安定化です」
「また?」
「安定してから文句を言ってください」
「出る時は出るもん」
「出ない時があるから安定してないんです」
「むぅ……」
ミライはすでに目を閉じていた。
胸。
肩。
腕。
手。
前回まで時間をかけて追った流れを、今度はほとんど迷わず辿る。
そして。
右手の指先に。
淡い青白い光が灯った。
「……出ました」
アーミアが少し止まった。
「出ましたね」
ミライが目を開く。
青白い光を見る。
「なるほど」
「何がです?」
「一度出ると分かりやすいです」
ネーナが振り向いた。
「ちょっと待って」
「はい?」
「何でそんな普通に出してんの?」
「出せと言われたので」
「それで出ないから練習するの!」
「そうなんですか?」
「そうなの!」
アーミアがネーナを見る。
「怒る相手が違いますよ」
「じゃあ何に怒ればいいの!?」
アーミアは少し考えた。
「才能に抗議しても、たぶん受付はありませんね」
ネーナが黙った。
レイナスがアーミアを見る。
「……やっぱり少し似てきてないか?」
「気のせいです」
「そういうことにしておくか」
◆
アーミアはミライへ向き直った。
「一度消してください」
「はい」
消える。
「もう一度」
数秒で再発現。
「もう一回」
今度はさらに早い。
「出力を落としてみてください」
「こうですか?」
光が小さくなる。
「戻せます?」
元に戻る。
アーミアが黙った。
ミライが首を傾げた。
「違いました?」
「いえ。合ってます」
「では次は?」
アーミアは一拍置いた。
「……予定がなくなりました」
「はい?」
「今日ここまで行く予定ではありませんでした」
壁際のレイナスが言う。
「才能ってのは便利だな。教える側の予定を平気で壊してくれる」
「感心してる場合じゃありません」
「まあ、予定表を作ったのは俺じゃないから困るのはアーミアなんだけどな」
「先生」
「何だ?」
「手伝ってください」
一瞬。
レイナスが天井を見る。
「綺麗に返ってきたな」
◆
レイナスはミライの前へ立った。
「俺に振るってことは、説明じゃないよな?」
「見本だけでいいです」
「助かった。不得意分野まで背負うと、後で大体ろくなことにならない」
ロックオンの声が飛ぶ。
『さっきから格好よさそうに逃げるな、お前』
「逃げ道がある時に使わない方が不自然だろ」
レイナスは右手を上げた。
青白い《アニマ》が灯る。
一度身体へ戻し。
胸から左肩、左腕。
左手へ。
再び青白い光。
今度は左手から戻し、右脚へ。
余計な動きはない。
「こんな感じだ」
ミライがじっと見る。
「分かりました」
レイナスの眉が僅かに動く。
「その即答、嫌な予感がするな」
ミライは目を閉じた。
右手に光。
身体へ戻す。
胸。
左肩。
左腕。
左手。
青白い光が灯る。
ネーナが固まった。
「……は?」
アーミアも少しだけ目を見開く。
「一回見ただけですよね?」
「はい」
レイナスはミライを見る。
「俺より説明いらないんじゃないか?」
「見本が分かりやすかったです」
「それなら今日はいい仕事したことにして帰りたいな」
「まだ帰らないでください」
「やっぱり駄目か」
◆
ミライの習熟は、そこからさらに早かった。
右手。
左手。
身体へ戻す。
移動。
出力調整。
一度成功したことを、次にはほとんど同じ形で再現する。
フェルトが素直に感心した。
「ミライ、すごい」
「ありがとうございます」
それを聞いたネーナが振り向く。
「フェルトまで!」
「何で私が怒られるの?」
「知らない!」
「理不尽」
フェルトは静かに訓練へ戻った。
◆
ロックオンたちも遊んでいたわけではない。
デュナメスの右腕を覆っていた《アニマ》が肩を越え、僅かに胸部側へ入り込む。
『……来た』
「そのまま!」
アーミアがモニターを見る。
だが数秒後。
途切れた。
ロックオンが息を吐く。
『まだ短いな』
「前より進んでます。それで十分です」
『ミライ見た後だと慰めに聞こえるぞ』
「比べる相手を間違えてますよ」
『それ言われると余計に怖いんだが』
◆
アレルヤもキュリオスの脚部から推進系まで《アニマ》を通している。
一度は成功する。
しかし。
『あ、今――』
その瞬間。
途切れた。
『……まただ』
レイナスが横から言う。
「成功したか確認するのは、終わってからでいいんじゃないか?」
アレルヤが少し考えた。
『なるほど』
「上手くいってる途中で自分から止めるのも勿体ないだろ」
『今の説明、分かりやすかった』
アーミアが見る。
「珍しいですね」
「一回くらい当たらないと、俺も立場がないからな」
「立場を気にしてたんですか?」
「多少はな。ゼロだと寂しいだろ」
◆
ティエリアは黙々とヴァーチェへの浸透範囲を広げていた。
胸部。
肩。
腕。
少し進む。
途切れる。
再び繰り返す。
ロックオンが通信を入れる。
『向こう気にならないのか?』
『何がだ』
『ミライ。一回見ただけで次々覚えてる』
ティエリアが一度だけ視線を向ける。
『後で方法を聞く』
『気にはなるんじゃねえか』
『効率のいい方法が存在するなら確認するのは当然だ』
『負けず嫌いって言えば早いのに』
『違う』
即答だった。
◆
一時間後。
休憩。
ほとんどの参加者が床や椅子に座っていた。
ネーナはアーミアの隣で水を飲みながら、まだミライを睨んでいる。
「ミライだけ早すぎる」
「人と比べない」
「でも!」
「ネーナも前より安定しています」
ネーナが少し黙った。
「本当?」
「本当です」
「ミライより?」
「そこを比べない」
「ちぇ」
アーミアは少し笑った。
「上を見ればきりがありません。私だって先生と比べたら終わりです」
レイナスが離れたところから言う。
「人を諦めるための基準に使うな」
「便利なんですよ」
「便利なら仕方ないか」
「そこは怒らないんですね」
「怒ったところで差が縮むわけでもないからな。勝てない比較は早めに切った方が人生が楽だ」
ネーナが首を傾げる。
「それ、カッコいいこと言ってる?」
「諦めが早いって話だ」
「カッコ悪いじゃん」
「そうとも言う」
◆
休憩後。
アーミアは改めてミライの記録を見る。
「今まで私が教えた中では、習熟の速度だけならミライが一番ですね」
刹那が見る。
「俺より?」
「はい」
「そうか」
それだけだった。
ロックオンが笑う。
「少しは悔しがれよ」
「速さを競っているわけじゃない」
「まあ、そうなんだけどな」
ミライ自身は少し困ったように聞いた。
「でも、刹那さんはもう《オーバーライズ》まで使えますよね?」
「習熟速度と現在の実力は別です」
アーミアが答える。
「出力も経験も応用範囲も違います。ミライは覚えるのが異常に速い。それだけです」
レイナスも頷いた。
「飲み込みが早い新人ってところだな。一日でベテラン扱いされたら、本人も明日から困るだろ」
「困ります?」
ミライが聞く。
「たぶん周りが先に困る」
「なるほど」
「納得するところなのか?」
◆
そして。
その日の訓練は終わる――はずだった。
「アーミアさん」
「何です?」
「最後に一つだけ試していいですか?」
アーミアの表情が少し曇る。
「内容を聞いてから決めます」
「少量の《アニマ》を身体から離して飛ばせるかどうか」
「……本当に少量ですよ」
「はい」
レイナスがミライを見る。
「嫌な予感がするな」
「気のせいです」
「その返しまでアーミアに似てきたぞ」
ミライは訓練区画の空いている方向へ向いた。
右手に。
小さな青白い光が灯る。
そこまでは普通だった。
次の瞬間。
ミライは大きく両腕を広げた。
レイナスが目を細める。
「……ああ。そっちか」
ミライが天井を見上げる。
「天よ!」
全員が止まった。
ネーナが目を輝かせる。
「何それ!?」
ミライは続ける。
「地よ!」
アーミアの表情が固まった。
この時点で分かった。
止めるなら今だった。
だが。
少しだけ遅かった。
「そして、俺の魂よ!」
ロックオンが吹き出した。
「俺!?」
「原作再現です!」
ミライは一切崩れない。
両手の間に。
ビー玉より小さな青白い光が集まり始める。
「俺の生き様、その魂に刻め!」
アーミアは片手で顔を覆った。
十七歳の頃。
同じ台詞を何度も真似したことなど。
絶対に言えない。
隣でレイナスが腕を組む。
「止めるなら今なんだろうけどな」
アーミアが見る。
「止めないんですか?」
「ここまで来たら、最後まで見た方が損は少ない」
「完全に野次馬じゃないですか」
「見学にも責任はある」
「今作りましたね、その理屈」
ミライの前口上は続く。
「世界が俺を拒むなら――」
青白い光が少しだけ大きくなる。
「俺が世界の方を認めてやる!」
刹那が真顔で見ている。
ティエリアも訓練を止めた。
クリスは笑いを堪えている。
スメラギはもう完全に見物していた。
ミライが両手を前へ突き出す。
「超絶究極――」
レイナスが小さく息を吐いた。
「前口上だけなら完成度高いな」
「レイヴン・バーストォォォォッ!!」
青白い光が飛んだ。
全員の視線が追う。
二メートルほど進み。
ぽすっ。
訓練用マットに当たった。
消えた。
沈黙。
ミライは両手を突き出したまま止まっている。
ネーナが最初に口を開いた。
「……弱っ」
ロックオンが耐えきれず笑い出す。
「前口上の方が威力あったぞ!」
アレルヤも笑いを堪えきれない。
「もっとすごいのが来ると思った……」
ティエリアだけは真面目だった。
「攻撃としての威力はほぼない」
「分析しなくていいです!」
ミライが珍しく強めに返した。
刹那はマットを見る。
「飛んだ」
全員が刹那を見る。
ロックオンが聞く。
「そこ評価するのか?」
「初めてで身体から離した」
「……まあ、それはそうなんだけどよ」
アーミアは額へ手を当てた。
「ミライ」
「はい」
「技名を勝手につけないでくださいと言いましたよね?」
「新しい名前はつけていません。劇場版《レイヴン》の忠実な再現です」
「逃げ道を準備してからやるのやめません?」
「先に規則を確認しただけです」
「そういうところだけ頭が回りますね」
レイナスが二人を見ながら言う。
「威力はともかく、あの前口上を最後までやり切った度胸は本物だな」
ミライが見る。
「褒めています?」
「半分くらいは」
「残り半分は?」
「俺なら途中で恥ずかしくなってやめる」
「モデル本人なのに?」
「だからだろ」
ネーナが腹を抱えて笑う。
「レイヴンバースト! ぽすっ!」
「ネーナ、笑いすぎです」
「だって弱い!」
ミライは自分の掌を見る。
「初回ですから」
レイナスが頷く。
「そういうことにしておこう。人間、明日へ繋がる言い訳の一つくらい持ってた方が生きやすい」
ロックオンが見る。
「妙に深そうに言ってるけど、それただの負け惜しみだろ」
「言葉を選べば前向きになる」
「ならねえよ」
ミライが再び手を上げる。
「もう一度試して――」
「今日は終わりです」
アーミアが即答した。
「まだ余力があります」
「知っています」
「次はもう少し出力を――」
「だから終わりです」
「前口上を短くすれば時間は――」
「そこじゃありません」
ミライは少し考え。
「では次回」
「予約しないでください」
レイナスが出口へ向かう。
「まあ、元気なのはいいことだ。止める役まで引き受けると割に合わないから、後は任せた」
アーミアが振り返る。
「先生」
「何だ?」
「逃げましたね」
レイナスは足を止めずに片手を上げた。
「撤退判断が早いと言ってくれ」
「言い方を変えても逃げた事実は変わりませんよ」
「そこまで分かってるなら、説明はいらないな」
その背中を見ながら。
アーミアは小さく息を吐いた。
「……本当に、そういうところは変わらないんですね」
今のレイナスに。
未来の記憶はない。
それでも。
時々。
五十年以上知っていた男とまったく同じことを言う。
そして今度は。
少し離れたところでミライが、再び両腕を広げようとしていた。
アーミアはすぐに振り返る。
「ミライ」
「まだ何もしてません」
「その姿勢から始まることは知っています」
ミライは静かに腕を下ろした。
訓練区画に。
また笑い声が広がった。