西暦2308年――月裏側宙域
連絡艇の正面に、巨大な艦影が浮かんでいた。
ミレイナ・ヴァスティは座席から身を乗り出し、窓の向こうを食い入るように見つめている。
「……大きいですぅ」
隣に座るリンダも、すぐには返事をしなかった。
資料では見ていた。イアンから話も聞いている。それでも、実物を前にすると印象がまるで違う。
「これが《ソレスタルビーイング》……」
二人にとって、この艦を見るのは初めてだった。
向かい側では、アニュー・リターナーが端末へ目を落としている。
「収容許可が出ました。間もなく着艦します」
ミレイナが振り返る。
「アニューさんは落ち着いてるですぅ」
「そう見えるだけよ」
「ミレイナはかなりワクワクしてるです!」
「それは見れば分かるわね」
リンダが笑う。
ミレイナは再び窓へ向き直った。
「だって、こんなの初めてですもん」
連絡艇が減速し、《ソレスタルビーイング》の収容区画へ入っていく。
巨大な外壁が視界いっぱいに広がった。
◆
西暦2308年――《ソレスタルビーイング》・連絡区画
気密処理が終わり、ハッチが開く。
最初に外へ出たミレイナは、数歩進んだところで立ち止まった。
「……広いですぅ」
連絡区画だけでも、プトレマイオスとは規模が違う。
さらに目を引いたのは、人の多さだった。
設備の点検をしている者。
資材を運んでいる者。
端末を見ながら行き交う者。
その中には、多数のイノベイドがいる。
リンダも周囲を見渡した。
「聞いてはいたけど、本当にこんなにいるのね」
アニューは黙ったまま、その光景を見ていた。
人間と。
イノベイド。
両者が同じ場所で普通に働いている。
その時だった。
「ミレイナ!」
聞き慣れた声が飛んでくる。
ミレイナの顔が一気に明るくなった。
「パパ!」
イアン・ヴァスティがこちらへ歩いてくる。
ミレイナはそのまま駆け出した。
「パパー!」
「お、おい!」
勢いよく抱きつかれ、イアンが一歩よろめく。
「元気そうですぅ!」
「見りゃ分かる! もう少し静かに来い!」
「久しぶりなので仕方ないです!」
「どういう理屈だ!」
その後ろからリンダが歩いてくる。
「元気そうね、あなた」
イアンの表情が少し緩んだ。
「リンダ。急に呼んで悪かったな」
「いつものことでしょ」
「そこまで毎回じゃないだろ」
リンダは少し考えた。
「そういうことにしておくわ」
「おい」
少し離れた場所で見ていたロックオンが笑う。
「相変わらずだな、イアン」
「うるせえ」
レイナスもその様子を眺めていた。
「家庭内の評価は外野が触らない方が安全そうだな」
ロックオンが横を見る。
「逃げる気満々だな」
「勝ち筋のないところで頑張る趣味はない」
「妙に格好つけて言ってるが、ただ巻き込まれたくないだけだろ」
「分かってるなら説明はいらないな」
◆
ミレイナはようやくイアンから離れ、その向こうにいる面々へ視線を移した。
刹那。
ロックオン。
アレルヤ。
ティエリア。
スメラギ。
フェルト。
クリス。
ラッセ。
そして。
ヨハン・トリニティ。
ミハエル・トリニティ。
ネーナ・トリニティ。
さらに。
レイナス。
アーミア。
リボンズ。
リジェネ。
ヒリングたち。
ミレイナが目を丸くした。
「……思ってたより、ずっと多いですぅ」
イアンが頭を掻く。
「まあ、色々あってな」
「その一言で片づける人数じゃないです」
「細かく話すと長い」
レイナスが横から言う。
「長い話は座って聞いた方がいい。立ったまま聞いて疲れても得はないからな」
ミレイナがレイナスを見る。
「あ、レイナスさんですね!」
「俺も知ってるのか」
「パパから聞いてます!」
レイナスがイアンを見る。
「何を?」
「色々だ」
「便利だな、その言葉」
ミレイナは続ける。
「すごく強い人だって聞いてるです!」
「それなら今のところ問題ない」
ロックオンが笑う。
「何だ、その安心の仕方」
「知らないところで余計な話が増えてないなら十分だろ」
◆
ミレイナの視線は、そのままトリニティ三兄妹へ移った。
「ヨハンさん、ミハエルさん、ネーナさんですね!」
ネーナが少し意外そうな顔をする。
「知ってるんだ」
「もちろんです!」
ヨハンが静かに一礼した。
「ヨハン・トリニティだ」
「ミハエル・トリニティ」
ミハエルも続く。
ネーナは少し遅れて、
「ネーナ・トリニティ」
と名乗った。
ミレイナが嬉しそうに頷く。
「本当に三人一緒なんですねぇ」
ネーナが首を傾げる。
「そりゃ一緒だけど」
「写真とか資料で見るのと、実際に会うのは違うです!」
「変なところで感動するね」
「初めてなんだからいいじゃん」
ミハエルが笑う。
ヨハンも特に咎めなかった。
少し離れたところで、アーミアがその様子を見る。
ネーナはもう、初対面の相手に必要以上に身構えてはいない。
以前より。
ずっと自然だった。
◆
一方。
リンダの視線は、リボンズたちへ向いていた。
見た目だけなら。
普通の人間と大きくは変わらない。
だが。
彼らが何者なのかは聞いている。
「あなたたちが、イノベイドなのね」
リボンズが静かに答えた。
「ああ」
それ以上。
余計な言葉は足さなかった。
リンダは少しだけ相手を見たあと、頷く。
「そう」
ミレイナは周囲へ目を向けた。
「本当にたくさんいるですぅ」
リジェネが少し笑う。
「最初の感想がそれなんだ」
「だって本当に多いです!」
ヒリングが面白そうにミレイナを見る。
「この子、元気だね」
「褒められたです?」
「たぶん」
「じゃあ貰っとくです!」
レイナスが頷く。
「貰えるものは貰っとけばいい。後から返せと言われたら、その時考えればいい」
アーミアが横を見る。
「ずいぶん雑ですね」
「今困ってないことまで先に悩んでも疲れるだろ」
「それはまあ」
アーミアは少しだけ笑った。
◆
その中で。
ティエリアの視線が、アニューへ向いた。
リボンズ。
リジェネ。
ヒリングたちも。
僅かに空気が変わる。
アニューも、それに気づいた。
「アニュー・リターナーです」
リボンズが静かに答える。
「君のことは知っている」
アニューの眉が僅かに動いた。
「私を?」
「存在については。ただし、君自身が今どこまで理解しているのかまでは知らない」
アニューは少し考える。
「私も、自分についてすべて分かっているとは言えません」
ティエリアが口を開いた。
「それなら、今すぐ答えを出す必要はない」
アニューが彼を見る。
「あなたも……?」
「ああ。僕もイノベイドだ」
しばらく。
アニューはティエリアを見ていた。
やがて、小さく息を吐く。
「そうですか」
それ以上。
誰も急かさなかった。
何者なのか。
どこに属するのか。
何をするのか。
今すぐ全部決める必要はない。
少なくとも。
今のこの場所では。
◆
一行は連絡区画を離れ、艦内へ移動した。
ミレイナは最初から最後まで忙しい。
右を見る。
左を見る。
少し先へ行って、また振り返る。
「やっぱり広いですぅ」
イアンが呆れる。
「さっきも言っただろ」
「場所が変わったです!」
「艦は同じだ」
「細かいですぅ」
リンダの方は、通路を歩きながら各設備へ視線を向けていた。
技術者として。
興味を持たない方が無理だった。
「この艦、どこまで動いてるの?」
イアンが答える。
「使ってない区画もかなりある。全部を今の人数で運用する必要もないからな」
「それでも維持だけで相当でしょう」
「ああ。そこは元々ここのイノベイドたちがやってた」
リンダは、近くで作業している者たちを見る。
「なるほど」
イアンは続けた。
「プトレマイオスだけじゃ、これから全部抱えるのは厳しい。使える設備はこっちも使う」
「そのために私たちを?」
「それもある」
ミレイナが手を上げる。
「ミレイナも働くです!」
「まず艦内を覚えろ」
「それも仕事です?」
「迷子を探す仕事を増やさないためには重要だ」
ネーナが後ろから笑った。
「絶対迷うでしょ」
「迷わないです!」
「この広さで?」
「迷わないです!」
ミハエルが笑う。
「根拠ねえな」
「自信です!」
ヨハンが横から言う。
「自信と現在位置の把握は別だ」
「ヨハンさんまで!」
◆
西暦2308年――《ソレスタルビーイング》・技術区画
イアンが用意していた端末には。
艦内設備。
整備区画。
ガンダム各機。
GN-X。
今後の改修に使う資料。
様々な情報が並んでいた。
リンダは席に着くと、すぐに画面へ目を走らせた。
先ほどまでの柔らかい表情から。
一気に技術者の顔へ変わる。
「機体側は私も見るわ。設備がこれだけあるなら、できることも増えるでしょう」
イアンが頷く。
「ああ。助かる」
アニューも別の端末を開いた。
「私は艦内システムを確認します。運用方法を把握してからになりますが、航行や管制も見られると思います」
スメラギが答える。
「お願いするわ。ただ、最初から何でも抱え込まなくていいから」
「はい」
アニューが何を得意としているのか。
何をやりたいのか。
それはこれから確認すればいい。
リボンズが一方的に役割を決める。
ヴェーダが必要な仕事を与える。
そういう形ではなく。
本人が。
自分で選ぶ。
今のソレスタルビーイングは。
少しずつ、そういう場所へ変わり始めていた。
◆
端末を覗き込んでいたミレイナが、ふと顔を上げた。
少し離れた場所に。
黒髪の女性がいる。
「初めましてです!」
天城ミライが振り向いた。
「初めまして」
「ミレイナ・ヴァスティです!」
「天城ミライです」
数秒。
二人は黙った。
ミレイナが先に口を開く。
「ミライさんとミレイナです」
「少し紛らわしいですね」
「でも覚えやすいです!」
ミライは少し考え。
「それもそうですね」
話が早かった。
そこへネーナが入ってくる。
「何か似た名前増えた」
「名前だけです!」
ミレイナが即座に返す。
ミライも言う。
「性格はあまり似ていないと思います」
ネーナが二人を見比べる。
「……どっちもよく喋りそう」
「ネーナもでしょう」
アーミアが後ろから言った。
「私は普通だし」
「その判定は少し甘いですね」
「アーミアは私に厳しい!」
「そうでもないですよ」
「そういう顔で言うから余計怪しい!」
ミレイナが笑う。
ミライも小さく笑った。
少し離れた場所では。
ヨハンとミハエルがその様子を見ている。
ミハエルが口を開く。
「ネーナ、随分ああいうのに慣れたな」
ヨハンが頷く。
「悪い変化ではない」
「まあな」
◆
少し経って。
スメラギは技術区画に集まった面々を見渡した。
人間。
イノベイド。
ガンダムマイスター。
トリニティ。
技術者。
そして。
アーミア。
以前なら。
同じ場所に並ぶこと自体が考えられなかった者たちだ。
「これで、またできることが増えるわね」
アーミアも周囲を見る。
自分の知る歴史とは。
やはり大きく違っている。
もっと遅かったもの。
もっと多くを失ってから揃ったもの。
そもそも。
この形では揃わなかったもの。
それが今は。
まだ西暦2308年のうちに。
同じ場所へ集まり始めている。
「アーミア?」
スメラギに呼ばれ。
アーミアは顔を上げた。
「すみません。少し考え事を」
「未来のこと?」
「少しだけ」
「良くない方?」
アーミアは周囲を見る。
イアンとリンダ。
ミレイナとミライ。
ネーナ。
ヨハン。
ミハエル。
アニューとティエリア。
リボンズたち。
そして。
少し離れた場所でロックオンと何か話しているレイナス。
「いえ」
アーミアは穏やかに答えた。
「今回は、悪くない方です」
◆
「ところで!」
ミレイナが手を上げた。
イアンが嫌そうな顔をする。
「何だ」
「この艦、見て回っていいです?」
「一人で勝手に行くな」
「まだ行ってないです!」
「行く前に言ってる」
ミライが横から口を挟む。
「私なら、ある程度は案内できます」
ミレイナの目が輝いた。
「本当です?」
「はい」
「行きたいです!」
ネーナもすぐに反応する。
「私も行く」
ミハエルが笑う。
「お前は見たことあるだろ」
「案内する側」
「今決めただろ」
「いいじゃん!」
ヨハンが三人を見る。
「立入制限のある区画には近づくな。端末で確認しながら行け」
「分かってるってば」
「了解ですぅ!」
「確認します」
三人はそのまま歩き出した。
イアンが背中を見送る。
「……大丈夫か?」
レイナスが同じ方向を見る。
「ネーナがいるなら迷子にはならないだろ」
「そうか」
少し安心したイアンへ。
レイナスが続ける。
「静かに帰ってくるかは知らないけどな」
「余計なこと言うな!」
「期待値を上げすぎると後で疲れるぞ」
「お前は最初から期待してねえだけだろ!」
レイナスは軽く肩をすくめた。
そのやり取りを聞きながら。
リンダが小さく笑う。
初めて見る巨大な艦。
初めて会う多数のイノベイド。
知らない人間も。
知らないことも多い。
それでも。
思っていたほど。
居心地は悪くなさそうだった。
アニュー。
リンダ。
ミレイナ。
三人を迎え。
《ソレスタルビーイング》の中には。
また少しだけ。
新しい日常が増えていた。