西暦2308年――月周辺・ソレスタルビーイング艦内
「接近艇、識別を確認しました。登録情報と一致しています」
フェルトの報告を受け、スメラギは正面モニターへ視線を向けた。艦へ近づいているのは一隻の小型艇で、事前に連絡を受けていたため接舷手続きは問題なく進んでいる。
「本人が直接来るのは久しぶりね」
隣で端末を確認していたクリスも頷いた。
「最近はずっと通信でしたからね」
やがて接舷が完了し、艦内へ二人の人影が入ってくる。先頭を歩く少女の姿を確認すると、スメラギは小さく笑った。
「久しぶり、留美」
「お久しぶりです、スメラギさん」
王留美は以前と変わらない落ち着いた笑みを浮かべ、その後ろには紅龍が控えていた。
「あなたが直接来るとは思わなかったわ」
「私も当初はそのつもりではありませんでした。ただ、一度こちらを自分の目で見ておいた方がいいと思いまして」
「何を?」
留美は艦内をゆっくり見回した。
「今のソレスタルビーイングを、です」
スメラギが僅かに眉を上げる。その言葉の意味を聞く前に、廊下の向こうから二人が歩いてきた。
最初に気づいたのはレイナスだった。
「留美か。随分久しぶりだな」
その隣にいたアーミアも足を止める。
「王留美さん」
留美の視線が二人へ向いた。
「お久しぶりです。お二人ともお元気そうですね」
「何とかやってる。そっちも変わりなさそうで何よりだ」
レイナスが気軽に返し、アーミアも穏やかに頭を下げた。
二人が王留美と出会ったのは2307年。アーミアがこの時代へ現れて、まだ間もなかった頃だった。
それから一年も経っていない。それでも、二人を取り巻く状況は当時とは比較にならないほど変わっている。
留美はまずレイナスを見て、それからアーミアへ視線を移した。
「お二人をソレスタルビーイングへ繋いだ時は、ここまで状況が変わるとは思っていませんでした」
レイナスも留美の視線を追うようにアーミアを見る。
「その話なら、俺よりこっちだろ。俺は目の前で起きたことに付き合ってただけで、ここまで話を広げた覚えはない」
アーミアが横を見る。
「先生、それで自分だけ外へ出ようとするのは無理があります」
「外へ出るとは言ってない。責任の配分は公平にしてくれって話だ」
留美が小さく笑った。
「その点については、私もアーミアさんの影響の方が大きいと思っています」
「王留美さんまで……」
「あなたが現れてから、この組織の周囲では明らかに変化が増えていますから。もちろん、全てがあなた一人の影響だとは申しませんが」
「無関係とも言えない、ですか」
「ええ」
アーミアは少し考えた後、苦笑した。
「それは否定できませんね」
「だろ?」
レイナスが言うと、すぐにアーミアが返す。
「先生もかなり混ぜ返してますけどね」
「せっかく俺の負担が減ったところで戻してくるのか」
「逃げ切れると思いました?」
「少しくらいは期待した」
留美は二人のやり取りを静かに見ていた。最初に会った頃とは、二人の距離も随分変わっている。
◆
艦内を移動している途中、留美の足が止まった。
向こうからミレイナ、ミライ、ネーナが歩いてくる。ネーナはこちらへ気づくと、遠慮なく近づいてきた。
「誰?」
少し後ろからミハエルの声が飛ぶ。
「初対面の相手にいきなりそれか」
ヨハンも一緒だった。
イアンが留美を示す。
「王留美だ。以前からソレスタルビーイングを支援してくれている」
「初めましてですぅ! ミレイナ・ヴァスティです!」
「王留美です。よろしくお願いします」
留美が応じると、ミレイナは嬉しそうに頷いた。
その隣でネーナがアーミアを見る。
「アーミアは知ってる?」
「知っています」
「先生より前?」
「ほぼ同じ頃ですね」
今度はネーナがレイナスを見る。
「先生?」
レイナスが一拍置いた。
「……そこまで拾わなくていい呼び方なんだけどな」
「アーミアが呼んでるし」
「未来の俺が教えたらしいだけで、今の俺に五十年分までまとめて請求されても困る」
ネーナが首を傾げる。
「でも先生なんでしょ?」
「そこを説明すると長くなる。今はレイナスでいい」
「じゃあ先生」
「話を聞く気はあるのか?」
ミハエルが吹き出し、ヨハンは静かに息を吐いた。
留美は三兄妹を順番に見ていた。以前はソレスタルビーイング本隊とは異なる立場で動いていた三機のガンダムと、そのパイロットたち。
今では、この艦の中を当然のように歩いている。
それだけでも十分に大きな変化だった。
だが、さらに奥から現れた人物を見た瞬間、留美の表情が僅かに変わる。
リボンズ・アルマーク。
その横にはリジェネとヒリングもいる。
リボンズも留美の視線に気づき、足を止めた。二人は数秒、互いを観察する。
先に口を開いたのは留美だった。
「あなたが、リボンズ・アルマークですね」
「僕のことは聞いているようだね」
「今回の件については」
留美の声は穏やかだったが、警戒まで消えているわけではない。
「直接お会いするのは初めてですね」
「ああ。僕も君と話すのは初めてだ」
リボンズはいつもの微笑を崩さない。
「こういう形で会うことになるとは、僕自身少し意外だけどね」
「それはこちらも同じです」
留美はそれ以上踏み込まなかった。
少なくとも今、リボンズはこの艦にいる。完全な敵として拘束されているわけでもなければ、何もなかったように仲間として扱われているわけでもない。
その曖昧な立ち位置そのものが、以前のソレスタルビーイングにはなかったものだった。
スメラギが二人を見る。
「その辺りも含めて後で説明するわ」
「お願いします」
留美は素直に頷いた。
少し離れた場所でその様子を見ていたレイナスが、アーミアへ小さく声を落とす。
「初めて来た人間に見せるには、登場人物が増えすぎたな」
「先生もその一人ですよ」
「俺は留美に拾われた側だ。多少は説明を省ける」
「便利な立場ですね」
「使えるところは使っておく。自分から説明の仕事を増やすほど働き者じゃない」
◆
西暦2308年――同艦・ブリーフィングルーム
主要メンバーが集まったところで、王留美は持ち込んだ情報を中央モニターへ表示した。
各国家群の軍事動向。
GN-Xの配備状況。
政府や財界の動き。
さらに、表には出ていない非公式な情報も含まれている。
「まず、誤解のないように申し上げます」
留美は全員を見回した。
「各国がソレスタルビーイングを信用し始めたわけではありません」
ロックオンが苦笑する。
「まあ、そこまで都合よくはいかねえよな」
「むしろ警戒そのものは続いています。皆さんの戦力が健在であり、以前より増えていることも確認されていますから」
スメラギが腕を組む。
「それでも何かが変わった?」
「対応の仕方です」
留美は資料を切り替えた。
「以前はソレスタルビーイングの活動が確認されれば、それだけで軍が即座に迎撃準備へ移る場合も珍しくありませんでした」
刹那がモニターを見る。
「今は違うのか」
「少しずつですが。最近、皆さんは以前のような大規模武力介入をほとんど行っていません。それに伴い、過去と同じ対応を続けるべきなのか疑問を持つ者も出始めています」
ティエリアが反応する。
「こちらの行動変化を観測しているということか」
「当然でしょう。皆さんが各国軍を調べているのと同じように、相手も皆さんを見ています」
スメラギは静かに考えた。
少し前、ソレスタルビーイングは活動方針を見直した。世界中の全ての戦争へ飛び込み、自分たちだけの判断で片端から武力介入することはしない。
まず状況を見る。
大規模な民間被害が予想される場合。
一方的な虐殺が行われる場合。
自分たち自身が原因となった問題が発生した場合。
必要な時にだけ動く。
その内部判断を外部へ公表したわけではない。だが、実際の行動が変われば、それは当然外からも見える。
「具体的にはどの程度なの?」
スメラギが尋ねる。
「軍内部の正式な命令内容までは把握していません。ただ、ソレスタルビーイングと遭遇した場合でも、状況を確認せず即座に交戦へ入るべきではないという考えが、一部で出始めていることは確認しています」
ロックオンが少し意外そうな顔をした。
「こっちを見つけても、すぐ撃ってこない可能性があるってことか」
「可能性が出てきたというだけです」
留美は釘を刺す。
「敵性武装組織としての扱いが消えたわけではありません。皆さんがこれまで行ってきた武力介入も、各国軍との戦闘も記録されています」
「信用されたわけではない」
刹那が言う。
「はい」
ティエリアも続ける。
「だが、以前と全く同じ敵として扱われ続けているわけでもない」
「その表現が近いと思います」
部屋が静かになる。
アーミアは表示された資料を眺めていた。
自分たちが内部で決めたことを、世界は知らない。それでも行動の変化だけは伝わっている。
「戦わなかったことも、見られているんですね」
アーミアが言う。
留美が彼女を見る。
「ええ」
「少し不思議です。戦った時の方が目立つものだと思っていましたから」
「ソレスタルビーイングほど注目されている組織なら、戦わないことも十分目立ちます」
レイナスが椅子へ背を預ける。
「毎回顔を出してた奴が急に来なくなれば、そりゃ気にはなる。見張ってる側からすれば、静かな時ほど何をしてるのか気になるもんだろ」
留美が少し笑った。
「随分現実的なまとめ方ですね」
「格好よく言い直したところで、向こうの仕事が増えるだけだからな」
スメラギが苦笑する。
「内容としては間違ってないけどね」
ネーナが手を上げた。
「じゃあ、もう戦わなくていいってこと?」
「そこまでは言えないわ」
スメラギはすぐに答えた。
「必要なら戦う。でも、必要がないのに戦うことはしない。それは変わらない」
ネーナは少し考えた後、素直に頷いた。
「分かった」
以前なら、もう少し不満を見せていたかもしれない。
留美はその変化にも気づいていた。
そして再び、アーミアを見る。
この少女が現れてから、ソレスタルビーイングの周囲では本来なら起きなかったはずの出来事が次々と起きている。
新しい力。
新しい関係。
失われるはずだった者たち。
敵だった者との共存。
それら全てをアーミア一人が作ったわけではない。それでも、彼女がいなければ今ここにある形へ辿り着くことはなかっただろう。
「アーミアさん」
突然呼ばれ、アーミアが顔を上げる。
「はい?」
「最初にお会いした時、あなたがここまで深くソレスタルビーイングへ関わることになるとは思いませんでした」
アーミアは少し困ったように笑った。
「私もです」
「未来を知っていたのに?」
「知っていたからこそ、最初はなるべく関わらないつもりでした」
留美の目が僅かに細くなる。
それ以上の未来については聞かなかった。アーミアが話さないと決めていることを、無理に引き出す必要はない。
「結果としては、かなり関わっていますね」
「……そうですね」
「もう諦めた方がいいんじゃないか?」
レイナスが横から口を挟む。
アーミアが振り向いた。
「先生がそれを言います?」
「俺は最初から、気づいたら話の中にいた側だからな。今さら外へ出ようとしても、出口を探す方が面倒だ」
「それを開き直りと言うんです」
「続ける理由としては十分だろ」
「全然格好よくないですね」
「格好よさだけで生活できるなら、少しは考えるけどな」
留美が思わず笑った。
「その辺りは、最初にお会いした時と変わりませんね」
「まだ一年も経ってない相手に言われると、成長がないみたいで少し困るな」
「自覚はあるんですね」
「多少はな。全部直すほど殊勝でもないってところだ」
ロックオンが笑い、室内の空気が少しだけ緩んだ。
◆
会議を終えた後、王留美は紅龍と共に艦内を歩いていた。
「お嬢様」
「何です?」
「驚かれましたか」
留美は少し考えた。
「ええ。かなり」
正直な答えだった。
初めてレイナスとアーミアに会った頃、レイナスはこの世界へ来たばかりで職すらなかった。アーミアに至っては、調べてもまともな身元が出てこない少女だった。
それから一年も経っていない。
今では二人とも、この組織の中で当たり前のように存在している。
特にアーミア。
彼女が持ち込んだものは、未来の情報だけではなかった。
人の選択まで変えている。
トリニティはここにいる。
刹那は以前とは違う。
ソレスタルビーイングそのものも、自分たちだけが世界の答えだとは考えなくなりつつある。
「以前より安心されたのですか?」
紅龍が尋ねる。
留美はすぐには答えなかった。
通路の先では、ネーナとミレイナ、ミライが話しながら歩いている。少し離れた場所ではヨハンとミハエルが何か相談していた。
さらに奥では、レイナスがアーミアと話している。
「安心……というより」
留美はその光景を眺めた。
「以前より、人の集まりらしくなりましたね」
「以前は違ったと?」
「目的が先にありましたから」
戦争根絶。
イオリア・シュヘンベルグの計画。
ソレスタルビーイング。
巨大な目的へ、人間が自分を合わせていた。
今は違う。
意見が違う。
迷う。
間違える。
それでも話し合い、必要なら方針そのものを変える。
「それが良いことなのかは、まだ分かりません」
留美は小さく笑った。
「ですが、以前より壊れにくそうには見えます」
紅龍は何も答えなかった。
留美もそれ以上は言わず、再び歩き出そうとする。
そこで何かを思い出したように足を止めた。
「ところで」
少し離れた場所にいたレイナスが振り向く。
「今度は何だ?」
アーミアも一緒だった。
留美は二人へ向き直る。
「《アニマ》について、一つ確認してもよろしいですか?」
「何です?」
アーミアが答える。
「使えるようになると、身体にも変化があるそうですね」
レイナスの眉が僅かに動いた。
留美は続ける。
「身体能力の向上。負傷からの回復。それから、長期間使い続けることで身体が若い状態へ近づく可能性もあると聞きました」
レイナスが少し離れた場所にいるスメラギを見る。
スメラギは何でもない顔をして視線を逸らした。
「出所は大体分かったな」
「事実なんでしょう?」
「まあな」
レイナスは改めて留美を見る。
どう見ても、まだ老化を心配する年齢ではない。
「その歳で若返りまで気にするのか。赤ん坊からやり直すつもりでもないだろ」
「そこまで若返るとは言ってません」
留美は即座に返した。
アーミアが横から苦笑する。
「先生。そういう若返り方ではありませんから」
「分かってる。留美があまりに真面目な顔で聞くから、少し気になっただけだ」
「確認の仕方がおかしいです」
「話が通じてるなら十分だろ」
留美が呆れたようにレイナスを見る。
「冗談だとは分かりました」
「なら助かる。説明を増やさずに済む」
「そういう問題ではありません」
レイナスが一拍置いた。
「……前より手強くなったな」
「何の話です?」
「こっちの話だ」
アーミアが小さく笑った。
留美はすぐに本題へ戻る。
「ですが、若返りだけを理由に聞いたわけではありません」
「むしろ、そっちが本題じゃないのか?」
「違います」
「なら聞いておく」
留美はアーミアを見る。
「《アニマ》は生身でも使えるのでしょう?」
「はい」
「身体能力を高められる。負傷にも対応できる。そして習熟すれば、モビルスーツにも応用できる」
「今分かっている範囲では、そうです」
留美は頷いた。
「でしたら、私にも使えるか試していただけませんか?」
レイナスが僅かに眉を上げる。
「決めるのが早いな」
「《アニマ》を使えて損をすることはないでしょう?」
レイナスはアーミアを見る。
「今のところ、使えることで明確な不利益は確認していません」
「だそうだ」
レイナスは留美へ向き直る。
「なら、使えるなら覚えておく。その判断自体は筋が通ってるな」
「でしたら」
「ただ、留美は戦う側じゃないだろ。そこまで急ぐ理由は何だ?」
留美は少しも迷わなかった。
「戦わないことと、何もできないことは別です」
レイナスの表情から、僅かに軽さが消える。
留美は紅龍へ一度視線を向けた。
「護衛はいます。人員も動かせます。移動手段も退避先も用意できます」
紅龍は黙って聞いている。
「ですが、それらは全て自分以外のものです」
アーミアが留美を見る。
「自分自身で使える手段も持っておきたい、と」
「はい。ソレスタルビーイングを支援する以上、今後も危険へ巻き込まれない保証はありません。何か起きた時、紅龍が来るまで何もできないより、自分で数秒でも身を守れる方がいいでしょう?」
レイナスは素直に頷いた。
「そこまで考えてるなら、止める理由はないな。誰かが来るまでの数秒を自分で買えるなら、それだけでも十分役に立つ」
留美も頷く。
「それに、今後《アニマ》を使える人間が増える可能性もありますよね?」
アーミアが少し考える。
「あります。ただ、どこまで広がるのかは分かりません」
「なら、なおさらです」
留美の判断は早かった。
「今は皆さんの中だけで使われている力でも、将来そうとは限りません。軍事に利用されるかもしれない。医療へ応用されるかもしれない。それ以外の使い方が見つかる可能性もあります」
いつの間にか近くまで来ていたスメラギが少し感心したように言う。
「そこまで考えてたのね」
「未知の力なのでしょう?」
「ええ」
「でしたら、資料だけで知っているより、自分で経験していた方が判断材料は増えます」
レイナスは腕を組んだ。
「使えるようにしておいて、使うかどうかは必要になってから決める。そういう話なら分かりやすい」
「はい」
「持ってない手札は切れないからな。覚えられるなら覚えておく方が得だ」
留美が僅かに笑う。
「同意していただけたようですね」
「最初から理屈が通ってる話に反対する趣味はない」
そこで留美は、何でもないことのように付け加えた。
「若返る可能性があるのも利点ですし」
レイナスが一拍置いた。
「結局そこも捨てないのか」
「利点を一つだけ無視する理由がありますか?」
「ないな」
意外なほどあっさり認められ、留美が少し目を瞬いた。
「使えるものは使う。そこまで筋を通されると、こっちもわざわざ反対する理由がない」
「でしょう?」
「ただ、その歳で十年先、二十年先まで計算に入れてるなら、随分気が早いとは思うけどな」
「長期的な選択肢を把握しているだけです」
「言い方は堅いが、抜け目がないのは確かだ」
そこへクリスも会話へ入ってきた。
「でも、若返るって聞いたら気になるよね」
スメラギが横を見る。
「クリス、それ言う?」
「だって、私たちもそれで訓練に参加したじゃないですか」
「否定はしないけど」
留美が二人を見る。
「やはり気になりますよね?」
「そりゃ気になるよ。まだ、どれくらい使えば効果が出るのかも分かってないけど」
レイナスが小さく息を吐く。
「久しぶりに同じ話をしてる気がするな」
クリスが振り返る。
「だって、まだ分かってないでしょう?」
「分かってない。俺の場合は使ってるうちに、気づいたら身体が戻ってた。それ以上の情報は増えてないな」
スメラギが腕を組んだ。
「効率よく使えば早まる可能性は?」
レイナスが少しだけ黙った。
「……その質問まで前と同じだな」
スメラギが笑う。
「答えが増えてないんだから仕方ないでしょう?」
「だから、その研究は俺じゃなくてイアンに頼んでくれ。俺は今も人体実験の担当じゃない」
クリスが少し笑った。
「でも留美の言ってることは分かるな。私も使えるようになって損したとは思ってないし」
「でしょう?」
「うん。それに若返りまで付いてくるなら、なおさら」
「クリス」
スメラギが名前を呼ぶ。
「スメラギさんだって同じでしょう?」
一瞬だけ間が空く。
スメラギは否定しなかった。
「……まあね」
アーミアが二人を見比べる。
「前にも言いましたけど、必ず若返ると決まったわけではありませんからね」
クリスがすぐに返す。
「分かってる」
スメラギも頷いた。
「可能性があるってだけでしょう?」
「はい」
レイナスは三人を見てから、一歩だけ距離を取った。
アーミアが気づく。
「先生、逃げました?」
「違う。こういう時は余計な発言を増やさない方が仕事が減る」
「前にも同じこと言ってませんでした?」
「一度使って効果があった方法は繰り返す主義なんだ」
「そういうところだけ学習が早いですね」
「褒め言葉として受け取っておく」
その時、紅龍が静かに口を開いた。
「私も参加してよろしいでしょうか」
留美が振り返る。
「紅龍も?」
「お嬢様だけに未知の力を試させるわけにはいきません。それに、護衛を務める以上、私自身が使用できるか確認しておく意味もあります」
留美は数秒だけ紅龍を見ると、すぐに頷いた。
「分かりました。一緒にお願いします」
レイナスも納得したように頷く。
「そっちは説明するまでもないな。護衛する側が強くなって困る話でもない」
留美が横を見る。
「私も同じことを言っています」
「分かってる。紅龍の方は説明が短く済んだってだけだ」
「そういうことにしておきます」
「助かる。勝ち筋のないところで粘る趣味はない」
スメラギが笑った。
「じゃあ、帰る前に簡単に試してみる?」
「時間があるのでしたら」
アーミアも頷く。
「感覚確認くらいならできます。お二人ともこちらへ」
留美と紅龍が並んで前へ出る。
「最初は私の《アニマ》に少し触れてもらいます。その感覚を覚えてから、自分の中に似たものがないか探してください」
「分かりました」
留美は一度聞いただけで手順を頭へ入れていく。
レイナスはそのまま壁際へ移動した。
アーミアがそれに気づく。
「先生は手伝わないんですか?」
「そこは適材適所だ。俺が説明を始めるより、お前に任せた方が早く終わる」
「教えるのが面倒なだけでは?」
「それもある」
あっさり認められ、アーミアが呆れたように見る。
レイナスは気にしない。
「自分でできるのと、人に教えられるのは別の仕事だ。そこはもう実績があるだろ」
「悪い方の実績ですね」
「実績に変わりはない」
留美が小さく笑った。
アーミアは溜息をつきながら、留美の前へ右手を差し出す。
「では、力を抜いてください」
「こうですか?」
「はい。そのままで」
王留美がアーミアの手を握った。
ほんの少しだけ、《アニマ》が流れる。
留美の表情が変わった。
「……温かい」
「その感覚を覚えてください。無理に何かを起こそうとしなくて大丈夫です」
留美は目を閉じる。
しばらくして、ゆっくりと息を吐いた。
まだ使えるかどうかは分からない。
すぐに発現するとも限らない。
それでも王留美にとって重要なのは、自分にもその選択肢が存在するのかを確かめることだった。
その横では、紅龍も静かに順番を待っている。
ソレスタルビーイングの変化を確かめるために訪れた王留美。
その日の終わりには、彼女自身もまた、その変化の中へ一歩足を踏み入れることになった。