西暦2308年――地上・沿岸工業地帯
武装勢力が沿岸部の工業地帯を占拠したという情報が入った時点で、すでに状況は小規模な立て籠もりでは済まなくなっていた。
施設内には作業員が多数取り残され、倉庫や警備部隊から奪ったモビルスーツまで投入されている。さらに大型の燃料設備が隣接しているため、重火器による戦闘が長引けば民間人だけでなく周辺地域まで巻き込む危険があった。
先に現地へ展開した国連軍側では、カティ・マネキンが各部隊から集まる情報を整理しながら戦域全体を見ていた。
セルゲイ・スミルノフとソーマ・ピーリス。
グラハム・エーカー。
そしてパトリック・コーラサワー。
所属も経歴も異なるパイロットたちが同じ戦域へ投入されている。
『民間人の退避経路を最優先する。敵機を市街地側へ下げさせるな』
カティの指示が各機へ流れる。
セルゲイは短く了解を返し、正面から迫ってくる旧式モビルスーツの射線を外しながら武器だけを破壊した。その横をピーリスのGN-Xが抜け、別の敵機の脚部を正確に撃ち抜いていく。
少し離れた空域では、グラハムが突出した機体を一機で引き受けていた。
さらにその向こう。
『この程度の連中なら俺一人でも――!』
「コーラサワー」
『はい!』
「突出するな」
『……はい』
返事だけは異様に早かった。
セルゲイは通信を聞きながら僅かに目を細めたが、何も言わなかった。
その直後。
戦域外縁のセンサーに、複数のGN粒子反応が現れた。
カティの視線が戦域図へ向く。
「来たか」
ソレスタルビーイング。
少し前までなら、それだけで戦場が二つに割れていた相手だった。
だが今回は。
カティはすぐには攻撃命令を出さなかった。
『全機、ソレスタルビーイングを警戒。ただし、こちらへ攻撃してこない限り交戦するな』
グラハムから反応が返る。
『了解した』
一拍置いて。
『少々惜しくはあるが』
「グラハム上級大尉」
『任務は理解している』
その返答に、カティはそれ以上何も言わなかった。
パトリックからも声が上がる。
『大佐! もしイナクト泥棒がいた場合は――』
「後だ」
『まだ最後まで言ってません!』
「聞かなくても分かる」
『……はい』
◆
同じ頃。
武装勢力の防衛線へ接近していたキュリオスのコックピットで、アレルヤは突然息を止めた。
頭の奥へ触れる感覚。
雑音とは違う。
もう間違えようがなかった。
以前、国連軍との戦闘で感じたものと同じ脳量子波。
その時より距離があるにもかかわらず、今は存在そのものがはっきり分かる。
「……いる」
『アレルヤ?』
アーミアの声が入った。
アレルヤは答えるより先に、遠方のGN-X部隊へ目を向けた。
「マリーがいる」
アーミアはすぐに意味を理解した。
『ピーリスさんですね』
「うん」
以前。
アレルヤは彼女へ名前をぶつけた。
ソーマ・ピーリスではない。
マリー・パーファシーだと。
彼女は否定した。
それでも反応した。
知らない名前を聞いた人間の反応ではなかった。
そして今日は。
もう戦場で名前を叫ぶだけでは終わらせたくなかった。
スメラギから通信が入る。
『国連軍も展開しているわ。向こうが攻撃してこない限り、こっちからは撃たないで』
「了解」
『アレルヤ』
少しだけ声音が変わる。
『分かってると思うけど、ピーリス少尉のことも無理をしないで』
「……うん」
アレルヤはキュリオスを加速させた。
まずは。
目の前の戦闘を終わらせる。
話をするなら、それからだった。
◆
国連軍側でも。
ピーリスは、オレンジ色のガンダムが現れた瞬間に気づいていた。
胸の奥ではない。
もっと直接的に。
頭の内側へ相手の存在が触れてくる。
「……っ」
思わず眉を寄せる。
セルゲイがすぐに気づいた。
『少尉?』
「問題ありません」
答えながらも、ピーリスの視線はキュリオスから離れなかった。
あの機体のパイロット。
以前、自分をマリー・パーファシーと呼んだ男。
そして。
超人機関に残る記録を調べて、もう一つ分かったことがある。
同じ脳量子波。
過去の被験体。
E-57。
ピーリスはその番号を知っていた。
だが。
それ以上は知らない。
少なくとも。
そう思っていた。
目の前へ武装勢力のモビルスーツが割り込む。
ピーリスは意識を切り替え、ビームを放った。肩部の武器だけを破壊して接近し、続けて脚部を撃ち抜く。
しかし、死角から別の機体が迫った。
砲口がGN-Xへ向く。
ピーリスが回避へ移るより一瞬早く、横から飛んできた射撃がその武器だけを吹き飛ばした。
キュリオスだった。
『今は君と戦うつもりはない』
声が届く。
ピーリスの表情が強張った。
「被検体E-57」
今度は。
アレルヤの方が黙った。
「……その番号まで知ってるんだね」
『超人機関の記録にある』
「そうか」
以前なら。
ここで何かを言わなければと焦っていたかもしれない。
だが今は違った。
「今は武装勢力を止めよう」
ピーリスが僅かに眉を寄せる。
『命令するな』
「命令じゃないよ。僕もそうするってだけだ」
言葉通り、キュリオスはすぐに進路を変えた。
ピーリスも追わない。
ほんの少し前までなら考えられなかったことだった。
同じ戦場。
互いに敵対していた機体。
それでも今は、同じ武装勢力だけを見ている。
◆
エクシアが地上へ降下し、敵機の武装を一撃で切り落とす。
少し離れた位置ではデュナメスが民間人の避難経路へ近づこうとした機体だけを狙撃し、ヴァーチェは大型火器を使わずに敵の動きを制限していた。
国連軍側もそれを見ていた。
ソレスタルビーイングは、こちらを狙っていない。
少なくとも今回は。
その事実を最も露骨に確認することになったのはグラハムだった。
一機の敵を追って旋回した先。
ほぼ同時に、別方向からGN-Xが現れた。
国連軍のものではない。
動きを見た瞬間。
誰が乗っているかまで分かった。
『また会ったな』
通信を飛ばす。
レイナスの声が返ってきた。
『今日は普通に仕事だけして帰りたいところなんだけどな』
「君と同じ戦場にいて、それを望めというのは酷ではないか?」
『そっちの都合まで面倒は見きれないな』
その瞬間。
レイナスの後方へ敵機が迫った。
グラハムの機体が加速し、横から切り込む。
ほぼ同時に、グラハムの死角にいた別の機体をレイナスが撃ち落とした。
二機がすれ違う。
『助かった』
「礼はいらん」
『なら言った分は返してくれ』
「それも断る!」
『だろうな』
グラハムの口元に笑みが浮かぶ。
「今日は君を追う日ではない。それだけのことだ!」
『毎回そうだと俺は助かるんだけどな』
「それは期待するな!」
『一応聞いてみただけだ』
その会話へ。
別回線から大声が割り込んだ。
『見つけたぞぉぉぉ!』
レイナスが一瞬だけ通信表示を見る。
『このイナクト泥棒!』
「……まだそれで来るのか」
パトリックのGN-Xが露骨に進路を変えた。
『今度こそ一発――』
「コーラサワー」
カティの声。
『はい!』
「任務は?」
『武装勢力の排除と民間人の保護です!』
「目の前の相手は?」
パトリックがレイナスのGN-Xを見る。
レイナスはパトリックを攻撃していない。
むしろ、その横を通過しようとした武装勢力の機体を撃っている。
『……今は敵じゃないです』
「なら仕事をしろ」
『はい!』
パトリックは見事なまでに進路を戻した。
レイナスは少し黙ってからグラハムへ言う。
『あの人、随分話が早いな』
『私もそう思う』
『苦労してそうだけどな』
『それは否定できん』
二人の視線が、同時にパトリックへ向いた。
『何で二人して俺を見るんだよ!』
◆
国連軍とソレスタルビーイングが連携していたわけではない。
作戦を共有したわけでもない。
通信を繋ぎ、互いに指示を出し合ったわけでもなかった。
それでも。
相手を撃たない。
民間人へ近づく敵を優先する。
互いの射線を邪魔しない。
それだけで、武装勢力にとっては十分すぎるほど厄介だった。
二つの戦力を互いにぶつけ、その隙に逃げることすらできない。
最後まで抵抗を続けていたモビルスーツが武器を捨てる頃には、戦場から大きな爆発音はほとんど消えていた。
『敵モビルスーツ、戦闘停止を確認』
報告を受けたカティは、それでもすぐに警戒を解かなかった。
ソレスタルビーイングの機体群も残っている。
だが。
向こうも動かない。
その中で。
一機だけ。
オレンジ色のガンダムがピーリスのGN-Xを見ていた。
◆
ピーリスも分かっていた。
キュリオスは一定の距離を保っている。
武器は下げたまま。
こちらへ接近しようともしない。
やがて直接通信が入った。
『ピーリス少尉』
前回とは違う呼び方だった。
ピーリスが僅かに目を細める。
「マリーとは呼ばないのか」
口にしてから。
自分でもなぜそんなことを聞いたのか分からなかった。
相手も少し驚いたように黙った。
『呼んでほしい?』
「違う!」
返答が早すぎた。
ピーリス自身が顔をしかめる。
アレルヤは少しだけ笑ったようだった。
だが、すぐに声を落ち着かせる。
『前は、僕が勝手に名前をぶつけただけだったから』
「……」
『君には君の事情がある。それを無視して、僕が知ってることだけ押しつけても駄目だと思った』
ピーリスは答えない。
『だから今日は』
一度。
アレルヤは息を整えた。
『直接話がしたい』
ピーリスの目が僅かに動いた。
「今話している」
『通信じゃなくて』
「敵同士だぞ」
『分かってる』
「私を連れ去るつもりか」
『違う』
迷いのない返答だった。
『君をどこかへ連れていくつもりもないし、ソレスタルビーイングへ来いと言うつもりもない』
「なら何を話す」
『僕がどうして君をマリー・パーファシーと呼んだのか』
ピーリスの頭の奥が疼く。
『どうして君を見ると、こんなに脳量子波が反応するのか』
「……」
『それから、E-57のことも』
ピーリスはキュリオスを見る。
あの機体の中にいる。
超人機関の被験体。
自分と同じ。
いや。
同じだったはずの人間。
知らない。
自分はあの男を知らない。
そのはずだった。
なのに。
頭の奥で。
何かが揺れた。
暗い場所。
声。
まだ。
今よりずっと幼い。
自分の声。
そして。
誰か。
番号で呼ばれている少年。
胸の奥に、説明のできない懐かしさが広がる。
「……」
『ピーリス少尉?』
その声を聞いた瞬間。
記憶の奥から。
一つの言葉が浮かび上がった。
意味を考えるより先に。
唇が動いた。
「……アレルヤ」
通信の向こうが完全に静まった。
ピーリス自身も動けなかった。
今。
自分は何と言った。
知らない名前。
聞いた覚えもない。
国連軍の資料にもない。
少なくとも。
自分はそう認識している。
それなのに。
その名前だけが。
昔から知っていたもののように口から出た。
キュリオスから震える声が返ってくる。
『……今、僕の名前を』
「違う」
ピーリスは反射的に否定した。
『マリー』
「違う!」
頭が痛む。
断片が浮かぶ。
暗闇。
幼い声。
名前のない少年。
名前。
そう。
名前がなかった。
だから。
――。
「……アレルヤ」
二度目。
今度は最初よりはっきりしていた。
アレルヤは何も言えなかった。
自分は名乗っていない。
彼女へその名前を教えていない。
それでも。
マリーは知っていた。
未来の記録を見たからでもない。
誰かに教えられたからでもない。
彼女自身の中に。
まだ残っていた。
『……マリー』
今度だけは。
ピーリスは、その呼び方をすぐには否定しなかった。
◆
国連軍側の指揮回線も静まり返っていた。
セルゲイはピーリスとキュリオスの通信を聞いていた。
カティも同じだった。
しばらくして、カティが確認する。
「今の名前は資料にあるのか?」
オペレーターが照合する。
「確認できません。E-57の記録に、その名称はありません」
カティの表情が僅かに変わった。
つまり。
少なくとも今の資料から得た知識ではない。
セルゲイがピーリスへ声をかける。
「少尉」
ピーリスはすぐには返事をしなかった。
「……はい」
「今の名前に心当たりは?」
長い沈黙。
「分かりません」
それが正直な答えだった。
「ですが」
ピーリスは言葉を探す。
「知らない名前には……思えませんでした」
セルゲイは何も急かさなかった。
その横でカティが通信を切り替える。
キュリオスへ。
「羽付きのパイロット」
『はい』
「君の要求は、少尉と直接話すこと。それだけか?」
『はい』
「何かを要求するつもりは?」
『ありません』
「少尉をソレスタルビーイングへ引き渡せとも?」
『言いません』
「こちらが指定する場所。こちらが指定する時間。セルゲイ中佐が同席する。それでも構わないか?」
返答は即座だった。
『構いません』
カティは少しだけ目を細めた。
「随分簡単に受け入れるな」
『僕が会いたいと言ってる側ですから』
「丸腰で来いと言っても?」
『それでも』
セルゲイが回線へ入る。
「一つ聞こう」
『はい』
「なぜ、そこまでして少尉と話したい」
アレルヤは少しだけ黙った。
答えは決まっていた。
『僕だけが知っている状態を終わらせたいんです』
セルゲイが眉を動かす。
『僕は彼女の名前を知っている。過去も少し知っている。でも彼女は、僕のことをほとんど知らない』
アレルヤは続ける。
『それじゃ駄目だと思う』
静かな声だった。
『僕が知っていることを信じてほしいんじゃない。まず、僕が誰なのかを彼女自身に知ってもらいたい』
ピーリスは黙って聞いていた。
セルゲイはしばらくキュリオスを見ていたが、やがてカティへ視線を向ける。
カティは最後にピーリスへ尋ねた。
「少尉」
「はい」
「君はどうしたい?」
その問いに。
ピーリスは僅かに目を見開いた。
命令ではない。
行けとも。
拒否しろとも言われていない。
自分で決めろと言われている。
ピーリスは遠くに浮かぶキュリオスを見る。
E-57。
マリー・パーファシー。
そして。
自分の口から出た。
アレルヤという名前。
「……話を」
ゆっくりと言葉にする。
「話を聞きたいです」
セルゲイは静かに頷いた。
カティも答える。
「分かった。こちらで場所を用意する」
『ありがとうございます』
「礼を言うのはまだ早い。監視も付ける」
『それで構いません』
「何か妙なことをすれば、その場で拘束する」
『分かりました』
「随分素直だな」
今度は。
少しだけアレルヤの声が柔らかくなった。
『今日くらいは、そうしておいた方がよさそうなので』
カティが僅かに口元を緩める。
「賢明だ」
◆
その話を別回線で聞いていたパトリックが、我慢できずに割り込んだ。
『えっ、会うんですか!?』
「コーラサワー」
『はい!』
「お前には関係ない」
『はい!』
一拍。
『でも大佐!』
「何だ」
『俺もその会談の警備を――』
「必要ない」
『即答!?』
グラハムの通信から小さな笑い声が漏れた。
『残念だったな、コーラサワー』
『何であんたが笑うんですか!』
『君を見ていると退屈しない』
『褒めてます?』
『好きに受け取れ』
少し離れた空域では、レイナスもその通信を聞いていた。
『相変わらず賑やかな連中だな』
グラハムが即座に返す。
『君が言うか!』
『俺は今日は随分静かに仕事してたつもりなんだけどな』
『自覚がないのが一番厄介だ!』
『そうかい。じゃあ次から気をつけるってことで』
『信用できん!』
『そこまで言われると、こっちも頑張り甲斐がないな』
レイナスは軽く手を上げるようにGN-Xを旋回させ、そのまま味方のいる方向へ戻っていった。
グラハムは追わなかった。
今日。
互いの目的は、すでに果たしている。
◆
戦域を離れる直前。
ピーリスはもう一度だけキュリオスを見た。
直接通信はもう切れている。
それでも。
頭の奥には、先ほど口にした名前が残っていた。
アレルヤ。
なぜ知っているのか。
分からない。
マリー・パーファシー。
なぜその名前を聞くたびに胸がざわつくのか。
それも分からない。
だが。
次に会えば。
少なくとも、その理由を聞くことはできる。
そして。
自分の中にあるものが何なのか。
確かめることもできるかもしれない。
一方。
キュリオスのコックピットで。
アレルヤはしばらく何も言えずにいた。
やがて。
頭の奥から声が響く。
『よかったじゃねえか』
ハレルヤだった。
「……うん」
『名前まで思い出してやがる』
「うん」
『泣くなよ』
「泣いてないよ」
『声がそう聞こえるぜ』
アレルヤは少しだけ笑った。
「今度は、ちゃんと話せる」
戦場で名前を叫ぶのではなく。
未来を押しつけるのでもなく。
一人の人間として。
自分のことを話す。
そして。
彼女の話を聞く。
そのための約束だけは。
ようやく。
二人の間にできていた。