西暦2308年――沿岸工業地帯・国連軍管理区域
アレルヤとソーマ・ピーリスの直接会談は、先日の戦闘があった工業地帯から少し離れた管理施設で行われることになった。
武装勢力の制圧後、この一帯は国連軍の管理下に置かれている。周囲には兵士が配置され、上空にも監視機が残っていた。ソレスタルビーイング側から見れば、敵地へ自分たちから足を踏み入れるに等しい。
それでも会談を認めたのはカティ・マネキンだった。
ピーリス本人が話を聞きたいと望んだこと。そしてソレスタルビーイング側が、場所、時間、人数の制限を含めた国連軍側の条件を受け入れたこと。その二つが大きかった。
会談へ出席するのはアレルヤ一人。
アーミアは同行者として施設内の待機区画まで入ることを許可され、レイナスも二人の護衛として現地まで来ていた。
ただし、レイナスだけは扱いが違った。
施設入口で簡単な確認が終わったところで、カティから通信が入る。
『アレルヤとアーミアは予定通り中へ。レイナス・レノアークについては、指定された待機区画から出ることを認めない』
レイナスは特に驚かなかった。
「まあ、妥当なところだな」
『武器の持ち込みがないことは確認している』
カティはそこで言葉を切った。
『もっとも、君の場合はそれが安全の証明にならないことも承知している』
レイナスの口元が僅かに上がった。
「そこまで分かってるなら話が早い。武器を預けたところで安心してもらえる立場じゃないのは、こっちも分かってる」
アーミアが横から見る。
実際、その通りだった。
《アニマ》を使えば、レイナスにとって生身と武装の有無は、普通の人間ほど大きな差ではない。過去には生身でモビルスーツへ取り付き、そのまま奪ったことすらある。
その現場を知っている男が、少し離れた場所から歩いてきた。
グラハム・エーカーだった。
「監視は私が担当する」
レイナスが彼を見る。
「なるほど。随分と豪華な見張りがついたな」
「君だからだ」
「そいつは光栄だ」
「褒めてはいない」
「分かってる。今日は会談の付き添いだ。余計な仕事を増やす気もない」
グラハムが目を細める。
「君の言う『余計な仕事』が、私と同じ意味ならいいがな」
「そこまで信用がないのも、まあ実績を考えれば仕方ないだろ」
自分でそう言ってから、レイナスは軽く肩をすくめた。
「見ていたいなら好きにしてくれ。監視されて給料が減るわけでもない」
「私は君から目を離さん」
「真面目だな。そういう仕事を押しつけられる側としては、少しくらい手を抜いてくれても構わないんだけどな」
「断る」
「だろうな」
アーミアは二人を見比べ、小さく笑った。
「先生、大人しくしていてくださいね」
「最初からそのつもりだ。俺がここで問題を起こしたら、話をしに来た二人まで巻き添えになる。そこまで割に合わない真似はしない」
グラハムがすぐに返す。
「その判断が最後まで続くことを期待している」
「信用されてない人間は大変だな」
口ではそう言いながらも、レイナス自身に不満そうな様子はなかった。
信用されていないのは事実だ。
なら、今は余計なことをしない。それだけの話だった。
◆
国連軍兵士に案内され、アレルヤとアーミアは管理施設の廊下を進んだ。
会談室が近づくにつれて、アレルヤの口数は目に見えて減っている。戦場では迷わず「直接話がしたい」と言えた男が、いざその時を迎えると何を話せばいいのか分からなくなっているらしい。
アーミアが横を見る。
「緊張してます?」
「……してないように見える?」
「全然」
アレルヤが苦笑した。
「だよね」
少し歩いてから、アレルヤが尋ねる。
「アーミアも中に入るんだよね?」
「私は外で待ちます」
アレルヤの足が止まった。
「でも、アーミアの方が知ってることは多いだろ?」
その言葉に、アーミアも立ち止まった。
否定はできない。
ソーマ・ピーリス。
本当の名前はマリー・パーファシー。
アレルヤとの過去。
そして、やがて二人が再会し、同じ場所で生きるようになる未来。
アーミアはそれを知っている。
しかも、すでに一部はアレルヤへ話してしまっている。
「私は先に、未来で知ったマリーさんのことをあなたに教えています」
アレルヤの表情が少し変わった。
「ソーマ・ピーリスという人が、本当はマリー・パーファシーという名前だったことも。私の知っている歴史では、後にソレスタルビーイング側へ来ることも」
「……うん」
「だから、あなたはピーリスさんと再会した時、すぐにマリーさんだと分かった」
もし自分が何も話していなければ、二人の再会はもっと先だったかもしれない。
あるいは全く違う形になっていたかもしれない。
それは、もう確かめることができない。
「私が先に答えを渡してしまった部分はあります」
「アーミアが悪いって言いたいの?」
「違います」
アーミアはすぐに首を振った。
あの時は必要だと思った。
今でも、話したこと自体を後悔しているわけではない。
「だからこそ、ここから先まで私が答えを置きたくないんです」
アレルヤは黙って彼女を見る。
「今ここにいるのは、私が未来で知っているマリーさんである前に、ソーマ・ピーリスさんです」
「同じ人だろ?」
「同じ人です。でも、今ここまで生きてきた時間があります」
超人機関で過ごした時間。
人革連の超兵として戦った時間。
そして、セルゲイ・スミルノフの部下として積み重ねてきたもの。
未来ではマリーへ戻るからといって、そのすべてが消えるわけではない。
「未来のマリーさんを取り戻すことだけを考えたら、今のピーリスさんを置き去りにします」
アレルヤはしばらく何も言わなかった。
やがて、自分なりに言葉を探す。
「……取り戻すんじゃなくて」
アーミアが見る。
「今の彼女と話す」
「はい」
「ソーマ・ピーリスとも」
「そうしてください」
そこで初めて、アーミアは少し笑った。
「それなら、私は中に入らない方がいいです」
「必要ないってこと?」
「必要になったら呼んでください。近くにはいます」
「……分かった」
会談室の前に到着する。
アレルヤは一度だけ深く息を吸った。
「行ってくる」
「はい」
アーミアはそれ以上何も言わなかった。
今度は。
未来を知る自分が背中を押すのではない。
アレルヤ自身が。
自分で扉を開いた。
◆
会談室には、すでにセルゲイとピーリスが待っていた。
ピーリスは椅子へ座り、セルゲイは少し後ろに立っている。別室ではカティも状況を確認していたが、会話そのものには介入しない。
アレルヤが指定された席へ座った。
戦場では何度も近づいた。
互いの脳量子波を嫌というほど感じた。
それなのに、人間同士の距離で向き合う今の方が、遥かに近く感じる。
しばらく誰も話さなかった。
先に口を開いたのはピーリスだった。
「……E-57」
アレルヤが顔を上げる。
「やっぱり、その番号は知ってるんだね」
「超人機関の記録に残っている」
「そうか」
アレルヤは自分の手へ一度視線を落とした。
「昔は、そう呼ばれてた」
「違うのか?」
「違わない。でも、今の僕には名前がある」
ピーリスの表情が僅かに動いた。
その名前を。
彼女はすでに知っている。
知らないはずなのに。
戦場で、自分の口から出た。
「……アレルヤ」
アレルヤの視線が上がった。
「やっぱり……覚えてるんだね」
「そう決めつけるな」
ピーリスの声が強くなる。
アレルヤはすぐに止まった。
「……ごめん」
ピーリスが眉を寄せる。
「何がだ」
「また僕だけで話を進めた」
少し前なら。
自分が知っていることを、そのまま彼女へぶつけていたかもしれない。
だが今は。
それでは駄目だと分かっている。
「僕は昔の君を知ってる」
「私は知らない」
「うん」
「なら、なぜお前だけが覚えている」
「全部覚えてるわけじゃない」
アレルヤの答えは早かった。
「僕にも抜けてる記憶はある。超人機関にいた頃のことが、全部綺麗に残ってるわけじゃない」
それでも。
忘れていないものがある。
「でも、君がいたことは覚えてる」
ピーリスの頭の奥が疼いた。
明確な映像ではない。
声すら曖昧だった。
それでも、何かがある。
暗い場所。
人の気配。
そして。
番号で呼ばれている少年。
「……名前が」
セルゲイがピーリスを見る。
「少尉?」
ピーリスは反応しない。
「名前が……なかった」
アレルヤの目が僅かに見開かれる。
「番号しか……なかった」
記憶なのか。
ただの錯覚なのか。
まだ分からない。
けれど、自分は確かに誰かと話していた。
何も見えない世界の中で。
相手の存在だけを感じながら。
名前がないことを知った。
だから。
「私が……」
胸の奥が締め付けられる。
「アレルヤ……」
その瞬間。
頭へ強い痛みが走った。
「っ……!」
ピーリスが頭を押さえ、セルゲイがすぐに寄る。
「少尉!」
アレルヤも反射的に立ち上がりかけた。
だが、そこで止まる。
今の彼女にとって。
自分はまだ、ほとんど知らない男だ。
勝手に近づくべきではない。
数秒かけて、ピーリスが呼吸を整える。
「……大丈夫です」
「本当にか?」
「はい」
顔を上げる。
正面には。
近づくこともできず、ただ待っているアレルヤがいる。
その姿を見て。
もう一度。
名前が浮かんだ。
「アレルヤ」
今度は痛みに押し出された言葉ではなかった。
「……うん」
ピーリスは自分の胸へ手を当てる。
「私がつけた」
アレルヤの目に感情が浮かぶ。
「うん」
「そうなのか」
「うん」
何度も。
それしか言えなかった。
それでも。
今は、それでよかった。
◆
同じ頃――管理施設・待機区画。
アーミアは壁際の椅子へ座っていた。
正面にはレイナス。
その少し横にはグラハムが立っている。
監視という言葉に偽りはなく、グラハムはレイナスからほとんど視線を外さない。
レイナスがとうとう口を開いた。
「そこまで見られると、何かした方が期待に応えられる気がしてくるな」
グラハムの視線が鋭くなる。
「試してみるか?」
「遠慮しておく。こっちは会談が無事に終われば今日の仕事は片付く。わざわざ残業を増やす趣味はない」
「君は戦場でもその調子だな」
「追い詰められてから慌てても得はないからな」
グラハムはしばらく黙っていた。
「それにしては、随分と無茶をする」
「結果としてそう見えるだけだ。俺だって楽な方があれば、そっちを選びたい」
「信じ難いな」
「そこは好きに判断してくれ。信用まで売り込む仕事は引き受けてない」
アーミアは二人のやり取りを聞きながら、僅かに口元を緩めた。
いつものレイナスだった。
軽口は叩く。
面倒事は避けたがる。
それでも本当に逃げてはいけないところでは、結局残る。
アーミアは目を閉じた。
会談室の向こうにいる二人の存在が、脳量子波を通して微かに感じられる。
心を読んでいるわけではない。
言葉が聞こえるわけでもない。
それでも、それまで互いにぶつかっていた二つの感覚が少しずつ変わっていくのは分かった。
自分が知る未来では。
この再会はもっと後だ。
今ではない。
こういう場所でもない。
そして。
自分が間にいることもなかった。
それでも、この世界では自分が先に未来を語った。
アレルヤが早くピーリスへ気づいた。
戦場で名前を呼んだ。
ピーリスが反応した。
今日の会談まで繋がった。
アーミアは、その事実から目を逸らさなかった。
良かったのか。
悪かったのか。
まだ分からない。
未来を変えたこと自体を、いちいち善悪で決めることにも意味はないのかもしれない。
重要なのは。
変えてしまった先で。
自分が何をするかだった。
その時。
二つの脳量子波が大きく揺れた。
アーミアの目が開く。
一瞬だけ。
それまで互いを弾いていたものが。
確かに重なった。
アーミアの表情が柔らかくなる。
レイナスが気づいた。
「何かあったか?」
グラハムもこちらを見る。
未来のことまで話す必要はない。
アーミアは少し考えてから答えた。
「たぶん、話は前に進んでます」
「そうか」
レイナスはそれだけで納得した。
グラハムが聞く。
「分かるのか?」
「二人とも脳量子波を持っていますから。内容までは分かりませんけど、今までとは少し違う感じがしました」
グラハムは会談室の方向へ視線を向ける。
「少尉に危険は?」
「今感じている範囲ではありません」
「ならいい」
それ以上。
グラハムも踏み込まなかった。
アーミアは静かに息を吐く。
未来を知っている。
だからこそ。
今度は余計な答えを与えない。
それもまた。
この時代にいる自分が選べる一つの行動だった。
◆
会談室では、ピーリスの呼吸がようやく落ち着いていた。
アレルヤも元の席へ座り直している。
最初に部屋へ入った時とは、空気が少しだけ変わっていた。
「……アレルヤ」
ピーリスがもう一度名前を呼ぶ。
今度は確かめるように。
「うん」
「それがお前の名前か」
「今の僕の名前だよ」
「私がつけた」
「そうだよ」
ピーリスは少し黙った後、今度は自分の名前を口にした。
「マリー・パーファシー」
その響きにも。
さっきまでとは違うものがある。
「それも……私なのか」
「僕はそう覚えてる」
ピーリスがアレルヤを見る。
「お前は、私をマリーに戻したいのか」
アレルヤはすぐには答えなかった。
施設へ入る前。
アーミアと話したことを思い出す。
未来のマリーだけを見るな。
今ここにいるソーマ・ピーリスも彼女自身だ。
「戻すって言い方は、違うと思う」
ピーリスが僅かに目を見開いた。
「君はマリーだった。でも今はソーマ・ピーリスとして生きてる。そのどちらかを消して、片方だけにすればいいとは思わない」
セルゲイも黙って聞いている。
ピーリスはしばらく考えてから尋ねた。
「なら、お前は私を何と呼ぶ」
アレルヤも少し考える。
「今は、ピーリス少尉」
「マリーとは呼ばないのか」
「君がそう呼んでほしいと思ったら」
ピーリスの表情が僅かに揺れた。
「変な男だな」
「よく言われる」
「誰に」
「色々な人に」
セルゲイの口元が僅かに緩んだ。
それを区切りにするように時計を見る。
「今日はここまでにしよう」
アレルヤは素直に頷いた。
「はい」
ピーリスは少しだけ不満そうだった。
「まだ聞きたいことがあります」
「今日一度ですべてを確認する必要はない」
セルゲイに言われ、ピーリスは少し考える。
そして。
アレルヤを見る。
「次も話せるのか」
アレルヤの表情が変わった。
「僕は話したい」
「そうか」
それだけの返答だった。
だが。
アレルヤには十分だった。
◆
会談室の扉が開いた。
アレルヤが出てくると、アーミアは椅子から立ち上がった。
来た時より。
明らかに表情が軽い。
「どうでした?」
アレルヤは少しだけ笑った。
「僕の名前を思い出した」
アーミアも笑う。
「そうですか」
「分かってた?」
「二人の脳量子波が変わったのは感じました。でも、何を話したかまでは分かりません」
「じゃあ、本当に名前を思い出したって知ったのは?」
「今です」
「そっか」
その後ろからピーリスとセルゲイも出てくる。
アーミアとピーリスの視線が合った。
未来で知るマリー・パーファシー。
今、目の前にいるソーマ・ピーリス。
同じ人物。
けれど。
まだ自分の知っている彼女ではない。
アーミアは何も言わず、軽く頭を下げた。
ピーリスも一瞬だけ迷ってから、同じように返す。
それだけでよかった。
未来の話をする必要はない。
マリーと呼ぶ必要もない。
自分が彼女の先を知っていると、わざわざ示す必要もなかった。
少し離れたところでは、レイナスも立ち上がっていた。
グラハムが横につく。
「ここから先は出口まで同行する」
「最後までか。真面目なことで」
「途中で君を自由にする理由がない」
「それもそうだな。ここまで来たら、最後まで仕事をした方が報告書も書きやすい」
「君は本当に妙なところで現実的だな」
「仕事なんてそんなもんだろ」
グラハムは何も言わなかった。
どうやら理解できないというより、理解したくないらしい。
◆
施設を離れる帰路。
アーミアは少し前を歩くアレルヤの背中を見ていた。
来た時とは歩き方が違う。
まだ何かが解決したわけではない。
ピーリスが完全に過去を取り戻したわけでもない。
それでも。
二人は戦場ではない場所で。
初めて互いを一人の人間として見た。
自分の知る未来では、もっと後に起きるはずだったこと。
そのきっかけの一つを。
自分が作った。
アーミアは、その事実から目を逸らさなかった。
良かったのか。
悪かったのか。
今はまだ分からない。
ただ。
一つだけ。
以前より分かるようになったことがある。
未来を知っているからといって。
未来を再現する必要はない。
変えてしまったからといって。
その先まで自分が決める必要もない。
自分ができるのは。
この時代で生きる人たちが、自分で選べるようにすること。
そして必要な時には。
自分自身も。
その選択の中へ入っていくこと。
「アーミア」
少し前からアレルヤが振り返った。
「ありがとう」
アーミアは一瞬だけ目を丸くする。
それから。
穏やかに笑った。
「まだ何も終わってませんよ」
「うん」
「次に会った時は、今日よりもっと大変かもしれません」
「それでも話すよ」
アーミアは頷いた。
「なら、大丈夫です」
アレルヤは再び前を向く。
その背中を見ながら。
アーミアも歩き出した。
自分の知らない未来へ。
今度は。
誰かから聞いた歴史ではなく。
自分自身もその中にいる未来へ。