西暦2307年――ソレスタルビーイング地上施設・居住区
部屋へ戻ってからも。
アーミアの頭には、白いガンダムの姿が残っていた。
ガンダムアストレア。
知らない機体だった。
2364年から持ってきた端末を机へ置く。
検索すれば。
何か出てくるかもしれない。
第二世代ガンダム。
いつ開発され。
誰が乗り。
どのように運用されたのか。
そして。
この時代のレイナスについても。
記録を探せば。
何か残っているかもしれない。
アーミアは検索欄を開いた。
指を置く。
けれど。
文字は入力しなかった。
「……違う」
画面を閉じる。
アストレアを知らなかった。
ただそれだけのことなのに。
気になってしまう。
自分の知っている歴史に。
あの機体はあったのか。
今日。
先生があの機体を見たことは。
本来の歴史にもあったのか。
シミュレーターに乗ったことは。
――違う。
そこまで自分は知らない。
この時代。
自分と出会う前の先生が。
毎日何をしていたのか。
そんなことまで知っているはずがない。
なら。
今日の出来事が。
自分の知る歴史と違うのかどうかさえ。
判断できない。
端末を使えば。
確認できるかもしれない。
けれど。
一度それを始めれば。
明日は。
別の出来事を調べる。
その次も。
また。
そして。
少しでも記録と違えば。
自分のせいではないかと考える。
「……何をやってるんでしょう、私」
扉が叩かれた。
「アーミア。いるか?」
「はい」
扉を開ける。
レイナスが立っていた。
「入っても?」
「どうぞ」
レイナスは部屋へ入ると。
机の上の端末へ一度だけ視線を向けた。
「調べ物か?」
「しようとして、やめました」
「そうか」
それ以上。
聞いてこない。
レイナスは椅子へ腰を下ろす。
アーミアはベッドに座った。
「先生」
「ん?」
「私がここに来たことで、もう歴史は変わってるんでしょうか」
レイナスは。
すぐには答えなかった。
「それ、俺に分かると思うか?」
「……思いません」
「だろうな。未来から来た本人に分からないことを、未来を知らない俺に振られても困る」
正論だった。
「でも……気になるんです」
「何が?」
「今日のこともそうです」
アーミアは端末を見る。
「アストレアなんて、私は知りませんでした。先生がこの時代にどんな機体を見て、どんなことをしていたのかも全部は知らない」
「ああ」
「だから、何か違うことが起きても……それが本当に変わったのか、最初からそうだったのに私が知らなかっただけなのか分からないんです」
レイナスは黙って聞いている。
「私は、この先に何が起こるのか知ってます」
全部ではない。
それでも。
知っている。
「私の知っている歴史では、先生がここにいて……色々なことがあって、それでも最後には――」
止める。
その先は。
言わない。
レイナスも。
聞かなかった。
「だから」
アーミアは続ける。
「余計なことをしなければ、その歴史に近づくんじゃないかって思ってました」
「なるほどな」
「でも、私がここにいる時点で……もう条件は違う」
「そうだな」
「だったら私は、どうすればいいんでしょう」
今度は。
少し長い沈黙だった。
レイナスは。
机の上の端末を見る。
それから。
アーミアを見る。
「お前にとっちゃ、ここは過去の世界なのかもしれない」
「……はい」
「でもな」
レイナスは。
特別なことでも言うような顔をせず。
続けた。
「五十年以上先から続く、今でもあるはずだ」
アーミアは。
顔を上げた。
「今……」
「ああ」
それだけ言って。
レイナスは椅子の背へ身体を預けた。
「お前が知ってる歴史がどうだったかは、俺には分からない。ここが本当に同じ歴史なのかも分からない」
「はい」
「だったら、いちいち気にしてもしょうがないってことだ」
アーミアは。
少しだけ目を見開いた。
「しょうがないって……」
「だってそうだろ?」
レイナスは。
いつもの調子で言う。
「何かするたびに、これは歴史通りか、違うのかって確認してたらキリがない。しかも違ったところで、それがお前のせいかどうかも分からない」
「それは……そうですけど」
「なら、やりたいようにやればいい」
「……そんな簡単に言います?」
「難しく言ったところで、結論が変わらないならな」
アーミアは。
思わず黙った。
「助けたい奴がいるなら助ける。止めたいことがあるなら止める。見届けたいなら見届ける」
レイナスは。
そこで少しだけ間を置く。
「少なくとも、まだ起きてもいないことの請求書を先払いする必要はないだろ」
アーミアは。
レイナスを見る。
「それで歴史が変わったら?」
「その時はその時だ」
「……先生」
「俺にだって、先のことなんて分からないよ」
あっさりと言う。
「だから、今できることをやるしかない。未来を知ってようが知らなかろうが、その辺は大して変わらないんじゃないか?」
アーミアは。
すぐには答えなかった。
先生は。
何も知らない。
これから。
自分に何が起きるのか。
誰と出会い。
誰と戦い。
何を失わずに済むのか。
何も知らない。
それでも。
目の前にあるものを見ている。
「……年長者からの助言だ」
レイナスが言った。
「少しくらいは参考に――」
そこで。
止まった。
何かに気づいたように。
アーミアを見る。
「……って、還暦過ぎたいい大人に言うことでもないか」
数秒。
アーミアは。
無言でレイナスを見た。
「先生」
「ん?」
「台無しです」
「……そうか?」
「台無しです」
「結構いい話をしたつもりだったんだけどな」
「最後の一言がなければです」
「年齢は事実だろ?」
「今それを言う必要ありました?」
「いや……なかったな」
「ありません」
「悪かったよ」
アーミアは。
深くため息をついた。
でも。
少しだけ。
笑っていた。
「先生は百歳越えてるじゃないですか」
「だから年長者だって言っただろ」
「正確な年齢も分からないくせに」
「そこを突かれると弱いな」
「自分の年齢くらい数えてください」
「今さら帳簿を遡るのは骨が折れるんだよ」
「年齢を帳簿って言わないでください」
「今日二回目だな、それ」
アーミアは。
とうとう笑った。
さっきまで。
あれほど重く感じていた端末が。
少しだけ。
遠くなった気がした。
もちろん。
何も解決していない。
歴史を変えていいのか。
未来の情報をいつまで隠すのか。
自分はなぜ2307年へ来たのか。
どうすれば2364年へ帰れるのか。
何一つ。
答えは出ていない。
それでも。
――五十年以上先から続く、今。
その言葉だけは。
胸に残った。
過去だから。
壊してはいけないものではない。
未来を知っているから。
その通りに演じなければならないわけでもない。
まだ。
そう割り切れるほど。
簡単ではない。
けれど。
アーミアは。
机の端末を手に取った。
画面を見る。
そして。
検索欄を閉じた。
今夜は。
これでいい。
明日。
何が起こるかは。
明日の自分が。
この時代にいる人たちと一緒に考えればいい。
アーミアは端末を置いた。
「ところで先生」
「ん?」
「行動制限されてるの、忘れてません?」
「……」
レイナスが。
扉を見る。
「お前の部屋までなら大丈夫だと思ったんだけどな」
「確認したんですか?」
「してない」
「先生」
「……戻るか」
「そうしてください」
「せっかくいい話をしたのに、最後がこれか」
「自業自得です」
「世の中、なかなか綺麗に締まらないもんだな……」
レイナスが。
ため息をつきながら立ち上がる。
その背中を見て。
アーミアは。
もう一度だけ笑った。