妖怪廻戦 作:テルクニジンジャー
──結局、俺は怪しげなガラクタ屋の店主から買った時計を腕に付けたまま過ごすことになりそうだった。やけに大きなサイズ感には、まだ慣れそうもない。
見えないものが見える。そんな謳い文句を、まんまと信じてしまった自分が馬鹿らしく思えてくる。
「……しかし、なんだこれは」
改めて腕時計を観察する。
ピンク、緑、紫、青──四つの色をした勾玉のようなものが、本体の文字盤にデザインされている。針は普通の時計と同じように、おそらく現在時刻を指しているようだった。あのガラクタ屋だという爺さんの言葉を信じるなら、これは見えないものを見えるようにする代物らしい。
だがしかし、俺には何も見えていない。
付けただけでは駄目なのかとも思ったが、使い方を説明するどころか、俺に腕時計を売った直後に姿を消したあの老人のせいで、試しようもない。
やはり偽物だったのか。
妙にガッカリした気分のまま、俺はおおもり山を下り、町へと繰り出した。今朝通り過ぎた学校を横目に見ながら、住宅街へと歩を進める。
──その道中、見慣れた少年がこちらへ向かって歩いてくるのが見えた。
「あれ、ヤマトじゃん。こんな所で何してるの?」
「おー、ケータ。俺はただの散歩だよ。今から帰るとこだ」
虫取り網を抱え、虫かごを引っ提げて歩いてきたのは、クラスメイトであり、仲の良い友人でもある天野ケータだった。
普通、という言葉がこれほど似合う男も、なかなかいない。おそらく俺以外のクラスメイトから見ても、彼に対する印象は大して変わらないだろう。とにかく普通の少年である。
ただ、普通であることにこそ平穏を見出している俺にとって、呪術とは無縁の友人というのは、それだけで価値があった。小学校に入ってからずっと同じクラスということもあり、割と頻繁に遊んでいる相手でもある。
そんなケータは、いかにも夏休みの小学生といった格好で、俺が今しがた降りてきたおおもり山の方へ向かおうとしているらしい。
「なに、虫取りでもすんの?」
「あ、そうだ。聞いてよヤマト。さっきさんかく公園でフミちゃん達と居たんだけどさ。カンチがレアな虫の標本を自慢してきて、クマに馬鹿にされたんだよ」
「いつものアイツらじゃん」
「そうだけどー……。俺もレアな虫取って、二人を見返してやろう!って思ってさ」
「へぇ……」
カンチ、そしてクマにフミちゃん。
ケータの口から出てきた三つの名前もまた、俺にとっては友人であり、クラスメイトである。ただ、彼ら四人組の関係性の中に、俺が積極的に入ることはあまりない。それぞれとは普通に仲良くやっているものの、俺は自認・後方腕組みお兄さんなので、五人揃って一緒に遊ぶということは稀だった。
「それで? 何か取れたのか」
「み、ミンミンゼミを三匹ほど……」
「普通」
「う、うるさいなっ!……って、あれ。その腕時計……」
「あん? ……これ?」
「ヤマト、そんなの付けてたっけ?」
「あー……知り合いから貰ったんだよ。別に大したもんじゃない」
「ふーん……」
彼の視線が俺の腕へと向かう。
怪しい爺さんから100円で買ったなんて心配されそうだったので、入手の経緯は適当に濁す。
「まあ、レアな虫見つかるといいな」
「うん。じゃあねヤマト! また遊ぼう!」
ケータの関心が腕時計から離れたのを察し、俺は手を挙げて彼に別れを告げた。ケータは笑顔で山の方に走っていきながら、こちらにブンブンと手を振っていた。
まあ、おおもり山にレアな虫なんて居ないだろうけれど、と心の中で付け加えた言葉は彼には言わないでおこう。あの我が家に負けず劣らずのセレブなカンチが持ってきたというのなら、相当の価値がある虫だ。それに似合う虫が、あんな裏山に居るとは思えなかった。
──街を散策する。
家にいても、宿題は昨日の終業式から帰った後に速攻でほとんど終わらせてしまっている。任務ばかりだったとはいえ、かつての俺は高校三年生。今更、小学生程度の内容で躓くはずもない。残っているのは習字と読書感想文くらいである。
だからこうして街に繰り出し、散歩している次第なのだが、やはり気になるのはこの腕時計だった。俺はそのまま住宅街を進み、やがて西側にある河川敷へとやってきていた。
川の向こうには、団々坂と呼ばれる地区が広がっている。いくつかの町工場や古びた団地、昔ながらの商店街などが残る、さくらニュータウンとは少し趣の異なる場所だ。ただ、今のところそちらへ向かう用事はない。
俺は橋は渡らずに、その近くの河川敷に設置されたベンチへ腰を下ろし、改めて腕時計を観察した。
やはり、奇妙なデザインである。
「呪霊……っぽい何かが見えるってこと、だよなぁ」
ただ、肝心のその方法が全く分からない。腕に付ければ見えるというものでもないらしいので、俺は時計を腕から外し、あらゆる方向から眺め回した。
すると、気になる箇所を見つけた。
「ボタン……か?」
よくよく見れば、腕時計を上から見て右側に、ボタンのようなものが付いている。俺はてっきり針を調整するためのネジだと思っていたのだが、よく見ればどうも違う。
もう一度、腕時計の構造を確かめる。
ベルトは普通。文字盤は独特だが、針そのものは通常の時計と大差ない。そして、丸みを帯びた蓋には、よく見ればヒンジが付いている。となれば、このボタンを押せば蓋が開くということだろうか。
俺は少し迷いながらも腕時計を付け直し、ボタンを押してみた。
「うおっ」
すると、蓋はパカッと開いた。
同時に、腕時計から怪しげな光が灯り、前方を照らし出す。続けて、不思議な電子音が時計から流れた。
「……これか? もしかして」
あの店主の姿を思い起こす。見えないものが見えるという、不思議な時計。仮にあの老人の言葉が正しいとして、ただ腕に付けるだけではダメだというのならば、間違いなく、この蓋が開くという構造と突然の発光は無関係ではあるまい。
すう、と息を吸う。そして、周囲へと意識を向けた。
あの気配を探るのだ。
呪霊ではない。けれども、間違いなく存在する。人間ではない何かの気配を。
──あの気配は、目の前の川から感じた。
無意識に、俺は腕時計が放つ光を、その気配がする方向へと向けた。考えるよりも先に腕が動いたのだ。しばらくそのまま向けていると、これまで何度となく感じてきた気配が、次第に濃くなっていく。
「んぁ……?」
「っ、誰だ!」
声が聞こえてきた。
今、この河川敷には俺しかいない。なのに、明らかにすぐ近くから、俺ではない誰かの声を耳が拾った。
バッ、と臨戦態勢を整える。
だが、先程よりもはっきりと感じられるようになったあの気配は、変わることなく目の前から動かない。
「人間……人間ッスか! オレが見えるッスか!?」
「………どこだ……?」
言葉を話せる存在だということを知り、俺はより一層警戒心を強めた。
前世の呪霊は、そのほとんどが言葉を使わない。使ったとしても、意味の通らない単語を繋げたり、あるいは元となった人間の強い感情を表す言葉を短く呟いたりする程度だ。
ただし、一部の特級呪霊は明確に、そして流暢に言葉を話す。目の前にいる存在からは、特級呪霊のような強烈な威圧感は感じられないが、それでも、人間ではない何者かが俺に話しかけているという事実に──そして、これまでの十一年間、俺はそんな存在を何もせず見過ごしてきていたのだという事実に、背筋が冷たくなるのを感じた。
「それ、妖怪ウォッチっスよね! そのレンズを覗くんすよ。そうすれば、オレが見えるはずッス!」
「…………」
妖怪ウォッチ……呪霊ではなく、妖怪とな。
内心は訝しながらも、俺はその聞こえてくる言葉の通り、静かに開いた蓋を覗き込んだ。
「もし見えるなら、俺のこと、助けて欲しいッス!」
「な──」
そこに居たのは、呪霊のようなおぞましい存在ではなく──青い身体をした、小柄で細身の生き物だった。
最初に目に入ったのは、その顔だ。
大きく丸い目に、横へ大きく広がった黄色い嘴。頭部には青みがかった丸く平らなものが乗っており、その周囲からは緑色の葉っぱのようなものが何本も伸びている。細長い腕と脚も青く、赤い水筒を肩から斜めにぶら下げていた。
「…………」
河童……なのか?
少なくとも、俺が前世の知識として知っている河童とは、随分と姿が違う。そもそも頭に皿があるわけでもなければ、甲羅を背負った典型的な河童の姿でもない。
それでも、水辺に現れそうな姿をしていることだけは間違いなかった。
何より、その顔には敵意らしいものが一切ない。こちらを見上げる大きな目には、警戒よりも期待の色が浮かんでいる。そして、その存在は俺と目が合うと、天真爛漫に笑った。
「……お前が、俺に話しかけていたのか?」
「そうッス! オレ、ノガッパっていう妖怪ッス!」
妖怪。
その言葉を、俺は改めて頭の中で反芻した。
「呪霊ではなく?」
「ジュレイ?」
きょとん、と首を傾げる目の前の存在を見て、俺は警戒心を解いた。
一体、前世でどれだけの数の呪霊を祓ってきたと思っている。自分に危害を加える可能性があるかどうかなんて、ある程度は一瞬で理解できるものだ。目の前のこいつには、少なくとも俺へ危害を加えようという意思はない。
ただ、「なんだ、こんなものに警戒していたのか」というような落胆はなかった。むしろ強かったのは、これまで感じ続けていた正体不明の気配のうちの一つが、少なくとも敵ではなかったという安堵だった。
「……で、お前なんなんだよ。妖怪ってのは、文字通りの意味か?」
「そうッスよ。オレ以外にも妖怪はこの街にたくさんいるッス。オレは普段、この川に住んでるから、あんまり交流はないッスけどね」
「妖怪ねぇ……なるほど。じゃあ、もう一つ。お前、この時計が何なのか分かるのか?」
妖怪ウォッチ、とこいつは言った。それが、この腕時計の名称なのだろう。あの老人め。製品名ぐらい教えてから売れよ、と眉を顰める。まさか百円で売りつけておいて、使い方どころか名前すら説明しないとは思わなかった。
つまるところ、これはかつて真希が身に付けていたような、呪霊を視認するための眼鏡型の呪具と同質のものなのだろう。もっとも、こちらは呪霊ではなく妖怪とやらを見つけるための道具らしいが。
そう考えると、ようやく一つの疑問が解消された。
この十一年間、俺が感じ続けていた正体不明の気配。それは呪霊ではなく妖怪であったわけだ。
ふう、と安堵のため息をつく。
とりあえず、この時計の使い方を知っているらしい目の前の妖怪について、確認したいことがあった。
「この腕時計は結局なんなんだ?」
「それは妖怪ウォッチ。人間と交流したいって妖怪がよく持ってるモノっスね! 妖魔界でも前は普通に売ってたッス。でも妖魔界があんな感じになってからは、オレもしばらく帰ってないんで、今はどうか知らないッスけど」
「まて、待て待て。情報量が多い」
妖魔界?
なんだそれは。
聞き慣れない単語が当然のように飛び出してきたせいで、思わずノガッパの言葉を遮った。
「妖魔界っていうのは妖怪が住んでる世界ッス! でも、オレみたいに人間界で暮らしてる妖怪も大勢いるッスよ」
「……そいつらは、人間を殺したりはするか?」
「こ、殺す!? し、しないッスよ、そんなこと! ちょっと悪さとかイタズラをする妖怪は多いッスけど、そんな事までする妖怪は、この町では聞いたことないッス!」
物騒な単語に顔を青ざめさせ、慌てて否定するノガッパ。
その反応を見て、ようやく俺も肩の荷が下りたような気分になった。少なくとも、目の前のこいつは人間を殺すために存在しているわけではないらしい。それどころか、人間と交流したい者までいるという。
俺が十一年間感じ続けてきたあの気配に敵意の類を感じなかった理由も、彼の言葉で納得がいった。それだけのことなのに、不思議と胸の奥が軽くなる。同時に、前世で相手にしてきた呪霊たちのことを思い出す。
人間の負の感情から生まれ、人間を害することを本質とする存在。こちらを見つければ襲いかかり、弱者を弄び、弱者を痛めつける。あんな連中と比べれば、目の前の妖怪はあまりにも穏やかだった。
……まあ、妖怪にも悪さをする奴はいるらしい、というのは少し気掛かりだったが。
「……なるほど。で、お前、名前なんだっけ。河童?」
「ノガッパっス。人間さんはなんて名前なんスか?」
「星風ヤマトだ。いきなり大声を出して悪かったな。なにせ、使い方もロクに分からんこの腕時計を、つい二十分ほど前に怪しいじいさんから買ったばっかでよ。まさか妖怪なんて居るとは思わなかった」
「別に大丈夫ッスよ!」
ノガッパは気にした様子もなく笑った。
こうして改めて話してみると、妙な感覚だった。
つい先ほどまで、俺はこいつの姿すら見ることができなかった。それが今では、こうして目の前に立っている。しかも、普通に会話までしている。
前世の俺なら、まず間違いなく警戒していたし、初手で攻撃を加えていただろう。呪霊であれば、どれほど弱そうに見えても油断はできない。
だが、こいつは違う。敵意もなければ呪力もない。そして何より、人間と同じような態度と温度で言葉を交わしている。警戒心はとっくのとうに消えていた。
「……あ、そうだ、忘れてたッス! ヤマト、オレを助けて欲しいッス!」
「あん?」
そんなことを考えていた矢先、ノガッパが突然、困ったような顔をして身を乗り出してきた。
胸の奥でつっかえていた腕時計の使い方と、これまで感じていた気配の正体が判明したことで、俺はもうほとんど満足していた。あとは家に帰って、この奇妙な時計について調べるなり、今日見たことを頭の中で整理するなりすればいいと思っていたところだった。
それだけに、唐突な「助けて欲しい」という言葉に、俺は思わず眉を寄せる。
「助けて欲しいってどういうことだよ。なんだ、河童らしく頭の皿でも乾いたか」
「オレの皿はいつも濡れてるッス! そうじゃなくて、オレ、ここのところ何も食べてなくて腹ペコなんス……何か食べられるもの、くれないっすか……?」
「ほーん……」
伏し目がちになりながら腹を擦るノガッパを眺め、俺は少し考えた。
妖怪という存在がいることを、俺はこの目で確かめた。目の前にいるノガッパが敵意も害意も持っていないらしいことも、これまでの短いやり取りで何となく分かっている。
……というか、いくら前世より術式の練度が衰えているとはいえ、こんなキャッチーな見た目をした河童に殺されることはないだろう。少なくとも、今のところは。
財布の中には五千円札が一枚あった。
両親から毎月貰っている多額の小遣いのほとんどは貯金箱に突っ込んでいる俺だが、それでもこのくらいの金は手元に残している。
とはいえ、ダラダラと人生を満喫したい俺にとって、金は貴重だ。この年齢では働く必要もなく、学校生活も前世ほど忙しくない。今の俺にとって、百円、二百円という金額ですら、何も考えずに使っていいものではない。
だが、それとは別に、興味が湧いていた。
呪霊とは異なる存在──妖怪。
この世界には、俺がこれまで知らなかった存在が確かに暮らしている。
たまたま最初に出会ったのが、目の前で腹を空かせているノガッパだっただけだ。ならば、こいつを通して少しでも妖怪というものを知っておくべきだろう。
ほかの妖怪も、本当に人間に害を加えないのか。家族や友人たちに危険が及ぶ可能性はないのか。そもそも、妖怪とは何なのか。
判断するための材料は、あまりにも少ない。
だったら、まずは最初に出会った妖怪を知るところから始めればいい。
「いいぜ。何か奢ってやるよ。好きな物はなんだ?」
「! ホントッスか! オレ、寿司が好きッス!」
「お前、河童のくせしてキュウリ食わねぇのかよ」
キュウリぐらいなら買ってやろう。
そう思った矢先に飛び込んできた「好きな料理」が寿司だったので、俺は思わず呆れた。
俺の知識にある河童とは、あまりにも違う。
……まあ、妖怪といっても全部が昔話の通りというわけではないのだろか。
「寿司ね……。じゃあ、近くにあったな」
そう呟きながら立ち上がると、ノガッパも嬉しそうに後をついてくる。
こうして俺は、初めて出会った妖怪と連れ立って、河川敷を上がっていくことになった。
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河川敷のすぐ上に架かった橋を渡れば、そこは団々坂。
昔ながらの下町の雰囲気を色濃く残している地区であり、さくらニュータウンとはまた違った時間が流れているように感じられる。
……とはいえ、完全に取り残された地域というわけでもない。小規模ながらもさくら中央駅へ通じる駅があり、さくら中央シティでの乗り換えや、通勤・通学に利用する市民も多い。
かくいう俺も、友人であるクマが団々坂に住んでいることもあって、たまにこの辺りを訪れる。そよ風ヒルズとは反対側に位置しているものの、歩いて来られないほどの距離でもない。
ただ、今日の目的地は団々坂そのものではない。
そこからさらに南へ進んだ先にある、「おつかい横丁」というエリアだ。そこには桜町フラワーロードというアーケード街があり、昔ながらの商店が軒を連ねている。その中に、昔ながらの回らない寿司屋が一軒だけあるのだ。
回らないとはいっても、別に高級店というわけではない。子供の小遣いでも何とか手が届く程度の、比較的安価な店である。
「いやー、優しい人間に会えて良かったッス!」
そんなフラワーロードへ向かう俺の隣を、ノガッパが歩いている。
改めて考えてみても、何とも妙な光景だった。
青い身体に大きな嘴。頭には皿とも何ともつかない特徴的なものを乗せ、肩には赤い水筒まで掛けている。
古典や伝承に登場する、恐ろしげな河童の姿とは似ても似つかない。むしろ、その姿を眺めていると妙に毒気を抜かれるというか、警戒しているこちらが馬鹿らしく思えてくるような愛嬌がある。
もっとも、見た目だけで判断するつもりはない。
こいつの言葉を信じるなら、妖怪というのは呪霊と同じように、その姿を誰もが見られるわけではないらしい。霊感の強い人間か、あるいは俺のように妖怪ウォッチを持っている人間でなければ、基本的には認識できないという。
……やっぱり、こいつら呪霊なんじゃないのか。
そんな疑念が、ふと頭を過る。
だが、すぐに打ち消す。
見えない。普通の人間には認識できない。人間の生活圏に潜んでいる。そうした特徴だけを並べれば確かに似ているが、俺には呪霊に特有の呪力が一切感じ取れない。
似ているだけで、根本的には別の存在なのだろう。
そんなことを考えているうちに、俺たちはフラワーロードへと辿り着いた。
俺は寿司屋へ入り、持ち帰りを頼む。
もちろん、ノガッパと普通に会話しながら注文するわけにはいかない。店員からすれば、俺は一人で寿司の注文を相談している奇妙な子供にしか見えないだろう。
仕方がないので、電話をしているふりをしながらメニューを眺め、その中から一番安価なセットを選んだ。
注文を終えると、店の奥から威勢のいい声が飛んでくる。
「毎度あり!」
気持ちのいい、熱の籠もった声だった。
俺は軽く会釈を返し、寿司の入った袋を受け取る。そして、なるべく人目の少ない場所を選ぶため、再び河川敷へと戻った。
今度は、おつかい横丁側の河川敷である。
人の少ない場所に腰を下ろすと、俺はノガッパの前に寿司を置いた。
「マグロに、サーモンに、ブリにタイ。おまけにかっぱ巻き……お前、河童のくせして舌肥えてんだな」
「くぅぅぅ~! 久々のお寿司、美味いッス!」
ノガッパは嬉しそうに寿司を頬張っている。
先ほどまで腹を空かせていたせいか、その食べっぷりはなかなかのものだった。小さな身体のどこに入っていくのかと思うほど、次々と寿司を口へ運んでいく。
「聞いてねぇ……」
俺はそんなノガッパを横目に、道中で買った妖緑茶の缶を手に取った。プルタブを起こし、パカッと蓋を開ける。
「ヤマト! ご馳走様ッス!」
「あいよ」
満面の笑みで礼を言うノガッパに、俺は適当に返事をする。
まあ、悪いやつではない。
少なくとも、ここまで話した限りでは、純粋で素直な性格なのだろう。裏表があるようにも見えない。
試しに道中で何度か殺気をぶつけてみたが、それに気付いた様子すらなかった。鈍感なのか、それとも単純に俺を信用しきっているのか。出会ってからまだ十分程度しか経っていないことを考えれば、後者だとしたら随分と不用心な奴である。
いずれにせよ、五千円札を崩した甲斐はあった。
初めて出会った妖怪であるノガッパから、この妖怪ウォッチの使い方を教えてもらわなければ、俺は多分、この時計を自室のクローゼットにでもしまい込んでいただろう。
そうしていたら、俺はこの町のあちこちで感じていた正体不明の気配を、呪霊と同じようなものだと警戒したまま過ごすことになっていた。
少なくとも、何も知らないままよりはずっといい。
……まあ、ある意味では呪霊よりも未知数で、場合によっては危険性のあるかもしれない妖怪という存在を知ってしまったわけだから、結局プラマイゼロなのかもしれないが。
「お礼にコレをあげるっス。困ったことがあれば、いつでも呼んで欲しいッス!」
「あん?」
ノガッパを眺めながらそんなことを考えていると、彼はどこからともなく一枚のメダルを取り出した。
差し出されたそれを、俺は訝しみながら受け取る。
手の中に収まったメダルには、何とも不思議な感触があった。金属とも、ただの玩具とも違うような、妙に馴染む感覚がある。表面には、後ろ手を組んで寛いでいるノガッパの姿が描かれていた。そして、その下には彼の名前が刻まれている。
「なんだこれ。メダル?」
「それは妖怪メダル! 人間と妖怪の友情の印ッス!」
「……で、これはどうやって使うんだ?」
「たしか、その妖怪ウォッチに差し込むんスよ!そうしたら、オレがいつどこにいても、ヤマトの所に呼び出されるッス!」
そこまで言ったところで、ノガッパは少しだけ目を泳がせた。
「……ま、まあ、用事があったら召喚をお断りすることもあるッスけど……お寿司買ってくれたから、この恩は返すッスよ」
「お前、そこは即答で来いよ」
思わず呆れながらも、俺は手の中のメダルを改めて眺めた。
本当に、どういう原理で動いているんだ、この時計は。
そもそも、この妖怪メダルとやらも何なんだ。
妖怪を呼び出すということは、単なる身分証や記念品というわけでもないらしい。
そして、それ以上に気になるのは──。
これを持っていた、あの爺さんだ。
妖怪ウォッチの存在を知っていて、俺に売りつけ、使い方を一切説明しないまま姿を消した老人。あの男は、そもそも何者なのだろう。
俺は妖怪メダルを指先で弄びながら、改めてそんな疑問を抱いた。