死に至るTS俺っ子を救うために包丁でサクサクされる話 作:かりほのいおり
毎日更新します多分
⚪︎
理想と現実はおおよそ異なるものなのだ。
テレビでやってるサッカーを見れば、俯瞰的な視点であっち側にパスを出せばいいのにと思ったり、そこで一歩足を伸ばせればいいとか無茶を言ったりしてしまう。
そんなサポーターの意見を俺は理不尽だなぁと思いながら眺めていたけれど、自分の身にまわってみてようやく理想と現実を擦り合わせることの難しさを実感した。
実感というか、今もなお体感している。
そこで起きる事件を予め知っていれば、自分なら被害を出さずにうまく収められると思いこんでいたんじゃないか?
そう聞かれたら否定はできない、間違いなく自惚れのひとかけらが潜んでいた。
そうでなければ自分が失敗した時のために事前に救急車を呼ぶとか、警察を呼ぶとか予め策を巡らせて、予防線に予防線を重ねていただろう。
「……失敗したなぁ」
「お前もか、おまえもなのか!? お前まで俺の邪魔をするってーのか!?」
成人の日、成人式会場の近くの路上の片隅で、こんな寒い日にむさ苦しく男が二人むかいあっている。
と言っても和気藹々とは到底言い難い。
よくよくアスファルトの地面を見てみれば、ポタポタと赤いシミが付いている。今も増えていくそれは佐久間 稔の血、つまりは俺の怪我から滴るものなのだから。
コーヒー臭い息の匂いすらわかる至近距離、男の血走った目が気味が悪いほど爛々と光っていた。
さっきからこいつの言っていることが俺にはさっぱり理解できなかった。ぶつぶつとわけわからん事を呟いてる異常者としか思えない。
でも、対峙してみると思ったより身体が動かないままに、すんなりと刃物を胴体に捩じ込まれていた。
あ、こんにちは。みたいな挨拶のノリで刃物を突き出されて躱せるわけがないというのが今回の学びだった。
学びの代償は激痛である。
それは直接的な痛みというより、燃えた鉄の棒を体の中心に無造作に突っ込んだ感覚。
無謀から導き出された必然的な帰結と言えるのかもしれない、けれども最悪は免れたとも俺は思う。
「このっ!はやくっ、その手をどけろってーの!!」
「だからさあ、俺一人で満足して欲しいんだよなぁ」
精一杯の痩せ我慢で頰を歪ませる。
腹部に焼けるような感触を感じながら、それを引き抜かれない様に両手でがっちり掴んでいた。
その両手も今は確認する術はないけれども、押し込まれない様に刃の部分を咄嗟に握りしめていたから、きっと悲惨なことになってるに違いない。
「これは、絶対に渡さない」
ようやく俺の言葉が届いたのか、男の呟きが止まった。
「だってお前さ、これしか武器持ってないんだろ」
返事代わりに二度三度無理やり押し込まれて、痛みで視界が歪む。
久しぶりに泣いた気がした、前回泣いたのはいつだったか思い出せないのに。全く、押してダメなら引いてみろの格言をこんな俺の身体で試さないでほしい。
ひたすら皮肉を脳裏に浮かべて必死に耐える。
道具がなければ被害はこれ以上広がらないはずだ。本当なら無傷で制圧できればよかったけれども、刺されてしまった以上、最高から次善に目標をランクダウンさせるしかない。
良い情報は一つ、こいつが俺の体に捩じ込まれた刃物に固執しているということは、おそらく他に変えがないってこと。
悪い情報は一つ、俺がいつまで耐えられるかわからないってこと。
どれだけ俺は耐えればいい?
どれだけ待てば警察が来る?
目が眩んで膝から崩れ落ちそうになるのを必死に堪える。痺れを切らしたのか、思い切り壁に押し付けられて思わず息が止まる。
激痛のあまり視界が真っ赤に染まって、怒りのあまり咄嗟に前蹴りを繰り出した。
多分当たった気がする、でも確認する暇はない。
気が付けば視界が横倒しになっていた。
起きあがろうにも動けない、凶器がまだあるのを確認しようとして、不要に刃物に触れて身が震える。
次善は、おそらく達成できたはずだ。
いや、それとも最低限だろうか?
考えがまとまらない、最低限と次善の違いがわからない。俺の命の有無だった様な気がするけれど、どうにも思い出せないのだから仕方がない。
後はもう出来るのは事態の推移を見守るだけ。アスファルトがじわりじわりと赤く染まって行くのをどこか他人事の様に眺めていると、誰かが俺のことを見下ろしていることに気づいた。
「…げろ……はや、く」
必死に絞り出したのは、そんな掠れ声。
それが聞こえなかったのか、スーツに身を包んだそいつはツカツカと俺と相対していた男に足を向けた。
その背中には、ずっと伸ばしているだろう黒く長い髪が雑に一つに括られて揺れているのが見えて。
咄嗟に危ないと思ったのだ。
おそらく刃物をもう持ってないとは言え、それを持ち出すほどの暴力性を持ち合わせているのだから。
あとは警察にでも任せれば良い、不要なリスクを犯す必要がどこにあるさっさと逃げろ、言葉にならない声をあげようとして。
次の瞬間、俺のことを散々痛めつけたあの男が綺麗に宙を舞う姿を見た。
思わずぽかんとしてしまう。
一瞬で投げ飛ばされた男へチャンスとばかりにみんなが一斉に飛び掛かるのを他所に、一人で事態に収拾ををつけたそいつが自分の元まで駆け寄ってくるのが見えた。
「馬鹿。救急車はもう呼んでるから、それまで耐えろよ」
懐かしい声だった、スーツ姿は様になっているけれども、それは確かに凛々しい女性の声で。
5年ぶりとはいえ、そいつが誰であるのか俺にはちゃんと分かっていた。
「……久しぶり、白井」
それが精一杯。
確実に未来を変えられたことに安堵して、意識が手の中から滑り落ちて行く。
⚪︎
目を覚めた時に顔を覗き込まれていると、人は案外びっくりするものらしい。
覗き込んでいた張本人である白井も、驚きのあまり目を見開いていたから、多分おあいこではあるけれど。
白井はパクパクと魚のように口を動かしたのち、ハッとやるべきことを思い出したのか、速やかにナースコールを押した。
思わず二度見をする。
よく見ずとも、それはナースコールである。
「ああ、ここってもしかして病室?」
「よく見ずとも病室だ、馬鹿」
「ほら、てっきり美人さんがいるから天国かと」
そんな皮肉も軽くスルーされる。
看護師はすぐにやってきて自分の名前と日付を確認して、俺は佐久間稔と唱える。
日付はいつなのだろうか? とりあえず最後が一月十一日だったことを伝えると、もう四日たってるぞと白井が口を挟んできた。
四日、どうりで無性にお腹が減っているはずだ。
術後の体の調子を聞かれて、お腹が減ったというと笑いながら去っていき、結局二人きりで残される。
「あの後、成人式はどうなった?」
「中止だよ中止、飲み会もパーだよ」
「それは残念、白井と一緒に飲むチャンスだったのに」
そんな軽口を聞いて、白井は呆れたようにため息をついた。
「飲む機会ならこれからいつでもあるだろ」
まあ、誰かさんがやらかしたせいで二度と飲めなくなるところだったけどな。
そうチクチクと攻撃されるも、俺は何も言い返さない。
「お前さ、ほんと何やってんだよ。あんな刃物を振り回してる男に近づいてさ、あやうく死ぬところだったんだぞ」
「実は後悔をさ、拾い集めてたんだ」
何を言ってるかわからない、無言の鉄拳を持って返答される。
「よく考えなくても俺、怪我人なんだけど。そこらへん白井さんはどう思います?」
「関係ないだろ、そんなこと。どう考えても煙に巻こうとするお前が悪いんだから。で、何が言いたいんだよ」
「どこから話せばいいかわからないんだけど」
多分、言っても理解してくれないような気がした。
それを初めから最後まで説明するにはあまりにも突拍子のない出来事の連続なのだから。
「俺ってさ、実は沢山後悔があったんだ。それを全部やり直したくて」
パラパラと次々に記憶が捲られる。
本当は起こるべきじゃなかった転換点。
三つ、それを引き起こした自覚があった。
「白井はさ、過去を変えられるって言われたら何を変えたい?」
「……んー、朝起きたら性別が変わってたこと。あとはクソボケに告白しようとしたこと、ついでにお前が中学卒業と同時に引っ越したこと、それにお前が無茶苦茶して危うく死にかける目に遭うこと」
「引っ越しは俺の都合だし、白井の努力で変えられないと思うけどなぁ」
「後出しで努力で変えられる過去とか付け加えるの卑怯じゃねーか、それ」
白井はムッと頰を膨らませた。
確かに、自分の言い方が悪かったかもしれない。
目の前の白井は中学校に入学する直前まで男だった。後天的に性別が変わって、それ以降はずっと今の調子。
それを努力で変えられるかと言ったらNOだろう、今の病理知識を持ってしてもどうやってそんなことが起こるのかわからないのだから。
「まあ努力で変えられる後悔が白井には一つあるとして」
「二つだろ、告白とお前が無茶することなんだから」
「いや、一つだね」
さらに口論を重ねようとするけれども、自分の瞳に宿る感情を読み取ったのか、白井はそれ以上言葉を繋ごうとしなかった。
「俺はさ、やり直したいことが三つあったんだ。一つはラブレターのこと、一つは白井と喧嘩別れしたこと、一つは……」
思わず口を噤む。
きっと今あげた二つが何のことかは白井には伝わってるはずだ。でも、俺がイメージしているそれと、白井が考えているそれは全く違うもの。
最後にあげるそれを聞いて、そこに至った理由を辿ればその二つも紐解ける。
そのために、それは言わざるを得ない。
「本当なら、成人式の日に白井が刺されてたんだ」
「……」
冗談と笑い飛ばすのではなく、白井は俺の言葉に真面目に耳を傾けていた。
もっと軽く笑い飛ばしてくれればよかったのに。
そうすればこのまま何事もなかったかの様に話を流せたのに。
「死んだ、呆気なく死んじゃったんだよお前は。少なくとも俺が知っている世界では、俺は成人式にも行かなくて、遠く離れた街でそのニュースを聞くことしかできなかった」
緊張が途切れたのか、堰を切ったように涙がぽろぽろと溢れる。
そっと守るように白井は俺のことを抱きしめて、それを振り払おうとするけれども病み上がりの体はうまく動かなかった。
「全部終わった後だったんだ、その話を聞いた時には全部終わっていて」
それ以上は嗚咽で言葉が声にならない。
俺はきっと、夢を見ているのだ。
今もまだ、出来すぎた物語を眺めている。