ポケットモンスター ―君と目指す頂― 作:あああああ
右手に集まった青白い光が、僅かに揺れる。
サトシは呼吸を乱さないよう意識しながら、少し離れた場所に立てられた木板を見つめていた。
初めて波導を身体の外へ放つことに成功してから、すでに何日も経っている。あの日は数十センチほど飛んだところで消えてしまった光も、繰り返し訓練するうちに少しずつ形を保てるようになっていた。
胸の奥から肩へ、肩から腕へ、そして右手へ。
以前なら、この流れを作るだけでも長い集中が必要だった。しかし今では、目を閉じなくても自分の中を巡る波導を感じ取れる。
「……よし」
掌を木板へ向ける。
集めるだけでは駄目だ。
無理に押し出せば形が崩れる。
自分の一部を、そのまま前へ送り出すように――。
「はっ!」
掌から青白い光が飛び出した。
一直線に進んだ波導が木板へ届き、小さな衝撃音とともに表面を揺らす。
「当たった!」
「ピカ!」
少し離れた場所で見守っていたピカチュウが飛び上がった。
サトシも嬉しさのあまり拳を握りかけたが、すぐに自分を抑える。
「まだだ」
木板へ近づいて確認してみる。
表面には、ごく浅い跡が残っているだけだった。
威力は大したことがない。それに、今の一発を撃つまでにもかなり集中している。
これでは実戦中に使えるようなものではなかった。
それでも、サトシは笑っていた。
最初は木板まで届かなかった。
今は届いた。
なら、次はもっと速く。
もっと正確に。
もっと強く。
一つずつ進めばいい。
「もう一回やろう」
「待て待て」
後ろから聞こえた声に、サトシの動きが止まる。
振り返ると、オーキド博士が腕を組んでいた。
「……まだ一回だよ?」
「だからこそじゃ。今のお前は一発放つだけでもかなり消耗しておる」
「でも前より全然平気だよ」
「以前よりは、じゃろう?」
図星だった。
サトシは何も言えなくなり、博士は小さく息を吐く。
「波導を強くすることばかり考えるな。重要なのは扱えるようになることじゃ」
「扱う……」
「お前は今、波導を一か所へ集めてから放っておる。しかし、それだけが使い方とは限らんじゃろう?」
その言葉に、サトシは自分の右手を見る。
一か所へ集める。
放つ。
そこまではできるようになってきた。
なら――。
「他の場所にも?」
「試してみるか?」
サトシの顔が一瞬で明るくなる。
「やる!」
「やはりそうなるか」
「ピカピカ」
ピカチュウまで笑っていた。
◇
最初に試したのは、両手だった。
右手へ集める感覚は覚えている。
それを左手でも行い、さらに両方へ同時に波導を流す。
簡単そうに思えた。
実際にはまったく違った。
「……っ!」
右手へ集める。
左が消える。
左へ集中する。
今度は右が消える。
「難しい……!」
サトシは両手を睨んだ。
「ピカ?」
「いや、できる。もう一回」
胸から左右の肩へ。
そこから両腕へ。
一本の道を作るのではなく、途中で二つに分けるようにイメージする。
右。
左。
同時に。
「……!」
微かな青白い光が両手に滲んだ。
「でき――」
喜んだ瞬間、右手の光が消えた。
「あっ」
続いて左も消える。
「集中が切れたの」
「分かってるよ……」
思わず地面へ座り込むと、ピカチュウが近づいてきた。
「ピカ」
「慰めてくれてる?」
「ピカピカ」
頭を小さな前足でぽんぽんと叩かれる。
「なんか子供扱いされてない?」
「ピカー?」
とぼける相棒を見て、サトシは笑った。
できない。
だから練習する。
今までもずっとそうだった。
◇
両手への波導は、数日かけて少しずつ安定していった。
そこから腕へ広げ、肩へ広げる。
一か所へ集中させるのではなく、身体の一部を薄く覆うようにする。
この使い方になると、サトシ自身も予想していなかった変化が起きた。
「ピカチュウ、いくぞ!」
「ピカ!」
研究所の庭に置かれた木の棒を前に、サトシが構える。
右腕へ波導を流す。
拳だけに集中させるのではない。
肩から腕、拳までを包むように。
青白い光が薄く右腕へ纏わりついた。
「……はっ!」
一歩踏み込み、木の棒へ拳を当てる。
ドンッ!
「痛っ!」
「ピカ!?」
サトシは即座に拳を押さえた。
「痛い痛い痛い!」
「何をしておるんじゃ、お前は!」
オーキド博士が慌てて駆け寄ってくる。
「いや、波導を纏ったら強くなるかなって……」
「いきなり硬い物を殴る奴があるか!」
「……確かに」
「確かに、ではない!」
幸い大きな怪我はなかった。
しかし手当てを受けながら、サトシはあることに気づいていた。
「博士」
「なんじゃ」
「今、普通に殴った時より痛くなかった気がする」
オーキド博士の手が止まる。
「……ほう?」
「いや、痛かったよ? めちゃくちゃ痛かったけど」
「そこは分かっておる」
「でも波導を纏ってたところは、なんていうか……衝撃が少し違った」
博士はサトシの拳と木の棒を交互に見る。
「ならば次は、安全な方法で確かめるぞ」
「うん」
「絶対じゃぞ」
「分かったって」
「ピカ」
「ピカチュウまで念押しするなよ」
◇
翌日から、波導を身体へ纏わせた状態での運動が始まった。
いきなり何かを殴ることは禁止された。
代わりに行うのは、走る、跳ぶ、身体を支えるといった基本動作だった。
「よし……」
両脚へ意識を向ける。
身体の内側を巡る波導を下半身へ送り、足を薄く覆う。
「いくぞ!」
走り出す。
最初の数歩は何も変わらない。
ところが、波導を脚へ流し続ける感覚を掴んだ瞬間――。
「うわっ!?」
身体が予想以上に前へ出た。
慌てて足を動かす。
「止まっ――!」
そのまま草むらへ突っ込んだ。
ガサガサガサッ!
「……」
「ピカ?」
草の中から顔を出す。
「今の見た?」
「ピカ」
「速くなったよな!?」
「ピカピカ!」
「やっぱり!」
失敗したことより、変化が起きたことの方が嬉しかった。
すぐに立ち上がろうとするサトシへ、博士が釘を刺す。
「まず速度を抑えるところからじゃ!」
「分かってる!」
「絶対分かっておらんじゃろ!」
◇
それからの訓練は、サトシにとって今まで以上に面白いものになった。
波導を脚へ纏わせれば、普段より強く地面を蹴れる。
しかし強くしすぎると身体が動きについていかない。
腕へ纏わせれば衝撃を和らげられることがあるが、集中しすぎると他の部分が疎かになる。
全身へ薄く広げようとすれば、途端に制御が難しくなった。
右腕はできる。
両腕もできる。
脚もできる。
それなのに全部を同時にやろうとすると、波導が散ってしまう。
「くっ……」
庭の中央でサトシは歯を食いしばっていた。
両腕に青白い光。
脚にも微かな光。
そこから胴体へ広げようとする。
一瞬だけ身体全体が淡く光った。
しかし――。
「っ!」
すぐに消える。
サトシは膝へ手をついた。
「まだ駄目か……」
「当然じゃ」
博士が飲み物を差し出してくる。
「身体の一部へ集めることを覚えたばかりじゃぞ。それをいきなり全身へ広げて維持しようなど、急ぎすぎじゃ」
「でも、一瞬できた」
「それで十分じゃ」
飲み物を受け取りながら、サトシは自分の身体を見る。
一瞬。
本当に一瞬だけだった。
それでも確かに全身へ波導が広がった。
「いつか、これをずっと維持できるようになったら……」
走る。
跳ぶ。
受け止める。
もしかすると、もっと多くのことができるようになる。
何より、ポケモンと旅をするうえで自分自身の身を守れる。
「面白くなってきた」
「その顔をすると無茶をするから怖いんじゃが」
「しないって」
「ピカ」
「なんで二人とも信じてないんだよ!」
◇
もちろん、サトシが自分の訓練ばかりしていたわけではない。
ピカチュウとの特訓も毎日続いている。
「でんこうせっか!」
「ピカ!」
白い光が庭を駆け抜ける。
以前より方向転換が鋭い。
一度曲がっても速度が大きく落ちなくなっている。
サトシが動かしている標的へ迫り、最後の瞬間にさらに加速する。
「そのまま!」
声を出す。
同時に波導でも、次の動きを送る。
接触。
頬。
電気。
「ピカチュウ!」
標的へ頬を押し当てた瞬間、電撃が弾けた。
「よし!」
以前なら、でんこうせっかからほっぺすりすりへ切り替える際に僅かな間があった。
今ではその間がほとんどない。
一つの流れとして繋がり始めている。
「次、エレキボール!」
「ピカ!」
ピカチュウが距離を取る。
頬から溢れた電気が集まり、黄色い球体を形成した。
最初に覚えた頃とは比べものにならないほど速い。
「撃て!」
「ピカチュウ!」
エレキボールが飛ぶ。
だがサトシは命中を確認する前に叫んだ。
「走れ!」
ピカチュウがすぐに動く。
エレキボールを撃ったら終わりではない。
放った瞬間から次の行動へ移る。
標的へ向かうエレキボールとは別方向から、ピカチュウ自身も駆けていく。
「でんこうせっか!」
「ピカ!」
黄色い球と白い閃光が、別々の角度から同じ標的へ迫った。
ドンッ!
エレキボールが命中する。
ほぼ同時に、側面からでんこうせっかが突き刺さった。
「できた!」
ピカチュウが着地して振り返る。
「ピカ!」
サトシが駆け寄る。
「いいぞ! 今のなら片方を避けようとした相手にも、もう片方を当てられる!」
技を覚えるだけではない。
どう使うか。
どう繋ぐか。
どう相手へ選択を迫るか。
クサイハナとの戦いで見つけた考え方が、少しずつ二人の戦い方になっていた。
「もう一回やろう!」
「ピカ!」
今度は違う角度。
違う距離。
失敗すれば原因を考え、成功しても同じことがもう一度できるか確かめる。
その繰り返しだった。
◇
夕方。
訓練を終えたサトシとピカチュウは、いつもの丘へ向かっていた。
「ピカ?」
「ん?」
肩の上から声をかけられ、サトシが振り向く。
「どうした?」
ピカチュウが前方を見る。
丘まではまだ少し距離がある。
どうやら歩くのが遅いと言いたいらしい。
「……競争する?」
「ピカ!」
肩から飛び降りる。
以前なら勝負にすらならなかった。
今でも普通に走れば、おそらく負ける。
だから今日は――。
「ちょっとだけ試すか」
「ピカ?」
サトシは笑った。
脚へ意識を向ける。
強くしすぎない。
薄く。
自然に。
自分の身体が扱える範囲だけ。
両脚を淡い波導が包む。
「よーい……」
ピカチュウが構えた。
「スタート!」
「ピカ!」
二人が同時に飛び出す。
当然、ピカチュウが先行する。
それでも以前とは違った。
サトシも地面を強く蹴り、いつもより速く加速していく。
「うおおおっ!」
「ピカ!?」
ピカチュウが振り返る。
サトシが思ったより近くにいる。
「まだまだ!」
さらに一歩。
波導を脚へ流す。
速い。
風が顔へ当たる。
楽しい。
けれど――。
「……っ!」
波導が乱れた。
途端に速度が落ちる。
その間にピカチュウが一気に差を広げ、丘の上へ到着した。
「ピッカ!」
遅れてサトシも駆け上がる。
「はぁ……はぁ……また負けた……」
「ピカピカ!」
勝ち誇っている。
「でも、前より近かっただろ?」
「ピカ」
一瞬だけ考えたあと、ピカチュウが頷いた。
「よし!」
勝っていないのに、サトシは嬉しそうに拳を握った。
少しずつ追いついている。
今日できなかったなら、いつかできるようになればいい。
二人は並んで丘へ座った。
沈み始めた夕陽がマサラタウンを赤く染めている。
「ピカチュウ」
「ピカ?」
「俺さ、最初は波導って、相手を探したり気持ちを感じたりする力だと思ってた」
サトシは右手を夕陽へかざす。
意識を集中すれば、ほんの僅かに青白い光が掌を覆った。
「でも、それだけじゃないんだな」
感じる。
伝える。
集める。
放つ。
纏う。
まだ一つ一つが未熟だ。
それでも確実に前へ進んでいる。
「旅に出る頃には、走りながらでも、バトルしながらでも、当たり前みたいに使えるようになりたい」
「ピカ」
「それで、もっとお前のことも分かるようになる」
「ピカチュウ!」
ピカチュウが肩へ飛び乗る。
その瞬間、言葉よりも先に温かな感情が流れ込んできた。
――一緒に。
サトシは笑う。
「うん。一緒に強くなろう」
世界最強を目指すのは、ピカチュウだけではない。
トレーナーである自分自身も学び、考え、鍛え、成長する。
やがて始まる旅で何が起きるのか、サトシは知っている。けれど、自分が歩む未来まで前世で見た物語と同じになるとは思っていなかった。
むしろ、同じにするつもりなどない。
出会うはずの仲間たち。
待っている数々の事件。
まだ見ぬ強敵たち。
そして、いつか戦うことになる伝説と呼ばれるポケモンたち。
そのすべてを越えていくために、今できることを積み重ねる。
サトシは肩に乗ったピカチュウと一緒に夕陽を眺めながら、静かに拳を握った。
旅立ちの日は、また少しずつ近づいていた。