ポケットモンスター ―君と目指す頂― 作:あああああ
初めての野宿訓練を終えてからも、サトシとピカチュウの修行は続いていた。
ただし、旅立ちの日が近づいた今、新しいことを次々と始めるつもりはない。これまで覚えてきたものを磨き、どんな状況でも自然に使えるようにすることが、二人にとって最後の仕上げだった。
その日の朝も、サトシはオーキド研究所の裏手にある森へ入っていた。
「準備いい?」
「ピカ!」
目の前にいたピカチュウが勢いよく駆け出し、木々の向こうへ姿を消す。
サトシはしばらく待ってから目を閉じた。
風に揺れる葉の音や野生ポケモンの鳴き声を聞きながら、周囲へ波導を広げていく。いくつもの生命の気配が浮かび上がり、その中から誰よりも馴染み深いものを探した。
「……見つけた」
迷わず走り出す。
波導で木や岩まで見えるわけではないため、耳や足裏から伝わる感覚も頼りにしながら森を進み、やがて一本の木の前で足を止めた。
「そこだ!」
「ピカ!?」
木の陰から飛び出したピカチュウを捕まえる。
「今回は早かっただろ?」
「ピカァ……」
悔しそうな顔をするピカチュウを見て、サトシは笑った。
少し離れたところでは、オーキド博士が二人の様子を観察している。
「随分と安定したの」
「うん。もう感知するだけなら、走りながらでもできる」
以前なら、目を閉じて集中しなければ周囲の気配を探ることすら難しかった。
今では必要な範囲へ自然に波導を広げられる。野宿訓練を経験してからは、むやみに広範囲を探るのではなく、普段は周囲だけ、必要になった時だけ遠くまでという使い分けも意識するようになっていた。
「なら次じゃ」
博士が森の開けた場所を指す。
そこには複数の木製標的が置かれていた。
◇
サトシは一つ目の標的へ右手を向けた。
使おうと思う。
それだけで青白い光が掌へ集まる。
腕を振ると、放たれた波導が一直線に飛び、木製標的の中央へ命中した。
ドンッ!
「よし!」
すぐに左手へ波導を集め、二発目。
今度は横へ走りながら三つ目へ狙いをつけ、そのまま放つ。
これも命中した。
「ピカ!」
ピカチュウが嬉しそうに声を上げる。
以前は一発撃つだけでも大きく消耗していた。それが今では、左右どちらの手でも放つことができ、移動しながら狙いをつける余裕もある。
それでもサトシは四発目を撃たず、手を下ろした。
「まだ撃てるじゃろう?」
博士に聞かれ、サトシは頷く。
「撃てるけど、今日はこれでいい。無理して撃つ必要ないし」
「ほう」
博士が少し驚いた顔をする。
「なんだよ」
「いや。ようやく自分から無茶をしないようになったと思ってな」
「俺だって成長するって」
「ピカピカ」
ピカチュウまで笑っている。
「お前まで笑うなよ!」
森に三人の声が響いた。
◇
少し休憩した後は、身体強化の確認だった。
サトシの全身を青白い波導が薄く包む。
そのまま走り出し、加速する時には脚へ、倒木を飛び越える時には両脚へ、着地する瞬間には脚と腰へと波導を動かしていく。
以前なら、一つの動作をするたびに集中しなければならなかった。
今では違う。
走りたいと思えば脚へ。
着地へ備えれば自然に必要な場所へ。
身体の動きに合わせ、波導が流れる。
「ピカ!」
横からピカチュウが追いついてきた。
「競争じゃないぞ!」
「ピカピカ!」
そのまま抜いていく。
「……待て!」
結局サトシも追いかけた。
二人は森を抜け、研究所近くの草原まで走り続ける。
「ピカ!」
先に到着したのは、やはりピカチュウだった。
「また負けた……」
「ピカピカ!」
「次は絶対勝つからな」
悔しいが、以前のように大差をつけられてはいない。
それ以上に大きいのは、競争している間も身体を覆う波導が一度も途切れなかったことだった。
◇
研究所へ戻る途中、オーキド博士がサトシへ尋ねた。
「感知、放出、身体強化、そしてピカチュウとの意思伝達。それぞれ随分使えるようになった」
「うん」
「では最後に、それらを実際の状況で同時に扱えるか確かめてみるか」
「実際の状況?」
博士は答えず、研究所の庭へ向かった。
そこには一匹のポケモンが待っていた。
「ラッタ!」
「あ!」
サトシはすぐに気づいた。
以前、ピカチュウが初めて練習試合をした相手だ。
「久しぶり!」
「ラッタ!」
ピカチュウも駆け寄る。
「ピカ!」
「ラッ!」
二匹は互いに前足を合わせる。
以前の戦いから時間が経ち、ピカチュウはさらに強くなった。
だがラッタも同じらしい。
身体は以前より引き締まり、立っているだけでも動きに迷いがない。
「博士、最後の確認って」
「この子とのバトルじゃ」
「やっぱり」
サトシは笑った。
「ピカチュウ!」
「ピカ!」
二匹が距離を取る。
オーキド博士も所定の位置へ移動した。
「では――始め!」
「ラッタ、でんこうせっか!」
「ラッ!」
開始直後、ラッタが白い光を纏って飛び出した。
「右へ!」
「ピカ!」
ピカチュウがかわす。
「でんきショック!」
「ピカチュウ!」
電撃が飛ぶが、ラッタは走り続けたまま横へ避け、その勢いを保ってピカチュウへ迫る。
「たいあたり!」
「ラッタァ!」
「でんこうせっか!」
ピカチュウも白い光を纏って離れる。
しかしラッタは追ってくる。
「なるほど……!」
サトシはすぐに気づいた。
前回とは戦い方が違う。
ラッタは距離を空けない。
ピカチュウにエレキボールを作る時間を与えず、でんきショックも狙いにくくしている。
「俺たちの技を覚えてるんだ」
「一度戦った相手じゃからな!」
博士の言葉に、サトシは笑った。
「だったら、こっちも変える!」
前方に一本の木がある。
「ピカチュウ、あの木まで走れ!」
「ピカ!」
ピカチュウが真っ直ぐ向かう。
ラッタも追う。
木へぶつかる直前。
サトシは波導で左への動きを伝えた。
ピカチュウが鋭く曲がる。
「ラッ!?」
身体の大きなラッタは、同じようには曲がれない。
「今だ! でんきショック!」
「ピカチュウ!」
電撃が命中する。
「ラッタ!」
それでもラッタは踏みとどまった。
「でんこうせっか!」
博士の指示で再び飛び出す。
「ピカチュウ、避けろ!」
今度は間に合わない。
ドンッ!
「ピカッ!」
ピカチュウが地面を転がった。
「ピカチュウ!」
すぐに起き上がる。
「ピカ!」
「まだいけるな!」
「ピカ!」
「よし!」
サトシはラッタを見る。
一度当てたくらいでは止まらない。
なら、もう一度崩す。
◇
「でんこうせっか!」
「ピカ!」
ピカチュウが先に動く。
ラッタへ接近。
「ほっぺすりすり!」
頬から電気が弾ける。
だが。
「離れろ!」
ラッタがすぐ後ろへ跳んだ。
「やっぱり!」
前回の戦いで使ったほっぺすりすりを、ラッタは警戒している。
それなら。
サトシはピカチュウを見る。
短いイメージを波導で送る。
ピカチュウが頷いた。
「もう一回!」
「ピカ!」
でんこうせっかで接近。
頬から電気を出す。
ラッタが再び後方へ跳んだ。
今度は追わない。
「エレキボール!」
「ピカ!」
ピカチュウが素早く電気を集める。
狙うのは、ラッタが着地する場所。
「撃て!」
黄色い球体が飛ぶ。
「ラッ!?」
着地直後のラッタが避けようとするが、間に合わない。
エレキボールが直撃した。
「ラッタァ!」
ラッタが吹き飛ばされる。
「よし!」
作戦成功。
ほっぺすりすりを当てる必要はない。
警戒して離れるなら、その動きを利用すればいい。
「ラッタ!」
それでもラッタは立ち上がった。
「まだ来るか!」
「ラッ!」
「だったら――最後までいくぞ、ピカチュウ!」
「ピカ!」
◇
ラッタが走り出す。
「でんこうせっか!」
白い光。
ピカチュウも構える。
サトシはラッタの動きを見る。
正面から来る。
速い。
「ピカチュウ、ギリギリまで待て!」
「ピカ……!」
距離が縮まる。
「今!」
ピカチュウが横へ跳ぶ。
ラッタがすぐ脇を通過した。
「振り向いて、でんきショック!」
「ピカチュウ!」
至近距離から電撃が命中する。
「ラッタァ!」
ラッタの動きが止まった。
「決めるぞ!」
「ピカ!」
二人が同時に前を見る。
「でんこうせっか!」
「ピカ!」
白い光を纏ったピカチュウが一直線に飛び出した。
「ラッタ、たいあたり!」
「ラッ!」
ラッタも迎え撃つ。
二匹が正面からぶつかった。
ドンッ!
一瞬、互いに押し合う。
「いけぇぇぇ! ピカチュウ!」
「ピッカァ!」
ピカチュウが最後に踏み込んだ。
ラッタが弾き飛ばされ、地面を転がる。
再び立とうとしたが、そこで力が抜けた。
博士が片手を上げる。
「そこまで!」
勝負が終わった。
◇
「やった!」
「ピカ!」
ピカチュウがサトシへ走ってくる。
飛び込んできた身体を受け止め、サトシは笑った。
「勝ったな!」
「ピカピカ!」
けれど、すぐにラッタのところへ向かう。
「大丈夫?」
「ラッタ……」
博士が身体を確認した。
「疲れてはおるが、大きな怪我はない。休ませれば問題ないじゃろう」
「よかった」
ピカチュウも近づく。
「ピカ」
「ラッ」
二匹が前足を合わせる。
「ありがとう、ラッタ」
サトシが声をかけると、ラッタも短く鳴いた。
初めて戦った時より強くなっていた。
そして、自分たちの戦い方まで覚えていた。
勝ったことも嬉しい。
それ以上に、相手も考えて戦うのだということを改めて実感できたバトルだった。
「サトシ」
博士に呼ばれ、振り返る。
「気づいておるか?」
「何が?」
「今のバトル中、お前は波導を使うために一度でも立ち止まったか?」
サトシは黙った。
思い返す。
ラッタとピカチュウの位置を感じる。
ピカチュウへ簡単な動きを送る。
自分自身にも薄く波導を巡らせている。
どれも使っていた。
それなのに。
「……考えてなかった」
使おう。
集中しよう。
胸から腕へ流そう。
そんなことを考えた記憶がない。
必要になったから使った。
ただ、それだけだった。
サトシは右手を見る。
軽く意識する。
青白い光が掌へ集まった。
それを消し、今度は全身へ薄く広げる。
自然にできる。
「前は一つ使うだけでも大変だったのに」
「長く続けてきたからこそじゃな」
博士が笑う。
「感知も、放出も、身体へ纏うことも、ピカチュウとの意思伝達も、お前にとって特別な動作ではなくなり始めておる」
サトシはしばらく自分の手を見つめた。
旅立つまでに。
感じる。
探す。
伝える。
放つ。
身体へ使う。
それらすべてを、考えなくても使えるくらいにする。
ずっと目標にしてきた。
「博士」
顔を上げる。
「俺、できたんだな」
「うむ」
その一言で十分だった。
「よっしゃあああ!」
サトシが両腕を上げる。
「ピッカァ!」
ピカチュウも飛び上がった。
そのまま胸へ飛び込んできた相棒を受け止める。
「やったな、ピカチュウ!」
「ピカ!」
もちろん、これで波導の成長が終わったわけではない。
もっと遠くを感じられるようになるかもしれない。
放出も強くできる。
身体強化もさらに磨ける。
ピカチュウとの意思疎通も、これから深まっていくだろう。
それでも、幼い頃に決めた最初の目標には届いた。
旅へ出る準備が、また一つ終わった。
◇
夕方。
研究所から家へ続く道を、サトシとピカチュウは並んで歩いていた。
今日はもう訓練しない。
ピカチュウも疲れているため、珍しく肩へ乗らずサトシの隣を歩いている。
「あと少しだな」
「ピカ」
十歳の誕生日。
トレーナーとして旅立つ日。
ピチューだった相棒はピカチュウへ進化し、でんきショックしか使えなかった頃からいくつもの技を覚えた。
サトシもポケモンについて学び、身体を鍛え、野外で過ごす方法を身につけ、波導も自在に扱えるところまで来た。
もちろん、これで何でもできるわけではない。
知らないことも、経験していないことも山ほどある。
それをこれから知っていく。
「楽しみだな、ピカチュウ」
「ピカ!」
サトシは夕陽の向こうへ続く道を見る。
マサラタウンを出れば、最初に目指すのはトキワシティ。
そこからさらに先へ。
知っている場所もある。
知っている事件もある。
けれど、実際に自分たちが歩けば、何もかも前世で見た通りになるとは限らない。
それでいい。
サトシは隣のピカチュウへ拳を差し出した。
「世界最強になるぞ」
「ピカ!」
小さな前足が拳へ重なる。
「それから、ポケモンマスターだ!」
「ピカチュウ!」
長かった準備の日々は、もうすぐ終わる。
そして――。
サトシとピカチュウの本当の冒険が始まる日は、すぐそこまで迫っていた。