ポケットモンスター ―君と目指す頂― 作:あああああ
マサラタウンを出発してから、しばらくの時間が経った。
トキワシティへ続く道を歩くサトシの足取りは軽く、その少し前を進んでいたピカチュウも、時折振り返っては楽しそうに鳴いている。
これまでにもマサラタウンの外へ出た経験はある。オーキド博士に付き添ってもらったこともあれば、旅に備えて野宿をしたこともあったが、今日はそのどれとも違う。
帰る時間は決められていない。
博士も近くにはいない。
自分たちだけで目的地を決め、そこまで歩いていく。
「本当に旅が始まったんだな」
「ピカ!」
サトシが笑うと、ピカチュウは勢いよく頷いた。
道の途中では、様々な野生ポケモンの姿が見られた。
草むらを走り抜けていくコラッタがいれば、木の枝ではポッポが羽を休めている。研究所周辺でも何度も見たポケモンたちだが、旅人として見ると少し印象が違った。
サトシはポケモン図鑑を取り出し、近くにいたポッポへ向ける。
図鑑から説明が流れ始めた。
内容そのものは知っている。
それでもサトシは途中で止めたりせず、最後まで聞いた。
「ちゃんと使えるな」
「ピカ?」
「博士からもらったばっかりだから、確認したかったんだよ」
図鑑をしまい、再び歩き始める。
野生のポッポはサトシたちを警戒していたものの、こちらに敵意がないと分かると、そのまま飛び去っていった。
サトシも追わない。
モンスターボールを持ったからといって、出会ったポケモンを片っ端から捕まえるつもりはなかった。
「最初に誰が仲間になるんだろうな」
「ピカピカ」
「楽しみだよな」
ピカチュウとそんな話をしながら進んでいたサトシだったが、やがて少しだけ周囲を意識するようになった。
見覚えがある。
正確には、前世で見た覚えのある場所だった。
「この辺りだったかな……」
原作のサトシが、野生のオニスズメと遭遇した場所。
その後どうなったのかも当然覚えている。
捕まえようとして石を投げ、それが原因で怒ったオニスズメに襲われ、最終的には大群に追い回されることになる。
今のサトシが同じことをする理由はなかった。
野生ポケモンを刺激してまで原作と同じ状況を作り出すつもりなどない。
「ピカ?」
「なんでもない。行こう」
「ピカ!」
何事もなく、その場所を通り過ぎる。
しばらく歩いてもオニスズメが襲ってくる様子はなかった。
サトシは内心で少し安心する。
当然といえば当然だ。
自分はすでに原作のサトシとは違う行動をしているのだから、何もかも同じになるはずがない。
そう考えながら進んでいると――。
「オニィ!」
鋭い鳴き声が響いた。
「……え?」
サトシが顔を上げる。
一羽のオニスズメが、木の枝からこちらを睨んでいた。
「ピカ」
ピカチュウも足を止める。
サトシはすぐには構えなかった。
「刺激しないで行こう。ピカチュウ」
「ピカ」
ゆっくり距離を取る。
ところがオニスズメは翼を広げると、枝から飛び立った。
真っ直ぐ向かってくる。
「オニスズメ!」
「来るか!」
サトシの声と同時に、ピカチュウが前へ出た。
オニスズメが嘴を突き出しながら急降下してくる。
「でんこうせっか!」
「ピカ!」
白い光を纏ったピカチュウが地面を蹴り、オニスズメの攻撃を横へかわす。
そのまま素早く方向転換。
「でんきショック!」
「ピカチュウ!」
放たれた電撃がオニスズメを捉えた。
「オニィッ!」
オニスズメが地面へ落ちる。
サトシはすぐにピカチュウのそばへ駆け寄った。
「よし!」
「ピカ!」
研究所では何度もバトルを経験した。
しかし、旅へ出てから野生ポケモンと本格的に戦ったのはこれが初めてだ。
相手から仕掛けてきたとはいえ、ピカチュウは慌てることなく、これまでの特訓通りに動けていた。
「ちゃんと通用するな」
嬉しさはある。
何年も続けてきた特訓が、本当の旅でも役に立つと確認できたのだから当然だった。
しかし、喜んでいられたのはわずかな時間だった。
倒れていたオニスズメが顔を上げる。
「オニィィィィッ!」
森へ響き渡るほどの大声。
サトシの表情が変わった。
「……まさか」
一羽。
二羽。
木々の間から鳴き声が返ってくる。
やがて枝から次々とオニスズメが飛び立ち、空からも別の群れが近づいてきた。
数はあっという間に増えていく。
サトシは空を見上げたまま、しばらく言葉を失った。
「……結局こうなるのかよ!」
「ピカァ!?」
ピカチュウも驚いている。
原因は原作とは違う。
こちらから石を投げたわけでもない。
それなのに結果として、オニスズメの群れに囲まれようとしている。
「未来を知ってても、全部その通りにはならないってことか」
考えてみれば当たり前だった。
自分が行動を変えれば、周囲も変わる。
それでも別の理由から、似た出来事へ辿り着くことだってある。
今それを考え込んでいる場合ではない。
「オニィ!」
最初の数羽が襲いかかってきた。
「ピカチュウ、でんきショック!」
「ピカチュウ!」
電撃が広がり、先頭にいたオニスズメたちが一斉に散る。
別方向から二羽。
「右!」
ピカチュウがでんこうせっかで移動し、攻撃をかわした。
さらに上空から降下してきた一羽へ、サトシはすぐに指示を出す。
「エレキボール!」
「ピカ!」
電気の球体が飛び、直撃を受けたオニスズメが弾き飛ばされた。
一匹ずつなら問題ない。
数匹程度なら、今のピカチュウなら十分に相手ができる。
しかし。
「まだ増えるのか……!」
森の向こうから、さらに群れが飛んでくる。
倒しても倒しても終わらない。
ピカチュウなら戦える。
だが、だからといって何十匹もの野生ポケモンを相手に、最後まで戦い続ける意味はない。
「ピカチュウ!」
「ピカ!」
「突破するぞ!」
ピカチュウがすぐにサトシの横へ戻った。
「でんきショックで前を開けろ!」
「ピッカァ――チュウ!」
強い電撃が前方へ走り、迫っていたオニスズメたちが左右へ散る。
道が開いた。
「今だ!」
二人は走り出した。
◇
オニスズメの群れは簡単には諦めなかった。
サトシとピカチュウが走っても、上空から追ってくる。
「しつこいな!」
「ピカ!」
ピカチュウが振り返りながらでんきショックを放ち、距離を詰めてきたオニスズメを牽制する。
サトシもただ前だけを見て走っているわけではない。
時折波導を周囲へ広げ、背後や上空から接近する気配を確認しながら、森の中でも走りやすい道を選んでいく。
それでも空を飛べる相手を完全に振り切るのは難しい。
やがて木々が途切れ、前方に川が見えてきた。
「川か!」
サトシは足を止める。
無理に渡れば荷物が濡れる。
別の道を探そうと周囲を見た、その時だった。
「きゃっ!?」
近くから女の子の声が聞こえた。
「ん?」
川辺を見る。
赤みがかった髪の少女が、釣り竿を手にこちらを見ていた。
サトシはすぐに誰なのか分かった。
カスミ。
だが、向こうにとってサトシは当然初対面だ。
「ちょっと、何なのよ! 急に走ってきて!」
「ごめん! でも今――」
説明しようとした瞬間、空から大量の鳴き声が聞こえた。
「オニィィィ!」
カスミが顔を上げる。
「……何よ、あれ」
「オニスズメの群れ」
「見れば分かるわよ! なんであんなに追われてるの!?」
「色々あって!」
「色々って何よ!?」
話している時間はない。
サトシは川辺に置かれていた自転車へ目を向けた。
「あれ、君の?」
「そうだけど?」
「貸してくれ!」
「はぁ!?」
「絶対返す!」
「ちょっと待ちなさいよ!」
サトシはピカチュウを前へ乗せ、自転車へ跨がった。
「ごめん! 後でちゃんと返すから!」
「返すとかそういう問題じゃ――!」
最後まで聞く余裕はなかった。
オニスズメたちが迫る。
サトシはペダルを踏み込んだ。
「行くぞ、ピカチュウ!」
「ピカ!」
「こらぁぁぁ! 待ちなさーい!」
背後からカスミの叫び声が響いた。
◇
空模様は急速に悪くなっていった。
さっきまで見えていた青空が黒い雲に覆われ、風も強くなっていく。
「このタイミングまで同じなのか!」
サトシは自転車を漕ぎながら空を見る。
やがて雨が降り始めた。
最初は小さかった雨粒が、瞬く間に激しくなっていく。
「ピカ!」
ピカチュウが後ろを指す。
オニスズメたちはまだいる。
むしろ風に煽られながらも追跡を続け、少しずつ距離を詰めてきていた。
サトシは前方を見る。
雨で道がぬかるみ始めている。
このまま自転車で逃げ続ける方が危険だ。
「……ピカチュウ」
「ピカ?」
「止まるぞ」
ブレーキをかける。
タイヤが泥の上を滑り、自転車が大きく傾いた。
「うわっ!」
サトシは咄嗟にピカチュウを抱えて飛び降りた。
二人は転ばずに済んだものの、自転車はそのまま倒れて地面を滑り、道端の岩へ激突する。
ガシャン!
「…………」
サトシは壊れた自転車を見る。
「……まずい」
「ピカ……」
前輪が完全に曲がっている。
間違いなく怒られる。
だが、それを気にするのは後だ。
オニスズメの群れが迫っている。
サトシはピカチュウを地面へ下ろした。
「逃げ続けても終わらない」
「ピカ!」
「ここで退かせるぞ!」
ピカチュウがサトシの前へ立つ。
一人と一匹は並んで空を見上げた。
オニスズメの群れが一斉に降下してくる。
「でんきショック!」
「ピッカァ――チュウ!」
電撃が雨の中を走る。
先頭のオニスズメたちが散った。
それでも後続が突っ込んでくる。
「でんこうせっかでかわして!」
ピカチュウが白い光を纏い、地面を駆ける。
一羽、二羽と攻撃を避けながら位置を変え、サトシの指示で振り返った。
「エレキボール!」
「ピカ!」
放たれた電気の球体が群れの中央で弾ける。
オニスズメたちの隊列が崩れた。
「今だ!」
ピカチュウがサトシを見る。
長く説明する必要はなかった。
「思いっきりいけ!」
「ピッカァァァ――!」
ピカチュウの頬から激しい電気が迸る。
「チュウウウウウッ!!」
これまで何度も鍛えてきた、でんきショック。
その中でも最大級の出力だった。
電撃が空へ広がった直後、雷鳴が轟いた。
眩い光が雨雲を裂く。
オニスズメの群れは一斉に乱れ、何羽かは慌てて高度を上げ、残った個体もついに攻撃をやめて離れていく。
やがて群れ全体が方向を変えた。
遠ざかっていく。
「……行った」
サトシが息を吐く。
ピカチュウも肩で息をしていたが、しっかりと自分の足で立っている。
「やったな!」
「ピカ!」
サトシがしゃがむと、ピカチュウが胸へ飛び込んできた。
「結構疲れたな」
「ピカァ……」
「今日はポケモンセンターに着いたら、ちゃんと休もう」
ピカチュウが頷く。
その時。
「見つけたぁぁぁ!」
遠くから声が聞こえた。
サトシの身体が固まる。
「……あ」
「ピカ」
二人がゆっくり振り返る。
雨の向こうからカスミが走ってくる。
その視線がサトシを捉え、次に道端へ転がっている自転車へ向かった。
止まる。
「…………」
前輪は曲がっている。
車体にも傷が入っている。
どう見ても無事ではない。
カスミの肩が震え始めた。
「私の……」
サトシが一歩後ろへ下がる。
「これは、その……」
「私の自転車ぁぁぁぁぁぁっ!!」
「ごめん!!」
サトシは即座に頭を下げた。
「ごめんで済むと思ってるの!?」
「ちゃんと弁償する!」
「当たり前よ!」
「ピカ……」
ピカチュウがそっとサトシから距離を取った。
「おい、逃げるな!」
「ピカピカ!」
「ピカチュウも乗ってたでしょ!」
「ピカ!?」
「何ポケモンに責任押しつけてるのよ!」
「押しつけてない!」
嵐の中で言い争いが始まりかけた、その時だった。
ふっと雨が弱くなった。
三人が空を見る。
黒い雲の切れ間から光が差し込んでいる。
やがて雨は止み、空に大きな虹が架かった。
「……綺麗」
カスミが思わず呟く。
サトシも空を見上げた。
その瞬間。
「ピカ……」
ピカチュウの声が変わった。
サトシも気づく。
虹の向こう。
一羽の巨大なポケモンが、悠然と空を飛んでいた。
赤と金を思わせる鮮やかな身体。
大きく広げられた翼。
その姿を見た瞬間、サトシは息を呑んだ。
知っている。
前世で何度も見た。
アニメでも。
ゲームでも。
資料でも。
その名前を知らないはずがない。
それでも。
「……本物だ」
知識として知っていることと、実際にその姿を見ることはまるで違った。
サトシはポケモン図鑑を取り出し、空を飛ぶ存在へ向ける。
しかし、図鑑から期待した情報は得られない。
カスミが不思議そうに空を見つめている横で、サトシは図鑑を下ろした。
「ホウオウ……」
小さく名前を口にする。
「え?」
カスミが振り返った。
だがサトシは答えず、遠ざかっていくホウオウを見つめ続けた。
伝説のポケモン。
いつか出会いたいと思っていた。
いつか戦ってみたいと思っていた。
それが旅立ったその日に、自分たちの頭上を飛んでいる。
サトシの口元に自然と笑みが浮かんだ。
「ピカチュウ」
「ピカ」
「世界って、やっぱりすごいな」
ピカチュウも空を見上げる。
ホウオウは虹の向こうへ飛んでいく。
その姿が小さくなっていく中、サトシは静かに拳を握った。
「いつか――俺たちとバトルしよう」
声が届いたのかは分からない。
ホウオウはそのまま空の彼方へ消えていった。
けれど、サトシにとってはそれでよかった。
今すぐ追いつく必要はない。
自分たちの旅は、始まったばかりなのだから。
「ピカ!」
「うん。まずはトキワシティだな」
オニスズメとの戦いでピカチュウも疲れている。
早くポケモンセンターへ連れていきたい。
サトシが歩き出そうとしたところで、背後から冷たい声が聞こえた。
「……その前に」
「ん?」
振り返る。
カスミが壊れた自転車を指差していた。
「これ、どうするつもり?」
「…………」
サトシは空を見上げた。
先ほどまであれほど感動していた虹が、今は少しだけ恨めしい。
「……ちゃんと弁償します」
「絶対だからね!」
「分かってるって!」
「ピカピカ!」
「ピカチュウは笑うな!」
旅立ち初日。
野生ポケモンとの初めての戦いを経験し、オニスズメの大群に追われ、知らない少女の自転車を壊し、その一方で伝説のポケモン――ホウオウとも遭遇した。
前世の知識があっても、未来は思い通りには進まない。
けれど、それでいい。
何が起こるか分からないからこそ、自分で考え、ピカチュウと一緒に乗り越えていけばいい。
サトシはピカチュウを肩へ乗せると、カスミと壊れた自転車を伴い、トキワシティへ向かって再び歩き始めた。
まだ旅立って、たった一日。
それなのにサトシたちの冒険は、すでに前世で知っていた物語とは少しずつ違う道を進み始めていた。