ポケットモンスター ―君と目指す頂― 作:あああああ
雨上がりの道を歩き続けているうちに、空は少しずつ夕暮れの色へ変わっていった。
サトシの肩ではピカチュウが身体を休めており、その少し後ろではカスミが壊れた自転車を押している。前輪が大きく曲がっているせいでまともに転がすこともできず、時折ガタガタと嫌な音が響いていた。
その音が聞こえるたび、サトシはなんとなく振り返りづらくなる。
「……なあ」
「何?」
「それ、俺が持とうか?」
「当たり前でしょ!」
「だったら最初から言ってくれよ!」
サトシが自転車を受け取ると、カスミは呆れたように腰へ手を当てた。
「人の自転車を壊しておいて、よくそんなこと言えるわね」
「事故だったんだから仕方ないだろ。それに弁償するって言ってるし」
「だったらちゃんと覚えておきなさいよ。直してもらうまで絶対に忘れないから」
「分かったって」
肩の上からピカチュウが楽しそうに鳴く。
「ピカピカ」
「お前は他人事みたいに笑うなよ」
そんなやり取りをしながら歩いていると、木々の向こうに建物が見え始めた。
サトシの表情が明るくなる。
「見えた!」
「ピカ!」
カスミも前を見る。
夕暮れの向こうに広がっていたのは、マサラタウンとは比べものにならないほど多くの建物と人々の姿だった。
トキワシティ。
サトシにとって、旅立ってから初めて辿り着く街だった。
「ここがトキワシティか……」
前世では何度も知識として見てきた場所だが、自分の足で辿り着けば印象はまるで違う。
けれど街を眺めていたサトシは、肩にいるピカチュウを見てすぐに気持ちを切り替えた。
「観光は後だな。まずポケモンセンターへ行こう」
「ピカ」
オニスズメとの戦いの後も自分で歩ける程度には元気だったものの、かなり電気を使っている。大きな怪我がなくても、一度ジョーイに診てもらった方がいい。
街へ入ろうとした、その時だった。
「そこの君たち、ちょっと待って!」
声とともに、一人の女性が近づいてきた。
警察官の制服。
その姿を見ただけで、サトシには誰なのか分かった。
「ジュンサーさん……」
「え?」
ジュンサーが少し不思議そうな顔をする。
しまった、とサトシは思ったが、すぐに誤魔化した。
「いや、警察の人かなって」
「そうよ。トキワシティのジュンサーです」
どうやら不審には思われなかったらしい。
ジュンサーはサトシとカスミを確認し、最後に壊れた自転車へ目を向けた。
「ずいぶん大変なことになってるわね」
「聞いてくださいよ! この子が――」
「オニスズメの大群に追われてて、逃げるために借りたら事故で壊れたんです!」
「ちょっと! 私が説明しようとしたのに!」
「どうせ俺が壊したって言うんだろ!」
「事実でしょ!」
言い争い始めた二人を見て、ジュンサーは困ったように笑った。
「事情は分かったわ。でも最近この辺りではポケモン泥棒の情報もあるから、念のため身元を確認させてもらえる?」
サトシの表情が少しだけ真剣になる。
ポケモン泥棒。
それが誰を指しているのか、心当たりがあった。
「分かりました」
バッグからポケモン図鑑を取り出し、ジュンサーへ見せる。
確認を終えたジュンサーは頷いた。
「マサラタウンのサトシ君ね。今日トレーナーになったばかり?」
「はい」
「それなら、ようこそトキワシティへ。暗くなる前にポケモンセンターへ行った方がいいわね」
「そうします。ピカチュウも休ませたいから」
「ピカ」
ジュンサーと別れたあと、サトシたちはそのままポケモンセンターへ向かった。
◇
自動ドアが開いた瞬間、サトシは思わず足を止めた。
明るく清潔な室内にはトレーナーたちが行き交い、様々なポケモンの姿がある。研究所とはまた違った設備が並び、奥では白衣姿の女性が忙しそうに働いていた。
「本物のポケモンセンター……」
「何言ってるの?」
隣からカスミに怪訝な顔をされ、サトシは慌てて首を振る。
「いや、旅で使うのは初めてだから」
それなら納得したらしい。
受付へ向かうと、ジョーイが笑顔で迎えてくれた。
「こんばんは。どうしました?」
「このピカチュウを診てもらえますか? オニスズメの群れと戦って、かなり電気も使ってるんです」
ジョーイはピカチュウの様子を確認する。
「大きな怪我はなさそうだけど、かなり疲れているみたいね。念のため診察して、少し休ませましょう」
「お願いします」
サトシが肩から下ろすと、ピカチュウが少し不安そうに振り返った。
「大丈夫。ここで待ってるから」
「ピカ」
ピカチュウはジョーイに連れられて奥へ向かった。
姿が見えなくなるまで見送ったあと、サトシは待合スペースの椅子へ腰を下ろした。
ようやく一息つける。
カスミも隣の椅子へ座った。
少しの間、二人とも黙っていたが、先に口を開いたのはカスミだった。
「そういえば、ちゃんと名前聞いてなかったわね」
「そうだったっけ?」
「オニスズメに追いかけられて、いきなり自転車持っていかれたのよ? 自己紹介してる暇なんかなかったでしょ」
確かにその通りだ。
「俺はサトシ。マサラタウンから今日旅に出た」
「私はカスミ」
「よろしく、カスミ」
「よろしくじゃなくて、自転車」
「分かってるって!」
どうやらこの話は当分続くらしい。
それでも、サトシは改めてカスミを見る。
前世から知っている人物。
これから長く旅をすることになる相手の一人。
だが、今のカスミにとっては、自分は今日初めて会ったばかりの少年でしかない。その距離感を間違えるつもりはなかった。
「でも、本当にごめん。自転車はちゃんと弁償する」
先ほどまでより真面目な声で言うと、カスミも少しだけ表情を緩めた。
「……分かればいいのよ」
しばらくすると、奥からジョーイが戻ってきた。
その隣にはピカチュウもいる。
「ピカ!」
「ピカチュウ!」
サトシが立ち上がると、ピカチュウが走ってきて肩へ飛び乗った。
「元気になったな」
「ピカピカ!」
「大きな怪我はありませんでした。疲労が中心だったから、少し休ませれば大丈夫ですよ。ただし今日はもう激しいバトルは控えてくださいね」
「ありがとうございます」
サトシは素直に頭を下げた。
旅を続けるなら、こうしてポケモンを診てもらう機会はこれから何度もあるだろう。ポケモンセンターのありがたさを、旅立ち初日から実感することになった。
できれば今日は、このまま何事もなく休みたい。
そう思ったのだが――。
突然、建物の外から大きな音が響いた。
ドンッ!
「何!?」
カスミが立ち上がる。
センター内にいたポケモンたちが一斉に騒ぎ始め、トレーナーたちにも動揺が広がった。
サトシだけは、音がした瞬間に嫌な予感を覚えていた。
「……やっぱり来るか」
「何か知ってるの?」
「いや」
その時、入り口付近から煙が流れ込んできた。
そして。
「なんだかんだと聞かれたら!」
聞き覚えのある声。
「答えてあげるが世の情け!」
二人の人影が煙の向こうから姿を現す。
赤い長髪の女。
青紫色の髪をした男。
さらに、その足元には二本足で立つニャース。
「世界の破壊を防ぐため!」
「世界の平和を守るため!」
サトシは黙って見つめた。
本当にやっている。
前世で何度聞いたか分からない名乗りを、目の前で。
「愛と真実の悪を貫く!」
「ラブリーチャーミーな敵役!」
「ムサシ!」
「コジロウ!」
「銀河をかけるロケット団の二人には!」
「ホワイトホール、白い明日が待ってるぜ!」
「なーんてニャ!」
最後にニャースが決める。
センター内が一瞬静まり返った。
カスミが呟く。
「……何なの、あの人たち」
「ロケット団」
「知ってるの?」
「有名な犯罪組織だからな」
それ以上は言わない。
ムサシが周囲を見渡し、満足そうに笑った。
「さあ、このポケモンセンターにいるポケモンを全部いただくわよ!」
「抵抗しても無駄だ!」
「大人しく渡すニャ!」
ジョーイの表情が変わった。
「そんなことさせません!」
センター内のスタッフが、預かっているポケモンたちを奥へ避難させ始める。
サトシはピカチュウと顔を見合わせた。
ジョーイからは、今日はもう激しいバトルをするなと言われたばかりだ。
できれば戦わせたくない。
だが。
「アーボ、出てきなさい!」
「ドガース、行け!」
二つのモンスターボールが開き、アーボとドガースが現れる。
「アーボ!」
「ドガース!」
「そういうわけにもいかないか」
サトシが前へ出る。
「ちょっと、サトシ!」
「時間を稼ぐ。ジョーイさんたちがポケモンを避難させるまででいい」
カスミは一瞬驚いたものの、すぐに表情を引き締めた。
「だったら私もやるわ」
腰のモンスターボールを手に取る。
「ヒトデマン、お願い!」
ボールから飛び出した光が床の上で弾け、星形の身体を持つポケモンが姿を現した。身体の中心にある赤いコアが光を反射する。
「ヘアッ!」
「ヒトデマンか」
「そうよ。私の大事なパートナーなんだから!」
カスミが胸を張る。
サトシはその横で、肩のピカチュウへ確認した。
「いけるか?」
「ピカ!」
力強い返事。
「無理はしないぞ」
「ピカ!」
サトシとカスミは並んでロケット団と向き合った。
◇
「アーボ、ヒトデマンにたいあたり!」
「アーボ!」
アーボが身体をくねらせ、一気にヒトデマンへ迫る。
「ヒトデマン、かわしてみずでっぽう!」
「ヘアッ!」
ヒトデマンが横へ跳ねて突進を避けると、身体の先端から勢いよく水を噴射した。
水流をまともに受けたアーボが押し戻される。
「アーボ!」
「よし!」
カスミが拳を握った。
反対側ではコジロウが腕を振る。
「ドガース、たいあたり!」
「ピカチュウ、でんこうせっか!」
白い光を纏ったピカチュウが横へ抜け、突っ込んできたドガースをかわす。そのまま素早く方向を変えた。
「でんきショック!」
「ピカチュウ!」
電撃がドガースへ命中する。
「ドガァ!」
「何よ、あのピカチュウ!」
ムサシが目を見開いた。
一方で、体勢を立て直したアーボが再びヒトデマンへ飛びかかる。
「ヒトデマン、スピードスター!」
「ヘアッ!」
ヒトデマンの身体から星形の光が次々と放たれ、アーボへ命中した。
「アーボォ!」
アーボが弾き飛ばされる。
「やるじゃん、カスミ!」
「当然でしょ! 水ポケモンの扱いなら任せなさい!」
カスミは得意げに答えた。
研究所で何度もバトルを経験し、旅立ちの日まで鍛え続けてきたピカチュウにとって、初めて戦う相手だからといって動けなくなることはない。
ただし、今日はすでにオニスズメの大群と戦った後だ。
サトシも無駄に長引かせるつもりはなかった。
「カスミ、アーボをドガースの方へ!」
「分かった! ヒトデマン、もう一度みずでっぽう!」
「ヘアッ!」
水流がアーボを押し流す。
「ちょっと、何するのよ!」
ムサシが叫ぶが、アーボはそのままドガースのすぐ近くまで押し戻された。
サトシが腕を振る。
「今だ、ピカチュウ!」
「ピカ!」
「でんきショック!」
「ピッカァ――チュウ!」
強い電撃がアーボとドガースをまとめて包み込んだ。
「アーボォ!」
「ドガァァ!」
二匹が吹き飛ばされ、そのままムサシとコジロウへ激突する。
「きゃあっ!」
「うわぁ!」
「ニャー!?」
ニャースまで巻き込まれ、三人がセンターの外へ吹き飛ばされていった。
遠くから声が響く。
「やな感じー!」
やがて見えなくなった。
サトシはしばらく入り口を見つめたあと、息を吐く。
「……本当に飛んでいくんだな」
「何が?」
「なんでもない」
隣ではピカチュウが少し得意そうに胸を張り、その向こうではヒトデマンがくるりと身体を回転させてカスミの前へ戻ってきた。
「ヒトデマン、お疲れさま。よくやったわ!」
「ヘアッ!」
「ヒトデマンも強いな」
サトシが素直に言うと、カスミは嬉しそうに笑った。
「でしょ?」
「ピカ!」
「ピカチュウもよくやった」
サトシはしゃがんで頭を撫でる。
「でも今日は本当にこれで終わり。もうバトル禁止な」
「ピカ」
今度は素直に頷いた。
カスミもヒトデマンをモンスターボールへ戻す。
「ありがとう、ヒトデマン。ゆっくり休んでね」
赤い光となって戻っていくヒトデマンを見届けたあと、カスミもようやく肩の力を抜いた。
一方、遠くへ飛ばされながらも、ムサシたちはただ負けただけではなかった。
最後に見たピカチュウの電撃。
新人トレーナーが連れているポケモンとは思えないほど鍛えられている。
その事実は、三人の頭にしっかりと残っていた。
◇
騒動が収まったあと、ジョーイたちは避難させていたポケモンを元の場所へ戻していった。
幸い、大きな被害は出ていない。
「助かりました。二人とも、それにピカチュウとヒトデマンもありがとう」
「いえ」
「当然よ!」
カスミが胸を張る。
サトシはその横でピカチュウを見た。
旅立って一日目。
オニスズメの群れと戦い、ホウオウを目撃し、今度はロケット団。
「初日から濃すぎないか……?」
「ピカァ」
ピカチュウも同意しているらしい。
今度こそ休むことになり、その夜はポケモンセンターで過ごした。
◇
翌朝。
十分に眠ったサトシがポケモンセンターを出ると、ピカチュウも元気いっぱいに隣を歩いていた。
「よし!」
サトシは大きく伸びをする。
今日から向かうのはニビシティ。
そのためには、まずトキワの森を抜けなければならない。
前世の記憶を思い出せば、そこで待っている出会いも分かっている。
けれど昨日だけでも、知っている未来がそのまま再現されるわけではないと十分理解した。だからこそ、必要以上に先のことを考えず、自分の目で確かめていくつもりだった。
「行こうぜ、ピカチュウ!」
「ピカ!」
歩き出したところで。
「ちょっと待ちなさい!」
聞き覚えのある声に足を止める。
振り返れば、カスミが立っていた。
「……なんでいるんだ?」
「なんでって?」
カスミの眉が動く。
嫌な予感がした。
「私の自転車」
「…………」
完全に忘れていたわけではない。
本当だ。
ただ、朝になったら少しくらい話が進んでいるかもしれないと思っただけだ。
「ちゃんと弁償するって言っただろ?」
「いつ?」
「それは……そのうち」
「じゃあ、その『そのうち』までついていくわ」
「え?」
カスミは当然のように歩き出し、サトシの横へ並ぶ。
「直してもらうまで逃がさないから」
「逃げないって!」
「どうかしら?」
「信用ないな!」
「昨日会ったばっかりでしょ!」
言われてみればその通りだった。
サトシは反論できず、隣のピカチュウを見る。
「ピカピカ」
「笑うなって」
こうして。
サトシとピカチュウだけで始まった旅に、カスミが加わった。
理由は友情でも、ましてや恋でもない。
壊れた一台の自転車。
それが三人を繋いだ最初のきっかけだった。
「次はトキワの森だ」
サトシが前を見る。
「ニビシティへ行くんでしょ?」
「うん。最初のジム戦だからな」
「へえ。新人なのに随分自信あるのね」
「勝つつもりで行くから」
「ピカ!」
カスミはそんな一人と一匹を見て、少しだけ笑った。
三人はトキワシティを後にする。
その先に広がっているのは、深い森。
そしてそこには――サトシにとって、旅に出てから初めて仲間になるかもしれないポケモンとの出会いが待っていた。