ポケットモンスター ―君と目指す頂― 作:あああああ
トキワシティを出発してしばらくすると、サトシたちの前に深い森が広がった。
高く伸びた木々が陽射しを遮り、街道を歩いていた時よりも空気がひんやりとしている。草木の間からは絶えずポケモンの鳴き声が聞こえ、少し視線を動かすだけでも枝の上や茂みの奥に小さな影が見えた。
「ここがトキワの森か」
サトシが森を見上げると、隣にいたピカチュウも興味深そうに耳を動かした。
「ピカ」
「ニビシティに行くなら、ここを抜けるのが一番早いんでしょ?」
カスミが後ろから尋ねる。
「ああ。それに、せっかく来たんだから色々見ていきたい」
「色々って?」
「野生のポケモンだよ。ここには森に適応したポケモンがたくさんいるからな」
サトシにとって、それは単なる知識ではない。
前世では画面越しにしか見ることのできなかった場所を、今は自分の足で歩いている。研究所周辺にも野生ポケモンはいたが、広大な森そのものを生活圏にしているポケモンたちを観察できる機会は多くなかった。
そして、この森で出会うはずのポケモンについても覚えている。
けれど昨日の出来事がある。
知っているからといって、すべてがそのまま起こるとは限らない。
「行こうぜ、ピカチュウ」
「ピカ!」
三人は森の中へ足を踏み入れた。
◇
トキワの森には、予想以上に多くのポケモンが暮らしていた。
木の幹をゆっくり登っていくビードル。葉の裏に隠れている小さな虫ポケモン。上空を飛んでいくポッポの姿も見える。
サトシは見つけるたびに立ち止まるわけではなかったが、歩きながら周囲をよく観察していた。
カスミはというと、先ほどから妙にサトシの近くを歩いている。
「……カスミ」
「何よ」
「近くない?」
「気のせいよ」
「さっきまで俺から離れて歩いてただろ」
「気のせいだって言ってるでしょ!」
その時、近くの葉が揺れた。
「ビード!」
「ひゃあっ!?」
飛び出してきたビードルを見た瞬間、カスミがサトシの後ろへ隠れる。
「やっぱり虫ポケモン苦手なんじゃん」
「ち、違うわよ! 今のは急に出てきたから驚いただけ!」
「じゃあ近づいてみれば?」
「絶対嫌!」
「ピカピカ」
ピカチュウまで笑い始めた。
「ピカチュウ! 笑わないの!」
「ピカ!」
ビードルはそんな三人を不思議そうに眺めていたが、やがて興味を失ったように草むらへ戻っていった。
サトシも無理に追いかけない。
トキワの森にいるからといって、虫ポケモンを片っ端から捕まえるつもりはなかった。
これから長く旅をする仲間なのだから、出会いは大切にしたかった。
さらに森を進んでいると、前を歩いていたピカチュウが突然足を止めた。
「ピカ?」
「どうした?」
サトシも止まる。
ピカチュウの視線の先。
一枚の大きな葉の上に、小さな緑色のポケモンがいた。
頭には赤い触角。
黄色い腹部。
大きな黒い瞳が、こちらをじっと見つめている。
「キャタ?」
サトシの表情が自然と緩んだ。
「……キャタピー」
やはり、出会った。
サトシはポケモン図鑑を取り出し、キャタピーへ向ける。
図鑑からキャタピーについての説明が流れる。
その横から覗き込んだカスミの顔が引きつった。
「む、虫……」
「虫タイプだからな」
「それくらい分かってるわよ!」
キャタピーは葉から降りると、ゆっくりこちらへ近づいてきた。
「キャタ」
ピカチュウも警戒せず、一歩前へ出る。
「ピカ」
どうやら敵意はないらしい。
むしろキャタピーの方が興味津々だった。
「キャタ、キャタ」
「ピカピカ」
「もう仲良くなったのか?」
サトシがしゃがむ。
するとキャタピーは今度はサトシへ近づいてきた。
サトシが手を差し出すと、少し匂いを確かめるような仕草をしてから、その手へ頭を寄せてくる。
「人懐っこいな」
「キャタ!」
そのままキャタピーは別の人物にも興味を示した。
振り向く。
そこにはカスミがいる。
「……え?」
「キャタ!」
キャタピーが嬉しそうに近づく。
「ちょ、ちょっと待って!」
「キャタ?」
「こっち来ないでぇぇぇ!」
カスミが一目散に逃げ出した。
キャタピーは立ち止まり、不思議そうに首を傾げる。
「キャタ……?」
「嫌われたわけじゃないから気にするな」
「誰が嫌ってるっていうのよ!」
離れた木の陰からカスミの声が飛んでくる。
「じゃあ戻ってくれば?」
「それとこれとは別!」
「ピカピカ!」
サトシは笑いながらも、もう一度キャタピーへ目を向けた。
原作では、サトシが初めて捕まえたポケモン。
だが、それだけを理由に捕まえるつもりはない。
目の前にいるキャタピーは、前世で見た物語の登場人物ではなく、この世界で生きている一匹のポケモンなのだから。
「なあ、キャタピー」
「キャタ?」
「俺たちはこれから色んな場所を旅するんだ。強いトレーナーたちとも戦うし、いつか世界中を回るつもりでいる」
キャタピーがサトシを見つめる。
「もしお前も一緒に行きたいなら――俺たちの仲間にならないか?」
「キャタ……」
キャタピーはピカチュウを見る。
ピカチュウが笑うように鳴いた。
「ピカ!」
それからキャタピーはサトシへ向き直り、力強く頷いた。
「キャタ!」
「よし!」
サトシは腰から空のモンスターボールを取り出した。
けれど、すぐには投げない。
「その前に、一回バトルしよう」
「キャタ?」
「せっかくトレーナーになったんだから、俺もちゃんとお前の力を見てみたい。ピカチュウと戦って、それから正式に仲間になろう」
キャタピーは少し驚いたようだったが、やがて葉の上から地面へ降りる。
「キャタ!」
やる気は十分らしい。
「ピカチュウ」
「ピカ!」
ピカチュウもキャタピーの前へ出た。
カスミは木の陰から顔だけを覗かせる。
「本当に戦うの?」
「軽くだよ。傷つけすぎるつもりはない」
サトシも二匹の実力差は理解している。
だからこそ、無理な攻撃をさせる必要はない。
「キャタピー、先に来い!」
「キャタ!」
キャタピーが身体を持ち上げる。
次の瞬間、口元から白い糸が勢いよく放たれた。
「いとをはくか! ピカチュウ、横へ!」
「ピカ!」
ピカチュウが素早く跳び、糸をかわす。
キャタピーは続けて身体を使い、ピカチュウへ向かってくる。
「でんこうせっか!」
「ピカ!」
一瞬で距離が縮まった。
ただし、ピカチュウは全力では突っ込まない。
キャタピーの横を抜けるように身体を当て、その勢いだけで体勢を崩させた。
「キャタッ!」
転がったキャタピーがすぐに起き上がる。
まだ諦めていない。
「いいぞ!」
キャタピーが再び糸を放つ。
今度はピカチュウの正面ではなく、近くの木へ向けてだった。
「ん?」
糸が枝へ絡まり、キャタピーが身体を引く。
その反動を使って横へ飛んだ。
「そう使うのか!」
サトシの目が輝く。
まだ技の完成度は高くない。
それでも、自分なりに考えて動こうとしている。
気に入った。
「ピカチュウ、終わらせよう。でんこうせっか!」
「ピカ!」
キャタピーが着地した直後。
ピカチュウが一気に距離を詰め、今度は正面から軽く身体を当てた。
「キャタ!」
キャタピーが地面へ倒れる。
少しして起き上がろうとしたものの、力が入らない。
勝負は決まった。
サトシがモンスターボールを構える。
「キャタピー!」
キャタピーが顔を上げる。
「これからよろしくな!」
ボールを投げた。
キャタピーの身体が赤い光へ変わり、モンスターボールへ吸い込まれる。
ボールが地面へ落ちた。
一度。
二度。
そして――止まった。
「……!」
サトシは駆け寄り、モンスターボールを拾い上げた。
手の中にある重みを感じる。
ピカチュウとは違う。
幼い頃から一緒に過ごしてきた相棒ではなく、トレーナーとして旅立った自分が、初めて正式に捕まえたポケモン。
嬉しさが込み上げてきた。
「よし!」
サトシがボールを掲げる。
「キャタピー、ゲットだぜ!」
「ピッピカチュウ!」
ピカチュウも隣で跳び上がった。
「やったな、ピカチュウ!」
「ピカ!」
サトシはすぐにモンスターボールを開く。
「出てこい、キャタピー!」
光とともにキャタピーが姿を現した。
「キャタ!」
先ほど戦ったばかりなので少し疲れているものの、元気そうだ。
サトシはキャタピーの前へしゃがんだ。
「改めてよろしくな」
「キャタ!」
頭を撫でてから、サトシは少しだけ真面目な表情になる。
仲間になったポケモンには、最初に確認すると決めていたことがある。
「キャタピー、一つ聞いていいか?」
「キャタ?」
「お前は進化したい?」
カスミが少し離れた場所からサトシを見る。
キャタピーも一瞬きょとんとした。
サトシは続ける。
「進化したくないなら無理にさせるつもりはない。でも進化したいなら、そのための特訓も一緒にする」
「キャタ……」
キャタピーはしばらく考えるように空を見上げた。
木々の隙間。
そこを一匹のバタフリーが飛んでいく。
キャタピーの瞳が輝いた。
「キャタ!」
空を見て、それから自分を見て、もう一度バタフリーの方を見る。
言葉が分からなくても十分だった。
「バタフリーになりたいんだな?」
「キャタ!」
迷いのない返事。
サトシは笑った。
「分かった。じゃあ一緒に強くなろう。ちゃんとバタフリーまで進化しようぜ」
「キャタ!」
ピカチュウもキャタピーの隣へ並ぶ。
「ピカ!」
新しい仲間が加わった。
◇
その日の午後。
三人は少し開けた場所を見つけ、休憩することにした。
キャタピーは先ほどのバトルで疲れていたため、まず傷の確認をして休ませる。
その間、サトシはピカチュウと向き合っていた。
「ピカチュウ。そろそろ新しい技の練習も始めようと思う」
「ピカ?」
ピカチュウの耳が立つ。
現在使えるのは、でんきショック、でんこうせっか、ほっぺすりすり、エレキボール。
どれも幼い頃から時間をかけて覚え、今では実戦でも安定して使える。
だからこそ次へ進める。
サトシはピカチュウの尻尾を見る。
「次に覚えるのは――アイアンテールだ」
「ピカ?」
当然、名前を聞いただけで使い方が分かるわけではない。
サトシは近くへしゃがむ。
「尻尾を鋼みたいに硬くして、それを相手へ叩き込む技だ。電気が効きにくい相手にも使えるし、近距離で使える強い技になる」
そして何より。
これから向かうニビシティ。
そこで待っているタケシは、いわタイプを中心に扱うジムリーダーだ。
原作を知っているからこそ、その先にイワークがいることも分かっている。
もちろん、ジム戦のためだけに技を覚えさせるつもりはない。
これから先も長く使える技になる。
「最初から尻尾を振り回す必要はない。まずは尻尾に力を集める感覚を掴もう」
「ピカ!」
ピカチュウが構える。
サトシはこれまで波導を練習した時の経験も思い出しながら、言葉を選ぶ。
「身体全部じゃなくて、尻尾だけを意識してみろ。そこへ力を集める感じだ」
ピカチュウが目を閉じる。
「ピー……」
尻尾へ力を入れる。
しかし。
何も起こらない。
「ピカ?」
ピカチュウが自分の尻尾を見る。
「最初はそんなもんだって。もう一回」
再び集中する。
今度は尻尾を強く振ってしまった。
「違う違う。振るのは後だ。まず硬くする方」
「ピカァ……」
何度か試す。
それでも変化はない。
少し離れたところでは、休んでいたキャタピーが興味深そうにこちらを見ていた。
カスミも腕を組む。
「そんな説明だけで覚えられるの?」
「すぐ覚えられるとは思ってないよ」
「ニビシティまでに間に合うの?」
「間に合わせるために無茶させたら意味ないだろ」
サトシは即答した。
技はゲームのボタン一つで覚えるものではない。
この世界では、ポケモン自身が感覚を掴み、身体で覚えなければならない。
だから時間がかかるのは当然だ。
「もう一回やってみよう、ピカチュウ」
「ピカ!」
ピカチュウが集中する。
しばらく何も起こらなかった。
だが。
「……ん?」
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ、尻尾の先端が硬質な光を帯びたように見えた。
すぐに元へ戻る。
「ピカ?」
ピカチュウ自身も気づいたらしい。
「今のだ!」
サトシが立ち上がる。
「今、一瞬だけ変わった! その感覚を覚えてるか?」
「ピカ……ピカ!」
「よし。もう一回――」
そう言いかけて、サトシは止まった。
ピカチュウは今日すでに歩き、昨日はオニスズメとロケット団を相手にしている。
急ぐ必要はない。
「いや、今日はここまで」
「ピカ?」
「焦るなって。最初の一歩はできたんだから」
サトシが頭を撫でる。
「明日またやろう」
「ピカ!」
その様子を見ていたキャタピーが立ち上がった。
「キャタ!」
「ん?」
キャタピーはピカチュウを見たあと、自分も身体を動かし始める。
「お前も特訓したくなったのか?」
「キャタ!」
「今日は捕まえたばっかりなんだから、まず休め」
「キャタァ……」
少し不満そうだ。
サトシは笑った。
「明日から一緒にやろう。バタフリーになるんだろ?」
「キャタ!」
その一言で機嫌が直った。
「単純ね」
「いいじゃん。やる気があるんだから」
「ピカピカ」
新しく加わったキャタピー。
そして、新しい技へ挑戦し始めたピカチュウ。
旅に出てから二日目にして、サトシたちのチームは少しずつ形を作り始めていた。
◇
その夜。
野営の準備を終えたあと、サトシは焚き火の近くで荷物を整理していた。
カスミは少し離れた場所で休んでいる。
ふと顔を上げると、ピカチュウとキャタピーの姿が見えない。
サトシは一瞬だけ周囲へ意識を広げ、二匹が近くにいることだけ確認すると、すぐに波導を収めた。
少し歩いた先。
木々の隙間から月が見える場所に、ピカチュウとキャタピーは並んでいた。
「キャタ……」
キャタピーが夜空を見上げる。
その上を、小さな影が飛んでいった。
バタフリーだった。
キャタピーはずっとその姿を目で追っている。
「ピカ」
ピカチュウが隣で何かを話しかけるように鳴く。
「キャタ」
「ピカピカ」
何を話しているのか、サトシには分からない。
けれど二匹の様子を見れば、それで十分だった。
「もう仲良くなったみたいだな」
サトシは邪魔をせず、そのまま焚き火のところへ戻った。
◇
翌朝。
出発前に、サトシはピカチュウともう一度だけアイアンテールの練習をした。
「昨日の感覚を思い出して」
「ピカ」
ピカチュウが尻尾へ意識を集中させる。
数秒。
変化はない。
さらに数秒。
「ピー……カ……!」
その瞬間。
尻尾が昨日よりもはっきりと硬質な輝きを帯びた。
「それだ!」
「ピカ!」
ピカチュウが嬉しそうに尻尾を見る。
だが、サトシはまだ成功とは考えない。
「そのまま保てるか?」
「ピカ!」
ピカチュウが尻尾を振ろうとする。
途端に光が消えた。
「ピカァ……」
「やっぱりまだ動かすと駄目か」
それでも進歩している。
昨日は一瞬。
今日は数秒。
「まずは光った状態を保てるようにしよう。その次に振る練習だ」
「ピカ!」
アイアンテールは、まだ使えない。
それでも習得への道は確実に始まっていた。
「キャタピーも行くぞ」
「キャタ!」
キャタピーが元気よくサトシの足元へやってくる。
カスミだけが少し距離を取った。
「ねえ、キャタピーはボールに戻さないの?」
「本人が歩きたいみたいだからいいだろ」
「私がよくないの!」
「そのうち慣れるって」
「絶対無理!」
そんな声を森へ響かせながら、一行は再びニビシティへ向かって歩き始めた。
そして、しばらく進んだところで。
「ピカ!」
ピカチュウが足を止めた。
サトシも視線を上げる。
少し先の開けた場所。
一羽の鳥ポケモンが地面へ降り、辺りを警戒しながら餌を探していた。
ポッポよりも大きな身体。
鋭く伸びた嘴。
頭から伸びる鮮やかな冠羽。
サトシはその姿を見て笑った。
「……いたな」
ポケモン図鑑を取り出す。
「ピジョン」
「ピジョー!」
サトシの隣ではピカチュウが構え、その後ろからキャタピーも興味深そうに顔を出した。
旅に出てから初めて仲間になったキャタピー。
そして今、目の前には次の出会いが待っている。
サトシは図鑑を閉じると、一歩前へ踏み出した。